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“Exercises are Supplements” (09-22-2022)

2022-09-26 21:45:23 | Massy's Opinion

★Megu's Sports

何で、運動することが大切なのか?ほとんどの答えは、“健康のため”でしょう。そうなんだけど、“健康のため”って、かなり漠然とした答え。多分、多くの人は、“健康のため” =“病気の予防”って考えているんだと思う。

先日、アメリカに留学するにあたって、お世話になった方から、クライアントを紹介してもらった。彼は、今、東京でパーソナルトレナーのジムを経営している。彼のクライアントが、サンフランシスコに引っ越してくると言うことで、クライアントが、引き続きトレーニングをできるようにと。と言うことで、彼のクライアントとFacetimeで、ミーティングをした。彼女は、サンフランシスコ市内に住むことになっているので、Mountain Viewでセッションをしている私のところまでくるのが、難しい。なので、セッションはVirtualでということに。彼女の、エクササイズのルーティンは、週1度;たまにウエイトトレーニング、呼吸法を使ったエクササイズ、コア、等、トレーナーによって、フォーカスが、まちまちなセッションをしていたよう。それ以外は、何もしないと。とりあえず、週一でも、時間をつくろうという考えは、良いこと。でも、週一は、Better than Nothingだけど、何を維持しようとしても、週一では足りないし、効果があるかは、疑問。仕事が忙しすぎて、時間が作れないとのこと。彼女は、まだ若くて、特に医療的にPre-existing Conditionがないので、現在のライフスタイルでも、後5−10年は、精神的にも肉体的にも問題ないかもしれない。アスリートのように運動しろというのではなく、若いうちから、体のケアをしないと、後々、何かしら問題が出てくることがあると。

そして、うちの母ちゃん。今年、84歳になる。右股関節リプレイスメントを2回;2度目の手術の後、病院のベッドに座った時に、大腿骨骨折。で手術。左膝半月板の手術と、4回も手術をしている。その後、私が言っても、日常生活の自転車での買い物、通勤、家事などが運動。確かに、これも、Better than Nothing。だけど、時間を決めてリハビリや、そのほかのエクササイズをしていなかった。そして、2年半前に、台所で転んで、大腿骨の首を骨折・手術。で、ようやく、5回の手術・30年経って、毎日決まったエクササイズをするようになったNever too Late, I suppose。これは、リハビリだけでなく、また転ばないように;転んでも耐えられる体を作るための予防。

ここで、私が言いたいのは、運動は、ビタミンのようなサプリメントと一緒。私のクライアントとのセッションのモットーでもある。毎日、10分でも、自分の“健康”のための時間を作る。そして、それを継続するっていうことが大切。1時間時間が避けないからしないというのでなく、毎日、少しでも、自分のための時間を見つける。みんながみんな、運動が好きなわけじゃないから、継続できるようにするためには、10分歩く、15分のヨガなど、ニンテンドーの体を動かすようなゲームでも何でも良いから、自分に合ったものを見つけること。“健康”っていうのは、病気にならないというだけでなく、病気になっても、怪我をしても、それに耐えられる・回復が早くできる体づくり、自分の好きなこと- それが、仕事かもしれないし、マラソン、MMA, 釣り、フォトグラフィー、子供・孫の世話・遊ぶことなど-が、楽しめるような体の基盤をつくること。また、自分の時間を作ることは、ストレス解消にもなり、体が痛みやだるさがなく動くことができるようになると、気分も良くなると。今、何も“健康”のためにしていない方々、このサプリメントをSmall Stepsで試してみてください。

 


“転業のプロセス Ⅲ”   ‘22-9-20

2022-09-19 22:18:06 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*銀座 ママの経営感覚

・僕の大好きな昔の銀座

ご存知の通り、銀座にはバーが沢山あった。‘60~80年代が一番華やかで匂いのする銀座だった。面白い話は、山ほどある。しかし、此処では、印象的なママさんの話を書いて置こう。

・ル・ピノのSママ

銀座のママには、店を出すまでに色んなプロセスがある。例えば、「歌が大好き...」「経済的、家庭的事情、父親が亡くなって、兄弟の面倒を見るとか...」である。この店は僕が大学4年の時に、一度誰か先輩確か、ラグビー部だったかな?連れて行って貰った事があった店で、新橋の銀座寄りの角の2階で12~3人のスタンドバーである。会社に入った時に日産の経理部の人に連れて行って貰った。

