massy-academy

advice for consumer

“アメリカにあって、日本にないもの−‘プロム’”  ‘15-5-27

2015-05-26 07:24:17 | Massy's Opinion

 ☆Megu’s Sport

  ・“Prom”: http://ja.wikipedia.org/wiki/プロム ;        http://en.wikipedia.org/wiki/Prom

 ・アメリカでは、今、卒業式シーズン。今月は、大学の卒業式が多く、6月は、高校の卒業式。卒業式のちょっと前に、高校の最終学年(senior)、その一年下の学年(junior)にとっては、一大事なイベント“プロム”が開催される(リンク参照)。

  なんで、これが今月のトピックかというと、

 ・1)時期相応;

 ・2)クライアントからよく聞く話;

 ・3)北アメリカ大陸特有のイベント; だということで

  ・Wikipediaの説明以外に、この7-8年といってもいいのかな。男の子が、女の子を誘う時の誘い方が、さらにクリエイティブになってきている(そうで)。いわば、ちょっとしたショーのようなもの(長い動画が、多いのでリンクは載せませんが,興味のある方は、www.youtube.com “prom proposal”で検索して下さい)。また、女の子ドレスにしても、写真撮影にしても、Things supposed be done in certain wayにしても、Over the topと言う感じ。子供達だけでなく、親にとっても大事。

  ・もちろん、 “彼氏”や“彼女”という関係でなくても、同性の友達や異性の友達同士やグループでプロムに行く生徒が多くいる。また、強制参加というわけではない。だけど、誘う側にとっても、誘われる側にとっても、これって、かなりのプレッシャーになるんじゃないかな。このエリアでは、裕福な家庭が多いけど、リモやタキシードをレンタルしたり、ドレスや、コサージュを買ったりなど、経済的な負担も多いし。

  ・プロムって、超近代化した古いイベントって感じ。このイベント、 日本の高校で行われたら、どうなるんだろう。もし、日本の高校が“学校主催”、“学校管理下”のプロムのようなイベントをはじめたら、 学校では、どのように構成して、高校生、どんな反応するのかな(日本人、マネが上手いからアメリカ文化取り入れる所から,始めるのかな)。これって思い出になるけど、他にどんな意味があるんだろう。将来にむけて、社交性を養うため?なんでまた、プロムって、北アメリカ特有のものなの(Well, I should look into it...)...なんて、毎年この時期になると疑問が湧いて来る。

 ・Conclusion…アメリカ文化、バースデーパーティーにしても、Bar and Bat Mitzvah(http://en.wikipedia.org/wiki/Bar_and_Bat_Mitzvah) にしても、引退祝いにしても、かなりパーティーに力とお金をかけるように思われる。

 

 

 

 

 


“大阪都構想論議...“   ‘15-5-19

2015-05-19 07:49:11 | Massy's Opinion

☆Massy’sOpinion  

・橋下徹大阪市長の提案していた、「大阪都構想」。一体どうなるんだろう?と思って昨夜は夜遅くまでテレビを見ていた。 もう既に橋下さんが提案し始めてから、5年位になるだろう。地元から離れているし、正直なとこ余り直接的な影響も無いので、むしろ政府や関係官庁の反応が気になっていた。

・先ず前回の選挙でも投票率が低い事が、問題だと思っていた。この65%程の投票率には、「ああ未だ日本を考える人は居るんだな...と一安心。

・中間報道では、賛成が多いような報道もあり、この政治課題が山積みの今日この頃、一体どうなるんだろう?...日本は...」と思い巡らせていた。一つの問題提起としては、具体的で日本の根幹を揺るがすような問題だ。橋下さんの此処までの進め方も紆余曲折がありすぎて解りにくかった。特に「維新の党」の東京と大阪に二分されて居るのを、無理に一つにしたような遣り方が余計に解り難くしたと思う。途中で石原慎太郎の動きもおかしかった。結局、選挙対策、票集めの為で離合集散が行われ、余計物事を解り難くしたように思う。

