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“Quality of Life”       ‘15-6-30

2015-06-30 07:12:15 | Megu's Sports

☆Megu’s Sports

・かなり前にブログで、生活にバランスが必要だと書いた事がある。 バランス−仕事、家族/人生のパートナー、自分の趣味、友達、ネットワーキングなどなど。この数年、自分にそれができているかというと、ちょっと、偏り気味になっているけど、一般的に、日本の今の30-40代の人々は、バランスをとる事がうまくなっているように思う。だけど、親父の年代、またそこから10-15年ほど若い人たちの世代は、仕事一本でやってきて、引退後、何をしていいか途方に暮れてしまう人もいるようで、それが飲酒や家庭内の問題、また健康(痴呆のような状態)につながるようなことを聞く。

 ・高齢化社会、果たしてどのように、楽しく充実した生活の質を維持できるか?両親にしても、クライアントにしても“高齢”の年齢区分に属する人と接する機会が多い私。うちの親父を例に取り上げてみる:私が高校生の時から、親父に“家族は部下じゃないんだから、部下の様に扱うな”と言っている。引退後は、特に。だけど、性格上、どうもこれは、治らないらしい。もう、長い事言い続けていて、治らないんだから、あきらめればいいんだけど、家族の平穏を保つためには,誰か(私!)が、たまに言わなければならない。まぁ、それ以外では、彼の引退後の生活は、Looks Pretty Goodである。話を聞いていると、読書会、学会、野球、水泳、飲み会、ライブ、ゴルフ、ブログ書き、そして仕事などで、結構忙しそうにしている。物事に興味を持つ事、新しい事を学んでいる事、家族以外の人との接触を積極的に持つようにしている事が、引退後の生活の質を維持している。私に言わせると、健康面では改善したほうが良い事も多々あるけど、それなりに健康も維持しているから、このようなアクティビティができる。また、引退後、世界中を旅している人もいれば、ボランティア等でコミュニティーに貢献している人も多い。アクティビティが何であろうと、家で何もせずに飲んだくれて、テレビを一日中見ているよりは,生活も楽しい筈。興味と“何かをしたい”というモチベーションが、健康維持につながり、また、健康維持が、興味とモチベーションとなるんだな。

・若い時に、仕事や子育てで“自分の時間がなかった”とか、趣味/好きな事がなかったとかいう人もいる。そして、子供に手がかからなくなった時、仕事から引退した時に、新しい時間の過ごし方に上手く順応できる人もいれば、何をしていいか途方にくれてしまう人もいる。ここで、大切なのは、いつでも遅くないんだから、自分の興味のあること/好きな事を見つけること;新しいネットワークを広げることを心がける事。若い頃にできなかったら、引退してからでも遅くない。家で引きこもらず、家族以外の人間関係を築く、自分を尊重できる時間と空間を持つこと。そして、その時間と空間を楽しむこと。最後に、今、自分のいる環境に感謝して、生活を楽しむ。言うのは簡単で,実行は難しいこともありますが、There is a person, who I want her to read and understand this. Hope she gets it. Eventually.

 

 

 


“国際リユースと発展途上国”  ‘15-6-23

2015-06-23 07:11:13 | Massy's Opinion

☆精密工学会LEC専門委員会ワークショップ

会場: 早稲田大学西早稲田キャンパス 55号館第2会議室

主催:公益社団法人精密工学会LEC専門委員会

6・20主題のセミナーに参加してきた。北海学園大学の浅妻教授から、「ロシア調査の報告をしますので、是非参加して欲しい」との呼び掛けを頂いたのである。

何がなにやら詳しい事は判らない儘に場所は早稲田大学だし、直ぐ参加申し込みをして準備をした。と言っても何を調べるでも無く、心構えをしただけである。浅妻先生、半年近くロシア各地を回ってきたので是非其の話も聞きたかったのである。

僕も京都大学の東アジアセンター「塩地研」のセミナーにも参加しているし、「慶応読書会」、「樫の会」等にも出ているのでそれぞれの校風や風土に触れる事ができてこれも面白い。然し、学校の建物は何処も質素で最近のものは同じような雰囲気がする。

