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“Diary 173” ’21-6-1

2021-05-31 22:19:31 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

今月は以前のスタイルに戻って、Update することにした。然し会合、その他中味はon lineが殆どである。

・5/10 日吉倶楽部 総会 on line

高校野球部のOB会だから、当然現役大学生も日吉倶楽部の会員の中にはいる訳だ。若い人が多いので、又、進んだやり方をするのかな?と思ったが、Zoomを使って他でやって居るのと全く同じ。約1時間半位、参加者25名位。スムースに終了。高齢者の参加は僕だけ...

・5/13 鮫洲 高齢者認知機能講習

自動車免許証の更新時期が来て、通知の葉書が来た。最近、高齢者の認知機能が問題に成っているが、自動車練習場での高齢者実習以外に「高齢者認知機能講習」なる物を受けなくてはいけなくなった。色々聞いて見るとかなり混雑している様なので、問い合わせ電話に問い合わせ日にちの予約をした。もう免許返上仕様かと思ったが、矢張り、寂しいしワイフの事を考えると必要かな?と考えて、講習を受けに行った。テストの点数が足りないと医師の所へ行って、「認知症ではない」と言う証明書を貰わないと「高齢者講習」へ進めないと言う事であった。幸い合格点を取ることが出来たが、一時間半位の緊張した経験を久しぶりにして来た。免許本部の講習担当者も丁寧で昔の状態とは様変わりの対応で驚いた。今度は、教習所で実技の講習を受け、次に指定の警察署で免許証の更新となる。色々法規が変わるので、情報は聞いて置いた方が良い。電話で当局に聞くのが一番正しいし、今は、PC会社のクレーム窓口と同じように親切だ。

・5/23 東大 対法政戦 完封勝ち

僕は、東大野球部が好きである。入試条件や学校の方向性は、私立とは異なるし、その中で私立校と肩を並べて行くので戦力的には劣るのは致し方あるまい。しかし、ある面では私立校より恵まれている。それは設備面である。人工芝もいち早く取り上げているし,選手は他の5校より本当に野球の好きな学生が多いかも知れない。最近の10年位に間では、東大で「野球をやりたい」と言う高校生が浪人も覚悟したり、滑り止める止めの学校に入り、準硬式をやりながら再度東大の受験に挑戦し合格、「東大でレギュラーに成る」なんて言う高校生も居るし、良く練習はしている。不思議と慶応は東大を苦手としている。東大の投手力だけはスタミナ、肉体的潜在能力が勝てないポイントだと思う。今シーズンの東大は2試合位勝つのではと思って居た。完封勝ちは東大野球部の中で意識革命を起こすかもしれない。

・5/24 口腔ケアー講演会 ケアー24 浜田山会館

区の主催で、ケアーハウスで上記の講演会があった。まあ、結論から言えば、高齢者のお宅に出張診療も致しますと言う宣伝かな?歯は良く磨くことしかない見たい。僕も丁度、歯が痛いので講習会に出て見たが、高齢者ばかりで、又女性が多く皆老化による問題を抱えているのは一緒。話を聞いたからって歯の痛みは止まらない。

・5/26みずほ信託 異動挨拶 来宅

僕はみずほ信託に遺言信託をしてある。信託銀行が珍しく新任挨拶に来た。みずほもグループ全体の組織替えをしているのだろう。アフタ―コロナの準備をしているのか?どこの金融機関も強い組織の所が残って行くだろう。まあ。「無理」と決めつけるか?それでも地銀の統合とかこれから大変だ。

・5/29~30慶早戦

1回戦 辛勝 野球は後攻が良い。  正木、いい球見逃し過ぎ、 生井 もう一段の進歩が欲しい同じ投げ方でスローカーブが欲しい。 早稲田小宮山監督の渋面が印象的。 

2回戦 惜敗 中盤一死満塁のチャンスがあったがダブルプレーに抑え込まれ3対1で敗れる。まあいい早慶戦と言って置こう。

夜は、杉並三田会のZoomによる懇親会今日は6名、少ないな...もう一つ盛り上がりが無かったが、2時間位久しぶりの人の顔も見る事が出来た。 矢張り渋谷のライオンの懇親会が良いな...