ママの出自を聞いたら、日産の経理部に居て、後の社長石原さんの下に居たそうだ。その後、銀座7丁目に移り、石原社長が偶に一人で来たことがあり、僕は3度位社長にお会いした事がある。女の子も初めは二人位で、後に6丁目、5丁目と店は引っ越して、業容を広げて行った。最後は、僕の慶応野球部の先輩のビルに偶然入った。そのビルは、その先輩の店もあり、僕の御客さんが、保証した店もあり一度足を踏み入れたら良く掴まってしまう店だった。段々、女の子も増えて、当然、給料も歩合制を取り入れる様に成って、一番古い子を日産担当にした。その子が、晩年、独立をすることに成り、ママはまさかそんなことは無いだろうと思って居たのだろう。相当ショックを受けて、彼女の担当のお客の売掛を保障しろと言うことに成った。その彼女は、僕の所へ泣きついて来た。話と売掛の内容を聞き、困ったが保証人に成ることにした。「何でSママは僕が保証人に成ったら、きっと驚くだろうな...」と思ったが、300万位なので色んな飲み仲間に頼めば大丈夫だろう...と思って保証人になった。此のママは、器量は良くない。いつか、「ママどうしてお宅は女の子が皆、長く務めるの...」と聞いたら、「私はこんなご面相でしょう...だから、将棋の王様には成らないのよ。何時も指し手に成る様にしているの...」この言葉は凄く印象的だった。40年位続いたかな。今でもビルは在るが、オーナーは先輩から他の人へ変わっている。あの先輩も色んな商売をして居たが長続きはしなかったな。

眉のママ

ミス、M、Nと言う、ある有名画家のモデル。当時、銀座には「久松」だの「お染」だのと言う店があった、客筋は一流の有名人ばかり、紀伊国屋の田辺社長なんかが毎晩来ていた。価格は安くはなかったが、そんなに高くはなかった。お店は、女の子は美人ばかり、全員着物、11時までは女の子にはタバコを吸わせない。キチンと品格を保った店であった。ところが、独立する子が多かった。ママは嫌な顔一つしない、必ず、新規開店お店には、「眉」M,Nと大きな花輪を出す。店を出した女の子は、大喜び...或る時、ママに「ママ、又お宅の...子お店を出したね、ママ偉いね...何時も開店祝いを出して...」「どうせ、銀座の商売はお客様のキャッチボールよ...」「そうだよね、あのこの店は、小料理屋だものね、帰りに「眉」へ来るよね...」此れも、印象的な話だった。商売はお客様より、「同業者の信用」が大事と親父に教わった事があった。

・平田のMママ

「眉」出身のママで美人。「眉」で3年位居たのか?その後、独立して「クラブ平田」と言う店をオープンした。女の子は、若い子で奇麗な子を集めて20年位やって居たかな。初めの頃の女の子の中にMちゃんが居た。テレビタレント希望でアルバイトで「平田」に来ていた。良くメーカーの仲良しと行き、開店の時には「絵」を送ったりした。当時、自動車業界は、トヨタの追い込みが凄く、月末の登録業務は、貸布団を借りて来て、会議室に泊る様な仕事をしていた。

「平田」がオープンした頃、月末に成ると、平田のママがお寿司の差し入れを飯台2つ位持って会社へ差し入れに来て呉れた。僕は守衛さんに一つ「いいだけ食べて...」と分けて上げた。こんな所為か、僕は、守衛さん、電話交換台には凄く人気があった。「平田」では、お店が終わってからママとMちゃんを誘って「ナイトクラブ」行ったものだ。すると、あくる日。Mちゃんのお母さんが、会社へ「昨晩は、Mがお世話に成りました」と電話が在る。此れには、正直な処、マイッてしまった。彼女が結婚するまで、彼女の従妹二人、日産の関係会社に就職の世話をしたり、住宅ローンの借り方、銀行の紹介等、随分、面倒を見た。この話が、本題ではない。「平田」のママは25年位で店を止めた。勿論、車は日産車、教習所は品川自動車を紹介した。ママは、「眉」の教えを守って、彼女は、お世話になった眉のママの所には、コロナ前まで、30年位、毎年年末に挨拶に行って居た。それと、従業員が店を出すと、必ず、お祝いの顔出しに行った。僕も、3軒位お相手に付き合わされた。彼女の実情は、父親はインパール作戦で戦死。晩年その地迄お参りに行って居る。兄弟の面倒を見る事が、大切な必然性だったのだろう。店を閉めたあとは、住宅を藤沢に作り、「増田さん、銀座で20年働いたら、家の一軒位建てられなくては...」と言って居た。兎に角、元従業員を大事にする人だ。80過ぎても、ゴルフをやって居る。