・確かに都市化はどんどん進んでいるし、大阪府が神奈川県より人口が少なくなっているとか、従来の感覚とは、かけ離れた現象が起こっている。そこで、二重行政の問題は予算の面からも大きな問題だ。然し、大阪に止らずモット大きな日本全国の「在りかたの理想像」画けない物だろうか?そういう意味で考えると、田中角栄時代の「列島改造論」素晴らしく大きく、解り易かったと思う。

・オリンピックを前に、これから公共施設の経年数劣化が大きな問題になってくる。そして、再開発の美名の下「土地の用途、地区の基準」が変えられ、高層ビルが建ち東京の一極集中が強まる。舛添さん少し違った取り組みをしてくれるかな?

・この所、我々庶民の身近な所では、「税金は高くなる」「高齢化は進み、医療費は高くなる」「アベノミックスは新聞マスコミが言うほど効果が現れていない」「生活は苦しくなる」と言う声を多く聞く。そして、住宅地域では、町会費を払わない人が出て来ている。マンションでは、管理費の中から町会費を払っているマンションと管理費以外に個人で払う所があるそうだ。色んな処から相談を受けるが、こうなると其の地区の町会、や商店会は行政との位置づけはどうなってくるんだろう?と言う疑問が出てくる。消防署や警察は何か運動を始める時に困っているようだ。こんな街中の問題を橋下さん解っていたのかな?

・昔は、街の纏め役の人が区会議員になって、町会とのパイプに成っていたが、今は区会議員でも「票の集まる地域」に重点を移してしまい、地域とかけ離れてしまう。「二重行政」排除の為の組織変更は必要だし、橋下さんの行動は大事だったと思う。政界引退と言う彼の本心は解らないが、必ず再登場するだろう。恐らく、与党、野党で引っ張りあいが起こると思う。

・野党も乱立で本当に困ったものだ。此れで、安部さんが行き詰まると次はどうなるのか?

後継者造りは大仕事、橋下さんの着眼点は良かったが、平沼さん石原さんと一緒に成らずすっきりしておいたほうが良かったのではと思う。


”ニッサン・ルノー問題 どうなる”     ’15-5-12

2015-05-12 07:26:53 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

☆最近新聞紙面を賑わしている問題

ルノー・日産の株主総会で、フランス政府が所有株の権利が2倍になるような提案を出して、可決したようだ。ゴーンさんが強いリーダーシップを持っている日産・ルノー連合は勿論、政府に反対である。この詳細な動きはまだ僕の耳にも目にも入って来ない。水面下を含めた動きは箱根の大涌谷のように地下で動いている筈だ。要するに地下では今までに色んな動きも在ったのだろう。僕は、ゴーンさんは「相当強い政府の支持」を得ていたと思っていたのでこんな事が起こるとは全然知らなかったし、考えもしなかった。然し、最近の日産の動きを見ていると海外では其れなりの成績を上げている様だが、僕に言わせれば日産石原社長時代の海外進出論の恩恵に浴している様に思えてならない。

☆公団時代のルノー

第二次大戦後、日本の自動車メーカー各社が大戦前に戻って世界の風潮の遅れまいと乗用車の生産に舵を切った。そして、日産はオースチン、日野はルノー、いすゞはヒルマンと業務提携し部品のノックダウンによるアッセンブリーから乗用車の生産に乗り出した。当時、日産はダットサンと言う小型車も作っていたが、中型車のオースチンを作り始めたのである。トヨタは提携をせずクラウンの充実をじっくりと進めてきた。それより少し前の時代にフランスでは自動車メーカーが乱立していた時代があり、プジョウを除いたシムカ、シトローエン等が合併してルノー公団になった訳である。従って、今でも政府がルノーの株を持っているのであり、ヨーロッパは我々が考えているよりある意味では封建的であり、官僚的である。日産がルノーと合併した時も「官僚的な会社同士で合併して巧くいくのかな?」と言う声も一部には大分あったし、僕自身もそう考えていた。

