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“10-year Anniversary” ('18-10-20)

2018-10-29 20:55:35 | Megu's Sports

★Megu's Sports

上半期、a long race weekend以外は、旅をすることなく、ひたすら仕事とトレーニングをしているみたいで、長い6ヶ月って感じていた。7月に入って、レースが続き、旅に出ていたら、あっという間に10月も後半。毎年のパターンだけど、この夏から秋にかけての時間の経過が、超早い。

今年の10月で、個人事業主・フリーランスになって10年経つ。えっ?! そんなに経つのって感じ。フリーランスになってから4~5年しか経ってないような。AXISで雇用されていた7年半の方が、Evolution Trainersでの10年より、長かったように感じる。今だに、新米個人事業主のように、仕事の安定を心配したり、何かAdministrationの面で、やり忘れていることがあるのではとか、そわそわが、頭の中にある。その一方で、自分のライフスタイルにあったスケジュールに、settled inして、年に数回、コミュニティーカレッジと大学院のプログラムでプレゼンテーションさせてもらう機会もあり、3年前から、”Race-cation”に年一度行ける機会を作れるようになって、ラッキーだと言うしかない。

この10年で、変わったこと。Nothing drastic。だけど、徐々に、自分の意思を伝えることにComfortableになったこと。人に言わせれば、(特に、日本人から見れば )、物事はっきり言い過ぎに思われることが多いかも。だけど、これは、Survival Skillのひとつ。意思を伝えること、個性を維持することって、大切。ただ、人の気持ちを傷つけないことと、Professionalismを保つことは、忘れずに。

Evolution Trainers、オーナーのAshley Selmanが、ユニークな”Coworking” の環境を作っている。この仕事、性格、仕事の仕方、コミュニケーションの取り方、得意なことなどなどを通して、自分のブランドを作って行ことが必要で、一緒に働いているトレーナー、みんな無意識に自分のブランドを築いてきている。Evolution Trainersは、お互いが尊重しあって、競争もなく、個性の強い個人が、Coexist している仕事場。10年前の、AXISの閉鎖は、私のキャリアにとってのBest Turning Point。10年間、大きい、小さいUp・Downは、常にありますが、仕事、人間関係、生活の面で、毎日何かしら学ぶことがある。というか、独立してからは、何を学んだか意識的に考えるようにしているようで、1日ひとつは、”Do what makes me happy”をすること・していることを気づくようにしている。成長したかな。まだまだ、成長の余地があるな。今の自分があるのも、フリーでやってこられているのも、AshleyとEvolution、と理解のある私のクライアントのおかげというしかない


“雑事で一日暮れる”  ‘18-10-23

2018-10-22 22:11:14 | Massy's Opinion

Massy’sOpinion

・朝いつも目が覚めるのは、5時半位。ワイフはもっと早いかな?

大体6時半位にラジオ日本の岩瀬恵子さんの番組を聞きながら7時頃まで、ベットの中で手足のストレッチと腹筋運動を少し...

7時15分位に起きる。、玄関のカギを開けて新聞を取り、植木に水を撒く...洗顔して、PCのメールとニュ-スのチェック、8時朝食のパターンである。

・16日の日は、朝6時頃、ワイフが「パパ、大変よ。池のポンプが倒れて頭のモーター部分が全部水に漬かって居るわ...」此れは大事である。ポンプのモーターが水に漬かったら使い物にならなくなる。急いで飛び起きて池を見に行ったら、本当にそうだっった。直ぐ冷たい水に手を入れてポンプを引き上げた。勿論、電源のコンセントを抜いて...ポンプは池の端の方に置いてある。それなのに池の真ん中の方に倒れていたのである。

「一体、どうして倒れたんだろう?犯人は誰だ?」と考えたが思いつかない。今年は3匹の鯉が死んだが皆20年位で、具合が悪くなるとよくポンプの傍に寄って来る。一匹一番大きい奴(45センチ位)が夏場はよくそんな動作をしていた。まさかポンプを倒すようなことはあるまい。

