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'25-8-1 ブログの引っ越し

2025-08-01 21:45:31 | Massy's Opinion
★massy's Opinion
思いも掛けないGooのサービス停止でこの一月あまり大変苦労した。
それでも、7月は2件、恵が1件合計3件のブログをabema にアップすることが出来た。未だGooの方にアクセスされる方も多い様だが、Face BookのUpdateの欄の最後にAbemaのアドレスを載せてあります。クリックすればAbemaのブログが見えます。“サヨウナラ 長嶋監督”あまり他では知られない様な昔のことを書いてあります。是非、ご一覧下さい。さあ、8月は今まで通りにやれるやら...我ながら随分いろいろと書いたものだね...と思います...

'25-6-25“Semi-Annual Tokyo Visit”

2025-06-24 14:34:33 | Massy's Opinion

★Megu's Reports
・コロナで1年半、日本に行けなくなって以来、年に一回でなく、年に二度、東京に行くことにしている。一回は、大抵、シーズン初のレース後で1週間ほど。もう一回は、年末、2週間弱という感じだ。年末に行くと、冬は冬の良さがあるけど、春・初夏に行くと、緑の多さ・深さに圧倒させられる。東京では、紫陽花が至る所で咲いていた。
今回のステイは、6泊7日。あっという間。短いけど、充実したステイと言ってもいいだろう。

・大学の水泳部の友達と久しぶりに会った。年々ぶりだろう?10年以上かな?でも、そんなに久しぶりって気がしなかった。私は、お茶しながら座っていると、ソワソワしてくるので、“どこかに歩きにいこう”って言って、明治神宮に行くことにした。6月に明治神宮に行ったことがない。ちょっと暑い日だったんだけど、神宮の中は、木に囲まれていて涼しい。カフェがあるところには、外にテーブルがあって、多くの人が、緑に囲まれた中で、話をしてたり、休憩してたり、本を読んだりしている。神宮の中には、中庭があって、池には、蓮の花が満開で、菖蒲田の花菖蒲も満開だった。こんな都心のど真ん中に、これだけの土地と静かな庭園があるのは、impressive。一度、冬に行ったことがあったかもしれないけど、こんなにカラフルではなかった。

・大学の親友が、実家に来てくれた。また、スイミングのコーチも、仕事の後に、実家に立ち寄ってくれた。昔から、うちの両親のこと、よく知ってるので、両親も親友とコーチの訪問、楽しんでいた。

・あとは、みずほ信託の担当者が来たり、もう長いこと、うちの事業でお世話になっているFさんが、来てくれたり。 “世代交代”が、この5−10年ほど、トピックになっている。まあ、少しずつ、うちの事業がどうなっているのか見えてきた気がする。ので、このようなコネクションを大切にしていこう。

・年末に帰った時もそうだったんだけど。親父は、たまに外出してるけど、コロナ以前ほどではない。89歳ぐらいまで、ほとんど、あちこちが痛いと文句は言ってなかったが、この数年、足首などに痛みが出てきて、機嫌が悪い。うちの母ちゃんに同じことを注意しては (直さない方も問題があるけど)、声をあげている。第三者から見てみると、同じことを、同じような言い方で40年以上言い続けてきて、相手がそれでも変わらないということは、親父の言い方が効率的ではないってことを受け入れて、コミュニケーションの仕方を変える、または、“人を変えることはできない”ってことを受け入れるってしなければ、お互い、嫌な思いをするだけなんじゃないかな。これが、伝わらないのがもどかしい。親の関係を見ていると、自分のにも反映しているなと、つくづく思う。

