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“America’s Next 4 Years”    (‘16-11-26)

2016-11-29 09:22:46 | Massy's Opinion

★Megu’s Sport.

 ・アメリカ合衆国の大統領選挙。思いがけない、予想以外の、期待外れの結果。トランプが当選したということは、それだけの人がトランプを支持していたということなのに、選挙後、耳にするのは、彼に対する批判、スキャンダル、そして人々の不安。特に、カリフォルニアに住んでいるから。この選挙、もちろんヒラリーの支持者がいて、トランプの支持者がいる。だけど、どっちも良いチョイスじゃないから、仕方ないからどちらかに投票した人、また、投票しなかった人も多い。リベラルなカリフォルニア。私たちは、バブルの中にいるから、そんなに政府からの直接的な影響はないとか, “Caliexit” カリフォルニアが独立するっていう(実際にはあり得ないが、a lot of people are hoping so)話が出ている。ここで、気になる点:

 Immigration: メキシコからの違法居住者やイスラム教の国から来た人々のステータスが問題となっている。というか、トランプがこれらの人々をターゲットとしている。では、他の人々は?知り合いのドイツ人、イスラエル人の友達は、これを機に市民権の申請を進めることにした。市民と永住権の違いは、永住権保持者は、投票権がないことと、陪審義務がないこと。また、永住権を持っていても、市民でない限り、海外滞在の期間が限られている。だから、ドイツ人とイスラエル人の友達は、今後、Immigrationの手続においても、彼女たちの仕事、家族構成の上で何があるかわからないからということで、市民権の申請をすることにした。日本は、二国籍を持つことが許可されていない。でも、持っていることに対してのペナルティーはなく、バレないように二国籍を持つことは、可能。 外国人が日本の市民権を取るのはむづかしいとして知られている。では、なぜ日本は、 日本人が二国籍を持つことを許可しないのだろうか?海外居住の 日本人で、理由がなんであるにしろ、住んでいる国の市民権を取りたいという人は多いと思う。高齢化社会と出生率の低下という問題がある日本。日本人の二国籍持つということを、許可しては?

 LGBT (Lesbian Gay Bisexual Transgender) Right: 新規、副大統領になるペンス。彼は、超コンサバティブで、同性愛者は治療で変われるというぐらいの同性愛嫌悪者。オバマ大統領の就任中に同性婚が最高裁判所で認められた。以前にもブログで書いたけど、ただ結婚だけが問題なんじゃなくって、既婚者として税金、健康保険、親権などの権利が関わってくる。トランプは、同性婚の権利を維持するといっているが、国を導いて行く人がこんな態度だと、いくら法律上認められていても、地域によって市民レベルの間で、偏見と差別が出て、問題がおこってくるだろう。

・中絶の権利再びペンス。ペンスが上院議員である州では、身ごもった時点で命が始まり、中絶したら、葬式をしなければいけないという規定があるらしい。出産・中絶は、女性の権利であり、子供の将来の問題。宗教的な考えで決めることであってはならない。問題が財政的なもの、母子の健康、子供育成の環境でもなんでも、もし子供が望まれていない環境に生まれてくれば、彼らが幸せになれる可能性が低い。これは、その女性と家族の決断であり、宗教的な理由で、人権を決めるのは正当ではない。と、思うのだ。

 ・これ以外にも、トランプが大統領に就任するにあたって、国際関係、経済、環境問題など、様々なことにおいて、今後の変化と成り行きを心配しているのは、アメリカ市民、居住者だけでなく、世界の人々が不安に思っているのは間違えない。とりあえず、今はどうすることもできないので、どのようなことになるか、様子を見るしかないのだろうか?

