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“Diary 182”    ‘22-3-1

2022-02-28 21:40:56 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・2.15日吉倶楽部 Web総会

日吉倶楽部の総会も遂にオンライン開催に成った。OBも大人数に成って、会場の設営やら準備も大変。幹事の皆さんご苦労様ですが、確り準備をして下さい。我々世代に成ると、正直な処、オンライン総会の方が良い。最近では懇親会のビールも出ないし、幹事は年々変わった方が良いだろうし、唯、「意見がキチンと言える」仕組みは考えて置いて欲しい。最近の若いOBは事務力も優れているし、日吉倶楽部は他校のOB会と比べても、断然優れていると思う。天野会長会社でも評判は良いようだし良い前例を作って欲しい。何と言っても慶応義塾のOB会の核だと思うから...お疲れ様でした...

・2.16 第3回コロナワクチン

杉並区は如何もコロナ対策はスピードのある方ではない様だ。それでも今回3回目は割合に順調にワクチン接種は終わった。我々、高齢者は罹病するか、しないかはともかく、予防の手立ては充分にして置きたい。2月中盤は北風がとても冷たかった。その為か如何か解らないが、注射の後遺症か、注射した左腕は当然痛かったが、医師の言う通り3日間は特に体を動かさないようにしていたが、体調は何かダルく4日位はしっくり来なかった。   最近は、ピークアウトの兆しも見えて来た様だが早く収まって欲しい。

・2.21慶応Web 読書会

演題「中国情勢と日米中関係」

講師国分 良生氏(前防衛大学校長 慶応大學名誉教授)

樫の会と読書会の合同のオンライン会議、Zoomの使い方も参加者皆さん慣れて来て、約60名位の参加か?ウクライナ問題に最近のマスコミだが、中国も大きな問題だ。さすがに参加者も多かった。中国も資本主義が行き過ぎて、この辺で一度、熱を冷まさないと谷間は大きく成るだろう。Zoomの会議だと質疑や顔見知りの方々と話をすることが出来ない。   「お元気ですか?」と言う声掛けをしたいが顔を見るだけで終わってしまう。

・2・24 国会とウクライナ問題

テレビを見たが、岸田さん本当に「新しい資本主義」どう考えて居るんだろう。ワクチン問題に振り回されて、結局従来と変わり映えしない。野党も冴えない...    

途中のニュースでロシアのウクライナへの侵攻が伝わって来た。最近のニュースでは、ロシアの侵攻準備が可成り時間を掛けて進められている事は知って居たが、プーチンは準備が整ったところで仕掛けのタイミングを計って居たのだろう。武力による戦争は絶対に良くないが、作戦は見事と言わざるをえない。果たして、如何いう形で決着をつけるのか?長引かずに決着をつけて欲しい物だ。それにしても、日本は本当に力が無くなって来た。歴史的に見ると100年に一度は大きな戦争が起こる様だ。今度は、本当に「新しい資本主義」

世界の中の「格差」を無くすように、伸び切った資本主義をサイズダウンする事が必要だ。「資本」「経営」「労働」の三部門の中の格差圧縮。

・資本分野 規模別法人税の設定

・経営分野 経営者の処遇、給与、設備投資

・労働分野 年功序列型賃金、ベースアップの排除、職務給の採用

何方かこんな論議をして、国際化の先端を切り、日本の存在感を強めたいものだ。

・2.28

この前、「偲、慎太郎...」と言うブログを書いたが、普段電話も掛かって来ないクラスメートから「葉山、懐かしいよな...」「へえ、ブログ読んで呉れてるの?」「偶にな...」と電話が在った。

 

 

 


"Documentary 箱根路1”    ‘22-2-15

2022-02-14 22:22:45 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*三保敬太郎君との事

・忘れもしない1957年5月初めの休日。僕は、東京日産と言うディーラーに入社した。初任給は12800円で勤務先は赤阪溜池の新築の本社。奇麗なショールームがあり、後に映画の撮影にも随分使われた。三保君は前回の“偲!慎太郎”のイントロにも書いてあるように、兎に角、売れに売れていて、大学では会った事が無かった。免許証は僕の方が少し早く’56年12月には取っていた。敬タローは何処に就職するのかと思って居たら、TBSに入って、演出部に配属されていた。或る日「会社を見に来いよ」と呼び出された。6階受付のデスクに奇麗なお嬢様が居て、名前を言って呼んでもらう。本人が出て来る。「おいミッチャン、さすがテレビ局、奇麗な女の子がいるな。」「あの子H,Sと言うんだよ」「相変らず早いな...話ってなんだよ?」「俺、免許取ったから車欲しんだ新車は買えないから中古車でいいんだ。」「それじゃ親父の会社に話してやるよ。だけど金はチャンと払って呉れよ」「ミッチャンバンドのプレイヤーとして出演するときのギャラはどうなるの?」「それはプレイヤーとしてギャラを貰うのさ」「それじゃ他の社員は、やっぱり君には一目おいているね、別扱いだね?」そんな話で、日之出自動車の営業の人に紹介した。どうせ彼は、チョット派手めな車を欲しがるのだろう...当時の車事情は、國産はダットサンに代表される小型車しかなく、殆どの中古車は、駐留軍人が置いていく自家用車で5年以上使った車、帰国するのに運賃が掛かるので安くても日本に置いて行くのをブローカーが買い集めて居た物である。当時の修理工場にはそう言うブローカーが沢山出入りしていた。

米車はフォード、シボレーの全盛時代だった。フオードは1949年式からフラッシュサイドと言って、ドアーの下にステップの無いモデルがヒットしていた。大卒の初任給が12800円ラーメン一杯35円の時代である。その車の値段は25万と言う。今で言えば7~8年使った車が25万円と言う感じである。とても、我々には手の出る車ではない。今で言へば8年物の車が250万と言う感覚だろう。色はボデーがクリーム、屋根が濃い目のツートン4ドアーであった。

・「初めての給料を貰ったら箱根へドライブに行こう。男二人じゃ詰まらないから女の子を連れて行こう」と言う事に成った。当日、敬タロー君はあのTBSの受付のH,S嬢を連れて来た。僕は当時付き合っていた赤坂の子を連れて行った。行きは三保君が運転をすることにした。芦ノ湖畔でお昼を食べたが、三保君は「おい、金払っておいてくれ...」あゝ、又始まったなと思い僕が4人分払った。財布には給料丸々と併せ20000円位しかなかった。芦ノ湖から三国峠へ出て、熱海へ行くコースもあるが、まあ初めてなので早雲山まで行って帰って来よう。と言う事にして、三保君がハンドルを持った。ハラハラしながら僕が助手席に乗り、女性は二人後部座席である。当時、箱根ドライブなんて若僧がする遊びではない。勿論、車もそんなに走っていない。その内に晴れていた空が曇りだし、早雲山に着いた頃には雨が降り出して来た。箱根特有の天候の急変だ。素早く車を降りて、運転を僕に変わる。スターターを回して、走り出すと、何か「こすり合わせる様な金属音」がフロントからし出した。段々、大きくなる。「おい、ミッチャン...何か音がするな?」「うん聞こえるな...」 如何もファンがラジエターをこすっている様だ。僕は、結構、車に乗って居るし大体の見当は付く。「やばいな、この車、エンジンやラジエターが駄目になったら、価値が無くなってしまうな」「さて、こんな山の中で止めたらどうしよう。帰るのにも雨降りの中、傘もないし、女の子如何しよう?」兎に角、車は止めよう。雨は益々強く成って来る。連れの女の子も、さすがに心配になって来て、「マスコウ、如何したの?」と言い出す。三保君は「やばいな...俺、如何したらいいか全然解らないよ」当たり前だよ免許取ったばかりで、殆ど初めて乗った車なんだから...幸い下り坂で黙っていても車は動いている。兎に角,牽引して貰うにも、も少し山を下らないとな...エンジンは掛けられないし、今度は、エンジンが掛けられないので、下りでエンジンブレーキも掛けられない。ブレーキが利かなく成ったら如何しよう。と不安ばかりが募って来る。当時のフォードはワイパーのモーターが独自について居るのではなくエンジンの回転に連動して動くように成っていた。下り坂をワイパーも使えず、全くの機能なしでブレーキを焼きつかせないように神経ピリピリにして下り坂を降りて来た。途中でバスが止まっていた。こんなところでバスが止まって居るなんて?と思いながら3メーター位の後ろまでくっ付いて止まった。暫く待っていたが、動く気配はない。道路は2車線今ほど整備はされて居ない。バスの運転手さんに「動かないんですか?」と聞いたら、「リア―ーシャフトが折れたらしく動かないんで、今、迎えを待って居るんだ」こちらの事情を話して,5m位動かして貰い、「ミッチャン左の後ろから押せよ。俺はハンドルを切るから...」と言って、やっと無事にバスを追い越すことが出来て、又下り坂を利用した無エンジンで坂を下った。宮の下まで来ると道が平らに成る、又、降りて押しながら下った。疲れた所へ一台の310型売り出したばかりのブルーバードが来た。ナンバーを見ると覚えのあるナンバー、クラリオンの小山田さんに(当時営業部長、後社長)特別に引き当てをして納車した車でよく記憶をしていた。部長も手押しをしている変な車を見て、車を止めて降りて来た。「なんだ、増田君何しているの?」事情を説明したら、車をのぞき込んで「なんだ君女ズレでかっこ悪いな…」「助けて下さいよ…」と云ってもロープもない。一軒あった駄菓子屋見たいな店に飛び込み、「ロープ、ありませんか?」と聞いたら「あるよ」と言う返事、10メタ―位のもの1本で500円位だった。それこそロープをもつかむ思い。いやーあの時は本当に有難かった。310でフォードが引っ張れるか解らないが、兎に角、車を結んで引っ張って貰った。本当に有難かった。湯本の駅の先まで引っ張って貰った。小山田さんにお礼を言いここ迄なら親父の会社から迎えに来て貰えるだろう。早速、まだ4時頃だったので親父の会社に電話して。事情を話し、やっと牽引して帰れるめどがついた。「東京から3時間半は掛かるだろう」ミッチャンは「俺は電車で帰るよ。女の子が普通の家の子だからな」「しょうがないな」連れの彼女に話をして、金はないし腹が減ったけれど車の中で待って居た。やっと迎えが付いたのは8時半頃だった。車は34年型のA型フォード、僕が大学1年の足を折った時、迎えに来てくれた車と一緒。「良くヒロちゃん、降りて来られたね」「あんな所まで女ズレで行った何て言ったら怒られるもの...」「いつも悪いね。僕は連れが居るから電車で帰るから」兎に角、無事に東京へ帰る事が出来た。後日談だがクラリオンがTBSでピンクムードショウと言う夜の番組を始めた。クラリオンガールはアイドルの登竜門として人気番組に成った時、三保君は、未だTBSの演出部に在籍して居たのである。此のミッチャンのフォードは後に第一京浜道路の工事中の四角い工事場所の真ん中にすっぽりと入って居た。又、工事中の所へ突っ込んだらしい。その後三保君は、赤いMGAの乗り換え、それを当時ジャズ評論家のいそのてるをさんが買い、奥さんが事故を起こして廃車にしたそうだ。これは8年位前に自由が丘のライブで磯野さんの奥様と会った時に聞いた話。そんな彼が日本グランプリにフェアーレデイーに出たのだから驚きである。レースのライセンスも取り、兎に角、自動車にのめり込んで、遂に「ポルシェは飛んだ」なんて言う映画も作った。原信夫の#&bでピアノを弾いていた西真樹さんと言う人が居るが、僕が或るライブで話をした時に「三保さんは本当の天才ですよ。僕は彼の編曲をした直筆の譜面を持って居ますよ。僕の宝ですよ」と言って居た。晩年、僕が渋谷の営業所長の時、昼間所長室のソファーで寝かしてくれと言って来た。個人の事務所を持って居たが秘書の女の子は彼が事務所を閉めた時、僕のワイフが喫茶店をやって居たので、2年位使ったが、彼女はお母さんが敬タローフアンだったので新聞広告で募集を見て応募して来たと言って居た。同期のスチールギターで有名なlionが、「ミッチャンは自動車にのめり込み過ぎたな...惜しい男だよ」と振り返って居た。僕は高校の時、代返をしてやったのに優等生になられたで本当に悔しくて随分勉強をしたが、いい刺激材だった。高校3年でクラス替えがあり別れてしまったが、当時、経済学部には塾高で語学だけ80点以上の組がドイツ語のG組とフランス語のN組の二組在った。僕はN組だったが、三保君はM組だった。殆ど学校で会ったことは無かった。「無限」、「ジュリアナ東京」、「スコッチハウス25」とか人を集める企画力は凄かった。色んな話があるがこの位にしよう。此の「箱根事件」は忘れられない事件だった。何しろ早雲山から手押しで湯本迄下りたのだから..。