もう60年位この形の同じポンプを使って居る。前回もブログに書いたが、鯉も大きいのが2匹後は小さい(15センチ位)のが5匹であるが、そんな小さい奴がポンプを倒すことは出来やしないし、今まで一度も無かったことである。直ぐ取扱説明書を読み、モーターのカバーに成って居るアズマヤ風のカバーを外す。少し濡れていたが意外によく防水出来ている。製作元は「タカラ水産」と言う専門メーカー、電話して事情を話すと「随分、元気な鯉ですね。そんな話聞いたことがありませんよ。モ―タ―の傍に白いランプ状の物がついていますが、それの色が変わって居たら浸水していますね。」「この間買ったばかりだし動けば大丈夫?」「もしダメでしたらポンプだけお買いに成れば...」と言ってくれた。先ず一安心「動かなければそうしますよ」警告灯は半分黄色く成って居たが、ドライアーで乾かし動かしてみた。幸いに動いて呉れた。

・アズマヤ風のカバーを取り外すのに小さいビスを5本外さなければならない。工具ドライバーはあるが、目が見えない。眼鏡を取りに行き作業に掛かる。処が。途中で眼鏡のフレームが欠けてレンズが外れてしまった。ダンヒルブランドの遠近両用メガネである。気に入っている眼鏡で振り返れば18年位使って居るか?レンズは異状なし、「さて如何しようか?」「此れならセメダインで付くかも知れないな」所が先日何かを直すのに使って空に成って居るな...そこで、セメダインを買いに行くことにした。「木工用」のセメダインが意外に何でもよく接着できる。浜田山には、セブンイレブン、ローソン、イイダ、西友、成城石井とコンビニがある。ローソンには雑貨物の扱いが、結構ある。一番初めに行って見たが、「アロンアルファー」は有ったが「セメダイン」はない。アロンアルファーは接着力は強いようだが速乾性も強く、作業しにくい。西友に文房具が少し置いてあるので行って見たが矢張りセメダインはない。イイダは食料品主体で勿論ない。結局、行き道2000歩の「オリンピック」まで行かざるを得なかった。一番売り場面積の広いオリンピックには、自転車売り場、園芸品、ペットショップ迄ある。セメダインは大小2種類あったが、大きいのを買おうか?小さいのを買おうか?迷ったが500mlの小さいのを買った。値段は大きいのはml当たり1/3は安いが、そんなに頻繁に使うものではないから小さい方にした。

僕は疎開した小学校4年生の頃には、模型飛行機造りに夢中に成って居た。疎開の時、一番大事にしたのがアルコール瓶一本のセメダインである。銀座に筑紫と言うお菓子屋さんがあり、そこで模型飛行機や材料を扱っていた。疎開先の伯父さんが僕をからかってセメダインの瓶の蓋を開けたままにしてしまう。僕は、泣いて伯父さんに「セメダインが飛んじゃうよ...」と文句を言って、「セメダイン坊や」と揶揄われたものである。浜田山駅周辺には、学校も多く文房具屋さんも2軒あったのだが、一軒は3年位前に閉店して歯医者に賃貸し、もう一軒は1週間位前に矢張り閉店して、スター銀行に貸してしまった。そんなことでセメダイン探しに一苦労してしまった。昔は接着剤と言えばセメダインだったが、今はボンド、アロンアルハ―に押されて展示量が少なく成って居る。ここでも場所取りの厳しい戦いがあるんだろう。直ぐ、営業の努力と競争を考えてしまう。

さて、話が少しそれてきたが、眼鏡の修理である。本職はこういう場合どうするんだろう?僕は眼鏡はずっと渋谷のイワキを使って居る。イワキは高いけれどサービスがよい。何処が良いかと言うと先ず「検眼が丁寧で確実」このPC時代にカスタマーリストは手書きである。従って、お客様の要望ややり取りが克明に記録されている。勿論、PCを使うところは使って居るだろう。今度も状況を話すと、女性のカウンターレデイ―が、即座に「増田様そのフレームでレンズを2度変えられていますね」「うん、2度も変えているかな?そうすると20年位使って居るのかな...疲労骨折だね」

