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”シリコンバレーは特別な場所"     ’17-2-28

2017-02-28 16:22:38 | Megu's Sports

”週刊ベイスポ”=ベイの日本スーパーなどで手に入る。ベイエリア在住の日本人向けの週刊新聞。知り合いのカイロプラクターのKさんの紹介で今回、載せて頂きました。まあ、こんな機会も滅多にないので。 此の記事のための質問、言いたい事を短くまとめるのは、難しい。”自分の専門分野について”、"その道に進む事になったきっかけ”など。これらには、長い理由と過程が付いてくる。...and日本語。字数を少なくするには、いい言語だけど、感情、感覚、実感などの表現が限られていて難しい。最近、日本で大学受験していて良かったなと思うのは、こんな時。 と言いながら、今日は、ウイルスと溜まった疲れにより、久し振りに家でおとなしくせざるを得ず、不機嫌になっているところ。睡眠は、大切。日頃、足りない睡眠を、Catch Upするには、丁度良かったりする。こんな日のBlogの投稿、写真を載せて、楽をしてみる...。

P,S     

写真と新聞は、Face Book のMegumi Masuda の欄「Bay Area」に暮らすのリンクアドレスをClickして見てください。


“Valentine17”     ‘17-2-21

2017-02-21 07:32:15 | Massy's Opinion

 ★Massy’s Opinion

・漸く日差しも春めいてきた。今年の2月は何か月中に飲み会が続いて来た。何年ぶりであろう、11日、13日、14日とValentineを目途に夜更かしが続いた。

 ・11日 渋谷 パンダレストラン

僕の中学は成蹊。野球部に入ったのはこの時から...戦後の学制改革で学校が揺れ動いた時代。旧制7年生高校の中では、東大へ入学率の高い学校だった。野球部はあったが、中学は軟式ボール、高校のほうも部員が少なく同じグラウンドで練習をしていた。僕が慶應高校に入って、もう一人上級生に野球部の人が居た。その後は、50年くらい野球部の人間は入っていない。毎年、新入部員の名簿を見ているが、一人も居なかった。12年位前に一人の子が大学の野球部に入って来た。野球のレベルも違うし、直ぐ辞めてしまうのかな?と思って、呼び出して会って見た。「おい、H君どうして野球部に入ったの?4年間辞めない...」と聞いたら、「成蹊の野球部から東京六大学に入った者が居ませんから、入りました。4年間や絶対に辞めません」と目を光らせて答えた。「ウン大丈夫そうだな...」 丁度、此の頃、成蹊中学から慶應高校に入り野球部に入って来た学生が一人居た。中学を辞めないと慶応を受けられないし、「相当優秀な子だな...自信があるんだな」後で聞いたら高校受験7つ受かったそうだ。S君と言う此の子、大学ではクラブチームに転じたが此の3人で毎年一回は食事会をしている。もう一人HT君と言う子がいるが、此の子は大学はアメフトに進んでいる。HT君は、僕の成蹊時代の同級生の娘さんとHT君のお母さんが一緒(孫世代)との事。S君の父上は「慶應野球部応援団」の会合にも来られるし、今度、W大出の女性と結婚すると言う。H君は子供が出来て、「可愛くて仕様がない」と言う。月日の過ぎるのが早いなあと痛感しつつ社会人の暮らし方、「勉強は一生のもの...野球の友達は大事にしろ...」と長ッ話になる。辞めようと思いつつもつい「あれも話したい、これも話したイ...」と。「これから世の中は、人脈と資格だよ」

 ・13日 吉祥寺 ライブハウス Some Time  

昨年末の木津ジョージのクリスマス・パーティーで唄った女性ボーカル「Yoko」さんが出ると言うメールが来た。その他の出演情報もあったが、場所的に我が家から一番近い吉祥寺の古いLive house ”Some Time”へ行くことにした。本当に慣れ親しんだ吉祥寺以前行ったこともあるしお連れは如何しようかな? Swingの好きな奴で無いと気を使うし...

