”Congratulation, Nadeshiko Japan!! What a great game! ”
女子サッカーのワールドカップで盛り上がった先週末。ゲームの真っ最中、私はワインカントリーの道を、もくもくと走っていた...
レースから帰ってきて録画していた日本vsアメリカの決勝を見た。結果は、知っていたので、ゴールの場面まで早送り。オーバータイムに入る前に、日本の選手は、フィールドでマッサージ/ストレッチをしてもらっている場面が映された。元アメリカナショナル-チームの選手だったコメンテーターが、“見て下さい、この違い。アメリカの選手はフィールドに立っている一方、日本の選手達はマッサージ、ストレッチをしてもらっています”と、言っていた。日本人の効率的、計画的な行動と、我ながら感心。
日本には、アメリカで教育を受けたAthletic Trainer、Strength Conditioning Specialist, カイロプラクターなど、“トレーナー業”で活躍している方々が多くいる。この道で、日本で成功していくのは厳しいんじゃないかなと、ふと思う。
まあ、成功の定義は、トレーナーとして有名になるって事,有名な選手やセレブ(特にこのBayareaでは)をトレーニングするって事じゃなくて、自分の好きな仕事ができて、仕事を通して良い経験ができて、生活面、精神面,経済面で満足できるってことだと思う。
一度は 、アスリートと携わる仕事をすることが夢と思っていたトレーナーが多いと思う。その夢がかなった人、追い続けている人とまちまち。また、トレーナーとして違った道を見つけた人、全くトレーナー業とは違った道に進んだ人もいる。私自身、大学で水泳部だった時に、トレーナーとして、Conditioning, トリートメントをしてくれる人がいないだけでなく、コーチも練習に出てこなかった。トレーニングは、先輩の指導、自分の経験、他の大学の人から教えてもらったトレーニング理論に基づいたもの。ケガをしたら、同僚から聞いて治療をしてくれる人を探して、自費(または親のお金)で治療を受けに行っていた。こんなことが理由だったのと、もともと運動生理学に興味があったのと、アメリカでのAthletic Trainerの資格があることをみつけだしたのとで、トレーナー業を志して15年前に渡米したのだ。
もう、10年程前になるけど、アメリカで勉強しているうちに、日本ではあまり仕事の機会がないのに気がついた。日本人のNATA 公認のAthletic Trainerが急激に増加していたにもかかわらず、アメリカに比べて日本では,プロスポーツのチームの数も少なければ、大学体育会で、部としてトレーナーがいるところがあっても、大学としてトレーナーは必要とされない。また、組織の中でAthletic Trainerとしての権限がアメリカのトレーナーほど尊重されないようである。その上、病院以外での理学療法のクリニックも数少ないし、パーソナルトレーニングでもあまり需要がない 。
と、いうことでアメリカ生活にすっかり浸ってしまったのと、仕事機会があるということで,この国に居座ってしまったのだ。今は、フリーランスでパーソナルトレーニングだけでなく、トライアスロン、スイム、ランのコーチングもしている。自分がコーチしているクライアントが良い結果を出すと、自分が良いレースをしたのとは、違った満足感が得られて、結構楽しい。その一方で、責任を深く感じるんだよね。いつも、心に留めておくようにしていることは、どんなに選手、クライアントが成功、目標達成しても、それはトレーナーのお蔭なんじゃなくて、その人の努力によるもの。トレーナーは、そのサーポーターに過ぎないのだ...