 


“Letter to 向井万起男先生”  ‘16-11-22

2016-11-22 07:29:52 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

’16-11-16朝日新聞の夕刊に向井先生の連載記事で「大リーグが大好き」「唯一無二の打法を駆使する男」(下)が出ていた。その文中に...「右利きの人が左打者になると体各部の軸を巧く回転させてスイングすることが出来なくなる場合がある。左利きの左打者(の一部)に特有の優美なスイングが出来る右利きの左打者は極めて少ない」(中略)「右投げ左打ちのイチローは大リーグ史上、唯一無二の打法を駆使していると私は思う」(以下略)と言う一文が書かれている。向井先生が大リーグ好き、イチロー好きなのは良く解かっているが、何言おう此の僕も全く同じである。

さて、僕が右投げ左打ちになったのは中学2年の頃かな?初めてアメリカの3Aのプロチーム,オドール監督率いるサンフランシスコシールズが来日したが、その時の一塁手スタインハウアーを見たときに憧れて左打ちに成ったのである。成蹊中のチームは僕を含めて3人の右投げ、左打ちが居て、当時としては相当キザで割合と強いチームだった。一人は早稲田のスーパーOB伊丹安広さんの息子さんだった。

後に慶應高校の野球部では、同級生で、復活早慶戦時のキャプテン、三田倶楽部会長を勤められた山岡鎌太郎さんのご子息が右投げ左打ちだった。どうも、二人とも「野球は左で打つもの」と初めから教えられたようだが、親御さんとすれば「一塁へ速く着く」と言うことで、野球を始めた時から左打ちを教えたのではないか?大学へ入ると2年上級生に一人、1年下には、富山、西辻、山田(皆出身校の4番である)等が居た。処が当時の監督阪井さんは、どうも右投げ左打ちがきらいだったようだ。2年上の人たちは左利き(左投げ)が多く、皆、ピッチャーで4番の人ばかりで、外野を兼務していた。勿論、プロに進んだ人が一人、ノンプロで活躍した人ばかりである。その中で鐘紡へ行った多胡さんは監督の信用が厚く、左のキャッチャーだの、セカンドを練習させられた事もあった。その位、バッティングが良かった、と言うよりは巧かったのである。特にレフトへの流し打ちは、右利きの左打ちは一般的に巧くない。(今は練習方法も量も違うので、左に綺麗に打つ人も多いが...)正に、向井先生の言われる如く、美しさと言うことは、先ず感じられない。僕もイチローは好きだし、昔の阪急が大好きだった。同期の中田君が阪急に入っていたが、「おもろい奴が来たぞ...直ぐ一軍に上がるは...」(当時、二軍監督?)と言って、野球帽とイチローのサイン入り色紙を持って来てくれた。彼もイチローがこれ程の成績を残すとは思っても見なかっただろう。右投げ左打ちと本来の左利き左打ちとの違いを取り上げた向井先生の記事には鋭い鑑識眼に敬意を表したい。兎に角、野球もゴルフも面白いもので、その人、固有の打球が描く飛球線は、みんな違う。前記の富山君、野球は左打ち、ゴルフは右打ちだけど快打は両方とも綺麗な45度の線を描いて飛んで行く。

P,S

過去のblog Massy’s Academy から

<気になる野球ライター> ‘11-5-10

☆僕の読書:乱読気味、体を動かすこと(スポーツ)が好き、主にやっていたのは勿論、野球。従って野球の本は技術書から、歴史ものまで結構読んでいる。最近では、熱いノンフイクション作家、門田隆将の戦争、歴史ものにはまっている。スポーツ新聞はそれぞれ親新聞がついていて、球団、球場、テレビ皆ヒモ付きこれも資本主義だからやむを得ないだろう。(僕はスポーツ記事では日経の浜田昭八さんの記事が中庸で好きだった)慶応と早稲田の野球の違いは、早稲田には創生期の指導者に筆の立つ人が多く、飛田穂州、安部磯雄先生の書かれたものが多く残り、精神論的色が濃い。慶応は技術的な指導者として、三宅大輔、新田恭一、腰本要等の諸先輩が多く「ゴルフスイング」とか、技術的に語り継がれるものが多いようだ。