・瀬良美のOママ

僕の家の周りには、ジャズマンが多い。一番走りは、「シックスジョウズ」のドラム当時法政の予科に通っていた、南広だろう。「シックスジョウズ」は、今は、大事務所に成ったナベプロの渡辺晋がバンドマスターの人気バンドだ。家の真ん前には、名バイブマン増田一郎の家があった。よくジャズコンサートの切符を呉れた。或る時、「真夏の夜の女性ボーカル」と言うコンサートの券を貰い、親友のN君と聞きに行った。隣の席には、女性二人、休憩時間に廊下へ出たら、隣の席の女性と顔が会った。彼女がコーヒーを呉れた。如何も「素人ではないなあ...」と言う感じ。色々話をしていると、青山で店をやって居ると...それから、数か月後高校野球部の同期会が青山で在り、二次会に行く事に...「おいNよ、この前のコンサートで会った女の子の店へ行って見ようよ...」と言って、数人で行って見た。「こんな処にこんな店が在るの?」って言う様な、青山の裏通りに1階は小料理屋、二階は会員性のクラブがあつた。入ってみるとイや...驚いた。賑やかでお客も女の子も歌のオンパレード...僕はその頃、リース部長をして居たが、何しろ、メーカーの褒賞金を当てにしないで、食えるディラーにしよう思い、個人リースを考えて居た。特に、高い車で人気のある「フェアーレデイー」の個人リースを考えて居た。丁度、瀬良美のママが「Z」を欲しいと言うので個人リースの一号にしたのである。或る時、少し早めに家へ帰ったら、前の家にリース1号車の「Z」が止まって居る。「えーっ」驚いた。前の一朗さんの所へ「歌」を習いにOママが来ていたのである。その後、銀座へ店を出したが、此処も客筋が良かった。青山の時には、尾上梅幸さんと二人っきりになり、「さのさ」を唄ってくださいよ。と言ったら歌って呉れた。テープにでも取って置いたら宝物だ。僕のワイフの店が仮店舗でオープンした時、Oママがお祝いに来てくれた。僕がお礼の電話をしたら、「マサッさん、あのお店、伝票100枚位でしょう...」と言った。ワイフには売り上げ予算として「1日、伝票100枚」と言って居たので、彼女の経営感覚の鋭さには驚いた。兎に角、客扱いは素晴らしい。でも自分がエースのお店。希望は、「銀座にお店を出す事。白いベンツに乗る事。ジャズが上手く成る事」銀座に進出して、不幸にも体調を崩して、一度閉店した。その後、病気の具合が少し良く成り、小さい店を再開したが、矢張り無理だったのか、閉店してしまった。どんな難しいお客を連れて行っても、絶対にお客様の印象を悪くすることは無かった。赤坂プリンスで原信夫さんと#&bで30周年祝いパーテイーを遣り、CDも1枚出したので、想いは遂げたと思うが、青山、当時にはライブもやって居たので、三保敬太郎君を紹介したり、女の子のオーデイッションに付き合ったり長い付き合いだった。青山時代から「ビュッフェ」の絵が1枚あったが、未だ持って居るだろう。接客センスは兎に角、抜群のママだった。

*長々と昔話を書いたが、小さな店は経営者の人柄や考え方がすぐ出る。大きな組織に成るとトップの意向は中々表面に出て来ない。組織運営の難しさだ...。


”転業のプロセス ⅱ" '22-9-13

2022-09-12 21:18:37 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*前々回 同名のタイトルで、自動車部品商からコーヒーショップに転業した時の事を書いた。文章や言葉にすれば、簡単の様だが今考えると「良く出来たな」とつくづく考える。

そして、一つずつ判断を間違えずに勧められて来られたなと思う。今の時代、100年に一度の大変革の時代だ。本の広告、ネット上のキャッチフレーヅにこの種の「how to …」物がいかに多いか?でも書いて居る人は若い人、当然、経験も少ない筈。その辺では、僕は引けを取らない何しろ今週の土曜日には「有難い事に、米寿を無事に迎えられた」からである。

