(水産産業出版部)
コナミスポーツの田村コーチが、9月に35年のコーチとしての経験を語った本を出版された。ので、さっそく注文してカリフォルニアまで送っていただいた。直筆のサインいり。私の“ホームプール”である、Santa Clara International Swim Centerの写真が裏表紙に。
私が田村コーチと出会ったのは、1998年あたり。田村コーチが、サンタクララ国際の選手の練習で、当時私が通っていたFoothill Collegeのプールに来た時。それ以来、田村コーチがサンタクララに合宿/遠征で来る時には連絡してくれた。私自身、選手としては、エリートを育成しているコーチは雲の上の存在だったので、このようなきっかけで、知り合うことができ、何かの縁だと思っている。本の中で、山田選手や三田選手のことが書かれているのを読んでいると、その当時のこと、田村コーチがサンタクララのプールデッキに立っているところが思い出される。
本には、田村コーチがサンタクララに一年間アシスタントコーチとして滞在した時のことが書かれている。その中で、人間関係/コミュニケーションにおける文化の違いが、私自身も経験していることで、目に止まった。 ので、今日はその違いについて語ってみましょう。
“環境作り?”田村コーチは、アメリカでは、選手は泳ぎにくるもので、カバーを上げたり、練習道具の準備をするのは、選手ではなく、アシスタントコーチの役目なんだと学んだと言っている。日本人的な私から言うと、それは確かに、そうなんだけど、そうすると、選手が自分のことを自分でするという基礎が身に付かない。いつも誰かが自分のために準備をしてくれる、片付けてくれると思っていて、それが練習以外の生活面でも出て来ると思う。もし、準備をやってもらったとしても、“当然”と思うのではなく、“ありがとう”と感謝して、一言いうことって大切だと思う。この近辺では、このような礼儀のある子供もいれば、まったく、“ありがとう”と言う事を学んだことのないような子供も多い。シリコンバレーのコミュニケーションスキルに欠ける親のしつけが問題なのか、裕福な家庭で育って,日常生活で誰かがいつも身の回りのことをしてくれるという“あたりまえ”の事に対しての感謝の気持ちが少ないのが問題なのか...。また、これは “選手=カストマー”なので、彼らが練習できる環境を準備するのが“カストマーサービス”の一部なのか、それとも、コーチの選手に対する“環境作り”の思いやりなのか、考えざるを得ない。
“年功序列”今はどうかわからないが、私が大学のころは、日本では、体育会でも年功序列が基本。スイムクラブでは、年功序列は、体育会ほど厳しくはないが、それでも年上の人をちょっと怖がる時とか、敬うのが社会的に当然のものとして育ってきた。日本の仕事社会では、年功序列は伝統的な文化の一部。実力社会のアメリカには、年功序列、先輩/後輩のコンセプトがないし(これにしっくりあてはまる単語も無ない)、 年上/年寄りを敬うというコンセプともアジア文化に比べると、浸透していない 。なので、選手同士の中で日本のような上下関係は、チームスポーツで多少見られるが、個人スポーツではあまり見られない。昔の体育会の無意味に厳しい上下関係、または、日本の生涯勤務/実力軽視の年功序列制 は必要ではないけど、多少の年上を敬うということは、必要だと思う。また、人関係は不動ではなく、流動性のあるもの。たまに、友達的になり、あやふやになりがちなプロフェッショナル としてのポジション/関係、コーチ-選手;トレーナー-クライアント;上司 -部下など、のなかで、その時点での一線を保って、お互いに尊重しあうことも大切。
“Language” アメリカ社会のありかたは、言語の影響もあるのではないか...。英語には、“丁寧な言い方”はあっても、日本語のような敬語が存在しない。これにはプラスとマイナスがある。例えば、はじめて人と合う時、年や見かけによって人は、丁寧語や敬語を使い分けて、自分と相手の位置づけを頭の中でしていると思う。敬語を使うとちょっと壁ができて、直接的な話しがしづらいことがある。英語の場合、敬語がないので対等に会話がしやすい。ので、話しを、すっきり、効率的に焦点に持っていきやすい。そのため、コーチ-選手や上司-部下の間での意見・意志の交換が、自然とカジュアルにかつ 効率的にしやすくなっているのかな?
私にとって、英語はSecond Languageであるせいか、たまに、言語の重みをネイティブほど感じない。だけど、英語は、日本語よりは、ぎこちなさがなく、感情を表示できる言語だと思う。例えば、アメリカ人の家庭では、夫婦、親子の間で、家を出る時、電話と切る時に, “Love you”って軽く言う(でも、本当にそう思わない人には絶対に“Love you”って言わない)。日本で、家を出るたびに、“愛しているよ”なんて言う親とか夫婦ってめったに見ないし、逆にぎこちない...。って感じしない?