 


“偲ぶ 慎太郎...“ ‘22-2-8

2022-02-07 22:39:21 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

*慎太郎 刈り

僕の頭は小さい時から所謂、「坊ちゃん刈」だった。桐生へ疎開した時もそのまま。小学校5年で浜田山に帰って来た時もそのまんま。成蹊へ入ると旧制高校風の所謂、蛮から時代の風俗の坊主頭、今で言えば「いじめ」で上級生から呼び出しを受け、坊主頭にさせられた。慶応へ入ると坊ちゃん刈も沢山居て直ぐ又長髪にした。野球部に入った確か夏、所謂、「スポーツ刈」に渋谷道玄坂上の「坂本美容室」で刈り上げて貰った。此の美容室は評判が良く仲間が10人位通っていた。隣が女性用の美容室で、その仲間の中には、そこの女の子と結婚した奴もいた。一度、何か野球試合の大会で負けて、全員丸坊主にさせられた事がある。慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞を貰って有名になり、当時、慎太郎の頭がこのスポーツ刈りで一躍「慎太郎刈」が大流行に成った。社会人に成って、当時、新橋の銀座よりの角に「ㇽピノ」と言うバーがあったが、学生時代ラグビー部の先輩に、連れて行って貰った事がある。其処の「オーナーママ島田さん」は、後の日産社長石原さんの日産経理課時代の部下だったOGで、僕の事を「日産の慎太郎」と言って贔屓にして呉れた。その後、銀座7丁目に引っ越したが、そのビルが大学野球部の先輩、加藤さんのビルだった。約60年に成る随分長い付き合いに成った。僕のボトルの番号は「57041」僕の職番だった。

*イントロ 三保敬太郎

戦後日本が最も元気だった高度経済成長の時代、ある天才ジャズピアニストがショウビジネスの世界で大いに活躍を遂げた。音楽界だけに留まらず、俳優、タレント、映画監督、エッセイスト、レーシングドライバー等々、どの分野でも一流だった才人である。ほかにもスキーはオリンピック候補級の腕前、自前でアイスホッケーのチームを持つなど多趣味で知られた人物であった。その名は、三保敬太郎。しかしながら豊かな才能を持ち過ぎた者の宿命であろうか、1986年に51歳という若さで世を去ってしまう。彼は、1934年10月17日生まれ。存命であれば88歳裕次郎と僕と同年生まれである。或る時、日産自動車の川又社長当時の秘書室長Yさんから、「君、三保君と友達だったね、僕は三保君のお父様に面接を受けてコロンビアに入ったんだよ」と言われて、初めて敬太郎君の父上が偉い人だったんだなあと判った。43歳で日本コロムビアの社長を務めたこともある実業家の三保幹太郎を父に持つ敬太郎は東京に生まれ、幼稚舎から大学まで一貫しての慶応ボーイであった。7歳からピアノを始め、高校時代にはピアニストの守安祥太郎に師事。16歳でバンド、クール・ノーツを組んでプロのジャズピアニストとなる。慶應義塾大学を卒業した翌年TBSに演出部員として入社した。1961年には2度目の芸術祭奨励賞も受賞している。彼は、高校2年の時バンドを組んでから夜の仕事をし出した。学校は遅刻するばかりその内、「代返をして呉れ」と言う事になり、僕は午後野球の練習に行きたいので、交換条件を結んだが、当時、彼はモテモテで朝方迄遊び歩いていた。それでも彼はその年、優等生に成っている。これは僕に取っては凄い刺激になった。或る夏、別荘か借りたのか知らないが、葉山の森戸海岸に部屋があり其処へ遊びに行ったクラスメートが「三っちゃ凄いよ、部屋に行ったら衣紋掛に女のストッキングが何本も掛かって居るんだ...」その後の話はご想像に任せるが、その当時の葉山は豊かな自然に恵まれた海岸だった。逗子、葉山、鎌倉に住んで居た慶應の連中は我々都内に住んで居る者には一種の憧れの的だった。兎に角、敬太郎との話は忘れもしない社会人で初めて給料を貰った次の日に箱根へドライブに行ったが、此の事は、次の機会に書くことにしよう。

*太陽の季節

慎太郎が「太陽の季節」を発表したのは、大学2年の時、僕が高校3年の時である。裕次朗の名前は「大きい奴がいる...」と言う事で聞いてはいたが学校では2度位しか見た事はなかった。しかし、三保の事で書いたが、湘南方面から来る奴は、遊び人が多く僕らの様に練習に追われる連中は、湘南方面から来る奴らが何か流行の先端を行って居るようで羨ましくて仕様が無かった。「太陽の季節」を読んでみるとまさしく校内で聞いて居た様な話ばかり...「これは弟の裕次郎がやって居いる事を題材にしたな」玉突きで賭けをして、負けて自殺する話、興奮した性器で障子を破る話、なんて上記した敬太郎の話から類推できるだろう。慎太郎が旧来の小説の書き方よりダイナミックに青春の様々な行為を表現したのは、「何か兄貴が弟のやって居る事羨んで書いている」様な気がしたものだ。当時とすれば、よく出版社も取り上げたものだと思う。

*夢の湘南 長者ヶ崎

さて、僕には色んな友達がいる。先ず、野球の友達、中学、高校、大学と本当に仲良しが多くいた。遊びの友達、野球の練習が無い時は、銀座で待っていてくれる。居場所は靴磨きの伯母さんに言づけて置いて呉れる。仲間の中には裕次郎の真似をして、ハイカラ―なÝシャツを好ん着る奴もいた。遊び仲間の話は、「おい葉山へ行きたいな...そして、三保や裕ちゃん見たいに思いっきり軟派して見たいな...」大学3年の時である。「葉山で部屋を一夏借りようよ」と言う話に成って、森戸、一色は高いから...と言う事でその先は安いだろうと言う事になり、長者ヶ崎で探した。そしてある石屋さんの8畳一間を蚊帳付き、お風呂は五右衛門風呂、布団は4人分と言う事で、7月ひと月借りる事にした。確か、6万円だったように思う。東京の友人に話をすると、「泊めて呉れ」と言うのがグループで来る。兎に角、当時の長者ヶ崎の海は奇麗、慶応の広告研究会の海の家と普通の海の家の2軒だけ建っていた。静かな海岸だった。泊りに来たい連中からは、「一泊3000円取る」と言う事にした。借主の4人では、その金は釣り道具の箱の中にしまって手を付けないように約束した。殆ど一月の内20日位は、多い時には14人位の日もあり,雑っ子寐で太陽の季節や敬太郎の様な艶っぽい話には縁遠いい状態だった。それでも、海は透き通って居るし、朝日夕日は本当に奇麗、これだけは「太陽の季節」並みだった。7月の31日ひと月の夏が過ぎて、毎晩やって居た花札の勝った者から釣り道具箱を開けて配当金の分配をしたら、確か、65000円位に成っていて里帰りするK君は岡山までグリーン車で帰った。この時のことが忘れられず、翌年も同じ石屋さんにお願いして7月一月夏の葉山暮らしをする事になった。長者ヶ崎は、本当に忘れられない海岸である。「僕らの太陽の季節」だった。

*その後の石原兄弟

「立場が人を造り、人が立場をつくる」と言う格言がある。太陽の季節以降、石原兄弟は、兄は作家、弟は俳優と言う役割でしっかりと大きなタッグを組んで一時代を築きあげた。やっぱり第一作が芥川賞を受けたのは慎太郎には大きな自信に成ったのと同時に人間としての視野を大きく持つことが出来たのだと思う。その陰にあったのは、「狂った果実」等一連の映画を作った水の江瀧子プロデュサーの眼力によるところが大きいだろう。何と言ってもネームバリュウは大きい。キャッチフレーズも「慎太郎刈」もいい。次から次えと続くヒットソングも大きい。

慎太郎が政界に出て、次から次えと役割を変えながら、話題と時代のアクセントを作り出したのは本当に立派なものだった。僕は裕ちゃんとは付き合いはなかったが、同級生で、ボート部に居た奴が、裕ちゃんのスタントマンに成った。彼から結構いろいろな話を聞いた。

一方、敬太郎君は身近に付き合っていた。敬太郎君は裕ちゃんとは付き合って居ない。大橋巨泉が「11PM」で有名になったが、あのテーマソングは敬太郎君の作曲である。巨泉は裕ちゃんと仲が良かった様である。しかも、「栄光えの5千キロ」も日産の華やか時代の大作、敬太郎君もダットサンフエア―レデイーで日本グランプリに出て居る。お互いに敵愾心があったとは思わない。「縁」なのかな?不思議でならない。

石原兄弟は色んなことをやりながら勉強もした。敬太郎は全くの天才?気の向くままに何でもやった。でも、一度彼の家へ遊びに行った時、下駄箱の上にダンベルが置いてあった。ピアノを弾くためか何か解らないが、屹度、努力をして居たんだろう。皆居なく成ったが、「時代が変わったなあ」と言う想いが強い。数人の友人から「おい...慎太郎も死んじゃったな...寂しいな」と電話が掛かって来た。伸晃君も随分応援したが、石原兄弟が大きすぎたのか?今一つ自分の個性が出て来ない。石原ファミリーも一時代の「大輪の花」だったのか?

