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advice for consumer

'25-5-27 "トレーニングの問い合わせ”

2025-05-26 15:58:57 | Massy's Opinion
★Megu's Sports.
“トレーニングの問い合わせ” 

*最近、トレーニングの問い合わせが何件かありまして。問い合わせがあっても、実際にトレーニングまで行き着くことって、五分五分でしょうか。一件は、オーバーユーズの怪我をしがちなランナー。一件は、高齢の両親の転倒を防ぐためのトレーニング。

もう一件は、日本人のエージグループトライアスリート。5日間、シリコンバレーに仕事で出張しにくると。6月にIronmanのレースがあるので、トレーニングをしたいとのこと。彼は、私の知り合いと、その知り合いの方を通して、私のことを見つけてきたわけです。繋がりって、面白いもんですね。私は、メッセンジャーで連絡がくるのかと思ってたんだけど、彼は、私のプロフィールを見て仕事場のサイトから連絡をしてきまして。とりあえず、何をしたいかが明確ではなかったので、メールでのやり取りよりも、直に話したほうが早いと思って、オンラインのミーティングをセットアップ。話していると、ジムでのトレーニングじゃなくて、外でのトレーニングをしたいそう。なので、私のトレーニングのスケジュールを送るから、時間が合うんだったら、一緒にトレーニングしましょうってことにした。多分、私が仕事でどんなことしているか、あまり想像できてなかったんじゃないかな。ほとんどのクライアント、始める前は、セッションって、どんなんだろうって謎に思ってる感じ。

彼は、5日間滞在のうち、3日、トレー人ングに参加。バイクが2回。そのうちの1回はバイクの後にラン。スイムが一回。で、ランニングのテクニックの見直しと、ストレッチポールを使ったローリングとストレッチの紹介のセッション。いつも一緒にトレーニングしている友達とのバイクライドとスイムに参加。バイクもスイムも、彼にとっては、ちょっとペースが速め。スイムは、練習のメニューを渡した。ベイエリアでのトレーニングは、初めてだったようで、楽しんでトレーニングができたみたい。

また、出張でベイエリアに来るとのこと。人との縁は、どこでつながるかわからない。面白いもの。私が、“趣味”でやっているトレーニングだけではなく、仕事でどんなことをしているかを、わかってもらえると嬉しい。今年になって、将来のことを少しずつ考え始めた。この5−10年で、今の仕事の形態が変わってくると思う。先日、福岡の理学療法の会社の方に、友達を通して紹介してもらい、オンラインでミーティングをした。これから、どんな展開になるか?これから先を考えると、日本でのネットワーキングも大切になってくるだろう。人と会う機会は、大切にしていこう。




‘25-5-20 ”ジャズとの関わり合い 1“

2025-05-19 21:45:35 | Massy's Opinion
★Massy‘sOpinion
*成蹊中学の野球部時代
勿論、ボールは軟式、唯部員も少なく、旧制高校の延長のような感じで、高校の硬球を使ったり,中学だけの練習に成ると軟球を使う様な練習だった.中学も部員は少なく、外野はレフトⅯ、T君、センターⅯ、Y君、ライト僕の3人でとても仲が良かった。僕が、慶応へ転向した時に二人が怒った事、そして我が家までチーム9人で怒って押しかけて来た。僕が慶応に転校してから、Ⅿ、Y君とⅯ、T君がハワイアンバンドを結成した。当時は、「wvtr」と言う進駐軍向けの放送があり、金曜日には、[one night stand]と言ってジャズを流している放送があり、英語の勉強にもなるので、よく聞いて居た。

*初めてBenny Goodmanを聞いた時...
中学3年の時、五反田のⅯ、Y君の家へ遊びに行った時、彼のお姉さんが「ダンスを教えてあげる」と言う事で、応接間で初めて女の人の手を握った、そして、その時のレコードがbenny goodmanの「on the sunny side of the street 」でB面が「where or when」だった。あの時の「こんな歌が有るんだ...」と言うショックは凄く大きかった。(学校では、童謡,クラシック系、)

