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advice for consumer

“Start-Up”     ‘15-9-28

2015-09-29 08:15:09 | Massy's Opinion

Megu’s Sport:

・シリコンバレーは、Start-Upのメッカとして知られている。Appleをはじめ、大手のシリコンバレーの企業は家のガレージから始まった。この文化が始まったのは、80年代ぐらいから。そして、今は、世界各国から人々が集まって、ハイテク、バイオテックなど様々な分野における企業を起こしている。また、外国からアメリカの大学/大学院に勉強しに来て、その後Start-Upを始めるケースも多々ある。普通は、アメリカに長期滞在して仕事をする場合、会社スポンサーで就労ビザを取らなくてはならないが、政府が、Start-Upを始める学生のため、雇用 されないでもとれるビザ発行を検討していると聞いた。数ヶ月前、私のトレーニングパートナーが、レイオフされた。彼女は、サイエンティスト。そこで、彼女を含め、レイオフされた4人で、ある抗生物質によって、減少される腸の良いバクテリアを保つ/増やすためのプロビオティクを開発しはじめた。彼女の家のガレージで。現在は、投資もあり、オフィスとラボをリースで使っている。。

・“日本で、Start-Upが少ない”、“Start-Upを始める環境がない”、そしてこれが、日本の景気の低迷のひとつの理由となっていると言うことはかなり以前から言われている。また、日本製品は、質の機能が高いと世界に知られているが、その一方、完璧主義すぎて、世界の市場での競争のペースについていけないと言う。2年前に、このエリアのネットワーキングのイベントで、ソニーの元CEOが、このようなことを言っていたし、今年の始めに安倍総理がシリコンバレー訪問した時にも同じことを言っていた。この問題に気がつくのはいいけど、環境と文化を解決するために、一体どんなことをしているのだろうか。日本の Entrepreneurは、日本で企業を起こすのが容易ではないので、インベスターを求めて、海外に出ている人が多いと思う。

Start-Upが少ない理由は、いくつもあるけど、いくつか例をあげて見よう。そのひとつは、日本の文化に“Second Chance”があまりないこと。

・一度失敗したら、二度目のチャンスを得るのが困難。昔からの“恥”と“世間体”の文化が、残っている。

・次...多くの人が、生活の安定を一生同じ企業で働くということに依存している。

・次...日本人は。すでに市場にあるものを取り入れて、質と機能を向上することは得意だけど、想像力にかけ、何かをスクラッチから作り出すということが苦手。だから、新しい物が生まれにくい。また、良いアイディアがあっても、アイディアを現実させるのが、経済的に難しい場合が多い。

・日本の経済について私自身勉強不足ですけど、企業を始めるのにお金を借りるのは、インベスターでなく、ほとんどが銀行。そして、一度、失敗するとお金を借りづらい。ので、また、2度目になにか始める時に資金集めに困る。

・おやじが、毎週送ってくる真田教授による“東アジア情報”(09-25-2015)によると、日本国内には、商品化出来ていないものの、潜在的な可能性もある、所謂、Seedsがたくさん存在している。こうしたSeeds の発掘のために、米国は日本にベンチャーキャピタリストを派遣...”という動きもあるようだ。これが、うまく活用・浸透されるようになるには、まず、日本文化の開拓が必要だろうな。アメリカのような、Start-Upの起こし方、たぶん日本には合わないだろうな。そうしたら、日本独自の起業の仕方が生まれてくるかもしれない。どちらにしても、シリコンバレーのStart-Up文化に追いつくには、あと10-15年程かかる気がする。

 

 


“混乱 国会“     ‘15-9-22

2015-09-22 07:32:36 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

・9月17日殆ど一日中、参議院の安保特別委員会をテレビで見ていた。大体、新聞、テレビ等で情勢は理解していたが、久しぶりの議長席への乱入と国会前のデモの集結に何か言うに謂れぬ高ぶりを感じて、夜までテレビ、ラジオでニュースを追い掛け回した。こんなにまでして、今国会中に決めなくてはいけないのだろうか?大きな疑問が残った。折しもチリの大地震がありマグニチュド8.9は大きい。津波のニュースも入るし天候は悪いし不安を抱えた一日だった。    世界中にこの国会のニュースはどんな伝わり方をしているのだろう?  何処かの国でも憲法を変えたと言うニュースがあったと思うが、恐らく今回の憲法解釈論議は難しい日本語の解釈論は、正しく伝わらないだろう。