「セメダインで付けば、よろしいですが私どもではレンズはその儘で、同じようなフレームを探すことをお勧めします...」まあ、当然の答えだと思う。「やっぱりね、取り敢えず僕はセメダインでやってみるよ」「はい、解りました、巧くいかないようでしたらお持ちください。フレームを探しますから...」と言う事で、セメダインで接着に掛かった。丁寧に張り付けて輪ゴムで2重3重に止めて24時間以上置いておいた。巧い具合にくっついて今このブログ書きに使って居る。以前、ワイフが眼鏡スーパーで眼鏡を買った事がある。直ぐ「眼鏡合わないは...ヤッパリ安物はダメね...」

「お前レンズは何処の眼鏡屋でもニコン、保谷、セイコー殆ど同じ、検眼のやり方、店員の熟練度が違うんだよ。後、顧客管理、自動車デイ―ラーも同じさ。サービスのフロントの合理化をしようとする、検討部署はすぐ顧客リストをナンバー順で作ろうとする、フロントでは、顧客順でニュアンスの残る応対の第一声が大事なのさ...」よくこんな議論をしたものだ。兎に角、あわただしく体を動かして疲れた一日だった。ポンプも治り動いているし、眼鏡も何とか奇麗に治り早朝から午後一時半頃まで掛かってしまった。ポンプの犯人はカラスではないか?と言うのが今の所の推測だ。

 

 


“外国指向”    ‘18-10-16

2018-10-15 22:25:52 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・最近の日本は、超高齢化と人口減少で移民を多く迎え入れようとか、入国後の生活のしやすい環境を作ろうとか、色々な議論が行われている。

政府の発言も僕らはテレビ、新聞、ネットの媒体を通じて知るのみだから詳しい事は解らないが、身の回りを飛び交う話から世界の中の日本を考えて見よう。僕が海外に目を向けるようになったのは、一番大きいのは矢張り太平洋戦争だったと思う。その前に支那事変があるが、本当に身近に外国を感じたのは、太平洋戦争に敗戦し、米国が駐留してきた事だろう。

・それから、急速に外国に目を向け欧米に追い付け、追い越せの風土が高まり今日の日本に至ったのだ。人口減少で外国から移民を受け入れようとしているが、安倍さんは遠い将来を考えて居るのだろうか?如何もそんな風には感じられない。僕は、幸か不幸か成蹊には3年お世話になり、慶応にもお世話になった先日も僕と同じような過程を踏んだ友人と「お前よう、成蹊は良い学校だったな...」「うん、本当にいい学校だったな一学年4組位しかなく、家庭的だったよな」「成蹊と慶応と余り校風が変わらなかったのも良かったんじゃないの」「でもね、学校変わっていろんな事を覚えたでしょう」「うん、そうだな、そして良い友達が出来たよな」「安倍さんは学校変わらないからダメなんだよ...」「僕たちの時代には旧制成蹊高校から東大に行った人が多かったよな」って言うような話をした友人が居たが今年に入って亡くなってしまった。

・今この年令になって進学について考えて見ると、親父の意向が強かったのか、お袋の意向が強かったのか、解らないが多分親父の意向が65%位だったように思う。戦後、アメリカ文化が魅力的でラジオはWVTR=FEN(今のAFN)ばかり聞いていて「Hawaii Call」や「One Night Stand」は必ず聞いて居たものだ。然し、アメリカに行って見たいとは思ったが、生活しようとは考えなかった。中学の英語の教科書「Jack &Betty」の中に「World Is Glowing Smaller」と言うのが出ていたが、「地球が小さくなるってどういう事?」と随分考えたことが良く思い出される。今、正にそう言う時代になって来ている。

