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advice for consumer

“Stereotype”        ‘17-4-25

2017-04-25 22:22:31 | Megu's Sports

 ★MEGU’S SORT.      

 “Cute vs. Cool” : 先日、Facebookのポストで見たもの:“やっぱり走っている人はカッコいい!街で、公園で、皇居で。お洒落ランナーをスナップ!~美女はヒラヒラ編~”(http://number.bunshun.jp/articles/-/827769)日本人は、何をするのにでも、お洒落ですね〜。とは、言っても彼女たちがパフォーマンスを重視するアスリートだったら、着るものも、違うんでしょうね。健康維持のために運動をするということは大切なのですが、日本人、いつも外見から入っているようにしか見えないのは、気のせいでしょうか。目的、根拠、動機が何であれ、体を動かすことはいいことなので、外見はどうでもいいのですが。 それでも、”Can you really run in that skirt???”と言いたくなってしまい、文化的な違いに気づかされるわけです。アジア文化、特に日本では、”Cute”(かわいい)が、”Cool” (かっこいい)になることが多いですよね。この記事を見て、彼女たち、確かに“かわいい“のだけど、“カッコいい!”では、ないと思いません?IntsagramでフォローしているWomenlabsports (https://www.instagram.com/womenlabsports/) のページ。これこそが、お洒落で “Cool”な、女性アスリートの例・イメージ。メディアって、人々に影響のあるもの。そして、メディアが、物事の “こうあるべきだ”というイメージを作っていき、社会に浸透させる。これらの違いを見てもわかるように、日本の女性のイメージ は、かわいい/おしとやか/助けてあげたくなるvs. アメリカ人の理想としてるイメージStrong, Independent, Muscle(haha…!)から、かけ離れていますね。

 ・“浅田真央vs.安藤美姫”:日本のニュースをオンラインで見ていた時に、この記事に目がついた:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000055-zdn_mkt-bus_all  真央ちゃん、長い選手生活、お疲れ様でした。トップから落ちつつも選手生活を続けるということは、どんなアスリートにとっても容易なことではありません。この記事は、清楚な真央ちゃんと、奔放な安藤美姫の比較。上記でも言ったように、イメージが物を言います。ニュースで耳にすることは、事実ながら、実際に状況を把握しているオーディエンスは少なく、どのようにニュースが伝えられるかによって、その人・物事のイメージが変わってしまう。二人とも日本のフィギュアを引っ張ってきた選手。私は、どちらのファンでというのではないのですが、奔放で嫌われがちな安藤美姫が、かわいそうだと思うのです。この記事の著作の言う様に、多くのオーディエンスが、安藤美姫の“自分がやりたくてもできない”生き方に嫉妬しているのでしょう。また、型にはまっていることが、安定している・心地の良いとなりがちな日本の文化では、“清楚”が, “Out of the Box” の行動に勝りますね。世代が変わって、型にはまらない人たちの割合が増えてきたと思います。これからの日本、世間体を気にせず、“型”にはまらないで、個性と独自のライフスタイルを築く人を、受け入れる社会になって欲しいものです。

・“Person vs. Women/Man”: この間 、”How do you describe yourself as a women?”という質問を受けた。私の答えは、“I prefer a question ‘how do you describe yourself as a PERSON’”。いくらアジア圏に比べて男女差別の少ない(少なくなっている)アメリカでも、性別のStereotypingがあるわけで。シリコンバレーでは、まれですが、まだまだ1950年代の考え方を持っている人も居るのです。私自身、性別よりも“人”としての特徴、意思、行動が先に立つべきだと思っているのですが。

 

 

 

 


“Advice for Consumer” ’17-4-18

2017-04-18 07:31:19 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

 

・このブログのサブ・タイトルは“Advice for Consumer“ 「消費者よ利巧になろう」だった。時間を重ねて行く内に本題から反れてしまった気もする。冒頭に「人間には、supplier とconsumerの二面性がある」と書いた事がある。最近の話で、ドキュメンタリーを書いてみよう。

 

・約一ヶ月位前、Bさんと言う古いお客様から、電話が掛かってきた。この人は僕が東京日産で渋谷の営業所長をしている時代にダットサン810型を買ってくれたお客様である。確か、初めて車を持った筈だ。未だその頃は、学校卒業したばかりだった様に記憶している。

 