*我が家の近所
我が家のある浜田山は、大きく見れば善福寺川、神田上水の間にある丘の上で一面畑の中に住宅の開発が始まった様な場所で、我が家の南側に4軒の共同住宅長屋があった。そこに中島さんと云う家が有り長男次男長女の3人が住んで居た。長女が僕より1歳上、長男は僕より5歳位上だろう、法政の予科にかよって居た。そして、長男の広さんが、アルバイトにバンドでドラムを叩いて居た。そのバンドが後に大人気バンドに成るSix Jose バンドマスターはかの有名なナベプロ社長、渡辺晋さんである。僕の家には、Benny Goodman以外にも数枚のレコードがあり、長男の広さんは良く我が家へきてドラムの練習をしていた。雑巾を濡らしてそれを叩いて居た。家の前の家には、明治の夜間に通っていたが、アルバイトにハワイアンバンドのバンドボーイをやって居た。彼は或る時、一人のバンドマンが休んだので、、エキストラとしてギターを弾いた。その後、楽器をビブラホーンに変えて北村英二のバンドで長く勤め、其の後、自分のカルテットを組み世界的にも有名なびぶらほーン奏者に成った。増田一郎さんだ。非常にリリカルで奇麗な音にこだわるバイブを弾いていた。


’25-5-13 ”関税問題” (Part 2 )

2025-05-12 21:53:31 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*中古車部長に成った時、本格的に輸出ルートを作り上げようと考えた。語学が出来る人間を配置する必要があり、立教出の次長と慶応出の課長の二人と事務手伝いの女性社員を配置した。女性社員は台湾生まれで日本に帰化して居た社員で中国語も出来る社員だった。この3人のチームで、先ず大手商社を中心に「輸出担当者設置のご案内」と言う文書を100枚位出した。今ならネットを使えば簡単に出来るが、結構大変だった。処が、反響が大きく3人の輸出担当は大忙し...皆、新しい仕事、大きな反響、その中で本当に良く働いて呉れたし、青山の小さいビルには、名も知らない様な中小国の大使館が一つのビルの中に在ったり、色んな事が解って来た。その時にターゲットとして絞ったのは、中国大使館とロシア大使館だった。
*中国大使館には、前記した台湾生まれの女性を使ったが、ある時、次長のS君が、「部長、彼女が大使館へ行くの嫌だ。と言って
ます。中国には北部の言葉と南部の言葉があり、大使館へ行くと皆、北部の人なので、直ぐ台湾生まれと解ってしまうのだと...」
*その内に、大使館から、「セドリックの中古車が欲しい...偉い人が載るのだから...」と言うオーダーが来た。一年物の業界用語で言へば、「ピン、ピンの走行2萬キロ未満」の車を納車した。処が、数日たって、メーターを七萬キロに巻いて呉れ...」
「税金が安くなるから...」と言うのである。これらは,皆「関税」の問題である。新車は、メーカーから纏めて申告するのだと思う。一般的には、それぞれの国の投資会社が日本国内にある。そしてそう言う会社が窓口に成って日本の中古車会社から買ったりしている。
*この位、関税問題と言うのは複雑であり、自動車の安全基準は国状に応じ国ごとに違いがあるし、赤沢大臣さんも運輸省勤めの経験はある様だが、「乙仲」とか、「フォワーダー」とかこの難しい通関業務を遣る業者が介在する事など、ここまで流通の実態は理解されて居るのだろうか?トランプさんも、ご存じだろうか?今まで長い時間を掛けて築いて来た「国際流通」を壊すことは本当に避けるべきだと思う。恐らくアメリカ車が日本の保安基準に適合した車を作る事は無いだろう。日本は、「改造車扱い」でアメリカ車を其の儘、認めるだろう。僕のblogのサブタイトルは、「Advice for consumers」となって居る。恵の卒論には「アメリカの中古車の情報を研究しろ」と言って、彼女の「卒論」にはアメリカの中古車価格情報が載せてあった。兎に角、この関税問題は大事な問題だし国民も政治家も勉強して欲しい。
*僕は、この関税問題の難しさに、取引は、「横浜埠頭渡し」と指示をして、後は買い手側が船の手配他、通関業務をやるような条件にして業務を進めた 。  日産特販に移ってからもこの希望は捨てないで居たが、今度は社長なので人員体制も此の事を頭に置いて人集めをした。そして,幸運にもこの商談の機会に恵まれた。1996頃ミヤンマー政府が「ミヤンマー観光年」「VisitMyanmar」の交通手段にタクシーを配備しようと事に成り資金的面から東京のタクシーの中古車を使おう言う事に成った。当時、香港タクシー車は20000台あったが此れも全部セドリックの中古車であった。そんな事もこの決定には影響が在ったのろう。この時ミヤンマー政府は本来「右側通行、左ハンドル」が基準であるが、此の中古車に就いては「右ハンドル」を許可したのである。勿論、通関業務はその間に小さい商社を入れてミヤンマー政府と先方がやった。この様に輸出入の業務に関税関わる業務煩雑である。要するにこの商談は、日産特販―日本人商社―乙仲(通関業務)-ミヤンマー船で運搬-陸揚げ検査、通関と言う形になったのである。これだけの煩雑な形を取りながら日本の中古車は海外に輸出されている。
P,S
「乙仲」とは聞きなれない言葉だが昔の「海運事業法」の中に仕事の中身を「甲」「乙」等と決められて居たその名残である。詳しくは、「ネット」で探せばよい。

