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田村栄子コーチの“育てる”を読んで  (‘14-10-26)

2014-10-26 21:14:21 | Megu's Sports

(水産産業出版部)

コナミスポーツの田村コーチが、9月に35年のコーチとしての経験を語った本を出版された。ので、さっそく注文してカリフォルニアまで送っていただいた。直筆のサインいり。私の“ホームプール”である、Santa Clara International Swim Centerの写真が裏表紙に。

私が田村コーチと出会ったのは、1998年あたり。田村コーチが、サンタクララ国際の選手の練習で、当時私が通っていたFoothill Collegeのプールに来た時。それ以来、田村コーチがサンタクララに合宿/遠征で来る時には連絡してくれた。私自身、選手としては、エリートを育成しているコーチは雲の上の存在だったので、このようなきっかけで、知り合うことができ、何かの縁だと思っている。本の中で、山田選手や三田選手のことが書かれているのを読んでいると、その当時のこと、田村コーチがサンタクララのプールデッキに立っているところが思い出される。

本には、田村コーチがサンタクララに一年間アシスタントコーチとして滞在した時のことが書かれている。その中で、人間関係/コミュニケーションにおける文化の違いが、私自身も経験していることで、目に止まった。 ので、今日はその違いについて語ってみましょう。

“環境作り?”田村コーチは、アメリカでは、選手は泳ぎにくるもので、カバーを上げたり、練習道具の準備をするのは、選手ではなく、アシスタントコーチの役目なんだと学んだと言っている。日本人的な私から言うと、それは確かに、そうなんだけど、そうすると、選手が自分のことを自分でするという基礎が身に付かない。いつも誰かが自分のために準備をしてくれる、片付けてくれると思っていて、それが練習以外の生活面でも出て来ると思う。もし、準備をやってもらったとしても、“当然”と思うのではなく、“ありがとう”と感謝して、一言いうことって大切だと思う。この近辺では、このような礼儀のある子供もいれば、まったく、“ありがとう”と言う事を学んだことのないような子供も多い。シリコンバレーのコミュニケーションスキルに欠ける親のしつけが問題なのか、裕福な家庭で育って,日常生活で誰かがいつも身の回りのことをしてくれるという“あたりまえ”の事に対しての感謝の気持ちが少ないのが問題なのか...。また、これは “選手=カストマー”なので、彼らが練習できる環境を準備するのが“カストマーサービス”の一部なのか、それとも、コーチの選手に対する“環境作り”の思いやりなのか、考えざるを得ない。

 


“年功序列”今はどうかわからないが、私が大学のころは、日本では、体育会でも年功序列が基本。スイムクラブでは、年功序列は、体育会ほど厳しくはないが、それでも年上の人をちょっと怖がる時とか、敬うのが社会的に当然のものとして育ってきた。日本の仕事社会では、年功序列は伝統的な文化の一部。実力社会のアメリカには、年功序列、先輩/後輩のコンセプトがないし(これにしっくりあてはまる単語も無ない)、 年上/年寄りを敬うというコンセプともアジア文化に比べると、浸透していない 。なので、選手同士の中で日本のような上下関係は、チームスポーツで多少見られるが、個人スポーツではあまり見られない。昔の体育会の無意味に厳しい上下関係、または、日本の生涯勤務/実力軽視の年功序列制 は必要ではないけど、多少の年上を敬うということは、必要だと思う。また、人関係は不動ではなく、流動性のあるもの。たまに、友達的になり、あやふやになりがちなプロフェッショナル としてのポジション/関係、コーチ-選手;トレーナー-クライアント;上司 -部下など、のなかで、その時点での一線を保って、お互いに尊重しあうことも大切。

 


“Language” アメリカ社会のありかたは、言語の影響もあるのではないか...。英語には、“丁寧な言い方”はあっても、日本語のような敬語が存在しない。これにはプラスとマイナスがある。例えば、はじめて人と合う時、年や見かけによって人は、丁寧語や敬語を使い分けて、自分と相手の位置づけを頭の中でしていると思う。敬語を使うとちょっと壁ができて、直接的な話しがしづらいことがある。英語の場合、敬語がないので対等に会話がしやすい。ので、話しを、すっきり、効率的に焦点に持っていきやすい。そのため、コーチ-選手や上司-部下の間での意見・意志の交換が、自然とカジュアルにかつ 効率的にしやすくなっているのかな?