歩く距離が長いのは、ワイフにはきついかな?と考えながら、結局、ワイフと行くことにした。吉祥寺の再開発を終わっており、綺麗になったのには驚いた。ワイフの言うとおり、「ユザワや」でウインドショッピングしたのち、駅前の通りをSomeTimeを思い出しながら探して歩く。其処だけは、昔の通り、地下への階段も昔のまま、1時間スタート時間を間違えて一番乗り...30分位すると、ミュジッシャンが入って来る。 ピアノ西真樹、ベース桜井郁雄、ドラム木村由紀夫のトリオである。僕は、事前にYokoにメールでリクエストを入れておいた。初めてのライブだからSwingの歌い手と言うのは解かっていても、ジャンルがあるし、バックのメンバーとの相性もあるだろう。僕のリクエストは、“Where or When” “Lover” “Cocktail for Two”の3曲である。Yokoから余り唄っていないので...事前にメールは来ていたが...結局、2ステージ聞いたが、リクエストは唄わず...でも、今日は私のお客さんで、「三保敬の同級生」と話したんだろう...休憩時間にピアノの西さんが僕等の席に来て、「僕、#&bに居た時の三保さんの譜面大事に持っていますよ、彼は本当に天才だ」と言いに来た。バンド仲間から「すげえ」「巧い」と言う話は良く聞いたが「天才」と言うのは初めてだった。Yoko 今の女性シンガーであのジャンルを歌う人はいないし、彼女が先生と慕う、峰純子さん以降の女性シンガーはいないだろう。大人のシンガーだ。

 ・14日 銀座 Ami’s Bar

僕の高校時代から野球と夜遊びの近友U君、それと野球応援団の仲間S君に誘われた。損保勤めで定年になり、昔少し三保敬さんに習った事がある同級生がピアノを弾いて、同級の女の子が唄うからJazz Barに行きませんか?と誘われた。その店は阿見さんと言うバイブ引きがやっている銀座並木通りの店。U君も早速昔を思い出して、「マッサン、ジョージを連れて行くよ」「お前、辞めろよ、仲間の仕事場には行きたがらないよ...「大丈夫、仕事が入って居なければくるよ。偶には付き合うだろうよ...お多幸でおでんを食ってさ...」

「お前、もう旦那遊びはやめろよ」(芸人は人の仕事場には行きたがらないもの)結局、もう一人小学校の同級生の女性が入って4人で「お多幸」へ行って、Ami’sBarへ行く。 さすが阿見ママ「あら!ジョージさん...タキシードで無いので判らなかった...」ジョージは何時もタキシードで唄っている。僕は、阿見さんのバイブを聴きたかったのだ。ピアノのヒロ大島さんも三保敬と同じ様なフレーズが、出てくる。昔、三保、全盛時代の六本木の話し楽しかったな。阿見さんは僕のうちの前のバイブの名手「故増田一郎さん」に習っていた人。一郎さんの弾き方とこれも同じ様なフレーズが出てくる。唄はS君の同級生とても65歳には見えない。「あら!Massyさんですか?私ブログ読んでますよ!」 初めて会ったのに...

二日続けて、延べ4ステージSwingを聞いてきたわけ...それで、貰ったチョコレートは、小さいのが本当に一つだけ...兎に角、今年のValentineは久し振りで、本当に面白かった。「マッサン、ライブ面白いね...3月5日浅草Hub ジョージだよ」  早く、野球が始まらないかな...  


“トランプと貿易摩擦”    ‘17-2-14

2017-02-14 00:01:24 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

・最近のニュースでは、「日本で何故、アメリカ車が売れないのだ?」「貿易不平等だ」と言う声が聞こえてくる。

・「トヨタ」の対応など、少し、「トヨタ」らしくないと感じられる。「問題ない」と言っていながら「追加投資」を後から発表している。

・どのニュースも現在の事に追われすぎて、少し以前のことを忘れて居るのではないか?

オバマ、安部「すし屋会談」の時にも大統領は「自動車を買って呉れ」と同じ話をしている。但し、ハンドルの話等、具体的な出なかった。人は変われどである。日本への自動車輸入には関税は0である。ドイツ車が日本に入ってきているのは、右ハンドル車が有るからである。又、日本の現行法で左ハンドルの禁止はしていない。基本的にアメリカの広大な国を走り回るのには、米車のサイズや排気量が必要だろし、日本では必要ないのである。

・僕の持論は、勿論、「通行区分の世界統一。2070年を目指して...」だ。

トランプも車の台数による貿易の不均衡さは解かっている様だが、此の関税の細かい所までは解っていないだろう。「京大東アジアセンター ニュースレターNo,655’17-1-30」に大阪能率協会の福喜多俊夫氏が、「エスカレーターで右側に立ち、左側を空けるのは非科学的?」というレポートを書かれている。歩行して行く人々が関東では右側を空けているが、関西では左側を空けている。身近なところに「統一」という大事な問題が気付かずに見逃されているのである。此の問題点に物造りに携わる人は気がついて欲しいものだ。果たしてトランプは何処まで細かい所まで知って居るのやら...

