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“アフターコロナ雑感”   ‘21-11-9

2021-11-08 22:53:43 | Massy's Opinion

★Massy’sOpnion

・早くも11月も第2週に入った。何か外出をしない所為か季節の移り変わりが、余りピンとこない。コロナ宣言も解除されたのに余り盛り場も、これと言った気合の入った感じを受けない。大体、毎日の日課が平凡なstay home 型に成って居るのだから致し方あるまい。

新しい資本主義も肝心の野党が選挙で成果が挙がらず、与党も肝心の目玉の自民党幹事長甘利さんが落選、幹事長辞任、野党も代表が辞任では本当に盛り上がらない。野球ではないがもう一度プレー・オフの選挙をやらせて欲しい。然し、こんな政界の動きを見ていると、世代交代の動きはこんな事をして変わって行くのかなあとも感じる。自民党批判をさせて頂けば、二階さん、麻生、安倍さんのトップはもういらない。トップの定年制を作るべきだと思う。共産党の志位さんも交代した方がいい。現体制の中では、岸田さんが、良く幹事長二階さんの交代を持ち出したと思って居た。

・今日のニュースを見ていたが、相変わらず経済対策と言うと個人へのお金の給付を議論している。これだけ痛んだ飲食店を始め、人が働く運送業や交通事業等を「新しく起業する人を援助する金融制度」を作るべきだ。資本主義が過度な競争を呼びこれだけの発展をもたらした。女性の社会参加増加、子供の保育園預けの拡大、家庭教育の良い所の欠如、良い子供を育てられるかはその国の将来を左右させるものだ。

・さて、僕は自動車の部品屋に生まれた。今の世代の人には理解しがたいだろう。商店や町の小売りやの店員さんは殆ど住み込みだった。これは、生まれた家が皆貧乏で早く働きに出したからである。僕の親父は、中学を卒業すると直ぐ自動車部品の販売会社に入った。そして2~3年務めて直ぐ独立をして、部品商を始めた。昭和6年頃である。そして、昭和9年には念願の店を芝田村町に持ち、僕が生まれた。その時には、今で言う店員、昔では小僧さんが二人住み込みでいた。まあ、兄弟の居ない僕には二人とも兄貴みたいなもの...第二次大戦中今の浜田山へ家を買い、親父は店に通うようになった。親父には二人の弟と姉が1人いた。二人の弟は、当時高等小学校を出ると直ぐ軍隊に召集されて中国へ配属された。戦争の事が本題ではない。当時、居た店員は皆、戦争に行き幸いにも死んだ人は居なかった。

終戦後、皆帰国した時は、浜田山に帰って来た。勿論、食うや食わずの時代仕事も何をやって良いか解らない時代、皆、親父の店で部品屋の店員をしたのである。そして、それぞれ独立して行った。僕の記憶には当時の事が良く残って居る。殆どの人間が、お袋の実家の後、田村町の僕が生まれた店の後、神谷町の近所に店を構えた。殆ど、親父が面倒を見た。こんな話をするのは今の東京はこの時代によく似ているからである。昔は、殆どが借家、借り店舗だった。それでも店をつくるのは大変だった。何とか時代にも恵まれて部品商は商売に成ったのである。皆、住家を持ったり結婚したりしていった。今の時代は再開発で街の中は一見景気がよさそうだがこのコロナ不況で辞める店はあっても、開業しようと言う人は少ない。また一方では、テレワークだの副業を進めると言う様な時代、そして、AIが仕事をしている様な風潮が強く成って来ている。日本はもう再開発は止めるべきだ。銀行も正常な形に戻すべきだ。残念ながら今の政治の中でこんな話を聞いたこともない。昔、後藤新平東京市長が作った東京の都市計画は本当に素晴らしい。人口減少、高齢化、何を基幹産業にして行くか?明確な目標もないままに東京を高層ビルの林にしても良いのだろうか?このコロナの流行は本当に神様の警告の様な気がする。もっと広い世界観を持った、そして「嘘をつかない」政治家出て来ないものか?岸田総理にも、もう腹を決めて安倍さんの「アベノミクス」とは決別して行って欲しい。


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