・そして、僕の中学時代に芽生えていた海外に対する興味が、今の外国人との接点に成って居るのかも知れない。1970年頃、自動車の部品商から喫茶店に商売替えをしたが、幸い店は流行った。いつも零細企業は人手不足これは矢張り低賃金によるのだろう。止むを得ず外国人のアルバイトを使うことにした。初めての子はマレーシアから日本語学校に来た女子だった。見ず知らずの子を使う訳だったが面接のときお姉さんが同行し、上智大に行って居ると言う事で採用した。日本語学校に1年半居て、卒業して中央大に入った。当時の日本語学校は寮とは名ばかりで8畳に12人位を泊めている様な状況で、酷い物だった。日本語学校を卒業して大学に進むとなると保証人が必要になる。皆、それで困ってしまう。結局は僕が保証人になって上げるしかなくなって、金銭的な保証なのか?何の保証なのか?入局管理局に聞きに行った。保証人の資格は、年収600万(当時)以上の人で身元の保証だけだと聞いて、「いい学生さんもいるから、保証人になって上げて下さい」と係員の女性に言われた。それ以来20人位保証したかな?2年間我が家にステイした子もいる。この子は台湾人だが一年過ぎても帰国しないので、お母さんが心配して妹と二人で我が家に訪ねて来た。結局2週間泊って行った。僕は会社、ワイフは店、二人とも朝早く家を出てしまう。お袋と犬だけが留守番言葉は両方とも話せないし、凄く心配だった。でも最後はそのお母さんが炒め料理を作ってくれて「謝謝」と言って帰国した。この子は「郭」と言う。前記したマレーシアの子は「陳」と言う。マレーシアから男の子で「Chen」と言う子も2年位家に居た。お袋がとても可愛がり、ある時、お年玉に3万円も上げてしまった。Chenがお祖母ちゃんから「こんなにお年玉を貰ってしまったが、3000円だけ頂きます」と言ってきた。この時からお袋のボケがハッキリしてきたのだ。

・留学生との交流で色んな事を知り、僕の海外指向は余計に強まってその後のLPG車の台北の講習、北京、上海、広州、福州、香港を回るタクシーキャブの売り込み、ヤンゴンへの350台のタクシー中古車の輸出等、日産の最後の戦いを挑むことに成ったのである。

・さて、こんな外国人留学生との関係で、付き合いの輪が広がった。ミヤンマープロジェクトの時は通訳が必要になりミヤンマー大使館に通訳の紹介を頼んで、当時大学生のTと知り合った。彼は日本で生活をしたいと言うので、僕の会社で採用することにした。もう一人慶応工学部大学院に北京から来た学生も色々お世話したが彼は工学部だけど折角慶応に入れたので、「経済」も勉強したいと言うので「慶応読書会」に特別に入会させて貰った。優秀な学生だったし工学部で触媒を専門にしていたので、就職は大丈夫だろうと思ったら、「松下」「三洋」等大手の就職試験で不採用になってしまった。実際には外国人学生の就職は難しかった。結局、中国人同志でソフトの会社を起こし10年位務めていたが、その後、Adobeに入り、今はAdobeのサンノゼ本社に勤めている。北京に行った時、岩谷産業の事務所にお世話になったが、そこの事務所の女性は、日本語が素晴らしく巧かった。「日本何処に行って居たの?」と尋ねたら、「日本には、行って居ません」と言う。岩谷の人に聞いたら、「日本に行った人は、悪い事ばかり覚えて来るので、使わない」「日本語はこちらで十分に覚えられますよ」と言う返事だった。 こんな経験から、外国人の雇用は本当に難しいと思う。政府の偉い人たちは外国人雇用の難しさを本当に解って居るのだろうか?今、この時代から時を経て、僕の関係した留学生の子供達が大学生に成り、親たちは殆どそれぞれの国で良い生活をしている。そして、子供たちを留学させる時期に成って来た。日本に長期留学させようと言う親は残念ながら一人も居ない。この25年間でそれだけ日本の存在価値が世界では薄くなっている。ハワイ、ブラジル等日本の移民が沢山行った時代もあった筈である。東南アジアから労働力不足を補うために移民の受け入れをしようと言っても、一番低賃金の職種の人手不足を補おうと言う事だけでは、良い交流は生まれない。前記した僕の知っている外国人が子供を何処の国へ留学させようとしているか?具体的に記してみよう。