・多くの著名な憲法学者や最高裁の裁判長経験者が「違法」と言っているのだから、安部さんと「違法」と言う先生方の公開討論を聞きたいものだ。 

・安部総理が一生懸命なのは感じるが、一生懸命に成ればなるほど、「相当米国から強い要請があるんだな...」「日本の自衛隊と米国軍隊とで世界の警察をやろうよ」と言われて「普天間を移動するからもっと積極的に戦える自衛隊にしよう」と言われているのか?と勘ぐりたくなってしまう。

・さて、これから先この問題の決着を見ないままに日本の政府の行動は動いて行くのだろうか?安部内閣に成ってから一体何の成果が上がったのだろう?確かに不幸な自然災害はあったけれど、アベノミックスは本当に成功だったのか?今一つ目に見えた景気の活発な動きは感じられない。急速な高齢化が輪を掛けて、町中歩いている人達に生気が見られない。未だデモへ参加できる人はいい。家や病院で寝ている人達はどんな思いでこの国会を見ているだろう。

・此の「不戦の憲法」の解釈が変わった事は、日本とアメリカがより強力な連携を組んだ事と受け取られるだろう。特にイスラム国は如何だろう?僕は日本でも「テロ」の脅威が身近に成って来るのではないか?と感じている。

・それにしても、組織を動かす事は難しい。安部総理、前回の総理の時よりは「覚悟」も「経験」も積んでいるだろうし、支持率の低下は覚悟していると思う。民意が如何動くか?

僕にも予想が付かない。僕自身は議論の進め方に「自信」と「あせり」「米国との約束」が交じり合って居るのだろうと感じている。中谷大臣との意見交換も不十分だったと思う。それにしても、民主党政権時のブランクは大きいな。いや、小泉さんの時代から、市場原理主義、大幅な規制緩和、で大きく社会構造が変わってしまった。此の間、ゴルフ場で赤い郵政のマークを付けた軽トラックがゴルフバックの回収に来ているので目を見張ってしまった。恐らく、所謂、「持ち込み運転手」と言う運転手が自分で車を買って、ヤマト便の下請けをしているようだった。民営化したから出来る事だろう。恐らく安い価格で契約しているのだろう。

・6年位で政権交代が出来るような政党が出来ないものか?突き詰めれば、「主権在民」結局は国民の責任が大きいのだな。僕の頭の中には、「戦後70年」で戦争の事が例年になく思い出され、不順な天候にも悩まされ、何か非常にストレスの溜まる今年の夏だった。

 


“読後感 永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」”早坂 隆著   ‘15-9-15

2015-09-15 08:08:59 | Massy's Opinion

☆Massy’sOpinion 

帯タイトル 「東條ではなく、此の男だったら太平洋戦争は止められた」

 ・第二次大戦後70周年迎えた今年は、安保問題のだらだらした国会のやり取りにうんざりしているのか、中国の軍備拡大、日韓問題等世界の動きの中で「第二次世界大戦を振り返ろう」と言う気運が動いているのだろう。僕のブログ更新は毎週火曜日と決め、其の日にはFacebookにもコメントを載せている。先週はコメントを見た人がコメントを入れて呉れたり、『増田さん、「永田鉄山」と言う人は何処の生まれですか?』と30代前半の人に尋ねられたり、「マッサン、僕も鉄山読んでいますよ...」と言う返信があったり、反響は無いだろうと思っていたのに、思い掛けない反響があったのは、僕にすれば驚きだった。

・僕は、他の人よりこの時代の話を知っている方だと思う。以前に「今上天皇つくらざる尊厳」明石元紹著の読後感を書かせて頂いたが、僕の人間関係が偶然にもこの時代、活躍された人々の2世と一緒に仕事をする機会が有ったからである。特に鉄山の末子永田忠昭さんとは僕の社会人生活の最後の8年間を社長、専務と言う関係で本当に好捕手役を務めて貰った。事件が事件なので、永田さんにいつもの調子で「それで如何したの?」と執拗に聞くことも出来ず、お母様が苦労された話は良く聞かされたし、週間新潮「墓碑銘」欄にも出ていた。勿論、葬儀にも行った。昭和初期の陸軍内部抗争の「統制派」「皇道派」と言うくくられ方だと、どうも言葉の響きが良くないので、「鉄山」の考え方が曲解されてしまう。改めて、この本を読んで、歴史を振り返り「鉄山」の考え方の中から、「日本国の在り方」を政治家、教師、企業、団体の役員の方々に自問自答をして欲しい。今の日本の政治にも当て嵌まるし政治家諸兄には特にこの時代の歴史を勉強して貰いたい物だ。恐らく著者の狙いも其処にあるのだと思う。

