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”テレワーク”   ’20-5-26

2020-05-25 21:37:29 | Megu's Sports

★Megu's Sports

・先週のおやじのブログ、“テレワーク”と仕事の形態について書いている。“テレワーク”って、なんの略なんでしょうか。これも、日本人が作り出した日本語英語のひとつ?アメリカ英語では, “telecomuute”, “work from home”, “work remortly”とか言っている。

・以前にも、書いたことがあったと思うけど、おやじ、年の割には考え方が今時のところもあれば、まだ古いCorporate Japanの観念にStuckしている部分もある。例えば、私の仕事のに対しての質問。“クライアント、週何人いるのか”、“仕事場では、売り上げ何番目なのか?”など聞いてくる。これは、Corporate Japan、特にセールスで教え込まれた、成績・業績の世界の考え方。私の仕事場は、ユニークな仕事形態。個人事業主が場所をシェアしている。Corporate Japan・セールスのコンセプトが当てはまらない。レートも、スケジュールもまちまち。目的・目標もまちまち。奥さんが働いていなくて子供がいる人や、片親で子供を育てている人は、彼らがBread Earners。母親で旦那が仕事していれば、子供が学校へ行っている時だけパートタイム(って、アルバイトって意味じゃなくて、フルタイムで働いていないってこと)で仕事。核家族者、独り者は、それなりの目的がある。でも、売り上げ一番が目的ではない。

また、日本企業の“長時間労働=働き者”のコンセプトも効率的ではない。また、日本企業の“良い社員”のイメージって、言われたことをしっかりやる、逆に言えば、結果を出したとしても、言われたこと以外のことをするとよく見られないって感じがある。受け身の教育を受けてきた私たち、受け身にしか働けないのだろうか。何%の人が、Entrepreneur 的精神で仕事をしているのか。

そんな中で、“テレワーク”。受け身で教育されてきた人々、自主性のない人には難しいかもしれない。家から仕事していれば、家族、生活の雑音などDistractionもある。効率性を上げるには、クリエイティブにならなければいけないこともある。一緒に働いている人とのコミュニケーションをうまく取ることが、普通以上に大切になってくる。などなどで、長い労働時間じゃなくて、時間をいかに有効に使うことができるかって。

・Virtualで仕事を始めて、2ヶ月になる。ライブでクライアントをトレーニングできることは、大変ラッキー。家にいて、Virtualだと、in-personほど肉体労働ではない。だけど、コンピューターのスクリーンを長時間見続ける、コネクションがよくなくて、聞き取りづらい・画面がフリーズするなどって、実際にin-personで仕事をするよりも、精神的に楽なわけではない。だから、おやじが思っているほど、“テレワーク”が、楽というわけではない。

いくら人とVirtualで話していると言っても、実際に人と会わないと、“人恋しく”なるものだ。Social Distancingが、長く続くと、特にテクノロジーに慣れてなくて、孤立している高齢者には、精神的に難しい状態になってくる。早く、ワクチンができて、今までの生活に戻れたら良いなと思う。

それまでは、お互いに気をつけないと。親父、“全く自由度が無くなった。やれ、マスクをしろ、手を洗え、日に当たれ、人は家の中へ入れるな...等異常に神経質に成って居っる”とか言ってるけど、健康でいることは自分のためだけじゃなくて、他の人の健康にも関わってくること。これは、神経質に成っているんじゃなくて、お互いへのエチケット。トランプやトランプ支持者のようなこと言うのは、やめな。

 

 

 

 


"コロナ~矛盾~未来”   ’20-5-19

2020-05-18 21:57:32 | Massy's Opinion

Massy’sOpinion

・早いもので、5月も半ばを過ぎる。 コロナ問題が起らなければ、六大学野球、春のシーズンの真っ盛りだろう。屹度、神宮のネット裏で、球友たちと顔を合わせ馬鹿っ話で、盛り上がっていた事だろう。此の休みの間、選手はそれぞれ自主トレに励んでいると思う。如何に真剣に自主トレを遣ったかの成果が秋には現れるだろう。

 

・僕は、3月のワイフの怪我から全く、今迄に経験した事の無いような暮らしを味わって居る。先ず3月、4月、5月の今日まで吉祥寺に一度行っただけ...渋谷にこんな期間行かなかった事は生まれて初めてだ。又、4月初め、ワイフが退院して来てからは、全く自由度が無くなった。やれ、マスクをしろ、手を洗え、日に当たれ、人は家の中へ入れるな...等異常に神経質に成って居っる。

 