                           


“Diary 181” ‘22-2-1

2022-01-31 22:34:47 | Massy's Opinion

★Massy's Opinion

・1月 一般情勢

会い変わらずのコロナウイルス禍、一時下火になったが僕は、第6波が来ると予想していた。菌が変化して、オミクロン株となり今度は感染のスピードが速い。重症度は、少ないようだが月中から、又騒ぎが大きく成って来た。その意味では、全く例を見ない年末から年始に掛けて、我が家は静かな1月だった。恒例の恵の帰国も無し...これで2年帰って来ない。しかし、昨年の3月3日の淑の骨折以来、全くのstay home嫌いな小池知事の仰る通りの新年になってしまった。1月はコロナの収まりを期待して、棟方さん主催の「映画会」、丸山先生の「樫の会」と「慶応読書会」の合同会もwebに変更に成ってしまった。

当初から予定のweb会議はそのまま開催された。中でも、恵の参加している、早稲田の広瀬先生の「STIC」の会議はまあ、まあの展開でホッとした。詳細は、Blogにも書いてあるのでそちらを見て欲しい。

僕は、此の足掛け3年に成るコロナ禍は世界中の人に色んな変化をもたらしていると思っている。簡単に言えば、不必要なものを削り落としている。そして、インターネットの広がりをまざまざと見せつけられ、正に我が家なんかその最たる見本である。週2回は顔を見せ居るので、かえって来なくても、寂しくない。本人は、ハワイへ行ってストレス解消している。我が家恒例の豊川稲荷詣りも何時か辞める日は来るだろうな、どんな辞め方に成るのかなと考えた事はあったが、こんな形で辞めることに成るとは思はなかった。僕は、形式的なお参りはあまり好きではない。心の中でいつも「感謝の心」を持つことが大事だと思う方である。来年から我が家の新年はどんな風になるだろうかな?

・最近考える疑問

少し、前に書いたが、「新しい資本主義」とても良いキャッチフレーズだ。岸田さんの話や政策を見ていて何か期待半分、未だ期待が早すぎる?もう一つピーンと感じるものがない。

コロナ対策に災いされているのかな?とも思う。或いはじわじわと選挙を睨みながら出して行くのかな?最近の色んな批評を見ていると、stay home、work from home の弊害、もう一つ相手の顔が見えないと実感が掴めない。と言う意見も聞こえて来る。僕は、「資本、経営、労動」に付いて明解な解釈をするべきだと思う。先ず「年功序列型賃金の廃止」業績給、職務給への変更だ。「正規雇用」「非正規雇用」の明解な解釈、「パートタイマー」位置ずけ、「ボーナス」の肝心な位置ずけ、業績が挙がった時の配分の仕方、など企業の根幹の部分の変更だ。「新しい資本主義」とはこの部分の明確化だと思う。業績が挙がった時、税金を取られるのが嫌なら、従業員へ思い切ってボーナスを払い、実績が上がらない時にはボーナスをカットすればいい。年功序列型賃金が続く以上、忖度は無くならない。そして、リーダーの判断を惑わせる風土が出来上がる。

・予算委員会 早慶戦 岸田総理(開成~早稲田)VS長妻 昭(都立高∼慶應)

先日の予算委員会で上記の早慶戦があった。長妻さんも年金の時は、頑張って居たと思う。それ以降、余り彼のカラーが出た意見は聞こえて来ない。岸田総理の発言は大分耳に馴染んで来た。テレビの画面を通してであるが、長妻さんの質問時には、総理もチョット心を引き締めて居たように見受けられた。僕は、余り出身校の事は気にしない。しかし、論戦相手が何を考えて居るかを知る上では、出身校を知ることが一番、手っ取り早い。まあ、長い間の野球生活で東京六大学校風、旧制7年制高校の学校も大体見当がつく。そう言う意味では、岸田さんは開成、早稲田タイプ、長妻さんは余り慶應タイプではない慶応。立憲の為かな、そんな感じがする。二人とも体育会系の様だが、又、対決があると面白そうだ。二人の「資本主義論」を是非聞いて見たい物だ。コロナはもう沢山、3回目接種を静かに待とう。


“Letter to Prf.Hiromi Shoji “22-1-18

2022-01-17 22:35:28 | Massy's Opinion

★Massy‘sOpinion

鹿児島短期大学 学長 塩地 洋 殿

前略

・お年賀メール有難う御座いました。遅くなりましたが、本年も宜しく御願い致します。

・先生との出会い

もう先生との出会いは、はるか昔に成ってしまいましたね。確か、自販連の広報部長寺島さんのご紹介で、先生が講師の頃でしたね。自販連も上層部はすっかりメンバーが変わってしまいした。万代副会長は実は僕の親父と懇意にして居りまして、家も同方向で高校生の頃から顔見知りでした。寺島さんも、日刊自動車に居まして、万代さんは多分協会活動には広報が最重要と言う事で引張って来たのでしょう。年恰好も僕と替わらず、業界の地位の向上を最大目標にした万代副会長の意を介して幅広い活動をされたのでしょう。退任後も個人的には良く電話で話しました。万代さんは、自工会、自動車労連、自販連の鼎立を考えて居られたのです。僕も労組の専従経験もあったので、田淵哲也先生(元参議院議員、大阪日産)をご紹介したりしたものです。大学の先生を講師にお迎えする様にされたのですが、一番初めは確か、加藤寛先生だったと記憶しています。

其の後、確かお二人の先生が付かれましたが、貴職に変わられてから長期に亙り担当されましたので本当に話の連続性が出来て、自販連としての考え方の基盤が出来たものと思います。しかし、残念ながら業界自身の顔ぶれも変わり、販売会社自体も存続の如何を問われる事態に成って居りますので、「新しい資本主義」の元に新たな目標を作り上げることに成るのでしょう。

・最近の自動車販売業界

最近の経済情勢は、大規模なM&Aが大きく行われていますが、中小企業の多い自動車業界の話は、中々表面には出て来ないのですが、数多くの合併、企業統合が行われています。特に、日産系のディーラーには多い様です。私は、ディ―ラーの中でもメーカーと折衝する部署に居たのでメーカーとディ―ラーの契約も良く解って居ます。と言っても私が現役を退任してから20年を超えるのでいろいろ改善されているかも知れませんが、契約書の中にあるテリトリ―の問題は、メーカーの優越的地位を示すもので、反面、ディ―ラーに取ってはそのテリトリーにより専売権を守られている訳です。この辺の問題は、最近の様に、お客様は広域に広がっているのに、売り手は古い個別的顧客に対応している様ではスムーズな顧客対応は出来ません。特に大規模顧客に取っての対応は大事な問題であす。最近、東京のタクシー会社に隣県のディーラーが売り込んで居ると言う話も聞いています。売った方は地場資本のディーラーで売り込まれた方はメーカー資本のディーラーの地域です。この問題は、今後如何いう展開をして行くのか?非常に興味をもつていますし、自販連が自動車販売の将来の在り方を考える時、絶対に大事な問題だと思って居ます。

・如何して考え方がもう一つ将来へ進まないの?

さて、先生の京都大学で続けられた研究は、職場が変わられて、「どうなるのか?」と心配をして居りました。先日、関西大学の方からメールが届きまして、先生が仰って居たように成る事、そして、先生のメールや今後の進め方へのご意見を聞き安心いたしました。唯、人が変わりますと浅妻先生、外川先生等古くこのジャンル研究されている先生方とのGapは致し方無い物と思いますが...物事は時間が掛かる物だなと感じて居ります。

・新しい資本主義

総理が変わって「新しい資本主義」と言う良いスローガンを挙げられましたが、果たしてどう変わって行くのか?私は、矢張り、年功序列型賃金体系を変えないと、賃金格差の圧縮は出来ないと思って居ます。世界は、イギリスのEU脱退、ウクライナ問題等、分裂の方向に向いている様な気がします。自動車販売業界は歴史的にコミッション制度が多く取り入れられていました。副業問題や年功序列型の賃金体系を業績給型に変えて行かないと新しい資本主義は出来上がらないでしょう。先生のゼミに参加させて頂き、色んな方と知り合う事が出来た事本当に感謝して居ります。今後も若い人達に幅広い視野を持つように、そして、歴史を良く学ぶように、そして、先生の研究が無に成らぬように、ご指導されることを期待して居ります。 本年と言わず、今後とも宜しくご指導方、御願い致します。

                                                                                      早々


“Letter To Hiroko Isomura”   ‘22-1-11

2022-01-10 22:28:22 | Massy's Opinion

★Massy‘sOpinion

*磯村 浩子 先生

お年賀状有難う御座います。相変わらず自動車に係るご研究続けて居られる由、何よりと思います。平素、新年共にご無沙汰を致し申し訳ありません。何とか小生も生きながらえて居りますが、世の中は全く希望する方向とは、真逆の方向に進んでいる様で、又余り将来を語り合う、論議し合う仲間も少なくなり、一体将来はどうなるんだろう?と思いながらコロナの渦に巻き込まれて居ります。幸い、コロナには襲われて居りませんが、この2年間アッと言う間にすべての会合は延期になり、小生宅は井の頭線の浜田山ですが、渋谷には3回程度しか行って居りません。生活体形が全く変わってしまいました。自販連も寺島さんも亡くなり、体調不調の中、良く小生宅に電話があり、話をしたのですが、寂しい限りです。

磯村先生の「レモン法」のご報告以来既に20数年経つのですから致し方無いかも知れません。あの頃以降、ブログを始めまして、元京大の塩地先生の「中古車の国際流通問題の研究会」に入れて頂き‘85年迄外部研究員として研究会に参加して居りました。中でも、熊本大学の外川教授、北海学園大学の浅妻教授、千葉大学の福田教授さん達は我が家にもお出でになり色々実務の話を致しました。ネットを始めてから、JAFのラリーの審判長をされて居た福井さんー(元ヨーロッパトヨタの副社長)等とも懇意に成り「通行区分の世界統一問題」を議論させて頂いたりして居りました。専ら皆さん「自動運転」の方に目が向いてしまいます。

今は御存知のように「電気自動車」です。一体今、動いて居る自動車を如何するつもりなのでしょうか?過日、明大で中国人の先生方が集まって自動運転車の研究に付いての会議がありました。小生は、途中で通行区分特に中国のメインランドと香港ハンドル左右の違いの話を質問しました。議長をしていた偉そうな先生が「それはどういう事ですか?」と質問されました。其処で世界には「ドーバー海峡」「ベトナム」「深圳」の3か所に左右の通行区分を変える処がある。中国は「メインランド」は‘80年代に右側通行から左側通行に変えていると言う話をしました。中国人の大学の先生方は誰も知っている方は居ませんでした。日産では、「中古車の流通を考えた車造り」と言う話を理解されたのは、久米社長だけでした。

100年に一度の「新しい資本主義」の時代に「球環境を奇麗に...」言うのが本当に必要な時代でしょう。元京大の塩地先生の研究会は先生が定年で鹿児島短期大学学長に栄転されて以来研究のテンポが遅くなり、一応関西大学の先生が引き継がれる事になって居ります。

参加されるメンバーも大分顔ぶれが変わるでしょう。自販連も全く顔ぶれが変わりました。

ディ―ラーも顔ぶれが変わり、メーカーとディーラー間の契約のテリトリー制はある意味、専売権としてディ―ラーを守って居ましたが、恐らく垣根が無くなって行くような競争が始まるでしょう。

先生の「レモン法」は当時、インパクトがありました。最近そう言う意味では問題提起が少なく、(問題が大きく多すぎて)generation gapでしようがないのかなと考えて居ります。最近ワイフの替わりで、よくスーパーに買い物に行きますが細かい字の明細をよく見て、色んな製造、流通に関わっている人々の姿を想像しています。