・「統制派」 鉄山の意見 国民総動員体制 「人員を有効に使う事」女性の労働力を活用する為に「託児所の設立」の必要性を指摘している。

・「皇道派」天皇親政の下での国家改造を志向

簡単に要約すれば上記のような意見の違いによる陸軍内部の対立であるが、どちらも海外諸国の巨大さを知った上での「日本を守る」意見の違いである。

何か今の日本の置かれている環境、憲法改正論議に入る前に全員が知っておかなくてはいけない事の様である。詐欺まがいの行為をした国会議員なんかはこう言う歴史の存在も解るまい。

・さて、この辺で僕のこの種の問題に対する係わり合いを以前に書いた「つくらざる尊厳」の読後感からCopy&pasteしよう。

読後感を書く前に背景、周辺の状況(偉い軍人の子息に知り合いが多い)を記そう。いずれも、会社での同僚、学友である。最近、この激動の時代にこの時代の本を読むことも多い。何れの諸氏もスラーッとして姿勢が良かった事に気が付いた。

・明石元紹 慶大31年卒 明石元二郎男爵 陸軍大将 台湾総督1864年生の孫

      著書「今上陛下つくらざる尊厳」(Blog, massy‐academy ‘13-12-17参照) 

・永田忠昭 神大31年卒 永田鉄山 陸軍中将 軍務局長1884年生の子息 没

・枝 誠  慶大31年卒 枝   台湾総督府 階級役職 不明   の子息 没

・有末満夫 成蹊大32年卒 有末精三  陸軍中将  1895年生 子息

      著書 父上 有末精三「政治と軍事と人事」 (晩年の自伝的著作だが、900ページの及ぶ書である。80歳位から全部ペンで原稿を書かれたそうだ。この本には、当時の陸大の外国語教育、その他レベルの高さ、厳しさ、が良く書かれている。勿論、鉄山の秘書をされていたので、当時の事情も細かく書かれている。有末中将は、「中沢中佐を鉄山に紹介した事を申し訳ないことをした」と言われて居たそうだ。此れは子息の満夫君から聞いた話である)

本論の読後感に入ろう。事件の概略や「永田鉄山の事件がなければ、彼が陸軍大臣になり、太平洋戦争は止められただろう」と言うことは省略して、この本を読んで新しく感じた事を記そう。

・先ず、第4章92ページに「自動車産業の育成の育成」と言う項目がある。その内容は、「国産自動車の増産を積極的に促す体制を整えた。既に大正7年に軍用自動車補助法と言う法律が出来ていて、有事の場合製造者に補助金を交付する事を定めた法律である。助成対象となる製造者を日本企業に限定する事によって軍用トラックなどの国産化の推進を図った」と書いてある。勿論、鉄山将軍はこの事だけを考えた訳ではないが、この事は僕がこの著書で始めて知った事である。永田忠昭君は生後9ヶ月の時に事件が起きたと言っていたので、多分この事は知らないであろう。然るに彼が自動車販売の道に入ったのは、何かの「縁」が導いたのかも知れない。永田君が存命ならば聞いて見たい処だ。

・次にもう一つ、第6章163ページの「部下思いの性格」と言う箇所がある。其の中で将軍は「自身の筆には自信がなかった」将軍を知るものたちの回顧にも「字だけは拙かった」と言った証言が少なくない、「実印不要の字」と冷やかされたとある。実は、僕は自動車のセールスはキチンとした字が書けないといけないと思っている。書類が多くてお客様に申し訳ないと考えて、部内、社内で「ペン習字」を半年位ずつ遣らせる事にしていた。僕が入社した時の配属部署は伝票が多く、先ず始めに「帳簿付け用」の数字書きを教わった。

「行間1/3に書け」と言う事である。「行間上の2/3は訂正の時に書ける様に余白を取って置くのだ」其の事が身について居るのか、ペン習字を良く教育に使った。或る時、其の指示をしたら、永田専務が一人で僕の部屋に来て、「社長、申し訳ありませんが、私は字が苦手で如何しようもないんです」と言って来た。仕様がない「永田さん文章は貴方書けるのだからPCでいいよ」と言った事がある。いや、この本の此処の二点が僕には強烈に印象的だった。会社を退任後、「永田鉄山」の本が何冊か出たが、「永田鉄山」森靖夫著(ミネルバ書房)と言う本がある。300頁を超える本だが、永田専務の奥様が僕に送って下さった。この本の中にもり「平和維持は軍人の最大の責務なり」と言う鉄山の思想が詳しく書かれている。