 ・今から40年位前に中古車の海外輸出を考えた。もう既に飽和状態に成りつつある日本の国内市場を目の前にして、新市場開拓のプロジェクトを組んだ。3名の人間で、「輸出担当部署設置のご案内」という文書に書いて、商社に送り、三名のスタッフには各国大使館周りをさせた。僕の考えた輸出は部品の供給も出来るように、そして国内では中古車として売り難いプレジデント、セドリック等の車を中心にした。やがて3ヶ月くらいの過ぎた頃、ある大使館から、セドリックの引き合いが来た。予算を聞き所謂中古車仲間で言う「ピンピンの車」3年物24000キロ走行の車を選び納車した。処が、船積みする段になったら、「走行キロを70000キロ以上にしてくれ」「折角、極上の車を探したのに...」「70000キロ以上だと関税が安くなるんだ」大使館相手に商談をして、中古車の関税に関する知識はこの程度の知識なのである。この時の車は、勿論、シャシーダイナモメーターに載せてメーターを巻いた。現在、世界至るところに日本の中古車は輸出されているが国々により此の関税問題は非常に多岐に渡っている。僕は「円決済、埠頭渡し」の商売以外は絶対にやらなかった。船に積まれて、世界各地の陸揚げされる港、通関業務なんてとてもではないけれど対応できない。それでも、針の穴のように小さいポイント(個人、個人のルート)を通じて年間100万台を超える中古車が輸出されているのだ。此れに加えて、相手国の車に関する法律も異なるし、これから、自動車の貿易摩擦が又起こりそうだし、動向に注目である。

 ・自動車の軽量化のプロセス

経済原則の中に「費用逓減の法則」と言う法律があった筈だ。造れば造るほど原価は「安くなる」限りなく0に近づく...と言う訳。それに対して、「シルバーストーンとマキシーの法則」と言うのが在って、費用が下がって0に近ずくが、「在る点に来ると原価は低減しない」と言う原則がいわれ始めた。なぜならば「その生産物の物質の重量はなくならない」からだ。自動車は正に大量生産の産物であり此の原則に沿いながら素材から作業時間まで軽量化と構造の改良が行われてきた。昔の小型車にもドライブシャフト、デフ、があり後輪駆動だった。ミッションも今ではエンジンと一体になっている。しかも、昔は車台(シャシー)が在りその上に車体(ボデイー)が載っていた。今では車台とボデイーが一体化されて、軽量化が進んでいる。ある意味では、フオードに始まった大量生産が極限に近づき、人間の手ではなく、ロボットにより殆どの部分が組み立てられ、車両サイズの区分の変更に伴い軽自動車が大きくなって来て、充分使用目的に耐えられる様になって来た。特に今年のモデルは室内の広さを競うためにエンジンルームが一回り小さく成った様に見える。次の時代は「自動運転自動車」に進むのだろうか?然し、此の経済性、道路等のインフラ、など大きな格差の存在する地球上では先ずインフラの整備が大事だと思う。しかも、世界的に共通な「統一」が必要だと思う。コストダウンの重要性は当たり前の話。

 ・スズキがトヨタと資本問題は別にして、トヨタと提携する意思表示をしたので日本の車はトヨタ一社になったかと思ったら、電気自動車狙いで、日立自動車の生まれると言う。幾ら競争の産物、資本主義では競争が進歩の元と言うが、もうボツボツ競争の方向を改める時期だと思う。今日のトランプ・安部会談のやり取りを期待していたが、貿易摩擦問題は余り出てこなかったようだ。然し、「日本を手放さないよ」と世界にアッピールしただけに過ぎないように思う。昨年5月TPP対策で、国土交通省と警察庁がヤット自動運転自動車について「自動車の仕様統一」に向けてスタートを切ったのに、今度のトランプの出現で昔に戻った議論になってしまうだろう。「道路運送法、道路運送車両法」(道路交通法は今のままでいい)を偉い閣僚にキチンと理解して貰い、日本の法律に適合した車両をアメリカに作って貰いたい物だ。

・トランプ・安部会談を大きな関心で見守っていたが、さわりの話は出なかったようだ。此れからが、大変だろう。日本の国会のレベルでは、大変だ。此の頃は、官僚に有望な人材が見当たらない様だ。


“ Diary 121” ' 17-2-7

2017-02-07 08:05:45 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

2017年も早や1ヶ月を過ぎてしまった。此のスタイルでDiaryを書いていてもマンネリズムのきらいがあるが、「継続とは力なり」同じスタイルで続けよう。但し、今回は月中の特に感じた事柄に時間を掛けて見よう。GooBlogは前年の記事をアップしてくれる。それを見ると此の数年全く同じ暮らし方をしている。同じ様なことが、「継続」できる事に感謝である。

・1・1初詣 豊川稲荷

例年通り親子3人で午後からお参りに行く。少し空いている様に感じたが、それでも本殿から外まで一周の列。並ぶのは大変なので、本殿の脇からお賽銭も上げず形だけのお参り。ワイフと恵は何時もの様にお参りをして、アメリカからのお札の焚き上げをして、新しい年のものを買っていた。僕は、何か最近お参りに熱が入らない。

 ・1・2恵 帰米

2日も恒例、恵の帰米を送りに成田まで...エクセル東急からリムジンバスで。空港のレストランで食事をして時間待ち、此の日も恵は、朝からランニングと八幡様へ初詣と御神籤引き。驚くべきスタミナ...