車好きで確か定期整備の時に、自分で繋ぎの作業服を買い込んで作業を見ていた事を覚えている。あれから、僕が日産特販に変わった時も田園調布のお宅から、芝浦まで定期整備に来てくれた事がある。いまだにその時の810に乗られているのだ。都合、約40年近く乗っていて未だ100000キロにいっていないとか...僕も愛車は、日産フィガロ調子は良いし、限定車で面白い造りの車だし、こよなく愛しているが、もう25年経つのだ。

ボツボツゴム類の部品は無くなるし、色々悩んでいるが、Bさんの愛車精神も解らないではない。彼曰く最近、「何となくエンジンの音がカリカリ言う感じがするのだけれど、何が原因ですかね?」と言うのが電話の内容である。「僕ももう現場を離れているし、現車も見ていないから解りませんがね。ラジエターにファンがあたって居ませんか?」これは昔、結構あったことだが、エンジンのマウントのゴムが傷んだりするとエンジンが少し前にでてファンがラジエターに擦り音が出る事がある。後は、エンジンの回転も上がるし、酷い異音ではないと言う。「修理に行こうと思っても、修理工場が無いんですよ。ニスモの下請けの小さいサハリー・モーターに聞いて見ようかな?」僕は、年式を考えて「その方が良いかも知れませんね...」と言う返事をした。「日産のお客様相談室に電話しても、全然冷たく、ディーラーに聞いてみてくれ」と言う返事。「車を見ようともしない。感じですよ」「無理ですよ、もう人も変わっているし...解る人居ませんよ」結局、サファリー・モーターに持っていって、「まー、ラジエター大丈夫ですよ...暫く様子を見て下さいよ」と言うことになりBさんも新車に替えようかという気持ちになっている。今度は彼に「何の車が良いのか?」と言われても進める車がない。かなり経済的知識を持っている人なので、「本田、鈴木は如何も会社が危ないよね」「車はスバルが面白いですよ」「兎に角、トヨタは家の近くに無いし、いやなんですよ...」その後、トヨタ、ホンダのディーラーに電話したが、セールスが「3日経っても来ない」と言う話である。車の記事と言へば、「自動運転自動車」の記事ばかり、自動車の国内販売が良くならないのも末端では、こんな話もあるのだ。先日国会参議院の予算委員会で民進党の質問に「現付自転車の税金区分が自動車交通法、道路運送車両法、道路運送法で異なる。統一が出来ない物か?」と言う質問が出た。国土交通大臣が「それぞれの法律の目的が異なるので...」と言う簡単な答弁で終わってしまった。質問する委員も「自動車六法」が良く解っていないのだろう。まだまだ、古い車を乗っている人もいる。メーカーやディーラーは、そう言う超古い車だけの整備、ユーザーの疑問や相談相手になる部署を設けるべきだと思う。

 

・僕は昔、中古車の価格表示や品質の表示を正しくし手、消費者にわかり易くしようと言う活動を随分やった。それで、たまに自動車ディーラーのショウルームを覗くとすぐ価格表示に目が行く。そのメーカーが、あるいは販売店の店長がどの位、消費者問題を考えているか?良く解る。最近では、堂々と「新古車」と表示している所もある。昔は、新古車は販売店としては、新車が売れないと言う事で、「恥」と言う感覚があったものだが、今では「安売り」の手法の一つだ。資本の移動は激しいし、時代は変わってきている。

 

・最近、物凄いスピードで末端の機構が変わりつつある。黙って見ているとブランドは其の侭で、資本は変わっているケースが多い。目に付くのが、経験上コヒー・ショップだ。一時期のスタバーの拡大方針が、下火になると、コメダとか椿屋とかの店舗が目立つ。魚屋、八百屋が減ってきて、我が家の近所では人気の肉屋さんが閉店してしまった。結局、スーパーで買わなければ成らない。ワイフは「肉は何処で買おうかしら?」「やめた肉屋さんが何処で買うのか聞いてみたら一番確かだよ」我が家の傍には、「イイダ」「成城石井」「西友」「ローソン」「セブンイレブン」「ファミマ」とスーパー、コンビニが揃っている。微妙な価格や品質で激戦をしているが、「成城石井」は最近、製造元「成城石井」ブランドが多い。そんな色んな工場を持っている筈は無いし、魚や肉だって何処で取れたのか?何処産だか?何て解りやしない。結局、その店のブランド、信用度で購入する事になる。消費者は、商品の裏の表示を先ずよく読むことが必要だし、一層の勉強が必要だ。

 

 