*経営に絶対必要な事。数字に強く成る事だ。そして、数字の意味を部下に伝えられる事。

此れには、最小単位1グラム、一人当たり、等を意味する。僕は、幸いに商人の家に生まれて、苦労した親父に育てられて、中学生に成ると月、3円のお小遣いを貰い、小遣い帳を付けさせられた。月末には、小遣い帳と余ったお金を揃えて見せて、翌月のお小遣いを貰った。

此の記帳で、使途不明金を記帳する事も覚えたが、直ぐ親父に見破られた。そして、発生主義で「本当に落としたなら落したと書け」と怒られた。こんな事をお祖父さんが、親父に教えたとは思えない。屹度、親父が起業して、店員を使う内に身に着けた事だと思う。僕は、この事は「損益計算書」(一定の期間の売り上げ―費用=利益)と利益に通ずる一番大事な事だと思って居る。

*「貸借対照表」(ある時点の財産の状態)は、まあ、正直な話、15人の取締役が居たとしよう。経理担当の役員以外は60%位しか理解して居ないだろう。僕の入社した会社は、当時,入社時月販600台位の日産車を売って、世界一の販売会社(1957年当時)だった。役員は13人位いた。

僕は、労働組合の委員長をして居たが、「経理担当の専務位会社の経理を解らないと労働組合の言い分は通らないな」と経理部の組合員を重用して、「貸借対照表」の勉強をした。

僕が、長く使えたM社長は、日産メーカーで部長代理をして居た人で、後に東京日産で社長に成った人だが、全然経理の事は解らない人だった。随分、個別に二人っきりで御進講した物だ。そんなレベルで事は済んだ時代である。今は、科目が多くなり過ぎて、何処の会社でも財務諸表は非常に難解。特に、銀行のこの財務諸表は難解で、株主総会時に壇上に並んでいる多数の役員も多分、自分のパートしか解らないだろう。

近年は、「キャッシュフロー計算書」も追加され「財務三表」と言われて居るが、詳細は別にして損益、貸借の概要は、解るように自分なりの理解はして来た。

何時でも従業員に売り上げ目標だけは、徹底的に叩き込んだ。喫茶店でも、自動車販売でも、同じである。僕は、東日リースと言う会社造りを命じられた事がある。その時、資本金1億円、銀行保証10億お願いしますと社長にお願いした。「君、何考えて居るの?10億何て...」「社長、リース会社はお金が商品ですよ...」と言うやり取りをした事がある。2年間で3人の仲間と自動車以外のリースのパターンは作った。御多分に漏れづ関係会社を売り払う時代が来たが、東日リースは一番、最後まで残った。僕の後任は、「マスさん,僕はリースの事は解らないから、金融をやろうと思って居るんだけど、如何かな?教えて呉れよ...」「いいんじゃないの、リースは金融だもの」と云った事がある。

*さて、最後に日産特販の社長を命じられた時には、僕の考えて居た、理想的なディーラーにしようと思った。全車種扱い、地域は全国、中心は大口需要(業務用)である。日産自動車の国内販売のスタッフと話し合いをした結果生まれた会社である。実務的に会社を運営する事に大事なのは、銀行と印鑑である。メーカーには管理部と言う部署があり、ディ―ラーの損益を管理する部署である。幸い、そこの部長が親しかったので、「よそのディーラー社長印は如何して居るの?」とか教えて貰った。経営で大事な事は「資金繰り」である。これに失敗すると、黒字でも倒産する。特販の時は、設立時の地理的な関係から、銀行の支店が遠かった。月末時なんかは手形を運んだり、大変であるそこで支店の変更をしなくてはならない。銀行も組織であり、計画、予算が在る。大口が突然「支店変更する」と云ったら困る筈だ。そこで、1年位の見込みを建てて、当時、富士銀行の四谷支店の支店長に要旨を話に行った。次の支店は、浜松町か神谷町にしよう。僕としては、「神谷町の方が良いな」と思って、ワイフに話したら、ワイフは、「公私混同に成るから神谷町は止めて...」と言う。