・1・12 21世紀の会 新年会 於 ニューオータニ 岡半

此の日も恒例の岡半で21世紀の会の新年会。大分、メンバーも若返り、会長は柴田君から居合い抜きの浅野君に交代。お世話役も交代して、若返った。会の運営方法はもう16年目、崩れる事は無く続いて行くだろう。

・1・16 平田杯 新年会 於 汐留ShanFang

此の会は、16年前、某ゼネコンのOB、M氏が当時、横浜C,Cのメンバーで割引券が手に入って、二組で始まった会。一人メンバーが足りないので僕がゴルフ好きのレディーを呼んだ。それ以来彼女の名前を取って「平田杯」となった。今は、彼女がスクールの仲間を呼んで、華やかになっている。とは言っても、男子平均年齢76歳、女子72歳、年2回のゴルフと新年会&忘年会。ゴルフも年齢もレベルが揃っていて話題も豊富。今回は汐留の“ShanFang”天厨菜館(台北、渋谷等)の流れを汲む店でとても美味しい中国料理、 飲み放題のコースで6000円、3月ゴルフの再会を期してお開き。さすがに2次会に行く元気は無し...

 ・1・18光琳New Year Concert 於 クルーズクルーズ新宿

浜田山に「光琳」と言う凝った「お蕎麦屋」がある。そばの種からご主人が茨城の方の畑で作っていると言うお店。その店のBGMは全くお店の出し物には不釣合いな「Swing Jazz」  ご主人は、クラリネットの名手鈴木章治に習っていたとか...そこで、「そば光琳ご愛顧感謝新年会」が開かれた。バンドは鈴木直樹(章治の甥)クインテット。此のバンドはバイブの宅間君が実に巧い。会場の都合もあってピアノレス、ドラムレスの構成だったが、白熱した熱演の2ステージ。110人くらいの入場の超満員。成蹊野球部の後輩、高橋君が面倒を見てくれて正面の一番前の席で久し振りの熱演ライブ面白かった。

 ・1・25 リーデイング新派 観劇&打ち上げ会 於 はち巻き岡田

「樫の会」丸山理事長に薦められて、三越劇場に出かけて、「リーデイング新派」と言う新しい試みを見に行った。基本的には、「朗読劇」である。出し物は「春色 浅草ぐらし」「風流深川唄」の二つ。両方とも、原作は川口松太郎による、明治、大正時代の恋愛人情劇である。今までに3回くらい朗読劇を見たが、本格的舞台の上で演じるのは初めてだった。感じた事は、

・テンポが速い(舞台、幕間の準備が要らない)

・今では比較的に目に付かない新派であるが、当日は7名の俳優さんが出た。若い俳優さんが多いのは意外だった。

・女優は今着物の着こなしの一番巧いと思っている、「瀬戸摩純」さん一人である。多分彼女は新派のエースになるだろう。観劇の終わった後、丸山先生に誘われて、「銀座復興」(水上瀧太郎原作)のモデルとなった「はち巻岡田」での打ち上げ会に出た。約12名位、知っている人はM先輩だけ。女性が2名出ていたが、熱狂的な塾高応援団の鳩サブレのオーナーと珍しく小学校から高校まで成蹊でその後、慈恵卒の眼科の先生Hさん、勿論僕より一回り年下だけれど成蹊の先生方の古い話や野球の話、そして、ワイフの手術をして貰った故藤井先生(当時、巨人の槇原投手の膝を手術した部長先生)と同世代で、話題が尽きず、凄く盛り上がった。一時間位遅れて、当日主役の瀬戸嬢が駆けつけてくれた。彼女が「はち巻岡田」の引き戸を開けて入って来る姿は、正に新派の舞台そのものの雰囲気で、席は僕の隣に座って呉れた。宴会は、本当に盛り上がった会に成り、早速、皆、携帯で写真を撮ったり、Facebookのお友達になった。初めはチョッと遠慮していた会だったが、正に「ご縁」に恵まれて、ジャズコンに続いて記録的な楽しい会だった。(写真 Facebook 参照)