 


私にとって、英語はSecond Languageであるせいか、たまに、言語の重みをネイティブほど感じない。だけど、英語は、日本語よりは、ぎこちなさがなく、感情を表示できる言語だと思う。例えば、アメリカ人の家庭では、夫婦、親子の間で、家を出る時、電話と切る時に, “Love you”って軽く言う(でも、本当にそう思わない人には絶対に“Love you”って言わない)。日本で、家を出るたびに、“愛しているよ”なんて言う親とか夫婦ってめったに見ないし、逆にぎこちない...。って感じしない?







”先輩から教わったこと、野球編”  ’14-10-14

2014-10-14 07:52:04 | Massy's Opinion

<いつもこんなことを思い出しながら、昔の仲間と試合を見ています>

☆ 中学時代

・ボールは体の前で捕れ 右足を半歩引いて、構えろ。

・胸で捕れ。

・相手の取りやすい、投げ易い所へ目掛けて投げろ。この練習は「扇形キャッチボール」 一塁から三塁の直線上に10人くらいが並び受けるものは、一人ホームベースの上で構える。 サード側の人から思いっきり全力投球でホームに投げる。そして、直ぐ次の人に投げ返す。練習の最後にやるので、薄暗くなって来て、怖かった。この練習は当時旧制高校の野球部と一緒に硬球でやらされたので、本当に怖かった。

・ボールを打つときは、インコースの高めが一番ポイントが前。アウトコースの低めがポイントは一番後。

・インコースはレフトへ、アウトコースはライトへ(右打ちの場合)打て。 当時立教の名センター(大正11年頃)で二神さんと言う人の息子さんが一年上にいて「俺の親父はバッティングが良かったんだ。親父に教われよ」と言われて、家に連れて行かれた。部屋の中でスイングさせられて、「インコースのポイントを前で打つには、テークバックはバットの先端をそのまま上に引き上げろ。45度だ」要するに「ヒッチするな」と言われた。昔は今とは体力も道具も全然違うからね...。兎に角昔は、バットを短く持ってピッチャー返し。

・監督の毛利さんは「オープンスタンスで構えろ」と言っていた。

☆高校時代

 ・外野守備 「ボールを体の前で腰を落して捕れ」 グラウンドも小石だらけ後逸しないよに、体で止めろ。

・「声を出せ」 外野から声を出す練習をさせられた。

・バッティング ポイントを「前で打て」一点張りそう言えばバッテイングの事はあまり言われた記憶がないな。

☆大学時代

「練習は不可能を可能にする」慶応体育会の看板。小泉先生のお言葉。直にお話を聞いたことは一度あるが、別の話題だった。

「Practice and Practice」「フアインプレーをファインプレーでなくするプレイーが大事だ」山岡鎌太郎元三田倶楽部会長 商工の3年生の時から大学の試合に出ていたとか、名センター 復活早慶戦時の主将。外野の守備は「すり足で...」初め意味がわからなくて、質問をした。「ファインプレーの打球でも捕ったらイジーフライを捕ったようにとるんだ」 と言われた。「早くボールの下へ行け...」と言うこと。山岡さんはよく練習にこられたし、小泉先生の教えがよく伝わってきた。

・阪井監督(最後の早慶戦出場)には、キャッチャーは「ミットのちゅしんをストライクゾーンの真ん中に向けて捕れ」ビギナーのピッチャーには、カーブはバッターの左肩(右打者の場合)目掛けて練習させろ。ストレートはキャッチャーの右膝をめがけて10球中8球はストライクになるように練習させろ。

・ランナーになったらボールから絶対に目を離すな」ピッチャーがプレートについたてから離塁しろ」「ワンアウト、1塁2塁、ボールカウント1~3になったら、ノーサインでヒットエンドラン」当たり前だよね。バッターがストライクなら打つ、ボールならば4球 で満塁。

「キャッチャーはいつもピッチャーの胸へキチンとしたボールを返せ」キャッチャーの返球が山なりだと試合のリズムが乱れる。「試合のリズムを作るんだ」

「2塁ランナーになったら敵のショートの前までリードしろ」

・送りバントするときはバッターボックスのフアールラインの上に出ろ。90°の角度が広くなる。 ・ネクストバッターは3人目のコ-チ 3塁ランナーがホームに滑り込みやすいように「キャッチャーマスク、バットを必ず片付けろ」

・外野のバックアップ「次のプレーを考えてやれ」

☆最後に大学時代にはやっぱり色んな事を教わったな。しかし、阪井監督は30年卒の人にはバットスイングは命令したが、もうパワーヒッターの時代になって来たのかスイングについて余り指導はしなかったような気がする。

さて、こんな注意事が身についているので今でも、つい、昔の野球と比べながら試合を見てしまう。リトルから野球をしている子が多くなったが、どこの段階でこう言う基礎的なプレーを教わっているのかな?技に走りすぎたプレーの目に付くことが多い。