・片一方では、銀行は浜田山支店で間に合わせているが、契約書等は全部「テレワーク」で済ましている。相手方も支店に行かずに「在宅勤務」パソコン、タブレット1台持たされて、これもかなり色々制約があるらしい。片一方ではワイフのリハビリは木、土の週二日、一日45分のskype megumiのコーチを受けている。否応なしにコロナ問題の落ち着いた後には世の中に大きな変化が訪れるだろう。今政府や行政が言って居る問題も「矛盾だらけだ」この3ヶ月の暮らしの中で将来を見通して色んなことを考えて見た。

 

・先ず、在宅勤務の所謂「半減出勤」だ。自分の家で仕事が出来るなら、企業は交通費を一ヶ月分払わなくて済むし、事務所のスペースも狭くて済む。更に進んで行けば、仕事は「委託」「請負」の形に成って行くだろう。年功序列型賃金は崩れて行く。今「仕事の仕方改革」と言って居るのは、「残業を減らそう」「休日を増やそう」と言う意味だと思うが、「請負」となれば自らの「稼ぎたいと言う欲」「能力」によって真逆の「労働強化」になって来る。

 

「契約業務」は日常の営業活動で根幹をなす業務だが主に実印と言う登録されている印鑑が重要であり、これがサインに変わるように成るだろう。此の為には、会社法、登記法等の関連法律の整備も必要だ。

 

・色々な会社は此れから徹底的な合理化と縮小をしなければ成らない。今乱立している超高層ビルは、賃料も高く入居者希望者は減って来るだろう。そして、不動産価格の格差は広がって行く。

 

・年功序列型、終身雇用制は既に終わりつつあるが、これからの若い人は、本当に自分が遣りたい仕事を十分に考えて、その道に合った勉強をしておかなくてはいけない。もう本当は大学受験の時には考えて置かなくてはいけない事だ。僕は、社会人に成った時からそう言う考え方で、部下にもそう言う指導をして来た。現実に営業に不向きな部下には、司法書士の資格を受けさせて、合格した。その後、自動車デイ―ラーには司法書士の設置が必要になり定年すぎても属人の資格が必要で会社に残って居た連中が二人いた。

 

・この2ケ月街の中を色んな角度から眺めて見た。夕食を食べに行くためだが、殆どの店が営業時間を短縮したり、テイクアウトにしたりしている。大体、飲み屋や中華料理屋も人数が一人でも多く入る様に席は「密着」している。銀行の待合席は一つ置きにテープが張ってあり密着をしないようにしてある。これから飲み屋なんかどんな席の作り方をして行くのだろう?飲み屋は対面で密着して話し合う中で人間関係が出来て行くんだから...

コロナが下火に成ったとしても、3は続けなくてはいけないだろう。ライブハウスやナイトクラブは無くなって仕舞うのか?或いは値段が高くなるのか?劇場はどうなるのか?

スポーツ・ジムはどうなるのだろう?日本では、健康保険が発達しているせいか、すぐ医者に飛び込んでしまう。アメリカでは、健康な体を維持するために、日頃から健康維持に自分でお金を払う。スポーツ・ジムのロッカーなんかはどうなるのだろう?本当に無味乾燥な街に成って仕舞うのか?いずれにしても社会が変わる事は間違いないだろう。

 

・自宅でテレワークと言っても、IT,AI等の知識もみんなが十分にあるとは思えない。この2ヶ月間ある意味では、時代に少し前に出た経験をしたので、いろんな事を考える。オリンピックは華美になりすぎて居る、この間テレビで、デーブ・スペクターさんが「オリンピックは止めた方がいい」と言うような発言をしていた。安倍さんも給料のカットをした。でも、程度が全然違う。安倍さん一人が無給宣言をすればいいのだ。取り巻きの忖度議員は周りの動向にキョロキョロするだろう。一人10万円の支給も一ヶ月なのか、コロナの終末迄なのか、解らない。消費税の全面カットが一番公平で永続性があるだろう。経済活動がコロナ以前に戻るのに3年は掛かると思う。根本的な国の予算の在り方を考える人は居ないのかなあ...