☆向井万起夫慶応大学医学部 准教授: 宇宙飛行士 向井千秋さんのご主人

時々、朝日新聞に「大リーグが大好き」と言う欄を書かれている。少し前に「テッド・ウイリアムス」の事を書かれていた。4割バッター、類まれな良い目を持っていて「戦闘機乗り」だったとか...僕の中学時代が最盛期の“Red Sox”のバッターである。僕は彼が大好きで左打ちを真似している内に左打ちに成ってしまった。慶応の先生方で大リーグに詳しい方は池井優名誉教授がいらっしゃる。もう、池井先生は幅広く野球物を書かれているし、講演会なども幾つもやられている。確か、プロ野球の「特待生問題」の委員会の責任者も遣られたと思う。ロバート・ホワイテイングの講演会で進行役をやられたがとても面白かった。僕は、向井先生の文章はいつも、「池井先生の後継者」に成るのではないかな?と言う感じを持ちながら読ませて頂いている。我が野球部の先輩では松尾俊治さんに尽きる。新聞記者の経歴から六大学野球を中心に書かれているが、何といっても「最後の早慶戦」の体験者として学生野球の歴史については衆目の認める処だ。時も流れて行く中で向井先生にも大リーグの視野から学生野球にも目を広げて、先生の独特の視点から健筆を期待している。

   吉原大介君:( 朝日新聞 在米大リーグ記事中心)

僕は慶応高校4回生、吉原大介君は47回生。可なり開きがある。確か塾高が本当に久しぶりに夏の大会で決勝に進んだ時、横浜スタジアムへ応援に行った。残念ながら負けたが、佐藤友亮(元西武ライオンズ)と継投のゲームだった。あの時の君の姿は未だ瞼に焼き付いている。大学では余り活躍出来なかったが、いつも追いかけていて、東電に就職した処までは知っていた。「アメリカに行って居るらしい」と風の便りに聞いていたが、或る日、朝日新聞の「MLB」の記事欄に記者「吉原大介」と言うのを見つけた。「ああ、彼はこういう仕事をしているんだなあ」と思い、必ず、読むようにしている。非常に素直な読みやすい記事である。今の若い人は夢を追って自由に海外に行く人が多いが、吉原君には「日米スポーツの違いとか」幅広い視点で記事を書いて欲しいし、アメリカの少年野球とか、1A, 2Aのクラスの選手の実態とか日本との違いのレポートを期待している。

 ☆その他、大学、高校野球部のOBも指導者になっている人も多い。加藤貴明(H9年主将)先生は「メジャーリーグの数理科学」と言う難しい本を書いて、博士号を取ってSFCの準教授をしている。(兎に角、大学野球部の主将時代も合宿でいつも難しい英語の本を読んでいたと聞いていた)野球部OBから教授も出ているし地方の高校で先生をしているOBも増えて来た。昔では考えられなかった事で、嬉しい限りだ。

 “Diary 90”   ‘14-7-1

☆6,21「野球あれこれ」神田古書店 Biblio 主宰

神田の古書店が昔の野球に関する古書、雑誌の展示会を開いてその最後の日のイベントで、上記したタイトルのトークショウ。慶應の池井優先生、向井万起男先生に報知新聞の蛭間記者の3人がスピーカー。戦後のプロ野球復活から最近の大リーグまで。池井先生も向井先生も渡米歴豊富。特に向井先生は朝日新聞に記事を出している。「僕の気に成る野球ライター」ブログ(‘09/12/29 Diary36 ロバート・ホワイテイング、‘11/5/10気に成る野球ライター)に書いてあるが、僕にとっては最高の興味ある企画だった。お二人の野球へのアプローチは全然違うが慶應の中から池井先生に継ぐ野球ライター(大リーグ中心)が続くことが僕の願い。此の後には、吉原大介君(塾高~慶大投手)が続くだろう。因みに向井先生は奥さまが、例の宇宙飛行士。