☆当時国内では

いろんな資本が外車ディーラーの販売権を持っていたが、終戦直後は新橋から赤坂見附の大通りの両側に新橋側から、フォードのニュエンパイアー、キャデラック、シボレーのヤナセ、ハドソンの安全自動車、オールズモビールの東邦モータース等の他に中古車を扱う店とかが店を張り、日本のデトロイトと言われていた。当時は日本の自動車業界の幕開け時代で日産のダットサン110型と言う860ccサイドバルブ・エンジンの車で、自動車時代の幕が開けたと言えよう。外車との提携をせずに力を蓄えていたトヨタはダットサン・ブルーバード対抗にコロナを市場に出し販売網の強化に乗り出した。世に言うB・C戦争の始まりで、誠に熾烈な販売戦だった。技術提携の名残で、いすゞの販売店ではヒルマンを売り、日野ではルノーを売ったが大型トラックと一緒では販売先もサービスも異なるのでやがて乗用車から撤退した。1968年頃ルノーの輸入元はタバカレラ貿易と言う会社がやっていたが、一部タクシー等には売れていたが日野の撤退と同時に三井物産が輸入権を取って、日野のルノー販売の人員も引き取った。(後で来た話だが、三井物産は、Representative of Renault=ルノーは公団だから、公団の代理店と言うステータスが欲しかったと聞いた)。ルノーでは東京に支社を作り偶々、僕の大学野球部時代の友人T,U君が副支社長として赴任して来た。「日本の自動車市場を勉強したい」と言う事で、彼に頼まれて随分勉強をさせたものだが、「いったい日本の市場で何%のシェアーが欲しいんだ?」と尋ねたら「10%...」「無理ですよ。日産・トヨタで90%ですから...」と答えた覚えがある。

僕の居た東京日産は当時最盛期で3500人くらいの従業員で月販3500台位の恐らく自動車の小売店としては世界一最大だったろう。前記の流れの中で、オースチンを売っていたキャピタルモーターと言う子会社があったが、オースチンが製造中止で売る車が無くなり、片方では三井物産がデーラーセットするわけでは無くルノー契約期間の10年が過ぎても売れるわけではなく、次のディーラー探しをしていたので、僕の友人T,U君をキャピタルの社長に紹介して、輸入権のチェンジをしたのである。この会社でも10年ルノーを売ったけれども結局思う様には売れず、最後は日英自動車に販売権は移った。この間、僕は随分色々と調整役をやったが、ディーラーは多くの車種を扱えた方が有利だからである。然し、この間T,U君を通じ、ルノーの東京支社長のD氏と付き合ったが、「大きく考えて、小さくスタートするんだ」と言う言葉は印象的で、僕はその意味を「着眼大局着手小局」と言い換えて使っている。この交渉の過程で、ルノーの総裁が親会社の東京日産へ表敬に来ることなったが、早速、日産自動車の秘書室から「ストップしてくれ」と言う指示が来た。勿論、日産自動車にも表敬に行くことに成っていた。何と言う小さな腹の事か。その電話をして来た人は未だお元気だ。(でも、そんなに重要だったとは思っていないだろう)結局、東京日産の六本木本社で会わずに確か帝国ホテルで表敬を受けた。