“Aging Society” '21-5-25

2021-05-24 22:00:10 | Megu's Sports

★Megu's Sports

“Aging Society” 

So… 2019年現在、日本の65歳以上の人口は、全人口の28%だそう。アメリカでは、約15%。中国では、約11.5%。世界の高齢者人口の割合のランキングを見てみると、1位日本、2位イタリア、3位フィンランド(https://www.prb.org/countries-with-the-oldest-populations/)。と言うことで、日本は、高齢者の割合が高い。

現在、日本女性の平均寿命は、88歳;男性は、81歳。そんな中で、どのように健康で生活の質を保ちながら、人生を楽しめるか? 年をとるごとに、身体の機能・運動能力の差が大きくなる。20代の時は、アスリート、“アクティブ”な人、運動しない人との差はあっても、基本的に“動ける”レベルの差は、80代の人々に比べると、狭い。80代になると、Ironmanのレース・トレーニングをしている人もいれば、寝たっきりの人もいる。身体能力だけでなく、痴呆症などの障害によるAbilityの差も出てくる。今、80代の人たち、特に女性は、スポーツをする機会が若い時になかった人が多い。だから、エクササイズをするって言う習慣がなかったので、運動するってコンセプトがない人も多いと思う。

個人差があるのは、もちろんで、みんながみんな、80歳のスーパーアスリートになれと言うわけではない。

・Step 1 健康であること(疾患がないこと);

・Step 2  日常生活が営めること;

・Step 3 自分の好きなことを見つけられ、楽しめることを、目標にした生活習慣を考えてみては?

うちの母ちゃんは、昨年の2月末に、台所で転んで、大腿骨の首を骨折し手術をした。この手術は、彼女にとって32年間で5回目の下半身の手術。右股関節リプレイスメント2回、右大腿骨骨折1回、右膝半月板1回、で、今回の左大腿骨の首。もともと、趣味がよくわからないんだけど、とりあえずStep2を目標に、昨年の退院後から週2回Skypeで、私とリハビリのセッションをしている。その他に、母ちゃんの報告が正しければ、私が作った、ステーショナリーバイク(2x15分)、ラダードリル、ストレッチ、体幹、ファンクショナルエクササイズを含めたプログラム(約45分)を毎日こなしているはず。退院後、1年経って、母ちゃんの腕の筋肉がかなりついてきた。特に、上半身の運動は含めてない。だけど、床から起きる・降りるエクササイズをやっていて、下半身が弱いので、腕に頼っているからなんだけど。それにしても、80歳超えた人間が、ここまで筋肉つけられるんだなと、目の当たりにして初めて見た。母ちゃんの努力を褒めるのが正当なんだけど、母ちゃんにやらせた私自身も褒めているところ。母ちゃんは、筋肉のついた腕を“恥ずかしい”って言っているけど、Strong is Beautiful。強いってことは、美しい(日本文化にこの観念を浸透させたいですね)。

と言うことで、Never Too Late!!! やる気があれば、歳は関係ないんですよ、みなさん。人間の体は、車と一緒で、動かさないと動けなくなる。動かせば、効率良く動くのです。コマーシャルのようなピッチだけど、楽しい生活は、身体から。また、昨年の母ちゃんの手術・入院・リハビリで、日本での手術後の入院・リハビリが、また、このシステムが整っていないこと、進歩していないこと、充分ではないことに、もどかしくなりましたね。


“前田祐吉元慶大野球部監督”      ‘21-5-18

2021-05-17 22:47:08 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・前回ソフトバンク 和田投手の思い出を書いた。今春のリーグ戦もいよいよ後半の優勝争に慶応が立教に連勝して、優位に立っているが、面白いシーズンだ。ネット裏でも昨年秋のドラフトで早稲田の早川投手が立派なお役を遣って居るし、チョット憑いて居ない中日福谷投手など持ち味を発揮しているし、総じて東京六大の人気は上がっている様だ。又昨日は慶応対立教戦で、コロナ害で入場できなかった立教の応援団に変わり慶応の応援団が立教の応援歌を演奏し、万雷の拍手を浴びたとか...これは、入れ替え戦の無い, 我が国で最古のリーグ戦だから出来た事だろう。(応援団は応援団で毎年「六旗の下に」と言う合同コンサートをやって居るから他校の応援歌も出来るのか?)誰の発案か知らないが、嬉しい話だ。

・さて、日本に野球が根付いたのは早慶戦からスタートしたのだろう」。もとは慶応に対する早稲田の試合申し込みから始まっている。第1回の早慶戦が1903年に行われた。余りに加熱しすぎた早慶戦に警視庁から中止の命令が出され、19年間にわたる中断を経て再開され、以来、時を経て