どうか先生も研究を続けられ発表される事を期待して居ります。平素のご無沙汰を謝し業界の近況をご報告致します。

                                             MassyAcademy   増田 弘

 

 

 


“Diary 180”   ’22-1-4

2022-01-03 21:48:17 | Massy's Opinion

★massy’s Opinion”    

12/4  新派 朗読劇 高村正太郎 「智恵子抄」

久し振りの生の朗読劇 会場が銀座ブロッサム に変わる。最近、コロナの煽りを受けて、松竹の歌舞伎は間引き公演的に営業しているが、新派は可成り休演が長い。演者も一色采子が主演。有名な高村正太郎の純愛物である。お客の入りは9分通り中高年の女性が多かった。僕は、一人で行くのも寂しいしお嬢様が歌舞伎役者の若手に嫁いでいるF氏を誘う。前回も演舞場に行った事があるので、お付き合いして呉れるとは思った。ジャズのライブでもこういう公演物はお付き合いして呉れる人も大事だ。朗読劇と言うのは、歴史は古いのかも知れないが、僕は20年位前から、結構見ている。動きの少ない朗読が主体だが、それでも役者の小さな所作に色々見所があり、面白い。何よりもご同伴頂いたF氏に感謝。

12・14 Jazz Bird  シマコ大島カルテット

表参道のJazzBird 昔は青山6丁目に在った老舗。僕は好きなライブ・ハウスである。シマコのカルテットが出る時には殆ど行って居る。今回も何時も通りの初めのセットはバンド演奏。セカンド・セットは常連の歌い手さんが参加。その他、サックスで参加の人も居た。バックはハービーのショウとはボリュムも違うが、息の合ったメンバーの演奏も安心して聞ける。第三セットは慶応のライト・ミュジックOB会の会長の女性がピアノを弾いた。彼女も常連で巧い。最近はお客様参加のジャム・セッションスタイルのライブが客の入りが良い様だ。これも、コロナの影響か?

12・16樫の会  

本年最後の「樫の会」行こうかなと思って居たが、体調思わしくなく欠席した。一つにはコロナスタイルの会場も気乗りがしない事も有った。

12・20 藤波氏 来宅

藤波さん、ご丁寧にも年末の挨拶に来て呉れた。この間の朗読劇のお礼の意味もあるのだろう。当方は、ワイフの具合もあるし、コロナにかまけて、年末のご挨拶は欠礼とした、恵も今年は帰国できず、致し方あるまい。まだまだ、大手の企業はhome workが多い様だ。この勤め方が普通に成ってしまうかも知れない。

12・29 facebook 乗っ取りにあう

 僕は、facebookをつかっている。29日メッセンジャーを開いたところ、僕の知人の中で、有名人な人の名前、写真入りで、「lineがロックされてしまったので、解除したいが、下のurlをクリックしてほしい」というメッセージが入っていた。「へえ、大変だな...だけどチョット可笑しいな?」と思って、暫くほおって置いた。少し、ネットサーフインをしていたが、どうにも気になる。もう一度メッセンジャーに戻って見直し、Uさん困っているだろうな...」と考えて、urlをクリックしてしまった。そうしたら仲良しのY君から「マツさん、俺にメール呉れた」「何にも用事ないよ、メールしないよ」「そうだろうねこんなの消してしまうよ...」この男はスマホしか使わない男。「きっと、又変な処、タップしたんだろう」と思って居たら、今度は女友達から「マッサン、メール呉れた?そんな用事ないものね元気?」「そちらこそ変わりない?」又、別の女友達から「増田さん、メール呉れた?」「しないよ、ゴルフやって居るの?」「うん、月1位ね...ちっとも巧く成らないの...」「羨ましいね、もうすっかり縁が切れたよ。兎に角、足がないもの、女は良いねお迎え付きでしょ」「勿論よ...」「文章がマッサンらしくないものね」こんなやり取りがあった内は良いけれど、次から次へと役30人位から電話があった。「如何もおかしい...」と思い発信人であるUさんに電話すると「全然知りません。すいません、でも朝の内に変なメールが3本入りました...」 これで、「やっぱり迷惑メールだな」と思った。今度は,ドコモとこれの取り消しの交渉に1日かかってしまった。結局、僕のLineは一度キャンセルして新規に登録しなおさなければならず、面倒臭いのでキャンセルにしてしまった。中には警察に届けてくれた人もいた。Lineとのやり取りも翌日1日掛かり、本当に酷い目にあった。これからデジタル庁も大変だね。世の中、全く酷く成って来た。

12・31 年越しそば On Skype

恒例のメグの帰国もコロナ騒ぎで、ままならず彼女はマウイ島に3泊4日で遊びに行ってしまった。「31日には、サンノゼへ帰るので、skypeで年越しそばを食べよう」と言う提案。

ワイフは喜んでいる。何時も店頭で、年越しそばを売っている蕎麦屋さんが今年は売っていない。これも、コロナが原因か?結局、成城石井でセット物を買ってきて、ハワイの話を聞きながら親子3人で今年の無事に感謝し、年越しをした。


★Blog Massy-Academy Index ‘21 ジャンル別 一覧 

2021-12-20 16:50:20 | Massy's Opinion

★Blog Massy-Academy Index ‘21  ジャンル別 一覧   (‘21-12-20 R/W)

    

*’20年は、covid-19 で、“Stay Home”の1年だったがワイフの怪我もあり、Blogを書き続けるには、種には事欠かず書くことが出来た。通信環境はスマホの飛躍的進歩と折からのテレワークで随分変化して来た様に感じる。アクセス頂く方に古い記事を見て頂くことも有るので、’20のIndexを再編集した。基本的に「Massy’s Opnion」として、第1週は「Diary」 で前月の主だった日記、中にもライブや観劇の感想を書いた物もある。月の最終週は「Megu’s Reports」として、Megumi がSanJoseから書いてくる。’14年に「ブログ人」から「Goo」に変わったが赤字のURLでも全部見る事が出来る。

・PartⅠ

Massy’s Opinion (ジャンル別主な記事)

★心に残る先輩の言葉

‘06/3/7 仰げば尊し1

‘06/3/14 仰げば尊し2

 

★自動車          

‛05/12/10 自動車の取引

‛06/4/28  中古車価格と土地価格

‛06/9/26     〃

‛06/11/2  オークションの舞台裏

‛07/10/2  中古車販売店選び

‛08/6/12 「通行区分世界統一 Part 1~3」

‛08/10/21 「通行区分世界統一 Part 4-1」

‛09/9/8  討論 環境に優しいエコカー(通行区分世界統一Part4-2)

‛10/5/18  次世代自動車戦略

‛11/7/12  東北震災地方はレモンが豊作

‘12/10/9  日産の盛衰

‘12/10/23 電子的友人

‘13/1/4  Letter to Hiroko Isomura

‘13/4/19 「通行区分の世界統一 Part5」*コメント重要

‘13/ 7/16  レモンとカルチャー・ギャップ

‘13/10/22「通行区分世界統一 Part6」

‘14/3/4  Diary86 「通行区分世界統一Part7」

‘14/3/11 「通行区分世界統一Part8」

‘14/5/13 「通行区分世界統一Part9 」

‘14/7/1「通行区分世界統一Part10」

‘15/2/17  自動車界が賑やかになって来た

‘15/3/24 自動車の進化と通行区分

‘15/7/14 奇縁 国際リユースと通行区分の世界統一 

‘15/10/20 リコールと自動車の未来

‘15/11/17 京大セミナーに参加して

‘15/12/8 世界を見渡すと...

‘16/1/12自動運転自動車

‘16/5/10自動車業界の変わり目1

‘16/5/16自動車業界の変わり目2

‘16/6/14自動運転二つのガイドライン

‘16/8/16一体何処へ行くのだろう自動車業界1

‘16/8/23一体何処へ行くんだろう自動車業界2  

‘17/1/10 どうなる自動車業界

‘17/8/15 Letter to I,Kawanabe

‘17/8/22 夏祭りとタクシー事情

’17/9/12 最近の自動車業界に感じた事

‘17/9/19 リコール事情

’17/10/17 日産リコール問題

‘17/11/14 京大セミナーに参加して

‘17/12/12 自動運転自動車Ⅱ

‘18/1/9 世界の未来を考えるⅠ

‘18/1/16世界の未来を考える Ⅱ

‘18/1/23 世界の未来を考える Ⅲ

‘18/3/20 副業

‘18/4/10 台風が吹きそうな自動車業界

’18/11/2 緊急ゴーン問題 Ⅰ

’18/12/18 再三再四のリコール問題

‘19/Ⅰ/15 緊急ゴーン問題 Ⅱ

‘19/2/12 自動車販売業界の未来

’19/4/9緊急ゴーン問題 Ⅲ

’19/5/14 我若し 総理成りせば

‘19/6/11 日本華人教授会議他 「人工知能」

‘19/6/18 慶応読書会 講師安西元塾長

‘19/7/23 Massy Blog Index

‘19/8/20 香港のタクシ―事情

‘19/9/10 新聞記事より

‘19/9/17 中国自動車調査の思い出

‘19/9/15 ミヤンマーPrj1

‘19/9/22 ミヤンマーPrj2

‘19/⒒/12 職場造り論

‘19/⒒/19 職場造り論 Ⅱ

’20/1/14 ゴーンEscape

’20/6/15 送付状

‘20/10/13 トヨタに賛意

‘20/10/20 日産の最後の挑戦とこれから

’20 /12/ 15 ガソリン車製造禁止

‘20/12/22再びトヨタに賛意

‘21/1/5Diary 168.docx"

‘21/1/10★Index .docx"

‘21/1/19驚いた.docx"

‘21/2/9混沌の世界.docx"

‘21/2/16デジタル化.docx"

‘21/3/2Diary 170.docx"

‘21/3/9 Hole In one  docx"

‘21/3/16  '01-7-1★ < 私のGolf 履歴書 >.doc"

‘21/3/23 「日産・ルノーアライアンス オーラルヒストリー」 読後感.docx"

‘21/4/6 Diary 171.docx"

‘21/4/13読後感日産・ルノーアライアンスオーラルヒストリー.docx"

‘21/4/20読後感 補欠のミカタ」.docx"

‘21/5/4Diary172.docx"

‘21/5/11コントロール .docx"

‘21/6/1 Diary  173 .docx"

‘21/6/8アフターコロナdocx"

‘21/7/6 Diary 174.docx"

‘21/7/13 混迷 コロナ.docx"

‘21/7/20 指導体制の矛盾.docx"

‘21/8/3 Diary  175        docx"

‘21/8/10 Genaration Gap            docx"

‘21/8/17 Genaratio Gap Ⅱ   docx"

‘21/8/24 横浜市長選雑感 .docx"

‘21/9/7Diary !76.docx"

‘21/9/14政情雑感.docx"

‘21/9/21コロナ対策にかんがえる.docx"

‘21/10/5Diary !77.docx"

‘21/10/12コロナ後の世界.docx"

‘21/10/19衆議員総選挙.docx"

‘21/11/2 Diary  178 .docx"

‘21/11/9アフターコロナ雑感.docx"

‘21/11/16最近のテレビ雑感.docx"

‘21/11/23みずほ問題.docx"

‘21/12/6 Diary 179.docx"

 

Part2

★野球

‘05/9/12 Letter To K,K (K,K=菊池啓太 現中京大野球部コーチ)

‘06/2/18 さようなら 藤田投手          

‘06/4/25 アフリカ野球友の会 神宮進出

‘07/9/4さようなら 高橋栄一郎投手

‘07/6/19 Key Word-野球―慶応

‘08/7/8七夕と高校野球

‘08/8/19 開き続けよう...甲子園の扉

‘08/9/23インコースを打て            

‘09/11/24 さようなら中田昌宏君

‘09/12/29 Diary36 ロバート・ホワイティング

‘10/7/20 秋の六大学リーグ戦を終わり

‘10/8/8 六大学野球の裏方

‘10/11/9 野球漬け 

‛11/5/10  気になる野球ライター

‘11/6/21 慶応に取って野球とは?