それで、同業が多いので比較されると嫌だなと考えて居たが、浜松町支店に窓口を変えた。

自動車販売は金額が張るので、支店としては結構大きな問題の筈だった。少し、脱線気味の話に成ってしまったが、この時期、今から35年位前の話であるが、僕の経験の中で、転業と会社設立と自立できるディーラー造り、タクシー中古車350台のミヤンマーへの輸出、香港への30台の輸出、北京のLPG博覧会へ中古車の左ハンドル改造車の出品等、会社トップの経験は、貴重な宝である。


“Diary 188” '22-9-6

2022-09-05 21:53:40 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*8・6 山田壮晃 Bigband コンサート 於 Jz―BLat

何年振りだろう。コロナ以来だから、3年振りかな...Yokoさんから遠慮深く、お誘いを頂いた。久しぶりのフルバンド・ライブ中々聞く場所もないし、機会もない。山田バンドはコロナ前は毎年、行って居たのだが、Yokoさんも出ようか?出まいか迷って居た見たい。

何か時節柄、客数は減らしたようだが、ほぼ、満席の状態。山田さんは、もともと、ブロー、ブロー系のスタイル、ペット4、ボーン4、テナー2、アルト2、バリトン1、ピアノ、ベース、ギター、ドラム各1の17人編成。ゲストに五十嵐明要さん歌手は山田さんの奥さん有佳さんはじめ、Yokoさん、最高齢は多分沢村まみさんを含み6人、一人3曲ずつ。2時間半位。山田バンド、何か少し、大人しくなった様な気がした。お客さんは、皆、出演者の知り合いか何か...よく知っている人が多い感じ。もう原さんの「#&b」もないし、貴重なフルバンドになってきた。歌手も6人も出ると、それぞれ個性を出すので面白かった。

*高校野球

コロナ騒ぎの中、日程調整とか、裏方は大変だったろうと思う。しかし、無事に仙台育英の優勝で無事に全日程をさしたるトラブルもなく今年の全国大会も終了した、お陰様で、われわれ、野球好きは、大谷君と高校野球で、酷暑の8月をstay homeで過ごす事が出来た。

感じることは、野球が変わって来たこと。各校の指導者が若返えった事もあるかも知れない。

それと、高校生の体が大きく成った事。大胆に大リーグ風な戦術取り入れて、1-2番に最強打者を並べる事、各校、投手一人ではなく、継投が当たりまへ、背番号が大きい子でも五分の出番を待って居る顔付が違う。体造りは何処の学校でもやって居るが、ウエイトリフテンィング系から、ストレッチ系にこの10年位に変わって来ているので、いい体の子が本当に多くなった。相変わらずの県外選手も多いが、どこかで、横浜高校の元監督渡辺さんが「県外選手の出場は駄目だな」と言って居るとか...大谷選手の影響か、関西から東北の学校に行く子がいるらしい。準決に残ったチームから12人位ドラフトされるのではないか?

*ウクライナ問題

予想外に長引いているこの戦争。ウクライナも絶対にロシアの領域には攻め込統一協問題はまない。米國やNATOがついて居る事ロシアも知っているくせにそれ以上の攻勢を取らない、要するに旧ソ連邦の国内戦争の一線は守って居る。経済制裁も決めつけ迄は行かない。本当にウクライナの国民は気の毒だ。何処まで?いつまで遣るんだろう?世界はそれまで相互依存をしているのだからもう決着をつけた欲しい。矢張り、米ソ戦争か?プーチンの暗殺か?

*経済情勢

安倍ノミックス、長期政権の弊害か?日銀の政策の過ちか?統一教問題で日本は肝心な事の考えが無くなっている。20世紀は、自動車の様に経済を牽引して、世界に存在感を示せる物があった。今、誰がそんなことを考えて居るのだろう。マスコミの低調さも酷いもの。

*世の中で感じる事。

宣伝、広告が過激になって来た。企業は内情大変だ。今度,「神戸屋」が一部山崎パンに事業を売った様だ。それでも、製品は神戸屋ブランドで売るらしい。サプリメントの広告も兎に角、過剰だ一度過剰広告を取り締まる必要が出て来ているのではないだろうか?僕はサプリメントを広告につられては買って居たが、此の処で全部止めにした。健康は、自己管理と神様の仰る通り(いつもワイフの言って居る言葉)インターネットの広告も酷い。これは取り締まりが難しいだろう。兎に角、大変な世の中に成って来た。