小池さんも解りやすいキャッチフレーズ「三密」で巧くマスコミに乗せたが、このコロナ終息の後の「未来の暮らし方」をどんな方向にしようとしているのか?明快にしてほしい。

 


"骨折記...”  ’20-5-12

2020-05-11 23:25:13 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion

・一番初めの怪我

僕は、今日に至るまで、手術と言う大きな怪我等で病院にお世話に成ったことは無い。本当に丈夫に生んでくれた両親に感謝である。親父は、52歳と言う若さで亡くなったが、それだけ総領として戦争に行った弟二人と仕事で朝鮮に行って居た姉さんの引き上げ後の面倒等、苦労したのだろう。寝込んだ時には、「回復はチョット難しいかな?」と感じていた。

僕は、扁桃腺の手術はしたが、太平洋戦争末期に浜田山へ越してきてからは良く「腺病質」とは言われた。しかし、現在まで年1度の健康診断も取り合えず無事に過ごして来た。慶応高校に入り、野球部に入ったが、兎に角部員の数が多いのに驚き球拾いに明け暮れていたが、2年の新チームに成る夏休みには、「よーし、自主トレーニングをしよう」と7月の夏休みには、毎日永福町往復のランニングと400本の素振りをして過ごした。小学校の友人から同窓の女子学生と山中湖へ誘われたが断った、この話はまた別の機会にするとして...

新チームの練習は81日から始まったが、渋谷の小口スポーツでアメリカ製のルイスビルスラッガーのベーブルイスモデルのバットを買って貰った忘れもしない1350円(当時、日本のバットは250円位)した。練習に行ってバッテイングをすると、マア、音が良い。「キーン」と言う金属音がする。直ぐ、目立ってしまいレギュラーにピックアップされた。秋の大会が始まり4番を打たされたことも有った。大会の終わりごろ或る日練習でトスバッテイングをしていた時、後ろから帰ってきたボールの上に、ジャンプして降りる時に乗って右足首をひねってしまった。あの時の痛さは今でもよく覚えて居る。痛くて歩けない、それでも我慢してバッテイング練習をして、監督からは「守備はしなくていい」と言われた。

大会が終わって、暫くしても痛くて仕様がないので、12月に入り整形外科で診て貰ったら,「骨が折れて、固まってしまって居る」と言われた。くるぶしが二つある様に成って居る。

それだから、スキー、スケート、コートバンの靴は履けないのである。これが、一番初めの怪我である。ビッコを引くことも無いし、野球をやる時に不自由を感じることは無かった。ルイスビルのバットも同じ球拾いをしていたK君に貸したら、練習で詰まって折ってしまった。この間、「おい、覚えて居るか?」と聞いたら、「全然覚えて居いないよ」と言う事でがっかりした。

 

2度目 大学1年時の骨折

当時、17名の1年生が居たが、阪井監督は優勝に遠ざかっていたもので、「チーム造りの構想を持っていた。衆樹を筆頭に、中田、日野が先ずレギュラー候補、練習も彼らが中心、後は2軍。バッテイングも一軍の練習が終わってからである。51日、暗くなってからベースランニングの練習があった。1塁から2塁への盗塁の練習である。珍しく阪井監督が見ていた。僕が滑ったら「Nice Sliding!」と褒められた。嬉しかったので、よせばいいのにもう一度やったら、ベースに近すぎて新しいスパイクが引っ掛かり、今度は本当に骨折をしてしまった。周りで上級生が「音がしたからおれたな」「指が動くから折れて居ないだろう、捻挫だ」とか言って居る声が聞こえた。今度は痛くて立てない。合宿所までの坂道を僕の親友N君が背負って呉れた。早速、慶應病院へ入院の手配をマネージャーがして呉れたが、病室が空いて居ないと言うので、親父の会社から車を出してもらい実家に帰った。6日の日に入院をした。病院では、直ぐ所定のレントゲン、診断ののち、骨に穴をあけて針金を通して錘を付けて牽引をするか、足首にテープで錘を巻き付けて牽引するか?と言う事に成り、結論的にはテープで錘を付けて牽引することに成った。折った方の右足は台の上に載せ、錘を付けて正常な位置に戻って骨が付く迄、寝たきりの状態だった。

 

・入院 6月一杯

幸運なことにこの入院の間、「野球による骨折の具体的な例」と言う事で、医学部生の講義のモデルに使われた。毎週金曜日の午前中、階段教室の真ん中に寝台に乗って運ばれて、レントゲン写真の拡大版で先生が講義をする。僕は、足が駄目なだけで講義が全部聞こえる。