‘12/4/17 読後感「艇差一尺」大杉耕一著

‘12/12/11 大リーグのマウンド

‘13/6/11  早慶戦観戦記

‘13/6/18 統一球問題

‘14/2/13 東京日産神宮ネット裏懇親会

‘14/3/18 東京日産神宮ネット裏懇親会 話題

‘14/4/8 骨折記

‘14/10/14 先輩から教わったこと“野球編”

‘15/ 6/16 慶応義塾を歌い継ぐ会

‘15/11/3 Diary 106ドラフト

‘16/5/24春の東京六大学野球

‘16/11/22 Letter to 向井万起男先生

‘17/3/21東京日産神宮ネット裏懇親会 ’

‘17/4/11 Letter to 向井万起男先生

‘17/5/9 スコアブックのない野球 1

‘17/5/16スコアブックのない野球 Ⅱ

’18/5/15 イチローと大谷

‘18/7/10 イチローと祥平

‘18/9/⒒スポーツ界問題

‘19/1/8 法政大学スポーツ健康学部

'20/2/11 右投げ左打ち論

‘20/4/21 続右投げ左打ち論

‘21/5/5日吉倶楽部 部誌 原稿  .docx"

’21/5/18 前田祐吉監督

‘21/6/15祝い優勝日本一.docx"

‘21/6/22 野球部の唄雨降れ 雨降れ.docx"

‘21/12/14 友成晋也君とアフリカ野球.docx"

 

・Part3

★Jazz

‘06/2/14 ライブハウス探訪

‘06/6/20 本当のお客様サービスとは?

‘07/12/12 読後感 植田紗加栄 「守安祥太郎の生涯」

‘09/2/3 一杯のコーヒーから

‘10/2/11 Diary 37

‘11/4/19  最近のライブハウス事情

‘13/7/2 Diary 78 

‘13/11/19“第13回新宿トラッドジャズフェスティバル”

‘14/6/3 Diary 89 木津ジョージ ライブ 於BRB                                                   

‘14/10/7 Diary93 第一回ブラジル音楽フェステイバル

‘14/11/19湯川れい子先生 (週間新潮掲示板)

‘15/2/1 Diary 107 自衛隊音楽祭り

‘16/1/5 Diary 108 木津ジョージ ライブ 於如水会館

‘17/2/21 Valentine17

‘17/10/24 To Yoko,M Tribute to I,Masuda Vib man

‘18/8/14 Talk of the Town

‘19/4/23 Where or When

‘20~コロナとワイフの怪我でStay Home ’21はハービー・トンプソンのライブに行った。感想はDiary 179に

その他、ライブハウス“JazzBird にシマコのバンドが出る時には行って居る。

 

・Part4

★Megu’s Sports

‘06/2/19 文武両道日本になし

‘06/10/29  Sponsership for Amateur Athletes

‘07/8/22  賢い患者

‘09/2/24  Rehab of the Current rehab

‘10/4/29  日本の英語教育

‘11/7/26  トレーナー業 地味な仕事

‘13/3/26  五十肩

‘13/4/30  カカトが痛い

*Frank Lioyd WrightとHana House  Stanford Univ. 

‘13/9/24 World Champion Ship ’70,3マイル LasVeEgas

‘14/2/25 Doucter’s Order(東北大 上月教授とのリハビリについて意見交換)

‘14/3/15 日本のリハビリテイション

‘14/4/25 役割分担

‘14/4/29 Evolution Trainers 2

‘14/5/27 Introvert vs

‘14/6/8 日本のリハビリテイション

‘14/6/24 Fit Nation

‘14/7/29 July Diary

‘14/8/26 返品

‘14/9/30 アメリカ発展途上国

‘14/10/28 “育てる” 田村栄子  

‘15/1/21 Brain Exercises

‘15/2/21 家庭と栄養

‘15/3/31 教える-1

‘15/4/22 教えるー2 

‘15/4/28 教える-3 

‘15/5/26 アメリカにあって日本に無いもの

‘15/6/30 Quality of Life

‘15/7/28 Same

‘15/8/25 地元で出会った日本人の若者

‘15/9/29 Start-Up

‘15/10/27  Skinny Fat

‘15/11/24 気配り

‘15/12/29 2015 Highlight  

‘16/1/26Tokyo Visit

‘16/2/23 Emotion and Injury

‘16/3/29日本の雇用と未来

‘16/4/26トレーナー業の将来 1

‘16/5/24トレーナー業の将来 2

‘16/6/28 Uber

’16/7/26 Happy 20th Aniversary

‘16/8/30 2016Rio Olymmpic

‘16/9/27 Airbnb

‘16/10/24 Sexism

‘16/11/29 America

‘16/12/27 2016 Highlight

‘17/1/31 Tokyo Visit

‘17/2/28 Bay Spo

’17/3/28 ウイルス性A型肝炎

’17/4/25 Stereotype

‘17/5/30  Just Random Things

‘17/6/27 Hydration

‘17/7/25 自分探し

‘17/8/29 日本人の彼女

’17/9/26 レース・ツアー

‘17/10/31 Check List

’17/11/28 Mom

‘17/12/26 Highlights(2)

‘17/12/6 Highlights

‘18/1/30 Tokyo Visit and Starting

‘18/2/27 Education and Cal‘1仕事が出来る人

‘!(8/3/27 仕事が出来る人

‘18/4/23 April-Grind Time

‘18/ 5/29不合理だらけの日本スポーツ界

’18/6/26 A Half & Half

’18 /7/Partnership

’18/8/Summer=Race season

’18/9/25 Rac-Cation

’18/10/30 10yearsAnniversary

‘18/11/26 Presentation Pre View

‘18/12/25 HighLight Blog

‘19/1/10 Tokyo Visit and Starting

‘19/2/26 House Gest’

‘19/3/22 Professor & Students Visit

‘19/4/30 ”Ironman 70.3 Oceanside

‘19/5/26 今時の子供

’19/6/25 Priority

‘19/7/30 The Era of the Activity Trcaking

‘19/8/27 Travel Logistics

‘19/9/21Racecation2019 Eurpoe

‘19/10/29 How do you spend your weekend?

‘19/11/20 AKey to keep going as a professional 

’19/12/31 2019HighLight

’20/1/28 Annul Tokyo Visit

‛20/2/25 learning language

‛20/3/ 31 Strange World

’20/4/28 One Month after Shelter in Place

’20/5/26 テレワーク

‘20/6/30 Reopning

‘20/7/28Reopning

‘20/8/25 Where would you go When you are free To Travel?

’20 /9/29  California  Wild Fire

‘20/10/29 Reopning2

‘20/11/24 Second Wave

‘20/12/29 High Light 2020

’21/1/21A New Start in America

’21/2/23“教えて、イチロー先生!by SMBC日興証券” 

‘21/3/30 Gender Equality         

’21/4/23 COVID-19 Vaccine

’21/5/21 Aging Society

‘21/6/29Athletes Mental Health        

’21/7/27 Tokyo Olympic.docx

’21/8/31 Back to Racing. dox

’21/9/28 Ironman 70.3 SantaCruz.r

’21/10/26 Here is an Opportunity.dc

’21/11/30 Travel Season

'21/12/28  2021 High Light

 


'21-12-14 アフリカ野球友の会 20年の振り返り。

2021-12-13 22:11:17 | Massy's Opinion

★Massy's Opinion

                

*友成晋也君 とアフ友20年

僕は読書が好き、と言うより本の収集が好きと言った方が良いのかな?20年位のある日目を引く広告に出あった。それが友成君の著作だった。偶然と言うか彼の履歴を調べるとなんと、浜田山小学校~高井戸中学~慶応高校野球部~慶応大学野球部と全く僕の後輩なので驚いた。早速、彼と同じ年代の塾高野球部の顔見知りに「おい。、友成ってどんな男?」「そうですね、比較的going my wayかな...」と言う話だった。その後、アフリカ野球友の会をサポートした彼の同級で親友の小須田君と二人を我が家に呼んで色々話を聞いた。熱意に打たれた。先ず協力者を作らなければ駄目だよ。杉並三田会に入りなさい。「野球の好きな人で六大学野球応援会(現在も活動中)と言うのが在るし...熱心な最上さんと言う人が幹事だよ」と言って、二人は入会した。その後、慶応高校の野球部OBに声を掛け、第一回のウガンダパールスの約16名の日本招聘を実施した。この時は方々から寄付を頂いたが、当時、慶応大学の野球部長をされていた丸山名誉教授にも多大なご援助を頂いた。又、当時から海外に野球を広めようと海外活動をされて居た山本英一郎先輩、又その一環で中古のグローブ等野球道具を集めていた慶大野球部故前田祐吉監督にも用具についてはご援助頂いた。ウガンダパールスの招聘時には曽根弘信君(広島商甲子園全国制覇~慶大野球部~東芝)が委員長として少年達の面倒を見て呉れた。こうして、「アフ友」はスタートを切ったのである。その後、定位置を神宮軟式野球場に移し月一の練習に在日アフリカ人を集めて、Jicaの江藤さん、外国人の面倒見が好きと野球が大好きな粂田さん、山本さん等アフリカ人集め熱く動き回ってくれた人が沢山居た。同じく慶応高校、大学野球部のリーグ戦で首位打者に成り、今、元スワローズの慶応高校第1号のプロ選手赤木君が地元で作って居る「城北エラーズ」と言うチームと試合をしたり、練習コーチ役には、宗原君達塾高OB数名が必ず参加して、20年近くアフ友は続いていた。

Jicaと言う職場柄友成君はアフリカを飛び回り熱く野球を広げて来たが、今回はアフ友の組織的改革と「キャッチ・ボールで世界を平和に」へ次のステップに進んだ訳である。僕達は、アフリカと言うと一国の様な感じを持つが、現在、55の国があり今度はソフトボールも加えて一段と野球が広がりやすく成るだろう。僕自身アフ友の活動で勉強する事が出来たし、小須田君を始め、曽根君や更に若い素晴らしい後輩たちと仲良く成れた。松井選手、日本の中にも世界平和を願う素晴らしい若い人たちが沢山居るので宜しくお願いします。