“Letter To 向井万起男先生”     ‘17-4-11

2017-04-11 07:53:40 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

「スコアー・ブックの無い野球」

前略

ご無沙汰をいたしました。相変わらずのご健脚とご健筆、ご同慶の至りです。「大リーグが大好き」何時も楽しみに読ませて頂いて居ります。僕も出来ることなら先生の様な旅をしてみたい物だと常々思っております。

昨年末には、「右投げ左打ち」の話に、本当に面白い、当時の監督の好みとか、野球観等、昔の話が仲間と盛り上がりました。昨今では「右投げ左打ち」は当たり前のようになって来まして、僕みたいな見方をする野球選手も居なくなりましたね。又、僕のように「スコアブックの無い野球」ばかり遣っていた者には当然写真も少ないのです。気に入った写真をFace Book のトップに昔の写真を載せていますが、先日、ある人(慶応37年?位の卒業の人)から「増田さん、あの写真幾つの時ですか?」と聞かれました。

兎に角、仲間3人と色んなチームにトラ(エキストラ=助っ人)として殆ど毎週のように試合を探して、出ていました。帰りは「東京温泉、マージャンで時間つぶして、キャバレーウルワシ」がパターンでした。昭和35年に会社の野球部が出来、監督を仰せつかりましたが、硬式のチームの予定が諸般の事情と折からのモータリゼイションの影響でグランド用地が車置き場になってしまい、結局、軟式と準硬式で都連盟に参加しました。港区は町の早朝野球のcクラスから日石、日通、等の硬式崩れ、大田区なんかは立正佼成会が硬式になる前で後に巨人へ行ったショート黒江、投手は、中日の背面投げで有名な小川投手がエースでした。昭和35年には、77勝4敗、38年立正佼成会に2対1で勝って最後の決勝戦は安田生命と9回裏さよなら勝ちして、東京代表になりました。この優勝まで出られる大会には殆ど全部出ましたが、年間100試合以上ゲームをしました。全部がトーナメント、練習は週三日2時間ずつ、部員は45人位居ましたが、二チームに分けて掛け持ちで大会に参加したりしました。マネージャーは3人居ましたが、スコア・ブックを管理していた奴が急性で病死してそれ以来、引継ぎが悪く、本社の移転等があり記録は全部不明になってしまいました。

兎に角、一年に110試合位遣りまして、専務から「増田君、遣りすぎだよ。プロ野球だって年間120試合だよ」と叱られました。もしスコア・ブックがあれば、驚くような記録が残っていたかもしれません。兎に角、全部がトーナメント試合ですからね。1年目の81試合は全部投手石川(浅野高~立大)捕手黒澤(関東学院高~立大)のバッテリーで3点以上取られた試合は無かったと思います。打撃は皆硬式から変わったばかりで、中々打てません。従って、石川無しではこんな成績は(恐らく防禦率は0.5位だったでしょう)上げられなかったでしょう。流石、Aクラス(20チーム)に上がると強いチームばかりで投手の補強が必要で、黒田投手(日大三高~早稲田、甲子園出場)等を補強し、左投手2人のチームにしました。この頃は東京では、知る人ぞ知るチームになっていました。集めた選手の中には、「何でこいつが、神宮に出られないのかな?」と言う選手が数人居ました。処が使ってみると「肩、足、捕球の癖、どこかに不足な部分があるんですね」監督の立場が良く解りました。僕が今まで何百人の選手を見て来ましたが、左投手の中では(四日市高~慶応~国鉄スワローズ)巽投手とこの黒田投手が綺麗なフォームとインコースのストレート、カーブが印象に残る投手でした。黒田君は当時大洋ホエールズの監督だった別当さんに練習を見に来て貰いました。僕は、別当さんにはとても可愛がって貰いました、ゴルフの手ほどきもして貰いましたし,その時に頂いた名著ベン・ホーガンの「モダンゴルフ」を今度、大洋を辞めた、「山下大輔」君に上げました。別当さんがゴルフを始めたときの「野球とゴルフ」のスイングの違いなど、色んな技術的な書き込みが在るのです。サインでも入って居れば、お宝物ですが、そんな所まで、ただ感激で気が回りませんでした。大ちゃんなら、別当さんの筆跡を知っているかも...