「骨は大体20日間で、付く」とか、「筋肉が落ちて痩せてしまうので、マッサージが大事」とか、色んなことを聞くことが出来た。当時のギブスは石膏で固めたもので、一日置き位に処置室に行きギブスを外して、マッサージを受けた。又、ここで色んな出会いがあった。当時、大映スターズの主力打者慶応OBの飯島滋弥さんが外野のフェンス際でぶっかって足を痛め、僕と同じ様な状態でマッサージを受けに来ていて、後輩だと言う事でとても親しくして頂いた。インターンでは、丘の上クラブのNさんのお兄さん、同級生のK,Y君のお兄さん達ともお会いした。特に、晩年ワイフの股関節の手術の時に、Nさんには、色々アドバイスを貰い「慈恵」で手術を受けることにした。僕は春の試験の時には、ギブスを付けて日吉に行った。6月の20日頃退院して、自分でマッサーージをして、81日の練習に出るようになったのである。塾高一年上の人は3人大学の野球部に入っていたが、もうIさん一人しかおらず、同級生は4人入ったが二人は止めてしまった。又、球拾い生活が始まった。今考えるとこの入院生活は、悪くなる心配はなく、特にリハビリ室でのマッサージは重いギブスが取れて、楽しかったし、夜の看護婦さんの見回りが楽しみだった。後にここで覚えたマッサージが、藤田さん(元巨人軍監督)を始め、ブルペンでピッチングの練習が終わると殆どが肘のマッサージで結構重宝がられた。

 

・人工股関節

結婚後、20年位して、会社の商売替えをした。可成りのハードワークの連続だった。其の頃から、ワイフは腰が痛いと言うようになった。僕は、一番信用できる人と思って、当時開業をしていた前記のNさんの所へ相談にいった。「今、人工関節については、慈恵の連中が進んでいるよ」と言われた。当時、巨人軍の槇原投手が膝の手術を慈恵で遣り順調にカンバックをしていた。整形外科部長の故藤井先生が膝関節では一番と言われていたので、外来で飛び込んだ。診断の結果、「人工関節にしなければ痛みは取れない」と言う診断で、本人も手術をすると言う事だった。幸いと言うか、藤井先生は、浜田山在住、飼っている犬が、ゴールデンレトリーバーと解り、一気に親近感が湧いた。色々、手術の手順をお聞きしたが、血液は自分の物を使い、輸血に依る余病の感染を防ぐとか、事前の検診を十分にやる事などを聞いて、「健康な体」でないと施術しない事が解った。人工関節は合金を使うので、如何しても経年数劣化が起る。左右の寸法が変わって来るので、内臓への障害も起こる。個人差はあるが20年たてば再手術が必要になって来る。ワイフは、それで再手術をしたが、その退院間じかで大腿骨の骨折が起きた。そこで、ステムを入れる手術をした。それから、15年で今回の骨折が起った。これは家の中での転倒である。僕の骨折、ワイフの人工関節の再度の置換これでは、整形外科の知識は増えて当然だろう。何人もの人にアドバイスを求められたりしてきたが、その時、一番頭に浮かぶのは、慈恵の創設者高木先生の言葉、「病気を診ずして、病人をみよ」である。

 

・リハビリティション

さて、最後に成ったが、此の僕の17歳から85歳に至る約70年の整形外科との付き合いで、リハビリティションの大切さを十分に知った。そして、骨と同じ位に大切な「筋肉と腱」である。僕の時は、ギブスを着けたまま20日位は歩いていた。今では、手術が終わると、直ぐ、リハビリと言う考え方に変わって来ている。昔は、病院の廊下を歩くことがリハビリだったが、今は大きな病院では、リハビリ専門病院が出来ている。megumiがアメリカ・サンノゼでパーソナルトレイナーをしているが、これはワイフの事で選んだ職業ではない。

むしろ、自分の意志でNATAと言う資格を取って自立をして居る。今回のコロナ騒ぎでアメリカのGYMも閉鎖されている。全部、テレワークでやって居るそうだ。そこで、我が家ではSKYPEmegumi がトレイナーでメニュウを組み、僕がアシスタントでSkype camera を動かし1時間のリハビリを週2回やって居る。(Skypeの無い日もメニュウをこなしている)僕も、megumiの先生の実演等に同伴して色んな大学を見ている。スタンフォード、サンノゼ大学、サンタクララ水泳場、神奈川大学、順天堂大学、早稲田大学、法政大学、呉竹学園等(勿論、慶応も)である。今回、初めてmegumiの本格的なトレイナーぶりを見ているが、正直な処、いいトレイナーだと思う。非常に細かい動き迄メニュウに組まれているが、全てが正しいフォームに結びつく様なメニュウである。紙面の事もあり、詳細は又の機会にするが、ワイフも頑張り屋だし僕のアシスタントでmegumiとのコンビは最高のコラボだと思う。

 

 