 

 

 

 

 

 


“アメリカ大統領選”     ‘16-11-15 

2016-11-15 07:36:42 | Massy's Opinion

 

Massy’s Opinion

・アメリカ大統領選挙は、日本のマスメディアを通じて情報では僕はクリントン応援だった。民主党、共和党の2大政党の争いになっているアメリカの政治は両党の違いは正直な所良く解からない。どちらも「いいアメリカ」「いい世界」を作ろうとしているのは間違いないだろう。そして、「民主的に国家運営をして行こう」と言うのも間違えないだろう。

 ・僕達がマスコミを通じて知る、アメリカの情報は本当に表面的なのだろう。在住の恵に聞いていても自分の知っているアメリカでは本当にサラッとした表面だけのこと。開票結果は逐一テレビに釘付けで見ていた。クリントン優勢と言われていた州がドンドン、トランプに引っくり返されていく。あのメール問題が再燃した時、此れはクリントン陣営には痛手だなと思ったが、選挙後のヒラリーの話にも出ていたが痛手だったようだ。「何か作為が感じられる。」

 ・選挙結果の驚き。最後の方で選挙人の数は圧倒的にトランプになってしまったが、總得票ではヒラリーの方が上回っているではないか?今の所ヒラリー側からのクレームも起きていない。過去にも2~3の逆転例はあったようだが、ヒラリー自身も敗戦を感じて居るのだろうか?難解なアメリカの選挙制度である。

 ・アメリカの財政も宇宙開発を止めたときから苦しくなって来ていたんだろう。幾つかの戦争もアメリカの負担を大きくしている。トランプの主張もアメリカの低所得の広い層に受け入れられたんだろうと思う。これから、どんな人事を行って行くのか、彼の主張が其の侭通るとは思えない。矢張り、共和党の幹部との話し合いが必要だろう。

 民主主義と共産主義。一党独裁はスピードが速い。民主主義は時間が掛かる組織が大きくなればなるほど、時間が掛かる。此の20世紀の間に開発と繁栄が続き、その結果として「格差が大きくなった」ことは世界各国共通の問題なのだろう。

 ・選挙のテクニックが、発達した。針小棒大な表現が好まれる「劇場型」になって来た。そう言う意味では、小池百合子知事と同じ様に、アメリカの現状について、トランプには大きな問題意識があり出馬を決心させたのだと思う。

・トランプが選挙前に演説していた様に「TPP不参加」が具体的に進められるならば、世界は大きな混乱に落ち込むだろう。その間に中国が「一帯一路」を進めていくだろう。一党独裁だから、スピードは速いと思う。1970年代中国が左側通行から右側通行に変えた時、北京では3年位の間に95%位は左ハンドルに成ってしまった。当時は自動車の保有は、全て公司(法人)で個人所有は認められて居なかった。勿論、右ハンドルの中古車は輸入禁止になった。日本は、参議院でTPPへの参加が決議されるだろう。若し、アメリカに追従して、不参加の国が出てきたら日本は、安部さんは如何するのだろう?

本当の21世紀はこれから始まる

兎に角、世界の「体幹」アメリカがシッカリしないとダメだ。日本は、アメリカ依存意識が国民の間に浸透しすぎている。此れも、第二次世界大戦の後遺症だ。


“長者ヶ崎にて”   ‘16-11-8

2016-11-08 07:31:43 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・さて、昨今我が母校の慶応義塾の「広告研究学研究会」の活動停止が発表された。

凄く長い歴史の有る研究会なので、真に残念だ。昔は「広告研究会」と言って居たが、「学」入ったらしい。

・戦後の慶應の歴史と言うか、風土は銀座よりも、逗子、葉山の所謂逗葉慶應族に引っ張られてきた方が大きいだろう。その原因は学制改革で塾高が日吉に移り、石原裕次郎が生まれ、加山雄三が生まれたことも、又、藤沢に環境学部等が開かれたり三田より湘南地区に密着度が増えたことも大きな要因だろう。