☆最後に読後感が2冊分のように成ってしまったが、永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」

の著者早坂 隆1973年生まれ  「永田鉄山」の著者森 靖夫1978年生まれ

と両方の著者が1970年代生まれと言う、比較的に若い世代の著者が客観的に「鉄山関連」を掘り起こされた事に「日本も未だ捨てたものではないな」「良識が残っているな」と言う感じを持った。そして、この様な歴史的事実を知る人たちとの「恵まれた人の出会い」に感謝である。


“今の政界を見て”     ‘15-9-8

2015-09-08 07:25:47 | Massy's Opinion

☆Massy’sOpinion

☆安保・憲法問題

後方支援が誤りだったか?参議院の集中審議をテレビでよーく見ながら此の問題を考えて見た。僕自身、明快な反対、賛成、やむをえないな、消極的賛成等の意思が決まっていない。色々考えて居るうちに、湾岸戦争のとき或る意味では簡単に後方支援を決めすぎたのかもしれない。米軍のピンポイント攻撃だのエネルギー問題だのが出て来る中で、「後方支援ならいいや...」と言う気持ちだった。前回も書いたと思うが、戦争の第一戦ではラグビーやアメフットの球技と違って、オフサイドのルールは無いのだから後方が最前線になることも大いにある筈だ。自分からは戦わないと言っても攻めて来られたら撃つわけだから(自衛手段)此れは戦闘に参加する事になる。今の憲法を変えないで議論する事に無理があるのだ。今の憲法はマッカーサーが造ったものを押し付けられたと言うならば、戦後70年たった今戦後100年で本当に自分たちで憲法を新しくしよう」「同盟国と手を組んで行こう」と言う,但し、「自分たちからは戦争はしない」と言う事を柱に「新憲法作成を国民と共に薦める」と言う展開をすべきでないのか?

日本の法律は全てが第二次大戦後新しくなっているが、自動車に関する法律も根幹は変わっていないが、昭和26年の法律が改正だの令だので大きく変わっている。一番の例は赤と白の車色だ。始めは「緊急自動車=消防自動車、救急車」以外は使ってはいけなかったのである。今は量販車でも赤い車や白い車が沢山或る。時代の変化で色々な法律が変わっている。解釈の変更で済ませるのは、問題だと思う。安部さん如何いう舵取りをするか?「将来、日本国憲法は自分達国民の手で実態に即した、世界各国に信を問える憲法を作ろう。緊急度を抱えている国際情勢の中で今はこう言う解釈で進めたい」と言へば良いのだろうに...もっと腹の据わった態度が望ましい。

☆外交問題

総理の外国訪問、既に50数カ国を超えると言う。本当にタフさには感心する。それにも増して、天皇陛下の公務も本当に頭が下がる。陛下は何か「遣り残した事が無いようにと言う自分の意思に強く従われておられるのだろう。総理は民主党政権当時の海外各国とのギャップを埋めようとされているのだろう。然し、其の国の末端を見れば又違うものを感じ取れる筈だ。僕は、東南アジアを中心に各国10人位の35歳~45歳の連中と結構交流がある。彼らが日本に留学して来た時代からの付き合いだから、短時間でもレベルの揃った会話が出来る。其の外、「愛知淑徳大学の真田教授(慶応野球部の後輩)」の週間レポート京大の僕が参加している「京都大 塩地研のニュースレター等」で情報を得ている。結局は人間関係に尽きるその意味では安部総理の訪問も大事だし、それなりの成果は上がっていると思う。

然し、大きな目で見ればTPPの結論が出なかったにしても日本海を利用した、TNP(TranceNihonnkaiPartenership=仮称)でも開けるように、日本海側に10万トンクラスの船が3隻位入港できる神戸、横浜、東京に匹敵する港を2~3つ作ればロシア、中国、韓国(北朝鮮は除く)との交流も深まり地方創生にもなるのではないだろうか? 勿論、色々な問題、immigration等出て来る事は有るだろうが、シッカリと対応策を考える事は必要だろ。