☆ゴーン体制以降

マスコミでは、日産の窮状と新しいリーダーに焦点が移って行ったが、思いも掛けずレバノン人、ルノーからの人ではなくやや畑違いのキャリアーの人だった。今ここで彼が取って来た「コミットメント」に代表される方針事は書く必要性は無いだろう。企業の再建は・増資・遊休固定資産の売却・コストカット・人員整理しかない。コストカットでは車種を減らし、関係会社の資産売却から始まり、片一方では、車種を減らし多くの古い顧客を無くして来た。日産のあれだけ古い歴史と組織を変えていくのには、相当に芯の強い人で無いと、出来ないだろう。結局、企業再建に約20年近い年数を使った事になる。電気自動車、水素自動車等のアドバルーンを揚げているが、芯になり売れる車が無い。日本国内の報道では余りルノー本体の事は解らないが、ゴーンがルノーの社長を兼務するようになった時既にルノーの販売は伸びが止っていたのだろうと思う。さて、前記したルノーの日本における販売チャンネルの事など、ゴーンさんは勉強しようとも思っていなかった。彼の取り巻きにもそう言う歴史的な事実をご進講する人間は居なかったと思う。実は、僕の友人のT,U氏なんか貴重な人材だった筈だ。でもその時、既に彼は「外国人に使われるのは嫌だ」と言って、「その代わりにお前を推薦するよ...」と言っていた。その時あるレポートを彼が書いて、「何処宛に出そうか?」「ルノーの東京事務所が良いんじゃないの...未だ日産の中では誰が秘書をするか解らないよ」と言うやり取りを僕とした事がある。結局、そのレポートはゴーンには届いていなかったか?何のアクションもなく時は過ぎていった。この所、日産の中では人材が流動化している。僕はルノーとの提携は持ち株比率は対等がベスト最低でも60対40位であるべきだと思っている。兎に角、日本政府の国際感覚も乏しいしこの20年近い間に日産と言う大きなブランドを失ったと思う。

☆最後に

今まで書いて来た事は事実であり、今この事にタッチしていたのは、T,U君と僕と昔の総裁の表敬訪問にストップの電話を掛けてきたT氏だけだ。只、T氏は受け取り方が全然違い事務的に考えている筈だ。一時期でも50年前に日本最大(当時)のディーラーとルノーが関係があったことを知っている人は居なくなった。当時のキャピタルモーターの社長は引退後一切野球界とは縁を切った人だったが、プロ野球が前期、後期の2期制だった時代の阪急ブレーブスの選手で一度首位打者を取った事のある佐賀商出身の人である。ルノーのT,U君は甲子園9回連続出場した時代の小倉高~慶応である。僕は、T,N氏が社長をするときに「俺と一緒に部長でやってくれないか?」と誘われたが、諸般の事情でお断りをした。3500人も居る社員の中から指名された訳でその事に対する「感謝」の気持ちと九州生まれ同志の「野球の選手」と言う事で信頼関係は大丈夫と思い、お礼の意味も含めて両者を引き合わせたのだ。今度のフランス政府とルノーの問題がどうなるか?日産の労働組合が如何動くか?日産の歴史の中では組合問題は切り離せないが、日産労組の動向も見守るべきだし、日本の労働者の考え方の良い見本に成るだろう


"Diary 100" '15-5-5

2015-05-05 07:29:02 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

遂にDiary もNo,100回を迎えた。考えて見ればルーテイン・ワークになっている。日記を書くのが好き。と言っても、気分の優れないときPCの使い方が解らなくなったとき、何と言っても「電子的友人」が沢山、出来た事がはげみになった。勿論、恵のサポートも1週空くので随分と助かった。元の職場の仲間や後輩が良く見てくれるのも大きな励みだ。兎に角、周りのブロッガーを見ればもっと先輩の人がいらっしゃる。負けないように頑張り続けよう。