・Mrs, Tマレーシア 本人 中央大学卒 ご主人留学経験なし 長女イギリス、長男イギリス イギリスでも離れた場所で独立心を持たせたい。

・Mr,C  マレーシア 本人 立命館卒  奥さん近畿大 現在ホンコン在住 長男 カナダ (家庭教師二人付けていた)

・Mr,Z  中国人   本人 慶応大学院卒 奥さん中国人明大卒 子供は小学校はアメリカ 将来未定

・Mrs, 台湾人   本人 青山学院卒  長女 台北の大学と短期交換留学で千葉工科大

色々聞いてみると、子供本人の外国指向が70% 経済問題が15% その国の安全性が15%位か...残念ながら最近では日本に来たいと言う声は殆どない。

 

 

 


“不順な天候続き”    ‘18-10-9

2018-10-08 21:17:12 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・激しい気温差 地球温暖化の影響か 災害の多さが世界的に異常

・台風の進路 例年にない進路

 我が家の庭の木が異常(例年比較)

・「露地物」

柿       よく伸びたが実がならない

金木犀     4本あるが花付きが悪く、いつもの甘い匂いがしない

ハナミズキ   我が家は赤いハナミズキだが、今年此の木だけは、花も良く咲いた

つつじ     3本あるが皆 花付きが悪かった つつじがこんなに咲かないのは、60年間で初めて

クチナシ    大きい八重のクチナシと一重のミニとあるが大きいのは3メートル位の木だが、3つ位しか花が咲かなかった ミニクチナシは樹も大きくなったが良く咲いた 鉢で育てている木はもう5年位になるが、全然花が咲かない

寒椿      植わっている場所も日陰だが例年通り、それなりに花は付いた 此の木は僕の小学校の時からある

赤目樫     ガレージの周囲に植えてあるが良く伸びている。花は無い樹であるが、うどん粉病が昨年からついている

羽衣ジャスミン 匂いが良いので、表の塀と庭の中の池との仕切りに植えてあるが、今年は全部花が咲かない。葉先が枯れて酷い物 他所の家の木も同じようだ(咲いているお宅もあるが...)新しい弦は伸びているが形がととのわない

ぐみ      此の木も古い樹で二股に分かれていたが古くなったので片側は切って、形を整えたが、精の強い樹で白い花が咲き赤い実がなる 今年は花も咲かなかった。毎年野鳥が実を食べに来るのに今年は皆無だった もう此の木は公園にもご近所のお宅にもない

アジサイ    咲くことは少し咲いたが、アジサイ特有の花の色が変わらない

楓       此の木は近所の柏の宮公園から小学校の6年位の時大きな楓の双葉の芽が咲いていて可愛いので取って来て家の庭に植えたもの 可哀そうに葉が伸びすぎるので、庭の隅に植えられて、毎年枝は剪定の対象、でも元気