・‘88年11月26日 慶応野球部100周年記念紅白試合三田綱町グラウンド

 KE組 (監督阪井盛一) vs IO組 (監督前田裕吉) 使用球 特製準硬 

   懇親会 綱町三井倶楽部 

・’93年11月21日 早慶戦90周年記念親善野球試合三田綱町グラウンド 使用球 軟球

   懇親会 綱町三井倶楽部

・‘03年11月26日 早慶戦100周年記念試合 明治神宮球場  使用球 硬球

  オールドボーイ早慶戦と全早慶戦(プロ選手 社会人野球 現役学生)

   懇親会 明治記念館 

等の記念試合が行われた。前田監督は、勿論これらの試合に全部参加されている。

前田さんは、僕が大学野球部に入るのと入れ違いで卒業された。僕らは1年の時、確か2月の試験が終わると合宿に入れられた、丁度、卒業される前田さん達で、合宿所に居た人も居り、サッポロビールに入る前田さんは未だ合宿所に居られて1週間くらいキャッチボールの相手をさせられたのが、出会いである。サッポロビールは当時日産の大得意で野球部のOBも関原さん梅垣さん初め初代日吉倶楽部会長の松本悦雄さん馬場さん等が居て、良く営業の人に連れて行かされた。会社退職後は、「野球部が塾の中で特殊に成ってはいけないでしょう。元野球部長の丸山先生が事務局をされて居る先生方の勉強会で「慶応読書会」と言う会があります。「監督も入りませんか?」「おおいいよ。入るよ」と一つ返事。同期の故榊原君も入れて読書会の先生方に喜ばれた。まあ、文武両道の実践である。前田さんは勉強が出来るのは知っていたが、既に2冊、「野球と私」「私の発明ノート」の著書があった。

特に私の「発明ノート」には実用化できそうな物が、沢山含まれている。これは何方か本当に読んで欲しい物である。慶応野球部の歴史の中で、2度の監督、特に有名は「早慶6連戦」の指揮をとられ、早稲田の石井連蔵監督と共に野球殿堂入りされたこと。慶応野球部にとって誇らしい事である。オールドボーイが遣る野球の試合は、全くのお遊び、やって居る内に本当に真剣に成ると色々ある。僕も上記の記念試合にはプレーさせて貰ったが、対早稲田100年の試合の時、初めはライトをやっていた。最後の回に同期の故嵐君がサードをやれと言われた。彼は経験ゼロ、守備に就くときに「おい!マス 俺出来ないよ。変わって呉れ」

「ああ、いいよ。あと一回だものな」その回が終わってベンチに戻ったら、前田さんに「増田、俺に言わないで如何して変わるんだ?」と物凄い勢いで怒られた。勿論、「済みません」 と平謝り...記念試合でも監督としての責任を強く持って居るんだな。と反省した。

読書会で前田さんが講演された時には、僕がお手伝いをした。或る時,「おい、増 君は今日から俺と同級生だぞ...」「とんでもない、そんなおそれ多い事出来ませんよ」「おい君は今日75歳になったろ...4捨5入すれば80だ、俺は80だからな...」と言われた。国際野球連盟の仕事もされて居たし、友成君の「アフリカ野球友の会にも随分助けて頂いた。もう早いもので僕は87歳になる。「スクイズが嫌い」な前田さん慶応野球のベースEnjoy BaseBall 」を提言された前田さん、「今年の慶応は良いチームですよ。選手が皆、伸びている...」リーダーは細かい処まで気を使わなくてはいけないんだなあ...。

 


“コントロール...”       ‘21-5-11

2021-05-10 22:21:59 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・コロナ旋風の中、東京六大学野球も最終戦に入って来た。今週末の慶応対立教戦が大山場に成るだろう。東大が立教に善戦したが残念だった。Stay Home でテレビばかり見ているが、ピッチャーは矢張り「コントロール」に尽きると改めて感じている。最高スピードばかり騒がれるが100球投げるとして、160キロ台のボールを60%投げる訳には行かないだろう。 プロのピッチャーの中でソフトバンクの歳和田毅投手が年齢40歳であれだけの成績があげられるのは大したものであるが、ボールはそんなに早くない。

・和田投手は、島根県 浜田高校から早稲田大学に進んだ。浜田高校はレベルの高い高校で野球選手の出身者も沢山居るが、早稲田には、僕の会社の野球部に居た故森勲君が初めてで、二人目が和田選手だと言う。森君は東京日産の野球セレクションに来た時に、「へえ、何故この選手が硬式野球のある処へ行かないの?」と思った位の選手で、守備位置はサードだった。

