☆このブログを始めてから色々な人と知り合いになった。その中の一人がハンドル・ネーム “Katchan”事、K,Uさん。 確か、銀座の事を書いた時にアクセスされて、「銀座が懐かしくなった」と言われた。そして、神戸から上京して来るので、「一度、お会いしたい」待ち合わせ場所は、「六本木の国際文化会館」と言う事でお会いすることにした。 お会いして、色々、自己紹介すると、彼は麻布高校~慶應で好きなことは野球~イチロー~音楽、話が合わない訳はない。そして、その日に紹介された彼の弟さんが矢張り野球が好きで仲間と本まで書かれているし、「慶應読書会」のメンバー。 更に当時は慶応の経済学部の教授で「排気ガス問題」研究テーマにされているM,Y現東大教授、元トヨタ自販の“Toshisan”こと、T,Fさんに紹介された。この人も慶應工学部野球部OB。増してや、「慶應読書会」でM,Y先生が学生のゼミについて講演された時に僕は、塾高野球部の大学生コーチの活動ぶりや存在を話して「夜のゼミ等も考えて欲しい」と質問したことも在ったのだ。同じ学校に居ても全然会う機会も無い人達と知り合えたのだ。 此のことを称して“電子的友人”と言う言葉が生まれた。そのK,U さんが「人生のエンドピン」と言う自叙伝を書かれた。またまたその中に「高級草野球」の事が書かれており、これは本当にやった者しか解らない「面白い苦労」 共通項目が又、増えてしまった。
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K,Uさん 「人生のエンドピン」完読しました。とても面白く、まあ年代も同じような年代で本当に面白く読ませて頂きました。構成も良いし...「軌跡」で括ってあるなんて良いセンスが溢れ出ていますね。「勉学の軌跡」「レッドポニーズ」強かったのですね。東京都軟式野球連盟って馬鹿に出来ないのです。僕も昭和35年当時、会社で野球部を造ることになり、早稲田、明治、立教から硬式の2軍部員を集めて野球部をスタートさせました。グラウンドがなく結局、軟式でやることになり、連盟に入会を交渉しましたが、「Cクラスからでないとダメ」と言われ、港区のCクラス(150チーム位ある)から始め一年目優勝の抜群の成績で、翌年は異例のAに挙げてもらい、準硬式の大会では港区代表から東京都代表になりました。当時、立正佼成会も同じように後に硬式に成りましたが、投手小川(中日)ショートが黒江(巨人)に準決勝であたりました。馬鹿にするけれど結構、区で優勝はCクラスからAクラスに上がるのに3年は掛かるし、大変な事です。お陰様で六大学の各校の仲間が増えました。兎に角,1年間に100試合位はやりました。集めた硬式野球の連中を飽きさせない様に試合を多く組んだのです。だから「レッドポニーズ」の強さとメンバーの結束の固さが解ります。お互いに「軌跡」の中の良い想い出ですね。朝日放送の社長Sさんは元政治部の方ですか?何かの出会いで大学の4年の時にご馳走になった事がありました...余談が多く済みません。有難う御座いました。