僕も学生時代、特に一部の金持ちの学生が、森戸や一色の海岸で遊びまわって居るのが、羨ましくて仕様がなく遂に大学3年~4年の時に、遊び仲間4人で長者ヶ崎の石屋さんの家の8畳を7月1ヶ月6万円で借りたのである。当時は森戸や一色海岸程混雑しておらず、葉山御用邸の外れに連なる本当に静かな海岸だった。特に水が綺麗で小さな防波堤の上からサングラスを落としてしまったが、折からの満潮で見えなくなってしまった。翌朝、潮が引いた時にもう一度探しに行ったらチャンと落とした所に在って拾う事ができた。砂浜は小さいが岩場もあり、2キロ位先?には青島と言う小さな島があり、後に国木田独歩の「武蔵野」?かな岩波文庫の本を読んだら、「長者ヶ崎にて」と言うタイトルで短文が書かれているので、凄く嬉しくなったものである。

さて、其処に一軒だけ「海の家」があった。その海の家は慶應の「広告研究会」が運営管理していたものである。僕ら4人が、「葉山に家を借りたよ」と言ったら、東京から「泊めてくれ」幾つものグループが押し掛けてきたが、勿論女の子のグループである。一泊一人3000円を貰った。部屋は3尺の廊下が付いていたが、蚊帳は一つ、勿論、ごろ寝で、お風呂は五右衛門風呂、多い時には15人位になったがお金を取っている手前、一杯の時には、僕ら借主は、慶應の広告研究会の海の家へ忍び込んでごろ寝をして過ごしたものである。あの頃、学校が遣っている「海の家」なんか他に無かった。1955年頃の事である。

学校も大きくなったし、「広告研究会」屹度、色々な分科会に分かれているだろう。それにしても顧問の部長先生は居る筈だし、今度の事件でその責任先生のお咎めは無いのだろうか?大体、今は部活には、男女学生が参加して居る筈だし、例え報じられているように「イベントの後かたづけ」といっても、一人で行き、一杯でもテキーラを飲む女子学生もおかしい。又一人で行くことを許すような教育をしている母親も可笑しい。僕らの若い時代とは、考え方が違っていることは充分に解かっているつもりだが、所詮、男女の問題。しかも、年頃、若し、1~2年生なら18歳未満飲酒は禁止の筈。此の問題で、あの綺麗な長者ヶ崎の海岸と澄んだ海を思い出しながら、「あの海の家でよく酒を飲まなかったな?」と思い返してみた。真面目と不真面目が混在していても超えては成らない一線は皆が判っていたのだろう...何とは無しに1ヶ月、4週間が無事に過ごせたのかも知れない。教育と言うものは学校だけがする物ではなく、基本的には家庭だと思う。

兎に角、「良し、悪し」が解かっていない。小さい時に教育されていないのだ。今回の事件、歴史ある「海の家」が無くなる事は本当に残念だ。屹度、誰かが「学校と関係無しの非公認サークル」で海の家を遣るだろうな?その方がモット危険だな。体育会、文化活動含め女子学生と母親の問題、学校側の問題、(告示のみ)」体育会、文化活動含めて担当教授や研究会のOBが部の実態を良く見て、放任にならないようにそして、大きく強い独立を損なわない様な指導に当たることを望みたい。

 

 


“Diary 118” ’16-11-1

2016-11-01 07:38:09 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

10・1豊川詣り

デコルテでワイフのヘアーメーク その後、豊川さんへ。久し振りにMr,M氏にお会いする。車好きの彼は、今度はFiatのコンパクト・カー最近良く町で見かけるモデル。燃費は良いし、乗り心地も悪くないと...但し、サーフィンに行く時は当然大きい車で行くとか...夷隅に別荘を造ったとか、お金持ちの自由業的な人だが車へのお金の掛け方は並ではなさそう。僕の食べる「力うどん」を見て、「マッサン力好きですね...」「ウン、お餅が好きでね」