‘25-5-6 “Diary 220”

2025-05-05 21:53:18 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
・4/8 Jazz Bird
Simaco大島&his quintet 出演
僕の今の楽しみは、シマコライブだけかな...店は表参道交通の便も良い。井の頭から下北沢で乗り換えて表参道で行けばよい。表参道の駅から歩いて5分程度。丁度無理なく歩ける距離。バンドメンバーは、オール慶應O,B.
Piano Simaco,ドラム 佐々、ドラム河野、アルト藤井淳平、のバンドである。大島君は、我が親友、三保敬太郎君のお弟子幼稚舎から大学、大手損保の役員をしていて定年後昔のジャズに戻った男。学生時代は鈴木昇二のリズムエースでピアノを弾いて居た事もあるとか...ヤッパリ自分達の魅せられた時代の物に惹かれるのか、僕の好きな曲やプレイヤーは少し時代が違う。然し彼みたいにスパット割り切れるのは凄いし僕みたいに古い物を引きずって居るのとは違う処に人間的な興味がある。お客の入りは少し出足がわるかったかな...セカンドットには何時もの常連が集まり面白かった。

・4/15 ・樫の会・観桜会 三井倶楽部
恒例の桜を見る会。三田まで出掛けるのはチョット厳しく欠席。
昔、新派の朗読劇で瀬戸麻純さんを始めて他のも観桜会だった。もう彼女も50歳近いとか。。。月日の過ぎるのは早い。

・六球会懇親会  銀座 暫亭
六球会スッカリパターンが決まって来た。もう、代も変わり河内、赤木、田浦、大渡君、皆居なくなった。加藤太郎君や椎野、特に小西君が良くまとめて呉れる。盛会で20名位は集まったよう。

・4/7・21 パソコンの千葉先生
スマートホーンの家庭授業。月2回 主にワイフの教育、大分進歩してyou tubeを聞いたり、スーパーに配達依頼したり、メグミとラインでのやり取りも出来る様に成って来た。僕は、傍で、黙って聞いているだけ...でも偶に僕の解らない事を聞いて見る。凄く参考に成る。
・4/24 みずほ銀行・mrs。K嬢 来宅
更新手續き等の事務処理、皆、PCになって居る。まあ、取引も長いので、自宅まで来て貰った。銀行も個人ユーザーはATMに切り替えて居るんだろう...
・トランプ問題
何か日本の対米交渉頼りない感じが強い。米国、ロシア、中国の大国がそれぞれ問題を抱えて居る様で、本当に今までの約100年が元に戻りそう。戦争だけは止めて欲しい...