旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

平和な時代の日本で、 生きてきて良かった!

2007-07-17 | 
チョウを追い求めて、東南アジアの島嶼地域の山野を数十年にわたって駆けめぐってきた。チョウを探して、というと、何やら優雅に聞こえるが、熱帯雨林の中を汗まみれになって、息を切らせて歩き回らねばならず、肉体的に大変ハードな趣味である。

これらの画像は採集に出かけた時の光景で、右下はやや若い時に、ミンダナオ島のフィリピン最高峰、アポ山(3144m)をバックに、泊めてもらっていた村長さん家の子供と一緒に童心に帰って捕虫網を振った時のものである。

右上隅の画像、小さくて見えにくいと思うが、汗でジュクジュクになった帽子に水分とミネラル?を求めて、シジミチョウ(黄色の→の先)がやってきて、帽子の後部にとまっている。

画像、左は山中での昼食風景である。若い時はガンバリがきいたが年を取ってくると疲れやすくなって、あまり食欲が無くなる。でも食べねばバテテしまう。パサパサのまずい外米にワサビ入り海苔のふりかけ(右手に掲げている)をタップリ振って、胃を刺激して押し込むようにして食べて元気を取り戻している。

このように東南アジア各地に出かけているが、ほとんどの地は太平洋戦争中、日本軍が進出していた地域である。チョウを採りに出かけるのだから、当然へんぴな、そして自然いっぱいの地を目指して行くのだが、こんな所にまで!と思うような場所にも日本軍の足跡が残っていて驚かされる。

山中の採集行で疲れ果ててしまった時、いつも頭に浮かんでくるのは「戦争中の日本の兵隊で無くて良かった」という思いである。食料や(安全な)水の補給を満足に受けられずに重い装備を身につけ、敵の襲撃におびえながら、ジャングルの中を進軍、あるいは逃避行を続けた日本の兵士たち。

今、水はある!(まずいながらも・・僕のわがまま)食料はある!敵襲は無い!お前は恵まれている。こんなことぐらいでバテテは駄目だ、と自分を鼓舞する。そして、つくづく思う・・・平和な時代に人生を送ってこられたことの幸せを。

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