10・6シーボニア会

今月はA嬢とM嬢が参加。A嬢は女性特有の癌の手術後だったが、すんなり痩せて元気に一人で来た。まあ、髪の毛も元通りになっていたし良かったと思う。話題は専ら病気の話。圧倒的に前立線癌、PSA値の話。良い時代に面白く働けた事に感謝。何時も通り定刻オーバーでご挨拶を受けるまで話が踊る。

10・8~10 Y,T君来宅

「僕の実家は、浜田山...」と言って憚らない、T君夫妻勤務先のヤンゴンから1年ぶりの帰国で、3日間泊まりに来る。9日は、転職時にお世話になったY氏を三軒茶屋のアスターにご招待して、昼食の会食。僕の中学時代からの親友の兄貴。勿論、野球仲間。喜んだなァ。Y氏の家に近い三軒茶屋にした訳だが、何十年振りで訪れた三茶がすっかり変わって居るのに驚いた。

10・13 慶応義塾読書会 於 糖業会館

講師 名誉教授 福岡正夫 「マイナス金利管見」

・1黒田日銀緩和政策の足どり 三つの次元・六つのステップ

・2なぜ物価上昇率2%は実現できないのか

・3マイナス金利政策の成否

・4問題視すべき副作用いくつか 三菱ufj Primary Dealer (特権返上)

・5管見一束 量的緩和 インフレ期待 日銀の隠れ株主―共産主義へ

以上のテーマで講演された校長先生の昔と変わらぬ話し方に学生時代を思い出しながら、

国民が一人当たりの生産性を上げる考えを持たないと経済再建は困難だと感じた。

10・18成蹊野球部の後輩と...

井の頭線の沿線には、成蹊の仲間が多い。人のめぐり合わせは面白いもので、僕と「東京日産神宮ネット裏会」をやっているK君の住んでいるマンションに成蹊高校が一番強かった頃、早実の投手が、ソフトバンクの王投手の時代だ。その時の選手T君がK君と親しくなり、麻雀の例会を持っている。偶々、野球の話でK君が僕の名前を出したら、一度会いましょうと言う事になってお茶を飲んだ。T君は興銀務めで最後が日産車体の監査役、日産で僕が大変お世話になった竹井副社長がT君と同じ時期に監査役だったりして、話題が飛び跳ねた。T君は興銀グランドの管理人まで知っている。僕の野球の原点はそのグランドだ。

その内に昔の成蹊の野球仲間と一度会いましょうと言う事になった。再会を期してその時は別れたが、T君のセットで僕の同級生のA君と最強時代の学生監督だったS君を連れてきた。4人ともJazzが好き、野球が好き。場所は、「光琳」と言う浜田山の蕎麦や。其処の社長はお年寄りだが、Jazzが大好き。皆、スイング・ジャズの時代、若い二人は一緒に野球をした事は無いがS君は僕の事を覚えていてくれた。此れが又、猛烈に楽しい会食だった。今度1月の「光琳」のジャズコンサートには4人で行く事にした。その前に麻雀をやろうと言う事になった。

10・21~23チエ 来宅 

7月~9月7日まで、家にホムーステイーしていた台北のチエが此の日程で家に来たいと言ってきた。22日がワイフの誕生日なので、お祝いにと言う事。勿論、断る理由はないが、「本当にママのお祝いに?」「東京が恋しくなったの...早すぎるね...」お土産を沢山持って一人でフライトして来た。「只今...」って入ってくる。初めての一人でのフライト。屹度お母さんが「一人旅を経験させようと」考えたのだろう。本当に世界は近くなったものだ。日本語が上手くなっていた。秘密兵器の中日辞書を持って来ないで来日出来たんだから...