セミナーの内容は後にプログラムをコピーして記すが、中心的スピーカーは浅妻、福田の両先生だった。リサイクル問題は本当にメーカーが製品の流通過程の最後迄考えた「物造り」が必要だと思う。又福田先生のように「人文社会科学」の分野から リサイクル問題へのアプローチは面白いし貴重なスタンスだと思う。講演の内容の中に「通行区分とハンドル」とか中古部品の流通では、「情報の非対称性」とか、僕のレポートに近い問題が取り上げられ嬉しい限りだ。

・セミナー後の懇親会は、隣の教室で簡単な立ち席のパーテイー。パネルデイスカッションの時に質問した先生に名刺交換をしたら、福田さんと言う、スタンフォード大学の教授をされていた人で、現在慶応の先生もされている人だ。「昨年スタンフォードに行ってきました」「HanaHouseのリニュウアルのお世話をしました」と言ったら話が急速に進み、先生も「今日此処でスタンフォードに行ってきた人に会えるとは思って無かった」と言う展開になり帰りは途中までご一緒して来た。有意義な一日だった。

 

 

 


“第4回 慶応義塾を歌い継ぐ会” 於 サッポロライオン「音楽プラザ」 ‘15-6-16

2015-06-16 07:33:30 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

☆イントロ

僕の会社時代の仲間にOn The Rock君という男が居る。彼は定年後、早稲田の応援団の監督を4年やった。其の任期中の早稲田のリーグ戦は全試合応援に行ったと言う「熱い男」。昨年の今頃、「Massy、この間面白い会が在りましたよ。DVDを貸しますから見てくださいよ。必ず返して下さいね」と言われた。家でDVDを見ると驚いた、知った顔が多い事。

元経済学部長の塩沢教授まで写って居た。勿論、On The Rock 君も真ん中の上席に座っていた。「何此れ、応援団の会?バンさんが居るじゃない...」「いや誰でもいいようですよとにかく面白い。来年一緒に行きましょうよ...」秋の神宮のネット裏でバンさんに会った。「バンさん面白い事やっているね。来年は、案内頂戴よ」「マッサン来てくれる?...」と言う事で、案内を貰って直ぐ出席の返事を出した。残念ながらOn The Rock 君体調を崩して同行は出来なかった。会場に入ると僕の同級生はボート部メルボルン・オリンピック、エイトで出場時のキャプテン須永君、ブラバン、OBの知久君の席と同じ席、手厚い配慮を頂いた。偶々、3人は高2の時は同クラス。

 

代表 バンさん  photo by Chikyu

☆ブレイク

定刻13時司会のN君の発声でスタート。先ずは会代表のバンさんの挨拶、3回目まで非常に好評で、今日の4回に至った事。「楽しくやりましょう!」乾杯は、今年の早慶レガッタに勝ったボート部の超OB須永君の勝利の報告、実態は早稲田エイトのコースアウトで慶応が勝ったとの事。彼らがメルボルン代表になった時の隠されたエピソードは、「艇差一尺」と言う単行本に成っているので其の話をするかと思っていたが、其の話はしなかった。席に帰ってきて彼に、「艇差一尺、如何したの?...」と聞いたら、「本は持ってきたけれど忘れちゃった」と言っていた。乾杯が終わるといよいよ本番...予め歌詞カードが作られており、明治37年に作られた「旧塾歌」が載っている。司会者の解説が付いて始めて聞いた歌だった。それでも何人かの人は歌っていた。兎に角、歴代のリーダーが代わるがわるに壇上に上りリードをする。古い先輩は33年卒位、一番若いリーダーは塾高からズーッと応援団長を勤めてくれた人気者の小山太輝君迄お爺さんと孫の年代に亙るメンバーだ。普段は余り感じないが、リードの仕方もそれぞれに特徴があるものだ。兎に角、色んな歌があり、「何曲位あるのか?」バンさんに聞いて見た。以下に頂いた返事をコピー&ペーストしよう。