"Diary 160" '20-5-5

2020-05-04 16:16:15 | Massy's Opinion

★Massy's Opinion

  • Massy’s Opinionでも本当に、85年ぶりに何の予定も、自分から断ったのではなく、全く奇麗な白紙の予定表。 
  • ワイフが骨折をしてから、まる2ケ月、丁度コロナ問題のスタート時期と重った。
  • コロナのお陰って云うと不見識と怒られてしまうが、3月の色んな集会が「東京日産神宮ネット裏懇親会」を始めとして、全部キャンセルに成った。4月も3月と同じで外部に出る予定は何にもない。ワイフの怪我は、幸いに即日手術、翌日からリハビリと言う展開、凄くタイムリーに対処できたので本当に幸いだった。それでも、3月一杯は入院で、折からのコロナで面会謝絶ながら、着替えを運んだり、病院通いに集中できたので良かった。それ以降のリハビリテイションは、在宅で、Megu と週2回skypeを使いコーチを受けている。アメリカでもGymは閉鎖で、同じような遣り方で仕事をしているのでトレイナーもワイフも違和感はない。幸い、我が家は廊下も広いし、室内用バイク、ポール、ボール、腹筋マシーンもそろって居るので、環境は良い。Meguのメニュウは可成りハード、「成程な」と頷かされるメニューに成って居る。僕がアシスタント・コーチで、skypeのカメラを動かしながら、最高のテレワークの実践である。去年の年末かな、PC使って「Meguのメニュウを宣伝して日本人の高齢者に売ろうよ...」と言った事があるが、このジムの業界も急速に変化して来ると思う。
  • その代り、テレワークと言う時代の先取りを実践することが出来て、5月5日の子供の日にUpdateできる...
  • Diary 160回に成るのに、こんな形でブログを書くなんて、夢にも思は無かった。

 

* Exp. Megu’s “Rehab of the current rehab” 

Meguの リハビリについての考え方が書かれている。下記 URL

https://blog.goo.ne.jp/massy-academy/m/200902

 

あらゆるマスコミ、新聞、テレビ、週刊誌、コロナ問題ばかり、しかも、国内特に東京の事が一番多い。まあ、日本の中心だから致し方ないだろうが、モット世界のコロナ問題が知りたい。日本人の回りに対する注意の不足は酷い人も居るようだが、余り、アジテイトする様な記事が多すぎるように思う。補償問題に対する業種の区分けが政府と東京都と食い違うのもこの問題の難しさを感じさせられる。本当にこんな状態で、又一月封鎖を延長し、果たして、経済の建て直しが出来るのだろうか?この問題を見ていると明らかに安倍総理のリーダーシップの足りなさが露見してきた。マスコミの論調も補償の支給問題で賑わっているが、政府が恩に着せて補償するような取り上げ方が多い。忘れていけないのは全ての財源は国税、地方税含めて税金だと言う事だ。歳費のカット何て言って居るが、前回も書いたが、安倍さんが「私は無給にします」と言えば良いんだ。

周りの議員は、顔を見合わせて自分の態度を決めるだろう。そして、此の緊急事態では消費税の撤廃が一番公平だ。僕の経験では、会社でも労働組合でも委員会の多い組織は無責任組織に成ってしまう。

・来年のオリムピックは中止だ

これも早く結論を出すことだ。ウイルスの対策は、対処薬が出来る事、予防薬が出来ることが第一だろう。新規感染が減ったと言ってもそれで収束ではない。政府も対象薬の認可を急ぐとか、特段の体制は取って居るようだが、この緊急事態の回復には2倍の時間が掛かるだろう。東京オリンピックは、中止しなくては東京、日本が駄目になってしまう。大企業も零細企業も痛みすぎた。三越伊勢丹なんかズット閉店が続くのではないか?自動車メーカーは此れも昔日の面影は遠くに行ってしまうだろう。

・この2ヶ月は、色々と新しい体験をさせて貰った。一つは銀行である。借り入れの契約書をIT化する事だ。従来、取引店に出向いて更新の手続きをしていたが、在宅の担当員とPC,コピー機、faxを駆使して、半日やり取りをして終わった。手続き変更の案内が来ていた、面倒なことも有り放って置いたが、遂に覚悟をして取組んだのだ。先方担当者も在宅の時に何軒かの顧客の電算化を指示されて居るのだろう。幸い出来のいい頭のいい担当だったので大いに助かった。

・さてこんな2ケ月を送って考えて見た。在宅でやって居る社員は、会社へ出る必要はない。会社も、高い家賃を払い、広い場所を確保しておく必要も無くなる。高い年功序列型給料を払う必要も無くなる。一般サラリーマンも今回のウイルス問題と行動制限で色々と考えるはずだ。これから20年後の日本はどうなって行くのだろう?また次の機会に考えて見たい。トヨタがNTTと合弁した部分があるようだが、僕は、トヨタが良い逃げ道を作ったように見える。兎に角、世界経済をリードしていたアメリカと中国があの状態では日本の生きて行く道を本当に発想を変えなくて...それは縮少均衡だろう。