*昔の記事

<アフリカ野球友の会 神宮進出!>       ‘06-4-25

  • さて、皆さんご存知ですか?「キャッチ・ボールで世界を平和に!」と言うスローガンでアフリカに野球を広めようと言うNPOアフリカ野球友の会 代表 元ガーナ、ナショナルチーム監督 友成晋也氏が立ち上げた組織である。その活動の柱の一つが在日アフリカ人による「草野球チームの結成」である。
  • 在日アフリカ人は留学生を含めれば沢山居るが、野球の面白さを教えるのは並大抵ではない。殆どの人が働いており友の会のメンバーがアフリカ人の集まりそうな所、アフリカ料理店や教会へ出向いて勧誘して来て、野球をやらせ、面白さを解らせる訳である。
  • 昨年までは三井上高井戸グラウンドで月一回のペースで練習をしていたが、グラウンドの閉鎖で使えなくなってしまった。今年のグランド探しで僕は神宮外苑の軟式野球場を推薦した。・地の利の良い事、・知名度があり、アフリカ人にも解りやすい事が主な理由である。幸い球場事務所側の好意でほぼ月一回の予定が決まり、23日が最初の練習日だった。生憎、霧雨の天候だったが集まりもよく、推薦した僕としてはホッとした。練習はいつも通り子供達も参加して守備練習は三ヵ所でやるような状況だった。
  • 丁度、23日は神宮球場でヤクルトVSベイスターズのプロの試合があり、昼間は6大学のリーグ戦がある併用日だった。こう言う日はプロの選手はヤクルトの室内練習場と軟式野球場でウオーム・アップをやる。珍しい顔ぶれの草野球チームなので目立ったのだろう。ベイスターズのクルーン投手が近付いてきて、キャッチ・ボールをしていた一人のアフリカン、フィリップさんにコーチをしだした。アフリカンはあんまりクルーン投手の「価値」が解らない。野球を知らないのだから...。日本人は皆、大喜び...ほんの短い時間だったが、神宮で練習を出来たことの嬉しいハプニングだった。フィリップさんに「You have to pay 100dollers for coaching」「おオッ、高いよ...そんなお金ないよ...」「その位、youはlucky gayね」「又、next time のpracticeにきてね」 
  • きっと次回5月7日の練習も多くの人が集まるだろう。

(詳細はhttp://www.catchball.net/

  • 兎に角、人を集めるには、・場所を定めること ・定例化すること・日程を事前に知らせることが僕の労働組合、水泳、犬、野球チーム造りの経験から、成功への絶対条件だ。

その意味では、新しいホームグランドで上々のスタートが出来て、今年は良いシーズンに成るだろう。

  • 今いろんな人達が発展途上国に野球を広げようと、三角ベースとか古い道具を集めるとか発展途上国に適した野球伝道の面白い活動をしている。参考までに僕の知っている範囲でアドレスを記して置こう。

ネパール、 http://www.occn.zaq.ne.jp/nepalbaseball/

ジンバブエ、http://www.geocities.co.jp/Athlete-Olympia/6155/

ミヤンマー http://www.11card.jp/myanmar/index.html

 

 


“Diary 179” ’21-12-7

2021-12-06 22:23:57 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・11・12 シーボニア

‘19-11が最後かな?コロナ騒ぎで20年はシーボニアが休み、やっとシーボニアが営業再開で我々の会も再開しようと言う事に成った。果たして、前の様なビュッフェスタイルでやるのかな?あれはコロナには一番危険なやり方だし...兎に角、お茶でもいい、メンバーの顔が見られれば...何と言ったって、平均年齢84歳位の7名女性一人含む。

さすがに、ビュッフェスタイルではなかった。個室で簡単なコース料理、ワインは飲み放題、

それで、2000円。話題は、Aさんが来て居るので、小室さん問題。日産の話もゴーンの話も出ない。もう皆会社を辞めてから、20年過ぎているのでそう言う話題は関心がないのかな?唯一の女性は相変わらず元気、一人者とは言え、未だゴルフはレッスン週1回月3回はコースに出て居ると。まあ、夜の街は興味もないし、画廊巡りも帰りの電車に近い所。それにしても耳は遠くなる人は居ても、大きな声で話は面白かった来年1月の再会を期してお開き...

・11・15 目覚ましテレビ ”クルミ”

葵メグちゃんからクルミが「目覚ましテレビ」と言う番組に「ピアノを弾く犬」と言うタイトルでチョットだけど出るから、「見て頂戴!」と言うメールが来た。メグちゃんは初めて犬を飼ったと言う訳。その内に玩具のピアノを買ってあげたら、音が出るのに興味を持って居るらしいとの事。犬はあまり見かけないチャイニーズ・クレステッドと言う犬種の一代ミックス。「ド」の音を叩いたらドッグフードを一つ、「レ」を弾いたら二つあげて、ピアノを教えたら...とアドバイスを以前にしたのである。その犬がテレビデビュウ。短い時間だったけどマア、格好はついて居た。大体、一代目のミックスは5頭のうちに一頭くらいの割合で純粋に近い犬が生まれる。クルミちゃんは、純粋犬と見間違うチャイクレである。何処までピアノを覚えるやら...

                         

                         * クルミちゃん  On Piano

・11・21~25東京六大学野球秋季リーグ戦、明治神宮野球大会、 日本シリーズ等

*今秋はコロナ騒ぎで如何しようもない日々の中、野球だけは面白かった。先ず。我が慶應がこんなに良いチームに成るなんて嬉し限り...

・東京六大学秋季リーグ戦

相変らずのコロナ騒ぎで変則のリーグ戦。各校5校相手の2回戦、勝ち点ゲームである。法政が、クラスターの発生でどうやら5校でリーグ戦をやるのかな?と思ったが変則日程を組んで、6ッ校の対抗戦が出来た。先ずは、明治神宮大会とか、プロとの併用とか、日本シリーズとか先つまりの、やや窮屈な日程の中30試合のリーグ戦がこなせた事、当番校、球場関係者の皆さん本当にご苦労様でした。30試合の内、10試合も引き分け試合が有るなんて予想した人は居るかしら?...我が義塾最後の早慶戦は不本意だったが、春秋連覇本当にご苦労様でした。昨年から、近来にない纏まりを見せた「負けない良いチ―ムだった」 早稲田の1敗が悔しい。

・明治神宮野球大会

残念ながら慶応は準優勝、最後迄良く追いついた。見応えのあるゲームだった。この大会何処の学校も選手の体が大きくなったのが目に付いた。この10年位体つくりに「体幹」が注目され、下肢のしっかりした選手が目に付いた。又大学の部では、東農大オホーック校の選手の出身高校を見ると、沖縄の興南出の選手もいる。大学側がスカウトするのか?良く解らないが最南端から最北端迄チョット考えられない選手の動きだ。プロのスカウトも情報網の張り方を良く考えないと駄目だろう。此の分野でもインターネットがフルに使われて居るのだろう...

・日本シリーズ

此れも久しぶりのヤクルト対オリックス僕は阪急ブレーブス時代からの阪急フアン。阪急の優勝を期待していたが、残念。でもこれも見応えのあるゲームだった。特に話題の両チームの若いエースが好投して、又、打撃も良かった。この秋は全部テレビ観戦。時代の変わり方を考えさせられた。

・11・26  KeyStone Club ” Heavy Thompson” Live

BackMember: Mizuguchi Masaaki (gu), Brent Nussy (Bs),Gerald Pania(Drs),Tanaka Hiroshi (Pf),SimonCosgrove(Asax)

Heavyはデトロイト生まれの黒人ジャズシンガー。一番初めはシマコ大島君が新宿の「One Note」へ連れて来た。「巧いですよ...」と言うので聞きに行った。「いや...本当に良かった。」その時は小さい店でお客も20人位。KeyStone Clubは広い店でお客は65人位、満席。

HeavyはOne Noteの後、シマコ大島君と我が家へ来てジャズ談義をした事がある。

この日はバックメンバーも上記の様に充実したメンバー、特に、ドラムスとベース、ピアノリズムセクションが確りしいていた。Heavyは1ステージ45分で2ステージ殆ど歌いっぱなし...レイチャ―ルス、ステイビーワンダー、ビートルズ等のナンバーにルート66とか、最後はシーズンのクリスマスソング「サイレント・ナイト」で締める。最近は女性ボーカルばかり聞いているが、男性歌手は魅力ある人が少ないか?聞きごたえのある2ステージだった。偶然にも相席したご夫婦が「同性同名」しかも、矢張りHeavyのフアンだとか...

奇遇に驚いた。又お客の65%位は女性、Heavyもそんなに若い訳ではないのにJazzも捨てたものではないな。何か本当に久しぶりの六本木の夜、ワイフと香妃園に行って鳥そばを食べて一夜を楽しんだ。

                                                         

                                                       * My Wife shake hand Heavy  ,  Simaco Oshima   Invite to my home 

・11・30 立憲民主党 党首選挙

立候補 逢坂、泉、西村、小川の4名。自民党と同じだ、年齢が若いせいか自民党の党首選より好感が持てた。内容は、自民党の政策に対して...と言う事に成るので、もう少し奇想天外な位の「50年後の日本」何て言う議論をする人が居てもいいのでわ...と言う感じもた。


“みずほ問題“       ‘21-11-23

2021-11-22 21:13:40 | Massy's Opinion

・Massy‘sOpinion

・度重なるシステム・障害問題で、又、経営トップの責任問題がマスコミを騒がせている。正直、又か?と言う疑問とフロントの従業員たちが気の毒でならない。岸田総理の「新しい資本主義」素晴らしいキャッチフレーズだが、所謂、経済対策と言っても何も新しさは感じられない。「公明党の顔を立てる」事を第一義にしている様だ。マスコミの報道もセンターの決まらない野党相手では取り上げるものが無いのかも知れない。

・みずほとは、僕も旧富士銀行当時から、随分沢山のお客様を紹介している。一度も事故を起こした紹介先はない。1957年からのお付き合いだから64~5年のお付き合いである。銀行のお付き合いと言えばお金を借りる事だから「お陰様で...有難う御座います」と言う事に成るのだろう。

・僕は、大学は経済学科だった。然し内実は、「経済学辞典」に頼った勉強しかして居ない。然し、社会人に成ってからは、自動車販売一筋「士農工商」時代の名残を色濃く残す時代にメーカーとの交渉窓口を15年もやらされたので本当に素晴らしい人たちに色々な事を教わることが出来た事は誠に感謝。感謝である

・自分の家で親父が自動車部品の小さな会社をやって居たが、株式会社だった。僕が28歳の時、親父は半年くらい寝て痔の手術をした後、回復せず、52歳で亡くなった。その時も親戚、同業の仲良し達の出資者から、親父に出資して居たから、或いは「貸していたから...」と言われて出資金の返済を求められ、株式と言う物の実態を良く解らせて貰った。勿論、当時は今ほど「資本」の論議も厳しくなく、「ああ、僕には信用が無いんだなァ...」と考えて、兎に角、全部買い戻した。唯、専務だけは「5万円」どうしても返して貰えなかった。此の当時は、こんな会社が多く、親父の共同経営していた自動車修理工場も晩年裁判して親父の出資分は、取り返した。此の株式の問題はその後も実務的には凄い経験に成った。