・塾歌や丘の上、慶應讃歌などは応援歌というよりむしろカレッジソングであり、若き血などの選手を鼓舞する歌を応援歌と分類すると以下のようになります。

<応援歌>約20曲:若き血、躍る太陽、三色旗の下に、我ぞ覇者、オール慶應の歌、Vvictory March,ダッシュケイオー、おお わが 慶應、王者ぞ我ら、ファイトケイオー、かとうけいおう、 天は晴れたり、慶應行進曲他(天は晴れたりは明治39年作 作詞の桜井弥一郎さんは慶応野球部のエースで大先輩、僕が学生の頃には確か2度、合宿所に来られた記憶がある)

<カレッジソング>丘の上、慶應讃歌、日本の誇り他

<塾歌・一貫教育校(小、中、高)の歌> 割愛。

兎に角、慶応が歌を作ると、それに対抗して早稲田が作る。と言うような対抗意識で数多くの歌が作られたようだ。古関裕而先生などは両校の歌に関係されて居る。

・1時間半程歌い継いだ後、コーヒー・ブレイク約10分。其の後は此れが驚いた。「最後の早慶戦」と言う講談で始まった。まあ、慶応には色んな人材が居るものだ。最後の早慶戦は第二次大戦の学徒出陣を前にして学徒動員になる学生のために「野球の早慶戦をやろう」と言う有名な話。野球部OBの松尾先輩(昭和28年卒当日の試合に参加していた人。元毎日新聞のスポーツ記者)の著書にもある題材だ。「最後の早慶戦」に参加した松尾さんの話が定番になっているが、講談は少し、小泉先生、飛田穂州先生のやり取りにウエイトが掛かっていたように感じたが、初めて聞いた新鮮な「最後の早慶戦」でした。凄い人がいるもんで驚きました。演者は若林鶴雲と言う師匠:昭和47年商学部卒 体育会弓術部出身 現在 慶應義塾女子高等学校弓術部監督 本名 若林 誠二

・ プロフイル:昭和24年(1949年)東京都台東区生まれ。
サラリーマン生活の傍ら、平成5年(1993年)から始った故・田辺一鶴師主宰の講談大学(講談教室)に通い講談を学ぶ。平成7年(1995年)に講談親睦会(こうだんむつみかい)という講談の勉強会兼親睦団体(現在会員数35名)を設立、代表幹事として現在まで様々な発表会をプロデュースしている。演じるネタは多岐にわたるが、中でも忠臣蔵ものを最も得意としている。平成21年(2009年)に財団法人中央義士会(創設104年目の元禄赤穂事件研究団体)の忠臣蔵博士検定に合格、パフォーマンスとしての忠臣蔵を語るとともに、会社を定年退職(38年間勤務)した後は、史実としての忠臣蔵研究にも力を注いでいる。現在は都内を中心に社会福祉施設や地元の敬老会などで講談を披露している。また、毎年2月4日には熊本県山鹿市の日輪寺(注)で開催される「義士まつり」で忠臣蔵の講談を披露している。

 

  長島昭久君    photo by Chikyu

☆ エンデイング (Mail to Ban)

昨日は、充実した楽しい会合有難う御座いました。 

大分同級生が居なくなり、特に今年は荻野、奥田両君は残念でした。荻野君のお嬢さんは、日産の秘書室に居るし、知久、荻野は同じクラス、荻野は西永福に住んでいて浜田山とは隣り合わせ、通学もよく一緒にでした。一年春の早慶戦で、僕が球拾いで始めて神宮球場に学生服でグランドに出た時、荻野君の「増田!」と言う応援で上がってしまいました。31年秋の優勝の時、納会が山食で開かれ、天皇杯で乾杯の回し飲みがありました。僕の順番が来たとき、「思いっきり一杯呑もう」としていたら又荻野君が僕の名前を叫んでくれて、余り呑めませんでした。まあ、本当に良い想い出です。

さて、応援団の皆さんよく声も出るし、バンさんの長島昭久さんの紹介もさすが心得たものでしたね。講談が又良かったです。野球部では当時阪井さんのサブで、「最後の早慶戦」に参加した松尾さんの話が定番になっていますが、今日の話は少し、小泉先生、飛田穂州先生のやり取りにウエイトが掛かっていたように感じ、新鮮な「最後の早慶戦」でした。凄い人がいるもので驚きました。須永、荻野、知久高2の時、三保敬も同じ組、須永は「艇差一尺」の話もう、し飽きたのかな... 配られたコピー「偕行」「慶応義塾戦没塾員追悼会」の記事も戦争を知っている僕らには歴史を継いでいる皆様に敬意を表します。