“Diary 93” ’14-10-7

2014-10-07 07:22:51 | Massy's Opinion

”アット言う間のSeptember”

☆9,1豊川稲荷 例月通りのお参り。菊屋さん空いていた。お母さんと小唄の会へ行った話が妙に弾む。 僕はいつも通り「力うどん」ママは「山菜うどん」に「あんみつ」

☆9,6八丁堀理事会 エントランスのキー交換、有線テレビを一括加入していたが、個別加入に変更、管理費との見合いで臨時総会を開かなくてはならない。等、経年数変化に伴う色々な問題が出てくる。特に有線放送なんて、あの時代は「マンションの価値を上げよう」と言うことで一括契約にしたのだが、ITの進化でテナントの生活様式が変化するし、個別契約にすることにした。約50軒の部屋は、自家使用から賃貸に変わっているし、この賃借条件は「管理費込み」「管理費別」「有線を見ている人」「いない人」様々で統一は出来ないし難しい問題。改めて、時間の経過を痛感させられる。

☆9,7三井裁判 延々、8年に及ぶ三井グラウンドのマンション化に対して、自然保護、防災地区等の減少に地元近隣の原告団が東京都、杉並区に対して起こした裁判である。用地は三井の所有物なので、裁判中にマンションは建てられ、売れた部分には既に住民がいる。この種の裁判は都内でも各地で起こされている。原告側に根気よく歴史的な調査をした人がいて、昔は大東京の立派なプランが有った事が解ったり、色々な事が解ってきた。区や都側の弁護団は8年に及ぶ裁判の間、ズット沈黙を守っていた。一審敗訴、控訴そして和解調停となった。この問題の初めの区議会を傍聴したが、反対多数なのに、「賛成」と議決してしまった、ひどい区議会だった。原告側は「勝利和解」と言う事にしているが、僕は当初から「用途地区の変更」がおかしい。という意見だった。区民は日頃から行政に目を向けていないといけないと思う。一応の決着が付いたので直接利害関係の発生しそうな人々は安心されただろう。

☆9,10慶4会 高校野球部同期の昼食会。懐石のランチコースが量も価格(会費5000円)も丁度いい具合。耳の遠いい奴が増えて、大声のバカっ話。隣の席もおんなじ様な集まり。もうゴルフの話は出て来ない...

☆9,12杉並区議会傍聴 前記三井裁判の決着が区議会で確認されるので、傍聴の動員があり傍聴してきた。区長、議長、議員も変わりサラサラッと報告は流された。

☆9,22平田杯レークウッド 1月29日以来のゴルフ。8ヶ月もブランクは生まれて初めて...天候には恵まれて,久しぶりの平塚レークウッド。一番ホールは、ドライバーを短めに握り、フェアーウェイのど真ん中に...ボギースタート。午後の18番は7メーター位の1パットでボギー。久しぶりでボールを4個なくした。ランクは8人でブービー、スコアは兎も角、ボール打ちは楽しかったな。

☆9,26第1回ブラジル音楽フエスティバル 於 ユーポート 主催 日本ブラジル音楽普及協会 僕の親球友のK,A君に動員させられた。勿論彼も音楽を嫌いな連中を誘いはしない。顔ぶれは高校の同級生、野球部が5人、アメラグ2人、 柔道1人、応援団1人このフェスティバル、プロデユーサーがK,A君の40年来の追っかけ相手...僕は、ブラジル音楽は言葉が解らないので、余り強くない。和太鼓グループの演奏の第1部から第3部まで3時間半の休憩なし。メインは寺井尚子(ライブ3回目自信満々上手くなったな、コラボだと余計に張り切るみたい)のバイオリンとブラジルで人気のフイロ・マチャードそれに彼の孫で天才ギターリストフイリーピ・マチャード6歳。それにサンバチーム・ブロコファミリアのチーム30人位が舞台客席と踊りまくる。つられて、前の方のお客が一緒に踊り出してすごい盛り上がり...最近のこう言うコンサートは観客参加でこの前の「コットンクラブ」と同じよう。顔ぶれから言ってもまっすぐ帰る訳には行かなかった。

☆9月の野球 VS東大2連勝 東大は投手陣のスタミナがない。6回が限度。まあ勝って当たり前と言うことか... VS立教2連敗 メンバーの固定もいいが谷田、横尾の3番4番はどうだろうか?塾で一年生から3,4番が固定されているのは初めてだろう。僕が監督だったら、横尾を一番に旭を3番に4番谷田という打順も組んでみたい。横尾もバッティングが変わるだろう。加藤は気持ちが入りすぎか?三宮は途中からか...MLBの地区シリーズが本当に面白かった。