☆4・2豊川様

ワイフの英会話の勉強とぶつかり、一日日がずれた。然し、例月通りのお参りと菊屋さんで力うどん。2日だと参拝客も少ない。

☆4・10六球会懇親食事会

於いて 新宿クルーズ・クルーズ 「組織」と言うのは幹事のコミュニケーション能力(文章力)と(快勝)が一番の必要事項だろう。濱監督、小西幹事体制になりマメなインフォメーションと昨秋の快勝で、素晴らしい懇親会だった。20名が時間通りに集まり、加藤雄司さんが体調不調で欠席、河内君と僕の32年組みが最長老。ビッグネームは34年組みの元国鉄スワローズ赤木君が出席してくれた。つくづく年を感じる。早慶戦を5回出たと言う事は、雨でゲームが流れた年もあるから5年に一度の早慶戦だから、25~6年やっていたことになる。初めて人数が足りなくて、加藤さんから命令された時、28年卒までの参加基準に30年卒の遠藤さんと32年卒の僕が参加させられた。怖い先輩ばかりで試合でも懇親会でも下働きでビールを注いで回った事を思い出した。確か、増山副会長の父上も来られていた。今は長老会として認知されて、元三田倶楽部会長加藤太郎君、幹事長の椎野君、新世紀委員会の芦尾、田浦君等が参加して呉れたので、後の時代に繋がれて行くのは間違いない。今のチームはバッテリーがしっかりしているし、六球会最高の良いチームだ。後2年で、立教、法政の2試合を残しているが、全勝優勝を誓って瞬く間に2時間が過ぎてしまった。最近の会合でこんなに楽しい会合は久しぶりだった。

☆4・18八丁堀理事会

マンション管理組合の総会が近づいてきて、議題豊富 特に人事問題僕も交代をお願いしているが、もう一年やることになってしまった。八丁堀もマンションが増えているが、町会費を払っている所、払っていない所、とあるようだ。町会と言うのはどんな位置づけになっているのか?防犯か、消防か区役所か管理主体が解らなくなっている。多くのマンションが耐震、大規模修繕等金の掛かる時代になって来ているので、本当に問題だらけの日本だと思う。

☆4・22鐘友会展覧会

我が親・球友の山岡君がカネボウ時代のOBで集まっている鐘友会の展覧会に写真を出しているので応援見学に行った。場所は浜町の交差点前の小ホール。昨年も行ったが、この会は、彫刻、書、絵画、写真等可なりレベルの高い作品が多い。作品を見ていると昔のカネボウの人材の厚さが良く解る、と同時にこんな優秀な作品を作る人が集う会社が何故様変わりになるのか?考えさせられた。山岡君の今年の作品はベトナム旅行のもので風物だったが、改めて今の写真技術の進歩に驚く。近所の蕎麦屋で蕎麦を食べ、一時間位色んな話をして、帰りは銀座のキャノンのショールームを見学して帰って来た。

☆4・27ゴルフ

高校野球部の同級生橘君にゴルフを誘われた。彼は体調を崩して、1年半くらいゴルフをしていない筈。コースは相武C/C僕は京王線でめじろ台まで1時間掛からないのでO,Kした。結局、メンバーは集まらず二人でラウンド。4ヶ月ぶりでも第一打は彼のクラブを借りて良い当たりで、パーで上がった。天気は良いし、クラブも空いていたし快適なゴルフだった。スコアーは言わずが花。二人とも殆ど同じ...後半は目茶目茶...でもボール打ちは楽しいな。

☆六大学開幕神宮へ

対法政戦で幕が開けた春季の六大学リーグ戦、まさかの2連敗。ゲームの内容が悪い。団子レースのリーグ戦は予想していたが此れは酷かった。次の明治戦は何とか勝ち点は取ったが、此れもゲーム内容が悪い。兎に角、谷田、横尾の3番、4番が機能しない。一年生で入った時から3,4番を打っている。肝心の外野フライが欲しい時にポップ・フライが多い。長い慶応野球の歴史の中で、こんな3,4番は居なかっただろう。二人とも優れたものを持っているのは良く解る。特に谷田君は高校時代から熟視している。練習も度々見ている。何か、ベンチの狙う野球が「プロ野球」の野球のような気がする。大学野球の勝ち点リーグは、リーグ戦と言ってもトーナメント的要素が強い。一敗が後で響いてくる。高校も同じ風潮の様な気がする。投手力は非力なのは解っている。モット、バントの多用とかが必要だと思う。ボールは飛ぶし、選手の練習量も昔とは違っているし、体の違いも解っているつもりだが、「3番、6番、9番に谷田、横尾、沓掛を並べる」なんて言うのも面白いのではないか?他の選手が自分の役割や考え方を自由に考え直す事になるのでは?何かこの数年、慶応野球が他校と同じ長打、豪打を期待する野球をやっているような気がしてならない。