・東京日産の時、当時、自動車販売会社では、唯一の上場会社だったが、或る時、友人のR,Y君から「お前の会社今日。100万株動くぞ...」と言う電話があった。直ぐ、財務部長に報告すると「うちの会社は、不動産を沢山持って居るから株が上がって居るんだ。大丈夫だよ」と一蹴されてしまった。その後、1週間位の内にどんどん上がった。当時、株とか商品を凄く動かしている人も知って居たので聞いて見ると、当時、株の買い占めを多くやって居た「秀和」の名前が挙がって来た。東日の車内は財務部長が安閑として居る位なので、後に副社長になった先輩に社長に話してくれと頼んだ、一方で、僕は日産の財務部長に事情を話して「石原社長」に話して貰う様に頼んだ。当時、石原社長は「日産は株屋じゃない」と言う答えだった。それから東日社内では、株主総会の予行演習やら大変だった。あの時、日頃上役にペコペコしている連中が凄い剣幕で社長に食って掛かるので驚いた。「秀和」側はヤナセから部長を引っ張り慶応野球部の先輩も一人不動産会社から入れて僕も随分引っ張られた。

・さて、何時ものようにイントロが長くなったが、会社を退任してから富士銀行やNTTの株主総会に出る様になった。みずほの総会は東京フォーラムAなので3000人位入るのかな?確か、あの頃から、社外取締役制度が出来た筈だ。社長は今、NHK会長の前田さんが大変な抜擢人事で新任だった。黄色い入場票を挙げて、指定されて質問に入る。総会の議案書なんか数字の桁が大きくて解りやしない。雛壇には30人位の役員が並んでいる。議長は勿論社長である。社外取締役の名前は資生堂の福原さんとグレン・フクシマさん、二人とも欠席。僕は挙手をしたら、偶然にも指示された。前田さんへの質問は、「社外重役は如何して来られないのですか?」「用事があって...」「当然、資生堂さんも総会の時期でしょう...」「社長が直にご出席の依頼をされましたか?」と質問した。「次回からは出席して頂くようにします」と言う様な返事だった。その後、翌年の総会から、役員のページに役員会の開催回数とその役員の出席回数がチャンと記載され、社外重役も唯、知名度だけでなく、すでに退任して時間的に余裕のある人に成って来た。社外取締役を真剣に考える様に成って来た。今のみずほの役員構成を見ると、役員の持ち株に何十万株も持って居る人が役員の序列では低い方に居る人が居る。「その役員は如何してあんな大きな株数を持って居るんだろう?みずほを如何しようと思って居るのか?」本当に真意を伺いたいもんだ。今では総会前に配当金を決めて株主に振り込んで来る。「総会が荒れないように...」にと言う事かも知れない。兎に角、あれだけ大きな組織に成ってしまっては、全体の業務を把握できる人は居ないのだろう。あの膨大な子会社群の「勘定科目」を理解出来る人は居ないだろう。其処にすべての障害事故が発生すると原因が有ると思われる。役員の人数も多すぎる。僕は、リース会社造りを命じられたとき、「勘定科目」を見よう見まねで自分で作り、そして、プログラマーにソフト造りを依頼した。約.3分の1の時間と費用で出来た。名前は、「経年数残価率」だったと思う。定額収入のリース料と定率償却の原価との対比で利益が何時から出て来るかと言う経過の把握が出来るシステムである。残念ながら僕が辞めた後、後任はこのシステムを理解できなかった。みずほのあのデカくなった組織は誰がやっても把握しきれないだろう。フィナンシャルシステムは分社させた方が良いだろう。「新しいし資本主義」は成長をどこで止めるか?実質をどこまで高めるか?に掛かって居るのではないか?システム障害は拡大だけを考えて居ては再び起こる。役員の持ち株制限も、資本、経営、労働、の三分配の在り方も社員全員が考え、役員会が真摯に動くことが必要だろう


“最近のテレビ.雑感”   '21-11-16

2021-11-15 23:42:59 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・大谷翔平記者会見  YouTube

この頃、あまり問題が多くて、漠然と頭の中で考えて居る事はあるが、自分の考えも纏まらない。幸い我が家のテレビは、you tubeが見られる。チャンネルを合わせると大谷翔平の記者会見にぶち当たった。もう、小室問題も過去の事。早速、祥平のチャンネルに合わせた。

記者クラブでの会見ライブだった。いやースーツ姿で見ると体が大きくなったのに驚いた。当然、司会,進行はどこかの記者らしかったが、いずれ各社持ち回りでやって居るのだろう。

正味、1時間会場以外の記者からもウエブ参加できるように成って居た。気に成ったのは、どこかの記者が質問の中で、「高校の先輩菊池雄星投手とオールスターで一緒になった時如何でした?」この質問はパスされた。祥平君がしなかったのでは無く、2~3項目の質問をされたので、パスに成ってしまった感じ...兎に角、今は野球一筋、自分の自信も付いたような感じを話していた。或る記者が「べーブ・ルースとの比較をどう考えるか?」と言う様な質問をしていたが、球聖ルースとの比較を求めるのは、無理だと思う。僕は、Ted Williamを知って居るかと聞く方が良いと感じた。MLBの中で「俺も二刀流をやりたい...」と言う選手が出て来ているそうだ」が、と言う質問には「能力の高い選手が沢山居るので、いいんじゃないですか」と言う謙虚な答えをしていた。以前から感じていたが、非常にクレバー,な、素直な好青年である。「結婚は未だ頭にない…」と。僕は、大谷君の事で、最近考えて居た事がある。それは、「右投げ左打ちだ」僕も右投げ左打ちに中学2年の頃に成ったが、足は速くないし、腕の力は弱い。テッド・ウイリアムスやスタインハウアーの左打ちに憧れて左打ちに成った。祥平君は右肘の手術をしているが、二刀流は右肘に凄い負担が掛かる。デッドボールの確率も高い。祥平君は足も速いので、「右打ち」にした方が選手寿命を延ばすのではないかと考えていた。当分、大谷翔平君の記事が、マスコミを賑わすだろう。

・徹子の部屋 ゲスト大越健介キャスター

続いて、徹子の部屋を見た。ゲストが元東大の8勝投手。いつも型に嵌ったトークばかり聞いていたが、あんなに野球が好きだとは知らなかった。神宮で野球をやりたくて、他の5大学ではレギュラーに成れないだろうからと一浪しても東大に入って野球をやろうと...これも初めて知った話だった。つい最近では、慶応の準硬式野球部に1年居て、翌年東大に合格、野球部に入って4番を打っていた楠田君?と言う選手が居た。大越さんは子供さんが男の子3人、皆、野球が大好き...長男は日大三高から甲子園に行ったと言う。本当に家族そろって野球好きの様だ。黒柳徹子さん、大越さん二人とも話のプロ。前記した大谷翔平君の記者会見とは全く違うスムーズで澱みのない徹子の部屋だった。来月4日神宮球場で、東京六大学野球の六球会がある。此の会は東大が一度だけ優勝のチャンスがあった年に何かエラーが出て勝利を逸したそうだ。その時の仲間が晩年町で出会って野球をやりたいねと言う事で使用球は軟球で試合をしたそうだ。それから他の4校に話し掛け春秋の2回野球に付随して麻雀、ゴルフの3種目で懇親を交わすように成り、現在はゴルフと野球を60歳以上のOBで一日3試合7回戦をやって居る。大越さんも今年は出て来るかな?

・フジテレビ 11/15目覚まし ピアノ弾く犬クルミちゃん

僕の知って居る、ジャズ歌手、フルート奏者で葵めぐみさんと言う人が居る。彼女が犬を買ったのが、珍しいチャイニーズクレステッドと言う種類のMIX。彼女は犬は初めてで、飼い方を僕が書いた資料を渡したりした。或る時、「その犬が玩具のピアノを弾く...」と言うので、「ド」を弾いたら餌を一粒上げて、「レ」を弾いたら2粒上げて...と言う風に教育したら...とアドバイスした。大分巧くなったらしい。15日の朝、フジテレビでアップされた。FaceBookで「葵めぐみ」で検索すると見られると思う。結構、様に成って居る。

葵 めぐみ  Facebook


“アフターコロナ雑感”   ‘21-11-9

2021-11-08 22:53:43 | Massy's Opinion

★Massy’sOpnion

・早くも11月も第2週に入った。何か外出をしない所為か季節の移り変わりが、余りピンとこない。コロナ宣言も解除されたのに余り盛り場も、これと言った気合の入った感じを受けない。大体、毎日の日課が平凡なstay home 型に成って居るのだから致し方あるまい。

新しい資本主義も肝心の野党が選挙で成果が挙がらず、与党も肝心の目玉の自民党幹事長甘利さんが落選、幹事長辞任、野党も代表が辞任では本当に盛り上がらない。野球ではないがもう一度プレー・オフの選挙をやらせて欲しい。然し、こんな政界の動きを見ていると、世代交代の動きはこんな事をして変わって行くのかなあとも感じる。自民党批判をさせて頂けば、二階さん、麻生、安倍さんのトップはもういらない。トップの定年制を作るべきだと思う。共産党の志位さんも交代した方がいい。現体制の中では、岸田さんが、良く幹事長二階さんの交代を持ち出したと思って居た。

・今日のニュースを見ていたが、相変わらず経済対策と言うと個人へのお金の給付を議論している。これだけ痛んだ飲食店を始め、人が働く運送業や交通事業等を「新しく起業する人を援助する金融制度」を作るべきだ。資本主義が過度な競争を呼びこれだけの発展をもたらした。女性の社会参加増加、子供の保育園預けの拡大、家庭教育の良い所の欠如、良い子供を育てられるかはその国の将来を左右させるものだ。

・さて、僕は自動車の部品屋に生まれた。今の世代の人には理解しがたいだろう。商店や町の小売りやの店員さんは殆ど住み込みだった。これは、生まれた家が皆貧乏で早く働きに出したからである。僕の親父は、中学を卒業すると直ぐ自動車部品の販売会社に入った。そして2~3年務めて直ぐ独立をして、部品商を始めた。昭和6年頃である。そして、昭和9年には念願の店を芝田村町に持ち、僕が生まれた。その時には、今で言う店員、昔では小僧さんが二人住み込みでいた。まあ、兄弟の居ない僕には二人とも兄貴みたいなもの...第二次大戦中今の浜田山へ家を買い、親父は店に通うようになった。親父には二人の弟と姉が1人いた。二人の弟は、当時高等小学校を出ると直ぐ軍隊に召集されて中国へ配属された。戦争の事が本題ではない。当時、居た店員は皆、戦争に行き幸いにも死んだ人は居なかった。

終戦後、皆帰国した時は、浜田山に帰って来た。勿論、食うや食わずの時代仕事も何をやって良いか解らない時代、皆、親父の店で部品屋の店員をしたのである。そして、それぞれ独立して行った。僕の記憶には当時の事が良く残って居る。殆どの人間が、お袋の実家の後、田村町の僕が生まれた店の後、神谷町の近所に店を構えた。殆ど、親父が面倒を見た。こんな話をするのは今の東京はこの時代によく似ているからである。昔は、殆どが借家、借り店舗だった。それでも店をつくるのは大変だった。何とか時代にも恵まれて部品商は商売に成ったのである。皆、住家を持ったり結婚したりしていった。今の時代は再開発で街の中は一見景気がよさそうだがこのコロナ不況で辞める店はあっても、開業しようと言う人は少ない。また一方では、テレワークだの副業を進めると言う様な時代、そして、AIが仕事をしている様な風潮が強く成って来ている。日本はもう再開発は止めるべきだ。銀行も正常な形に戻すべきだ。残念ながら今の政治の中でこんな話を聞いたこともない。昔、後藤新平東京市長が作った東京の都市計画は本当に素晴らしい。人口減少、高齢化、何を基幹産業にして行くか?明確な目標もないままに東京を高層ビルの林にしても良いのだろうか?このコロナの流行は本当に神様の警告の様な気がする。もっと広い世界観を持った、そして「嘘をつかない」政治家出て来ないものか?岸田総理にも、もう腹を決めて安倍さんの「アベノミクス」とは決別して行って欲しい。


“Diary 178 “ ’21-11-2

2021-11-01 22:01:53 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

・コロナ弱まる...