さて、東京六大学リーグ戦が、開幕しましたが、期待の東大が余り変わった戦いぶりをしていないので多少球趣を盛り上げる意味では、ガッカリしました。前のブログに書きましたが六大学には「六球会」と言う野球、ゴルフの懇親会が在ります。30年近い時を経て、組織もシッカリとしてきました。今年からは色々な記録もキチンと取るように成ったようです。僕は先輩諸兄に命令されて、参加しだしてから慶早戦を5回やりました。雨で中止の年も2回位あったので30年近くやった事になります。最後試合に出たのは、5年位前(78歳)でしょうか?代打で三遊間ヒットを綺麗に打ちました。これが最後ですから、自分としては「良くこれまで野球をやってきたな」と言う幸せを感じています。でも、これだけは最後に付け加えて置きましょう。参加する選手は、それなりにトレーニングをして来ている事、そして、グラウンドへ出て来て、改めて年齢を痛感することです。僕のやってきた野球はスコア・ブックの無い野球ばかりです。キット、凄い記録が隠れているかも....

向井先生最後に、先生の記事にBoston=Hubと言うのがありましたね?Meguに聞いてもこの間、Meguの先生でSFGiantsに顔の効く先生が来日したので、その時にも聞きましたが解りませんでした。意味を教えてください。キット、ヤンキースへ行く選手がルースを始め多いから、乗り換え地点と言う意味でしょうか?               早々

 

P,s1 東京蕪会(群馬県立富岡高校首都圏同窓会)好漢遠間正男君の想い出より 

* 早慶戦100周年と六球会

‘031126日 早慶戦100周年の記念試合が神宮球場で行われた。遠間君から「マッサン、シニアーの試合もあるようなので、出ましょうよ。皆から誘われるし...」「そうだなまあ、ユニホームは六球会のがあるからな」当日早稲田は稲門倶楽部の元会長大道さんが最長老、慶応は徳丸先輩が最長老、お二人とも大昭和製紙の野球部のOB、大道さんは僕らの入った東京日産の社長の弟さんであり、4人で写真を撮った。早慶、会社で皆関係があった奇遇に驚いた。東京六大学のスーパーシニアーで六球会と言う会をやっている。1年に野球1回、ゴルフ、麻雀を2回学校対抗である。現在’62年卒業までが入会資格である。この野球試合が’03125日に開かれた。一日3試合行われるが、立教、明治に東京日産時代のチームのメンバーが幹事をやっていたり、特にこの年から卒年が拡がり6人も顔を会わせることになり、まさかあの時のメンバーが神宮で母校のユニホームで相対するなんて夢にも考えなかった。そして、あの時遠間君が連れてきたメンバーが当時の優勝を皆「良かった...優勝って中々出来るものではないですよ...」と言ってくれるのを聞いて、改めて、「良い時代に良い連中と出会ったなあ」と二人で話し合ったものである。

P,s2   

慶応高校5回生篠原主将チームは確か新チームの秋、浅野高校石川投手(立大~東日)にパーフェクトゲームで負けている。塾高歴史の中で貴重な歴史である。‘03年の六球会に篠原、赤木君(塾高始めてのプロ一号国鉄スワローズ)が参加して来た。その時、アップ中の立教の石川君を見つけて、赤木君が「マッサン、あれ石川君じゃないの?」「そうだよ、お前よく覚えているな?俺のチームのエースだよ」「挨拶したいよ...」篠原君と赤木君と「おい!勝男...昔の連中が挨拶した言って...」やっぱりパーフェクトに抑えられた相手は45年経っても覚えている物らしい。(写真 上 慶応 同期 右より、僕、内藤、河内、嵐、広沢.  下 僕、赤木、石川、黒澤、篠原)

 


“Diary 123” ’17-4-4

2017-04-04 07:07:18 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

3・2 豊川稲荷

今月も、お参りは2日に成ってしまった。境内は1日と違った佇いが感じられる。お茶屋さんも静かだ。豊川様のお茶屋さんは、おそば類やお握りが安いので、タクシーのドライバーさんなんかも良く来るのだが、この日は静かだった。

 3・4 携帯電池交換

浜田山のDoCoMo ショップは、この頃混んでいる。電池交換の時期になったので行ったが、電池は在庫していなく、後日郵送で届けるとの事。機種が増えているし対応する電池を在庫しておくのは大変なのだろう。来店客は多いし、聞くともなしにその応対を聞いていると「これは大変だな...」と思う。IT関係の競争の激しさと進化のスピードに対応して行くのは大変だ。