早稲田の岩上元監督は、一緒に来る予定でしたが体調不良で欠席しましたが、楽しみにしていましたのに...彼は元僕の部下、監督に成ったとき、阿知波君に紹介したり、ゴルフも仲間なんです。野口公二君夫妻のお母さんは僕達の追いかけグループ、もう其の娘さんが野口夫人で、もう51歳だってね、驚きました。

駄文になりましたが、帰宅して色々考えました。リーダーの方達がお爺さんの代から孫の代まで一緒にプレーする事は他のスポーツでは殆ど出来ません。如何しても、年代別になってしまいます。「応援指導部」だけが一緒の舞台で演じられるのです。本当に「光陰矢の如き時代」に「歴史の大事さを継ぐ」にはとてもいい取り組みだと感じました。

来年も楽しみにしております。

 

P,S このブログも先日アクセス数が10万回を超えました。余り色々なことを書いているのでIndex

“Blog Massy-Academy”  Index ’15-4-14   に書いてあり、中でも「野球」について物が多くあります。お暇な時に見てください。

URL: http://blog.goo.ne.jp/massy-academy 

 


“6月雑感”    ’15-6-9

2015-06-09 07:33:53 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

・光陰矢の如し

今月は父親の祥月命日が来る。1964年没だから、50年を過ぎる。最近やけに昔の諺が身に沁みる。「光陰矢の如し」なんて、いつも感じてはいたが殊更に強く感じる。昨年、ブログ人からGooにサーバーが変わったが、今まで書き溜めた物も無事に保存が出来た。使い勝手はGooも色々良いが其のうちの一つに一年前に書いた記事がサイドに出て来る。便利と同時に「ついこの間、書いた様な気」がして改めて「月日の経つのが早いな...」と感じる。「小保方問題」なんて正に其の内の一つだ。結局、何かうやむやのうちに終わってしまって、「本人の意見」なんて何処のマスコミも報道しない。「東北震災」も「北の拉致問題」も一つも進展しない。それで居て「光陰矢の如し」だ。

・何故時間が経つのが早いのだろう?

正直2000年迄、現役時代は本当に良く働いた。自分でもそう思う。1970年位まで、特に1961年~1967年位までは目茶目茶に働いた。職場は、会社で心臓部分の業務の係長、最高時には月4000台の仕入れと配車、登録を20人位のスタッフとやっていた。労組の副委員長、野球部の監督、一日2時間で週3日の練習、土曜日日曜日は試合、年間120試合位やっていたのだから、本当に良くやったものだ。月の残業が70時間位。それでも、あの頃はそんなに月日の経つのが早いとは感じなかった。1964年には、結婚する事にしていたが、父親が病に倒れ、亡くなり、葬式を出した。父の看病はワイフが手伝って呉れた。当時の労使交渉は4月の定期昇給、春、冬の一時金と年三回の団体交渉があった。父の葬式で「親戚にもワイフは会っているし、お金もないしもう結婚式は辞めよう」と思っていたら、母親の姉妹の伯母さん達に「弘さん、奥さんになる人が可哀想よ。式だけは挙げなさい」と言われて、父の100ヶ日が済んで急遽式を挙げる事にした。要するにこの年は、経済要求3回と父の葬式と結婚式とを一年でしたのである。全部一人で決めたので、今考えると「本当に無事に全てをやれたなァ」と思うが余り時間が経つのが早いとは感じなかった。さすがに野球の監督は1963年の東京代表(準硬式だが)を最後に親友遠間君に変わって貰った。何故なんだろう?あんな色んな事がやれたんだろう...「若かった...?」「時代も高度成長へ向かっていた」「コンピュターがそんなに進んでいなかった」「いや皆がやる気が出るような何かがあった」一日の24時間は今とは変わっていない。自然界の季節は昔と同じように動いている。今の時代は超高齢化が進んでいるので、「将来に希望が持てない?」「やっぱり政治への不信が大きいのでは無いだろうか?」モット大きな日本の目標が明確にあれば...そして、其の「大」目標に対して、時系列で「中、近」の目標があれば時間の使い方が変わって来るのではないだろうか?