・「マッサン!今度浜田から凄い奴が早稲田に入ったんですよ。俺が一人目だから、二人目になるんですよ。彼奴は屹度エースに成りますよ」 「そうか、それなら飯を食わせてやれよ」

皆、田舎から出て来て金もないし腹減らして居るんだろう。プロへ入る時、森事務所を通すように成る様に面倒みてやれよ..」その後、「マッサン、寿司屋へ連れて行ったら良く食べるんですよ。4万円も食われちゃった...」「その次は、焼き肉屋へれて行ったそうだ」その時は、「木村さんが(僕の次の次の監督)領収書を整理して呉れました。もう飯食いに行くの辞めましたよ。」と言って居た。

・「早稲田大学野球部創部百年記念フォーラム」が‘01年に大隈講堂で開催された。その時、早稲田の応援団の監督も僕の部下だった。誘われてフォーラムに行って来たが、早く行って練習も見て来た。そこで和田君を始めて見た。コンピューターを使って投球フォ―ムを写していた。「おい―岩上君、何をやって居るの...」「体育科学部の仲間に投球フォームを写して貰って、スピードが出る様に分析をするんだそうだ」森君「マッサン 彼奴は努力家でね、ああ云う練習で120k台のボールが130kの後半まで、約10k早くなりましたよ」と言って居た。あんな練習方法は見た事がなかったので驚いてしまった。和田君が2年生の時である。和田は新人戦で東大に0対4で負けている。これがその後の和田君の死に物狂いな走り込みとコントロールを作り上げたのである。

・元アナウンサーの越智正典さんが書いた「神宮球場から翔び立ったプロ野球のスターたち」と言う一文の中に当時の早稲田監督野村さんと森君のやり取りが書かれている。

・抜粋

野村は1学年下の森勲(東京日産)に電話をかけた。森は上海生まれの引き上げ家族で父の故郷・島根に帰り、58年、浜田高校から初めて早大に進んだ大型三塁手。3年の春、中国山脈超え広島に遠征広陵、広島商戦で大ホームランを放っていたが早稲田では控えに終わった。「...和田に光が見えだしたよ。済まんが何か美味しい物を食べさせてくれ。大きく育てたいんだ。早稲田の伝統も教えてやって呉れ」「人生劇場」の尾崎士郎は「青春の志に沸き立つ若者の胸、曇るべからず」と言ったが同じ様な野村の思いに森は泣いた。ダイエー入団後の、‘03年和田から野村に宛てて野球グヅズが送られてくると野村はソックリそのまま森に渡した。「これはわしの物ではない。森のものだ」森は吉祥寺や武蔵境で和田にご馳走し「勉強も頑張れよ」と励ました。森の往時の忍耐と、浜田高校後輩入学の喜びを知る同期の鈴木勝夫、荒川悌二が「応援」に駆け付ける。日本海育ちの和田はスシが大好きであった。卒業単位は3年が終わるまでに全て取ることに成る。

・さて、昨年一皮むけたように成長した中日の福谷、楽天に帰って来た田中マーちゃん、今年プロ入りした早大の早川皆「コントロールがよい」一試合135球として全力投球出来る訳はない。直球と変化球で一つの絶対にストライクを取れるコントロールが良ければ和田の様に40歳でもプロで投げられるのだ。早川君はきっと和田二世に成るだろう。

森君は、東京日産で僕が監督の時、4番をズット勤めて呉れた。或る時、神宮で六大学の試合を見に行って会った時、「マッサン準硬式でも東京代表に成ったのはいい思い出ですよ。お客さんからあの時代の社内報のコピーを貰いましたよ」と言って来た。残念ながら早く亡くなってしまった。

                                                                                               

                                                                                              ★神宮球場 ネット裏にて  ’13/11左から 野村監督 森勲君 和田投手

                                                    プロ野球の選手が、六大学リーグ戦を見に来るのは、中々日程が合わない。     photed by Massy

                                                                                      

 

 

 

 

 

 

 

 


“Diary 172” ’21-5-4

2021-05-03 23:00:40 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・Covid-19  第4波  Johns Hopkins University

確かダイアモンドプリンセスだったかな コロナが日本に上陸したのは?一昨年の秋だったかな?ウイルスってどんなものかな? と考えて居た時に若い友人から、コロナウイルス アメリカでは 「Covid-19」と言うとかA4 1ページの文章がメールに添付されて来た。Johns Hopkins University の発信した物だった。 その友人に「僕のブログに使っていいかい?」「いや困ります...」「O,K 解ったよ...」と言って添付はやめにした。