10・26 塾高2Hの会 於 交詢社

4年振りかな?大分集まりも減ってきて15名だったか...話も初めのうちは余り盛り上がらなかった。そこで僕が「週刊新潮」掲示板欄の湯川れい子先生の記事に三保敬太郎の名前が出ていたが、世良譲、三保敬の順番で出ていたのが気に入らず投稿する気になって三保の天才ぶりを投稿したら湯川先生から直筆の便箋3枚の返事を頂いたり、数人の友人から「杉並の増田」と言うのは、「お前だろう...」と電話があった話と連合三田会で「講談:端艇部メルボルンオリンピックへの道」と言う講談をやった人が居る。その人は今、弓術部の監督をしている若林さんと言う人だ。と言う話をした。生憎、当時のキャプテン須永君は体調不良で欠席していたので、残念だったが、それから皆一斉に話がシンクロして、楽しかった。

10・27 成蹊中同期会 於 松本楼 

2日続いての成蹊の同期会。もう仲良しだった野球部の連中も居なくなったし、随分体形の変わった奴も多かった。女子は一クラス4人位だったが、8人位出席していた。此れも面白い縁で当時小柄だけど足の速い活発なAさんと言う美人が居て人気者だった。此の子のお母さんが慶應高校の英語の先生で僕らが教わった事がある。僕は初めはその事を知らなかったが、誰かが「U先生の娘さんはテストの採点をしているんだぞ...成蹊から立教女学院へ行ったんだ。だからお前は英語の点が良いんだ」と言われた事がある。又、彼女は慶應の一年下の僕の良く知っている男と結婚したのだ。此れは全くの驚きだった。彼女にその話をしたら、「家の人、今日マッサン来るのかな...くれぐれも宜しく...」と言って居たそうだ。採点のことを聞いたら、「そう高校の時は少しだったけれど大学へ行ってからは随分やったわ。勿論、増田さんのも見ていたわ」と言う恥ずかしい話。時を経ると昔はしにくかった話が女の子とも平気で出来るし、ゴルフにも誘われた。今、女は強い特に独り者は...」

10・29銀座「はち巻 岡田」100周年を祝う会 於交詢社

関東大震災からいち早く復興を立ち上げた言うなれば「呑みや」「はち巻 岡田」が親子三代が店を継ぎ、100年を迎えた。水上滝太郎著「銀座復興」のモデル劇団新派の演目にも成って居る。慶應義塾 名誉教授丸山先生の音頭で著名人が発起人になってのパーテイー。何時も此の劇団新派の役者は僕の好きな「瀬戸魔純」と「田口守」が主役で公演されている。お二人にサインを貰って、何時もと違う世界に浸ってきた。

10・29~31慶早戦 と今秋の六大学リーグ戦

最後の早慶戦は、1勝1敗の後、31日の3回戦で久し振りに慶應が勝ち点を取って2位になった。早慶戦は、得点3試合で慶應5点、早稲田3点の接戦まあ新聞の上では、K加藤とW石井のドラ1位対決とか、加藤の300を越える奪三振とか、タイトルには充分だが、内容的には貧打戦か?今秋のリーグ戦は東大の活躍が期待されたが、宮台君が体調不良で当板が無く、いま一つの盛り上がりには欠けた様な気がする。お客様は、よく知っている、WvsM, KvsRの日は神宮も観客が多かった。神宮のネット裏は熱狂的なファンが多く、常連が多い。皆さん情報を沢山持っていて、高校の有名選手をそれぞれ応援したり成長振りを楽しみにしていらっしゃる。新人戦も直ぐ翌日からなので、「特別入場証とか招待証」は新人戦も通用するようにして欲しい。来年は是非優勝をして欲しい...今シーズンも対明治のストレート負けは痛かったな。勝ち点ゲームはトーナメントと同じ。一つの負けが響く。

・こうやって“Diary” を書いてみると、飲む機会が多く、凄く忙しい10月だったな。