・事件が余りに次々と起こりすぎる

地震、津波、解決できない原子力問題、噴火、戦争、不正、(特にスポーツ界の不正)、金融機関の不正も目に付く。屹度、マスコミに出る前に始末されている事件も多いだろう。それにしても日本だけでなく、世界中で事件が多いのだから、本当にどうしようもない。

・マスコミが矢張り問題

最近のマスコミを見ていると、表面の事件を追うのに懸命になっている。テレビでもアナウンサーのミスが目に付く。ITの発達で新聞、テレビに出るニュースはホンの一部でしかない。それとマスコミの記事で目に付くのが「倫理観と歴史についての知識不足だ」社会はドンドン若い人に変わって行くが、新しいITの知識だけでもドンドン進んで行く。電車の中で、約85%の人は携帯をいじっている。偶にチラッと覗いて見るが殆どがゲームか何かだ。そして、携帯やPCのメーカーは次々に新しいものを出して行く。本当に困った時代に成った物だ。日刊スポーツなんて、半分は競馬、競輪の情報に紙面を割いている。専門紙が成り立たなく成ったのだから仕様が無いかもしれないが、この辺もマスコミの検討課題だ。然し、マスコミに載って知名度が上がる事は、確かに儲かることも事実だ。

 ・国連を強くするには如何したらいいのか?

さて、「通行区分の世界統一」をレポートしてから、「統一」と言う事が凄く大事だし難しい事だと「痛感」している。日本の国内だけでも野球のボールさえ、やっと出来た「統一」だ。矢張り世界の強い国(経済か?軍事力か?)の徹底したリードが必要なのだろう。或いはこの時代の大きな変わり目の時には、大きな戦争が起こるかも知れない。もう一つは、世界人口1,5人当たり、自動車保有が1台位になるまで過当競争が続き、次の時代を考える事が出来ないかも知れない。其の後、世界平和を求めて国連強化の必要性が強く出てくるのかも知れない。

 


"Diary 101" '15-5-5

2015-06-02 07:48:55 | Massy's Opinion

☆5・1 豊川様

メーデー代々木公園には、例年通りパレードの準備で人が大勢集まっていた。然し、余り活気は感じられなかった。目に付くのは、手間仕事の職人さん達の組合で若い人が多かった事。表参道から246を豊川さんに向かったが、数年前からメーデーのパレードのコースが変わったので道路は空いていた。昔は、5月1日の豊川さんは行進の一休みをする人で一杯だったが、今は、お茶屋さんもガラガラ。僕も若い時、メーデーのパレードに参加していた頃を思い出したが、今の行進の熱気は昔とは全然違う。勤労者の組合離れは凄く大きくなったなと感じた。賃金交渉で経団連と全労の間に政府が介在したり、本当に日本は大きな変わり目のど真ん中だ。

☆5・2 T & Y ランチ

T君の近況報告会。お世話になった亀兄いにその後の報告のため、3人でイタリアンの会食。彼は、忙しくヤンゴンと大森の間を飛び回って居るようで、今、仕事に最高の遣り甲斐を感じて幸せだろう...日本に留学していた連中で、僕のお世話した連中の80%は、日本でも母国でも生き生きとしている。

☆5・11 日吉倶楽部総会

例年銀座4丁目のサッポロ・ライオンが会場だったが、今流行の銀座のビルの建て直しでサッポロ本館に会場が変わった。今年は上田監督の交代の話がメイン。後任は森林助監督上田監督は健康上の問題もあり、副部長として残るので、今年の夏迄で交代するとの事。長期間本当にご苦労様。時は流れて野球部OBで学校の先生から監督が選べるように成った。僕らの時代から比べると本当に恵まれてきた。監督問題はいつも問題があったから...5回生の黒松君と随分話し合ったものだ...上田専任監督が生まれて喜んだのがつい昨日のように思い出される。何か猛烈に年を取った気がする。