☆オリンピック問題

森元総理の発言は酷いな。「迷惑を掛けられた」ではないだろう。「組織委員会の最高責任者として辞表を出す」べきだ。僕は、スポーツの催しが華美になり、肥大化することが嫌いだ。オリンピックが世界の国が皆日本みたいに騒いでいると思ったら、大間違いだと思う。毎日、報道されるようにヨーロッパでは多くの難民が出ている。石原慎太郎の東京マラソンもそれはあれだけテレビがバックアップすれば、人も集まる。「青梅マラソン」みたいに地域で生まれたものをバックアップすればいいものを...下村大臣も森さんの顔を立ててか全然指導力なし。僕は学校のスポーツでも区切りまでキチンと部活を遣った人は尊重する。森さん早稲田でラグビー部直ぐ辞めているんでしょう。それをスポーツ通として持ち上げる。今度の問題は、ロゴの盗作問題(佐野研二郎デザイナーは小保方さんと同じCopy&Paste人種、PC を使うのは当然だろう。自分達の著作権も侵害されるのだ、と言う事を教えないと)、競技場の問題、全てに安部さんの遣り方、「色々な委員会を作って、問題を投げかけ、責任の所在が不明確に成る」が現れていると思う。

大体、党公認の議員の選び方も武藤議員の様な酷い人を公認候補にした責任を誰が取るんだろう。企業でも組合でも肥大化してくると不満が溜まり活動が鈍ってくる。次の対策は、「参画、参加」を求めて委員会を作る。組織内に委員会の多くある組織は先ず退化、衰退の方向に進む。兎に角、日本は最悪の状態だな。「大阪維新の会」橋下さんみたいな人に票を入れる国民も自分たちの責任を考え選挙を真剣に考えるべきだ


“Diary 104” ’15-9-1

2015-09-01 07:19:06 | Massy's Opinion

☆8.1

 全く例月通り、豊川さん詣り。僕は或る時から余り神頼みをしなくなった。確か初参りの御神籤で「凶」が三回出た年があった。豊川さんで凶が出て、もう一度御神籤を引いたら又「凶」。地元の大宮八幡で御神籤を引いたら、其処でも「凶」。ワイフは「凶」は「吉」に帰るからいいんだと言うが余りいい気分はしない。其の年、幸いにも特に悪い事も無かったが、それ以来御神籤は引かない事にしている。本殿だけはお賽銭を入れて一応お参りをして来る。御神籤も神社の人がセットするのだからお正月位は「吉」を多くしてあると思うが、何れにしても人が遣る事、それ以来、「神様には心の中で感謝をしていれば良い」御茶屋のお母さんと世間話をしている方がいい。ワイフは彼女一流の参拝の仕方(沢山のお狐さん)があるので、時間が掛かる。帰りは銀座を回って「うおがし銘茶」「松栄堂」に寄りお茶とお香を買って帰る。

☆8.5丸山先生会食

元野球部長、読書会の世話役を勤められていた経済学部の丸山先生が定年退官をされた。野球部長の時、東京六大学野球連盟の法人化を提言されたが、野球界を代表する連盟も実情は、旧体制のままである。ヤット、昨年法人化されたが12年の時を要している。今は、殆どの先生が退官後は「名誉教授」になっているが、4月1日付けで先生も名誉教授になられた。色々、先生の野球部長当時、塾高野球部のことをご相談したりしていたので、個人的に「お祝い」をすることにして、柴田元日吉倶楽部の幹事長を同伴して、日本橋の「繁乃鮨」で心ばかりのお祝いの会食をした。先生、凄く喜んで頂いた。今、慶応読書会には、元監督の前田祐吉さん始め数人が入っている。野球部は特殊的な雰囲気もあるので、モット慶応全体の中に溶け込むべきだと思う。若いOBも参加して欲しいものだ。

 ☆8.13神谷町 お祭り

恒例のサマー・フェスティバル。幸い予報では「雨」と言うので心配したが、雨にはならず予定通りに開催できた。町会が主催だが、お神輿が出なくなってから此のミュジック・フェスティバル形式に変わって、もう13~4回目になる。スイングバンドにハワイアンバンドとフラダンスのチームの出演と模擬店。古い町会のメンバーは殆ど神谷町の外に住んでいるが此の時は皆集まって来る。土地柄、外国人も多いし例年通り盛会だった。