第5波は収まった様だ。唯これからは寒さとインフルエンザの季節どんな状況になるのやら...緊急事態宣言解除で、町の中の様子も心なしか和らいだ感じもする。まあ当分は従来どうりの行動パターンで暮らすことにしよう...

・選挙風向きが変わって来たか?

何か今度の選挙、野党の候補一本化とか、大きく変わった面はあるが、選挙活動がそれぞれ得意な処の地固めに入っているのか、各党、各候補者の選挙対策の作戦が在るのだろうか、街宣車の動きも余り見られない。若い人の政治離れは、一層進んでいる様な雰囲気を感じる。

・10/25  Jazz Live JazzBird シマコ・大島&カルテット

最近のライブはシマコ・大島、一本だ。店も近いし、昔から気に入って居る表参道 JazzBird。開店時間に早かったので、表参道を散歩した。みずほ銀行から神宮前方面が再開発が終わり、裏通りも整備されて小粋な店が沢山出来ている。JazzBirdは開店18時半、一番乗り、演奏は何時もの大島スタイル、第一セットはバンド演奏、第2セットは来店者参加、日頃の勉強発表会風、第3セットは通常のバンド演奏。気の合った連中の演奏で楽しい。

・10/26 小室・真子様結婚会見

何か遂にこの日が来たが、日本の伝統が大きく変わる日。いとも平穏風に質疑無しの原稿読み上げ、恰も学芸会見たいな感じだった。真子様は兎も角、最大の我儘の学芸会。戸籍は変えたが後はずるずる宮内庁が仕切って居るのだろう。国際免許証への書替とか全く一般人と同じにして欲しい。学習院の関係者から秋篠宮は利口じゃないよと言って居るのを聞いた事があるが、本当に可笑しい。一番日本に欠けて来ている倫理観が土台から崩れて行くような感じがする。川島先生も入院されたが、まさか赤坂御所内に住まわれて居るとは驚いた話だ。宮内庁長官が元警視総監とはこれも驚いた話。何とか日本を正常な状態に戻して欲しい。

・10/28 6年振りの映画鑑賞「The JazzLoft」ユージン・スミスの物語

僕は、週刊新潮と週間文春の二冊の週刊誌を読んでいる。何方かは忘れたが、毎週新刊誌や映画の広告解説が載って居る。最近では、音楽物の映画は殆ど無い。音楽映画は皆無だ。皆you tube に押されてしまい映画を見に行く人は少なくなったのだろう。週刊誌に珍しく「Jazz loft」と言う広告が出て居た。説明を読むと、「ユージン・スミス」と言う名前が出て居る。写真家としてのスミスは名前ぐらい知って居る。ライフの戦場カメラマン、水俣の被害者のストライキングな写真で有名だ。その彼がニューヨークの5番街のロフトに住んで居た時があり、そこでジャム・セッションが開かれスミスは8年間に亙り、その写真と録音に費やしたそうだ。偶々、JazzBirdのシマコのライブの時、ベースの菅野君と「今日何して居たの?」とメンバーが話していた。菅野君は「映画“JazzLoft”を見て来たんですよ」と言って居た。僕は、「面白かった?」「ズ-ト・シムスが出て来るし、セエロニアス・モンクは出て来るし...」と言う事だった。翌日迄、その話が頭の中に引っ掛かって居て、急遽渋谷の文化村シネマに見に行った。久し振りの映画館大体7分の入り、期待していたよりユージン・スミスにウエイトが掛かった映画だった家へ帰り、もう一度ウイキぺデイァでスミスを良く読み、ジーンと映画の全体像が良く解った。渋谷を散歩して帰路に着いた。

・秋の六大學野球リーグ戦祝いコロナに強い慶応!

コロナ下の中、変則リーグ戦。法政の被コロナ騒ぎで、「どんなリーグ戦に成るのなァ?」と心配と興味を持って居たが、連盟と6校の協議で全スケジュールが無事に終了出来て本当に良かった。しかも、慶応はコロナに強く、春秋、連覇出来て、長い東京六大学野球連盟の歴史の中に素晴らしい歴史を残す事が出来た。喜ばしい限りである。多少、内情を知って居る僕としては、当番校の先生、役員、球場の関係者の方々本当に有難うございました。12月には、六球会も開けるようだし途切れる事の無い歴史造りは本当に嬉しい。さて、コロナ対策の影響か?全30試合の内、引き分けが10試合も有った事も想像外...こんなに各校の実力が伯仲していたのか?東大の1勝もおめでとう。努力が実りましたね。改めて、関係者皆さんお疲れ様でした...

・総選挙

世界もコロナに振り回され何か変調の空気をはらむ、我が国も総理大臣が変わって「新しい資本主義」へどう変化していくのか?興味深々の選挙だった。初めての野党統合もどんな結果が生まれるのか?昨夜は遅くまでテレビを見ていた。我が家は31日9時半に投票に出掛けた。今回は、投票台の前に行くまで、何処の誰にしようか決められなかった。自民党に入れるのは止めようとだけ考えていた。政治家も国民も皆現状に不満は持って居るだろう。

結果を見て見れば一部で野党統合の効果は見られたものの期待したような大きな波にはならなかった。如何も今の選挙制度は良くないと思う。「比例区」何て本当に必要なのだろうか?

もう一度日本の選挙制度を見直す事が必要だと思う。貨幣経済、資本主義を前提とした政治の運営方法を単純化する事を考えるべきでは...と思う。政党を出たり、入ったり変わる議員が多いのも、投票率が低いのも問題だ。高齢化と同時に各所でgeneration gapが生じている。


“衆議院選挙に考える...”   ‘21-10-19

2021-10-18 23:29:08 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・いよいよ国会も解散されて、衆議院選挙に成って来た。各党も党の勢力と政界に出たい人、各党が出したい人のせめぎ合いが大変なようだ。自民党、公明党の与党勢力は、議事進行の優位性を保つため現行体制の維持が第一の様に思える。当然だろう。僕も1963年頃は労働組合の専従で自動車労連、販売労組の東京地区の委員長を勤めていた。日産自動車の有名な労働争議の流れを受けて、反省として労使協調路線、「企業は所得源泉の場だ」と言う基本的な考え方で、「労働組合として自ら生産性向上活動をやる」と言うスローガンを掲げていた。その為には、政治に参加しなくては...と言う事で田淵哲也先生を参議院に送り出した。所属は「民社党」(後の)兎に角、第三次産業は「士農工商」時代の色濃い流れを汲んでいたし、僕自身も強く感じていたので、選挙運動は一生懸命にやった。勿論、「個別訪問もポスター貼らしてください...」と地域を分担してやったものだ。この時の経験は、自動車の販売でも、十分に生きて、戸別訪問の難しさは「いやッ」と言う程解って居た。一例を挙げれば、飛び込みでポスター張りに行っても、子供を背負って居るお嫁さんは「ああ、いいわよ...だけどおばあちゃんが宗教に入って居るからね、とても信心深いのよ」と断られる。飛び込み訪問程効率の悪い物はない事を実際に嫌と言う程、経験をした。80年代迄は車の売り方も選挙の個別訪問と同じだった。

・今では都会地区の選挙活動はでは本当に難しいだろう。僕の後輩に山形、新庄市の市長していた元プロ野球の投手で活躍した高橋栄一郎君が居たが、あれだけ高校野球、大学、ノンプロ、プロと活躍した男でも、市長に当選した後にあった時、「マッサン、本当に大変だったよ、1点差で勝って居て、最終回に二死満塁にされ、最後の一球を投げる時みたいに、時間ギリギリ、最後の一人迄、握手のしまくりですよ...」と昔言って居た事が想い出される。

・兎に角今は、昼間家に人が居ないのだから、会社、組合、OB会等の組織に依存するしかないだろう。僕は、下町の生まれだから、町は再開発の名の下にマンション化されてしまって居るし、夫婦は働きに行き留守だし、マスコミ、SNSを利用するしかないだろう。

・それにしても、岸田さんのキャッチフレイズは「新しい資本主義」と言っても何が新しいのだか解らない。もう一つは安倍内閣の不祥事が国民の信頼感を失わせて居ると思う。菅さんのカーボンーニュトラルにしても具体性はなかった。僕の求める一番の具体性は現在使って居るガソリン車の下取り車を「如何するんだ?発展途上国へ輸出するのか?アフリカやアフガンに輸出して最後は廃棄物の山にするのか?」それでは地球の温暖化は防げないだろう。矢張り、これからの物造りは、使った後の廃棄物の始末迄考える事が必要だろう。。原子力が良い例だ。

・さて、世界中では我々が知らされている以上にもめ事、紛争が多いだろう。ミャンマー、アフガン、それ以上に暴動が起こって居る所もあると思う。我が国は幸いにも島国であるから、固有の文化と平和を維持できているのだろう。然し、20世紀の「列島改造論」に引っ張られた高度成長はもう望むべきでは無いだろう。「新しい資本主義」は先ず「貸借対照表」の見方を変えるべきだと思う。そして、組織、会社、国でも一党独裁制にするのか?複数多数性にするのか運営する組織の形の違いだと思う。その機運は今度の選挙の野党の候補者の一部一本化にも表れて来た。こんな見方で考えると中国の「一帯一路」は歴史的にも「シルクロード」の超近代化と考えれば良いだろう。海洋まで含めた中国の大構想には納得できないが、日本は日本海を考えた日本の国の装備を考えるべきではないかと思う。「TPP」と同じ様に韓国、中国、ロシアとの貿易がより大きく成る様に日本海側に10万トンクラスの大きな船が3隻位入れる港を3ッ位作るのだ。太平洋側の集中を避けて、中古車とか大きな建設機材の輸出が出来る様にするのだ。

北方4島の埒の開かない交渉よりも、現実的にはロシア人と日本人が交流しているのだから長い間交渉しても解決しない北方4島の返還を待つよりも水を流す事を考えるべきだろう。自動車の脱ガソリンの下取り車は、エンジン載せ替えで発展途上国への輸出する事で国内の産業を維持して、経済を支えるのだ。新しい物を作る事ばかりでなく、資材を活用しつくす事を考えるべきだと思う。「新しい資本主義」は、物造りの発想の転換エンドユーザーが使い切った後の始末迄責任を持っ「物造りの考え」が必要だと思う。そして人件費は経費ではなく、コストと考え、その配分の基準を年功序列型から業績にウエイトを置いた賃金体系を労使で作り上げる事が大事だ。誰か野党の中でこんな将来を見据えた論議をする党が出て来ても良いのではないか?