木蓮      赤い木蓮だが花は殆ど咲かなかった もう今年は葉が落ちてしまった

バラ      クリスチャンディオール良い樹で毎年楽しませてくれるが、今年は義理に4輪くらいしか、花が咲かない

立葵      此の木は丈夫何回も植え替えているが、 今年も6つ位の花が咲いた 

・「鉢物」

バラ      4つのミニバラ、やや大きめのバラがあるが花は殆ど咲かなかった。葉っぱも色が悪く、害虫も少なかった

日日草     これは丈夫、今年も4株植えたが皆花もちも良い。ただし高温が続いたせいか花の丈が伸びて余りミバは良くなかった

ニューギニアインパチェンス これは矢張り4株プランターに植えたが矢張りセイばかり伸びて、僕の好きな特有の葉っぱのダークグリーンが何か薄く艶がなかった

シルキージャスミン この木も難しい 寒さに弱いのか10月の末には室内に入れてしまう 花の時期が解らない背が伸びない これは例年並みか

マダガスカルジャスミン 蔓草なので下の方は葉が落ちてしまい先へ先へと延びてしまう それでも花は6つ位咲いた

ポトス     これは室内だが変化なく伸びていた

折鶴蘭     ポトスと一緒室内で元気に枝分かれもしていた

沈丁花     昔、大きな紅白の沈丁花があったが、家を建て替えた時、抜いてしまった 以来何株か「地」に植えたり 「鉢」にしたり紅白をそろえたくて苦労しているが特に「紅」が育たないし 入手が困難 今あるのは何とか持っているが、花は義理で少ししかつかない。来春はどうなるのやら…  

幸福の木 此の木は本当に強い 木の形が悪くなり 思い切って鉢から抜いて形を整えたがトップから新しい葉が出て来る

スイレン 小さな畳一畳位の池があり葉の直径が15センチ位のスイレンがある これは今年はよく花が咲いた

布袋草  お隣さんで増えすぎて布袋草を分けて呉れた これは良く育って すぐ池一杯になりよく花も咲いた 3回位間引きをした

・「池」

畳一畳 深さ50cm位の池 もう作ってから70年位 水は井戸水と循環ポンプ今迄にもアオコだとか穴あき病とかいろいろなピンチは在ったし色々な思いではある 最高では7匹の60センチ位の鯉がいた 今年は3月から5匹の内3匹が死んだ 2匹では寂しいので13センチ位の鯉を5匹買った いつも小西養鯉場で買っていたのだが、世田谷の店が閉店したので、広島の本店に頼んでみた どんな送り方をしてくるのかな?と思っていたら70㎝x40cmx30㎝位のボール紙の箱にビニール袋に空気を入れた専用の箱で元気に届いた 色の注文はしたが、これは大きくなると大体色が飛ぶので変化は今後のお楽しみだ。大体鯉の寿命は20~30年位だそうだ

 ・さて、今年は本当に小さな庭に例年にない「異常さ」が目に付いた。一日に一回は植木や池を見ているが、全く珍しいくらい異常さが目に付いた花屋に聞いても「不順な天候で市場にも物がないですよ」と言っていた。異常と言えばトカゲ、バッタ、トンボには出会った いったい彼らは何処で繁殖しているのだろう 自然と言うのは強い物だ しかし、こんなに不順な年は初めてだ そのたびに昔の柏の宮や神田上水が思い出される。


“Diary 141”     ‘18-10-2

2018-10-01 19:02:07 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

9/1 浜田山診療所、豊川稲荷、うおがし銘茶

この9月は、健康診断や、免許の更新だのが有って毎年、何かと神経を使う月。でも、淡々とこなして行くだけ...と言う事で朝一番で健康診断。

一番心配は、仲間が殆ど引っ掛かっている前立腺のPSA。これがこの10年位数値は変わらない。心電図も一か所跳ねる所があるが、医師も「本当は一度精密をした方が...」と言うだけ、肺も異常なし...と言う事で終わり、眼科も視力は落ちているが眼圧、眼底異常なし、これも豊川さんのご利益かと。例月より時間は遅れたが、お参りに行く。銀座の「うおがし銘茶」に回る。店長が僕の車を見るとサービスのお茶を外まで持って来てくれる。あの店は本当に流行って居る。もとは築地市場 15年位前にアメリカ人から教わった店だ。お茶は温度だと思う。何時も85度と指示される。