☆5・14 21世紀の会 銀座 綿半ギャラリー 於

綿半社長の野原さんが長野県の観光協会の理事長になり、県の東京事務所を銀座の5丁目に移して来た。1階は長野県産品の売り場、5階に綿半のギャラリーを造り、イベントホールにしてある。そこのお披露目を「21世紀の会」会場にして例会を開く。講演は野原さんらしく「日本酒を美味しく呑もう!」と言う「玉岡あずみ」さんと言う「利き酒師」による「酒税法による清酒の定義」の話。ワイングラス4つに4種類の長野の銘酒が入っていて、付け出しが野沢菜等による3種類付いていた。いつも安酒ばかり飲んでいるが、解説を聞いて付け出しとの取り合わせが絶妙。本当に洒落た会だった。野原さん今までの勉強の成果が一気に花開いて、銀座の隠れポイントになるだろう。リニアーは通るし、長野県盛り上がるだろう。

 ☆5・15 平田杯 沼津C/C

今年、2度目のゴルフ。二組のスモールコンペ。久しぶりの沼津景色も良く楽しかったが、後半最後の3ホールは突然の凄い霧。フロントのテイーグラウンドしか見えなかった。19番ホールが気の置けない仲間で盛り上がる事。幾つになっても男はレデイースが入ると調子が出る。

☆5・16 無心会 三菱クラブ

慶応義塾大学32年卒の体育会メンバーの同窓会を「無心会(うらなし)」と言う。年一回3つの部が幹事を務める。今年はレスリング部が中心幹事部で会場は東京駅前の三菱商事ビル。宮城を見渡す豪華な会場。出し物がハワイアン・ショウでレスのT君がフラダンスを踊り、自動車部のS君がボーカル、空手部のO君がウクレレ、ダンサーは若いダンサーが20人位出た。T君はフラの有名な先生の代理を務める年季の入ったプロ。レスのH親分が資金援助をしたようだ。中々の楽しい会だった。来年の幹事部は、日本舞踊でもやるのかな?...

 ☆5・23 八丁堀管理組合総会

恒例の総会今年は組合長の熱心な呼びかけで、ご婦人の参加も3名。無事に議案可決で終了。大規模修繕、修繕積立金の増額等も方向の確認は出来た。何処のマンションでも大変だろう。

☆5・29人間ギャラリー 児玉光史 於 銀座綿半ギャラリー

5・14に続いて今月2度目の綿半ギャラリー。僕は不思議と長野県の知り合いが多く、野原理事長が「何を考えているのか?」解らなかったが、児玉光史さんと理事長のトークショウで狙いが解った。児玉さんは「株式会社地元カンパニー」と言う会社を立ち上げて、「東京に居る長野出身者で長野県の振興をはかろう」と言う事。口コミ、ネット等で呼びかけ、約80人位の人が集まっていた。野原さんの挨拶、児玉さんの6・4までのイベントの趣旨説明、懇談、話したい人の自己プレゼン等と続く平均年齢30歳女性30%皆どんどんマイクを持って、自分の「想い」を話していた。若い人のエネルギーに驚く。僕は長野生まれのS嬢を連れて行ったが、彼女は野原さんの遠いい親戚。会の雰囲気は、企画、進行とも若い人が活発に動いていて立派なもの、「アフリカ野球友の会」に似ていた。このギャラリーには安倍総理夫人も見学にいらしたとか...

☆5・30・31早慶戦

ストレート勝ちをすれば早稲田とプレーオフで優勝が決まると言うシーズンになった。 30日の第一試合予想通りのスタメン加藤VS大竹、慶応3安打の完封負け。此れで優勝は早稲田に決まった。応援指導部の呼び掛けで、球場は久しぶりの超満員。然し、慶応は相変わらずのフライアウトが多い。第二戦はさすがに優勝が決まり、空いていたが中身の乏しい慶応野球、投手の力みと捕手のキャッチングの拙さが目に付く。前回のブログにも書いたが、秋までに大きいのを狙う打線の改造とコントロールの良い投球を目指す事だ。何か盛り上がりを感じない、シーズンだった。キャッチャーの山なりの投手への返球。(生来,弱肩なのに凄い努力をしてレギュラーになった捕手のE,M先輩、どんなときでもピッチャーにピチーッと水平なボールを返していたのが想いだされる)試合前のフリーバッテイング。慶応は大振り、早稲田はセンター返しこの辺から治して欲しい。大久保監督の手腕に期待する。