☆8.15 高齢者講習

 僕は誕生月が9月。今年は、免許証の更新年で、高齢者講習を受けなければならない。健康診断も受けなければ成らない。心配事が多く色々考えた。健康診断を受けてから、高齢者講習を受けようか?でも高齢者講習は認知症のテストが変わったとか、教習所は東小金井の尾久自動車学校に申し込む。オーナーの塩地さんとは1960年頃からのお付き合い、会社やポジションが変わるたびに食事会を開いてくれたり、霞ヶ関ゴルフでゴルフを誘ってくれたり可愛がって頂いた。せめてものお礼に尾久さんでお世話になっている。日程的に高齢者講習、免許更新、健康診断と言う段取りにした。実技は自信があったが認知症のテストは自信が無かったが無事にパスした。運転の反応テストのシミュレーターがCanonのPCに成っているのに驚いた。講習は3人一組、1台、約3時間、教習所は余り儲からない仕事だな。

☆8.17免許更新と健康診断

 更新も無事パス。健康診断も殆どの数値がこの2~3年変わらない。但し、今年から胸のレントゲンは辞めにした。眼科も余りコンディションが良くなかったので心配したが無事だった。まあ、8月から9月誕生日まで毎年心配事が多い。

☆8.20 ステイーブ 来宅

マレーシアのAliceからSkype.「オーナー、元気?お願いがあるの...」「なんだい、子供たち大きくなったろ...」「娘は大学はアメリカかカナダに留学したいと言っているの...」「じゃ、君と同じじゃない?」彼女は中央大学に留学していた。「私の甥で一人とてもいい子がいるの、名古屋の大学を出て、いま自分で会社を起こしているの。何時もオーナーの話をしているので今東京に行っているの。時間があるのでお宅へ行くから会ってやって...ご飯も何にも要らないから...」「家解る?」「番地教えてあるからGPSでさがすよ」「O,K」30分も経たない内に玄関のベルが鳴る。「よく解ったね?」「此れありますから」とIPhoneを見せる。全く今の世の中驚いてしまう。仕事は紙の硬いものでパレットを作るんだとか...「どうしてマレーシアに帰らないの?」「兄弟が多いし、みんなの遣っていない事を遣りたいから...」旺盛な自立心1時間半ばかり喋って、明日北京に行くとか。

☆8.22 Tun ランチ&来宅

いすゞに入ったTun君、ヤンゴンの支店に副所長で、3年行けと辞令が出たと言う事で、報告方々Yさんと3人で昼食。Tun君はそのまま我が家へ来た。まあ、期待されて存在感があるので「頑張れよ」と言う事でお鮨を取って夕食でお別れ会。今度月に1回は本社に来るので泊まりは浜田山だと言う。ヤンゴンの社宅はメイドも居るVip待遇らしい。勿論、今まで住んでいたマンションは解約したそうだ。一昨日は、趙君がSanJoseの恵の所に行っている。働き盛りの年頃で何か世界中を股に掛けている感じがする。

☆甲子園 雑感

・70周年記念大会とか...本当に面白い試合が多かった。一日4試合のうち、3試合が延長戦なんていう日があり、全国的に力の差が無くなって来ているんだな。北国の冬の間、練習の仕方や時間の使い方が巧くなり、屋内の設備が良くなったのだろう。

・丁度、伸び盛りの選手たち昨年の夏から一冬越しえて、体が大きくなる。体格の良い選手が多かった。1~2年生が活躍していたが、昔は中学1年から硬式ボールなので、昔流に言えば4年生余り驚くことではあるまい。又、左バッターが一チームに6人も居るチームがあったり、右投げ、左打ちが凄く増えた。僕らの時代阪井監督(最後の早慶戦の時の主将)は右投げ、左打ちはいい選手が6人も居たが遂に使わなかった。兎に角、今は子供の頃から左でスイングさせているので、違和感なしにいいスイングをしている。(僕は右投げ左打ちの選手には、「何時から左打ちになったの?とか誰に言われたの?」と聞いている。僕の成蹊中学時代のチームには右投げ、左打ちが3人居た。当時はよくキザだと言われた、一人は、早稲田の監督もされた、アマチユャー野球の大物、伊丹さんの息子、此れは間違いなく親父さん仕込みだろう」

・専大松戸の投手、2段モーションのボークは厳しかったな。審判団のレベリングが必要だ。それにしても相模の小笠原君去年秋に見た時から数段良くなっているので見直した。

・何処のチームも投手は3人必要だな。

・野球が変わって来た。皆、リトル育ちが活躍する。出身中学と出ている高校の地域の違いが目立った。要するに中学の時代からスカウトが始まっているのだろう。

・慶応のキャプテン学校が古いことで義理で入場行進に参加したみたいで、寂しそうだったな。多分、「野球には早慶は欠かせない」と言う奥島さんの想いか...

・奥島さん(元早稲田の学長)高野連の会長、交代されるようだが長い間、お疲れ様でした。