 9/5 シーボニア 昼食会 於シーボニア・クラブ

談論風発一番楽しい会だ。ただし今回は女性の参加がゼロ。天皇陛下のご親友、明石さんがこの所、休まずに来る。男ばかり7名。皆、日産のディーラーの役員経験者ばかり、どうしても昔話になる。一番初めにハワイ日産の社長をしたM氏が来た。「Mさんお世話に成りましたね、その節は...今、誰が社長?」「もうアメリカ人に売りっぱなしちゃったよ。ゴーンさんが...」「あの時、Mさんに、ハワイの解体車どうしているの?と聞いたの覚えて居る?」「今月初めて、4000台、メインランドに運ぶんだ」と教わりましたよね。確か1984年頃だったかな...「今、バヌアツとかトンガとかの島嶼国では解体車の処理に困っているんですよ。やっぱり製造者責任で作ったメーカーが引き取るべきだと思うんです。その代わりそのメーカーの法人税はその掛かった引き取り費用(運賃)分は法人税を減額する。と言うような事が必要だと思うんですがね」一同沈黙...こんな真面目な議論もしているんです。ひと時でも皆、昔の様に元気になる。

 9/8 六大学野球 対東大

リーグ戦開幕慶応の初戦は「最近レベルが上がって来た」と言う東大戦。兎に角、部員が100人を超えたと言う。噂通りに良い打撃振り、慶応も投手陣が凄く層が厚くなり、林助監督の何か機械を使った練習の成果が出て来たようだ。それにしても慶応もいいチームになった。一応勝ち点を挙げる。

9/11  慶4会 於 小田急 さがみ

酒井マネージャーの懇切丁寧な案内で元気な人間は皆集まった。総勢6名。昼間から日本酒を飲み、さがみで2時間、後、喫茶店でコーヒーを飲みながら1時間半、雑談して解散。

 オーストラリア レース参加とバケイション 10日~22日まで。毎日インスタグラムに写真を入れて来るので、無事の連絡だろう。

 9/18  Yoko Live 新宿 SomeDay   With 浜田均 カルテット

Yoko月一回の東京ライブ。最近は、バイブの浜田均さんと組むのが多い。今月は浜田さん以外ピアノ、ベース、ドラムは違うメンバー。ピアノが初めての人らしく、初めの内は少し調子が合わなかった。相変わらず客は10人位。でもプレイヤーは段々熱くなって演奏は盛り上がる。Yokoさん 僕の好きな“Where or When”をレパトリーに入れて呉れた様だ。ただし、余りに古い曲で、ピアノさんは初めてだった様だ。

9/22 六大学野球 対明治  Chie 来宅

明治戦は今シーズンの山場の戦いになると思って居た。どうしても生で見たかったが、台北からChieちゃんが来ると言うので、テレビ観戦にした。

菊池の思わぬ乱調で一試合落としたが、2勝一敗で勝ち点は取れた。兎に角、未だ優勝に希望は残った。早稲田が意外に頑張り立教から勝ち点を取った。優勝は、早慶戦がらみに成りそうだ。塾高も頑張って居るし、新チームを見た連中の話では、打撃が良いと言って居る。なんであれ、甲子園春夏と連続出場しているし、大学は3連覇を狙う今シーズン慶応野球頑張っている。しかも、塾高は幼稚舎出の4番バッターが生まれて嬉しい限りだ。Chieは交換留学で千葉工科大学に6ヶ月の留学だそうだ。日本語、我が家での会話には不自由はない。色々、話を聞くと交換留学の制度も、寮が完備しているので、費用も少なくて済むらしく、結構充実した制度になっている様子だ。まあ、月一度位は我が家へ来ることに成りそう。

 9/29 六大学野球 対法政

台風の悪天候で延期。10/1に行われた。初回1点を法政に先行されたが、6回小原が左翼へホームラン2対一と逆転そのまま高橋~高橋のリレイで第1戦を先取。此の一勝は大きい。早慶戦に優勝が掛かるような展開になるだろう。兎に角、気の入ったプレーで良いチームだ。明日のゲームが最大の山場かな?