☆ 今度の旅は中学時代の野球部の妙に気の合うY君と麻布十番のコージーサークルへライブ(exp,Diary Ⅳ)を聞きに行った帰りに、急遽決まったツアーである。Y君の兄貴も野球部の2年先輩で3人とも3w(=weed,wine,womenの文学の3要素)が好きで、加えてmusicとbaseball。そして、今日までこの兄弟とは仕事上でも縁があり、50年も親しくしている。兄貴は今、現地バス会社の社長をしているが、「一度在任中に來沖しろよ」と言う誘いも有りY君が全部ブッキングしてくれた。
☆沖縄の自動車市場は専門語で言うと「流入市場」で昔は駐留軍人が帰国する時に置いて行った自動車が主たる商品であり、(本土でも米軍キャンプが在るところの周辺には「外車」を扱う自動車屋が多く、立川、福生周辺もその名残である)その他は殆どが本土から中古車業者が仕入れて売っていた。新車を買うだけの購買力が無く、下取り中古車の発生が少ないので、中古車は「流入市場」になっていた。80年代関東各地は「流出市場」だった訳である。丁度、本土では中古車オークションが盛んに成り出した時期で、この展開準備に沖縄へ行ったのである。確か、当時でも人口110万人くらいで、自動車の保有が100万台位あり、つきに4000台位の中古車登録があったと思う。
☆昔は宜野湾近くにオークションが出来る広い会場があったが、その近辺はすっかり開発されホテルやマンションが蜜集していた。大体、自動車屋は文化の発展度合いが進むと、街の中心部から離れて行く。地代が上がると経営が苦しくなるから、安い地代の所へ移る訳である。然し、今の沖縄は中古車屋と整備工場は東京に比べれば遥かに多いようだ。
☆往きの飛行機も修学旅行が多かった。海洋博や多くのイベントの跡地をテーマパークにして、観光客の誘致を図っているので、観光バスが皆新しく綺麗なこと、タクシーも本土並みの綺麗さであった。昔は塩害によるサビなどで床に穴が開いている様な車も在ったが、車の防錆性も良くなったのだろう。タクシー、バスの公共輸送機関は20年前と様変わりだったし、モノレールも出来ていた。
☆2日目は観光バスの定期観光コースで琉球村、万座毛等を回り名護から高速で那覇に戻って来た。改めて、米軍基地を良く見てきたが、P3Cが離陸している所が見えたり、一部返還されている広大な跡地の利用等を考えると、「何故、こんな事になってしまったのか?」沖縄問題の複雑さ身近に考えさせられた。
☆20年前の沖縄は田舎然とした基地の町で、昔は建物や風土がマカオに似ているなと思った。今度は、斜面に立つマンションは香港的だったり、リゾートや人口海浜はハワイ的だったり、街かどには台湾的な商店があったり、交通渋滞はサンフランシスコのブリッジ周辺のような感じがして、何か複雑な感じの旅だった。唯、間違いないことにはこの20年間に莫大な投資が行われた事は間違いない。沖縄オークションについては次の機会に裏話をしよう。