 3・9 21世紀の会

恒例の21世紀の会、今月はホームグラウンドの霞ヶ関ビルの「欅」約20名の出席。会長が浅野君に替わって初めて。講師は東京医科歯科大の准教授石黒めぐみさん。我が家の娘めぐみと同年齢。今、若い先生はパワー・ポイントの使い方資料の整理の仕方が非常に巧い。演題は「癌」のこと、全般。面白かったのは、講演の後の質問。僕は、大体の会員のニュースは知っているが、この半年位に何か手術や病院のお世話になった連中の質問は面白かった。講師の先生は解らないだろうが...「癌」は細胞の老化が僕の持論だが講師に伺ったら「そうなんですよ」と言う返事だった。いずれにしても早期発見が第一。

3・13 東京日産神宮ネット裏懇親会

恒例の「沈丁花」の会。案内状にこの起句を使って17回。僕は高校の頃、学期末テストが終わり「さあ、野球だ...」と言う時期に日吉の蝮谷を降りて今の「矢上台」に在った通称「嵐が丘」へ行く道に沢山の「沈丁花」が植えられた家があり、その匂いが強く頭に入っている。それで、この会の立ち上げの案内状にこれを使ったのだ。意外に評判が良くこの時期になると開催を待つ声が掛かる。今年は、高齢化とともに出席者も減って、17名だった。それでも一年に一回懐かしい顔ぶれで色々各校の情報が入る。今年の六大学は東大の「宮台投手に注目...」と言う声が多かった。今年からリーグ戦の翌日から行われていた新人戦がリーグ戦の試合前に「総当り制」になって行われるそうだ。詳細は、解らないが早朝8時半に第一試合が行われるとか...一日中、神宮球場に居ることに成りそうだ。

3・22シーボニア懇話会

今月は女性の参加が無し。男5人会場のシーボニアは、超満員席が空くまでスタンドバーで話して何時もの部屋が空くまで雑談。男ばかりだと如何しても現役時代の話に成る。「僕みたいに色んな事を知っている男は居ない生きている内に書き残せよ」と言われた。「いや、皆と話すから面白くなるんだよ。当面は録音だな」。何時もどおり追い出されるまでで解散。

 3・23 慶応読書会 於 糖業会館

講師 慶応義塾大学研究科委員長 木村福成教授

タイトル「トランプ時代の国際通商政策と東アジア」

今一番気になるタイトルである。トランプの組閣も全部終わった訳では無いし、冒頭のテーマは・不確実性増す世界で始まった。現在は、アメリカの内部向けの問題が多いし、TPP等の通商問題はアメリカの体制が定まらないと結局は不明。と言う結論に僕には聞こえた。事実、そうだろう。今年一年の世界は非常に不透明な中に推移して行くだろう。

3・24 六球会 懇親会 於 銀座 長寿庵

殆ど定例に近くなっている、六球会の幹事会報告と新規メンバー60歳以上を含めた懇親会。会場が、珍しく銀座1丁目の「長寿庵」中心になる幹事役が変わると次々へと今まで行った事のない店に行く。殆ど京橋に近い所。25~6名の人数にピッタリの「長寿庵」会場だった。ユニホームを脱いだ長老組は、河内、赤木、僕の3人。山下大輔君が来て、日吉倶楽部会長の名取君も参加、加藤太郎元三田倶楽部会長も来て、慶応野球部OBの要職の連中が皆参加してくれた。乾杯の音頭を命じられたが、先ずは球場代の分担金を三田倶楽部の予算に入れてくれた事に御礼をした。これを参加者分担にすると皆ゲームに出さなければならない。今度は監督が自由に采配を振れる。昨秋の対法政戦では若手の大輔君や増山君が活躍しなかったが、大輔君「過去ではありません、今が大事なのです。今年は減量して頑張ります」と力強い挨拶。これを機会に軟式の高齢者チームに入会したと言う島村君等やる気あふれるスピーチが続いた。六球会を始められた、本田さん、戸谷さん、始め、浅沼さん、加藤さん、さんざんこき使われた諸先輩方、「慶応一二三会」は大木に育ちますよ。

3・30 ランチ with Gary Lang

ガヴィランのGaryが来日しているので、山本夫人と僕たち夫婦、4人で新宿の「舟橋屋」で天ぷら懇談会。山本夫人のセッテイングで新宿東口。 拙い英語と日本語で2時間半の懇談、オバマケアーから磯アリコ(女性初、日本人初のトレイナー)のNFLステイラーズでの仕事とか、昔話含めて楽しかった。昔話は、僕が銀座を案内した10数年前、「銀座サウナ」に連れて行き、「Oh, Heavenly!」長崎料理「吉宗」で鯨の刺身を食べたのが一番印象的だったと...