Hopkins大学何て全然知らなかった。すぐ大学を調べて見たらアメリカの医学分野では有名な権威ある大学であった。あれからボツボツ2年に成るワイフの怪我もあり、何たって昨年は井の頭線で渋谷へ出たのは2回、吉祥寺へ1回しか行って居ない。車で東麻布~銀座は3ヶ月に2回位。僕の生活様式は全く変わってしまった。さすがにもう飽き飽きした此の生活、でも、年齢的には丁度いいかなと思って居る。

さて、少し話を戻して、Johns Hopkinsのメールを貰って、その後、色々コロナのニュースを見ていると、権威のあるのはHopkinsの発信が多い。僕の知米度も西海岸と言ってもサンフランシスコ、サンノゼ近辺のメグミの住んで居る周辺のニュースが多くなる。彼女は仕事柄ウイルスの予防に非常に神経を使って居るので、ワクチン接種のテンポもアメリカとの差を強く感じる。既に恵はファイザー製ワクチンの2回接種を済ませている。この2~3日前に区からワクチン予防注射の案内が来たが、2日間ワイフはコールセンターに朝から電話の掛けっぱなし。やっと1日の16時ごろ電話が通じ6月2日に予約が取れた。高齢者用75歳以上が対象である。世界の様子を見ていると、インドなど凄い伝染で困っている国も多い様だが、米国はワクチンの予防に焦点を絞った対策が功を制して居るようだ。我が家も取り敢えず、マスクと手洗いで一ヶ月ワクチンの接種まで頑張る様にしようと思って居る。

・コロナ後の日本

菅総理の顔を見ていると原稿ばかり読んでいて、本当に「この人何を考えて居るんだろう?」と思う。今度のコロナ問題を見ていると大臣方々の人間的適正があるのだろうかと感じる。一人でも「コロナ後の日本がどう変わるのか?」と考えて居る人は居るのだろうか?

運が悪いと言へば、運が悪いが、「オリンピックの開催を日本として出来ない」と総理大臣が言へば良いのだ。色んな関連する組織があるが、他の国は「自国の選手の派遣を如何するか?」だけ決めれば良いのだ。日本はオリンピック委員会などの顔色を窺っているみたいで、マスコミは丸川大臣と小池知事の元アナウンサーの対立を取り上げたり、全く次元が低い。健全、健康な環境や国家が有って初めて良い競技や争が出来るのだ。

stay home (アメリカでは、work from home と言うそうだ)「働き方改革」なんて言われているが、僕は以前からこれには反対している。雇用の形が変わらないと駄目だ。「雇用」から「業務委託」に成らなければ完全なstay homeの仕事は出来ないだろう。最近、色々なニュースや記事の中にボツボツそんな意見や記事を見かける様に成って来た。今我が家では、サンノゼでスポーツトレイナーをやって居るメグミと骨折したワイフのリハビリを週二回、約一時間skypeを使いながらやって居る。僕はコーチ役でワイフの傍でワイフの疲れ具合等を見ている。時々「ああ、これはヘビィ―過ぎるな」と感じるとメグミに「もう疲れているよ」とか声を掛ける。

若し、直に対面でやって居れば、メグミの指示の仕方が「変わって来るだろうな」と思う時がある。メグミも他のクライアントにもスカイプでやって居るそうだが、「神経を余分に使って疲れる」と言って居る。この際、仕事の質を見直すにはhome workはいい機会だと思うが、よく考えて手直しする事が大事だ。

・各種選挙と経済

色んな処で選挙が始まり、今の所、自民党は大敗だ。我が家にもポスターを貼らしてくれと言う野党が来るが、野党は殆どが若い候補者だ。チョット話を聞いて見ると知識が足りないのが良く解る。カーボン・ニュートラル問題なんて、本当に出来るだろうか?もっとインフラの整備とか関連自動車六法の整備とかこれは大変である。僕の自動車販売の現役時代には旧運輸省、経産省等色んな部署の人達に、実務の話をどれだけしたことか...今世界中で使われている自動車をどうするのか?発展途上国に輸出するのか?既に島嶋諸国は廃棄車両の処理に困って居るところがある。大メーカーは車造りの基本的な考え方を廃棄車両の始末迄考える様に変える事が必要だ。こんな事を理解している候補者が出て来ないものか?

経済も先ずは飲食業の復活が問題だろう。高級品は売れなくなるだろう。不動産関係も価格は下がるだろう。講演会。研究会等はウエブに成るだろう。兎に角、人の動きが如何戻るか?が大きなポイントだ。