‘25-6-17“2ジャズとの関わり合い 3“

2025-06-16 23:29:23 | Massy's Opinion
★Massy‘sOpinion 
*三保敬太郎君との出会い
高校から慶応に転校した僕は2年の時に、三保君と同じ組に成り隻も前後で並んでいた。その頃、彼は[cool note]と言う塾生ばかりのバンドでモダンピアノを弾いて居た。テナーは西城孝之介だった三保君は夜遅い仕事で、遅刻が多い。 僕は、野球の練習に行きたい。そこで、お互いに「代返」をしようと言う事に成り、処が彼は約束を守らない。それなのに優等生に成ってしまった。それ位、頭の良い秀才だった。当時、盛んだった学生のダンスパーテイでは、Cool Note は圧倒的な人気があり大変な物だった。ウラバンドは、リリオ・リズムエアーズかデユークエーセスが多かったな。
*敬太郎君とのその後の付き合い
卒業後彼は、TBSへ入社し演出部の配属に成った。5年位居たかな?その後独立して事務所を作った。免許を取ってから、急速に自動車にのめり込んでいった、詳細は僕のblog「ドキュメンタリー箱根路」に書いてある。フォードの次にスポーツカーの真っ赤なMGAのオープンを買い、暫く乗って富士真奈美さんを六本木に追いかけて居た。この車は、ジャズ評論家のイソノてるをさんに売り、
イソノさんの奥様がぶつけてしまったと、或るライブでご一緒に成り、ご本人から聞いた。
この頃から敬タロー君は、自動車レースにのめり込み確か「ポルシャエは飛んだ」(題名は違ったかな?)と言う映画を作り、日本グランプリ(か何か大きいレース)フェアーレデイーに乗り3位に入った。
*瀬良美 小倉婦美代ママとの付き合い
或る時、「真夏の夜の女性ボーカル」と言うジャズのイベントがあり増田一郎さんからチケットを2枚貰い親友N君と聞きに行った、休憩時間に隣の席の女性がコーヒーをご馳走してくれた、当時は23歳位に見えたかな。素人には見えなかぅた。「何をして居るの?「青山でお店やって居るの」と場所を聞いておいた。高校野球部の懇親会が青山で在った帰りに二次会に彼女の店へ寄ってみた。青山の裏通りに「へえーこんなところにこんな店があるの?」と言う感じで、1階で日本料理、2階が倶楽部でジャズをやって居た。彼女が小倉婦美代さんである。店は、ピアノを入れた。カラオケ風、お客は皆んな巧い、歌は、ジャズばかりである。これ以来彼女との付き合いは。一昨年彼女が亡くなる迄続いた。彼女の希望は、銀座にお店を出して、白いベンツに乗り、CDを出す事だったのじゃないかなと思う。
従業員の旅行、フェアーレデイーの個人リースの一号車、僕も随分お客様を紹介したが、ついに30週年記念を原信夫さんと#&bをバックにホテルでパーテイーを開いた。兎に角、経営感覚の鋭い人で僕のワイフの店へお祝いに来て、「マスさん、此のお店、伝票一日100枚でしょう」と店の計画を言い当てていた。客層は素晴らしく尾上梅幸先生に夜最後まで付き合って、「さのさ」を歌って貰ったこともある。ある日僕の家の前にその車が止まって居た。驚いたら、彼女は一郎さん宅にジャズを習いに来ていたのである。又、彼女は体を壊して2年位店を止めて居たが、その後再開した。ジャズ歌手で余り弟子を取らない峰純子さんと云うスタンダード専門の歌手が居たが、その一番弟子が婦美代さん、2番弟子がYokoこと宮坂陽子さん再開店の日にyoko を誘って店へ行った。丁度,原信夫さんが来ていた。まあ,yokoは喜んだこと。婦美代さんも2番弟子との会合に喜んで後日、30周年の時のドレスと靴をyoko に送っている。まあ、振り返れば瀬良美の店員募集のオーデイッションに付き合ったり、三保君やスチールギター名手ライオン小林を世話したり、色々な事をした。始めの方で書いた成蹊時代の瀧君は、その後、カントリーに移り、「チャックワゴンボーイヅ」のサイドギターで、「ハンク・スノウ」ばかり歌っていた、ある時、「バンドボーイに慶応の子が来たよ...」と言って来た。それが平尾昌晃さんだった。三保君は、独立してから、音楽以外にも、スタジオだとか、ディスコの経営企画に意見を求められたり、遂には自動車レースのドライバーに成った。三保君と幼稚舎から一緒のライオン小林君が、「ミッチャンは天才だよ。自動車にのめり込み過ぎた...」と言って居た。#&bの最後のピアニスト西 真樹さんと話した時、「三保さんは天才ですよ...あの人の編曲の譜面、直筆の物を僕は持っていますよ...」と言って居た。晩年、僕が澁谷営業所の所長の時、敬タロー君は良く所長室へ来て、昼寝をしていた。車の整備に来るのだから仕様がない...フェアーレデイー-で日本グランプリに出て、3位になって居るので無碍にも出来ない。南さんも三保君も皆遊びに来いよと言って仕事場に呼んでくれる。ご飯をご馳走してくれると思って居ると飛んでもない...「水割り1杯」である。後で解って来たが彼らの仕事場なので、「水割り一杯」がおごりなのである。
*ライブハウスは面白い
ライブハウスは色んな人が集まって来る。見かけとは違う様な人が飛んでもない曲や歌が好き...この間も、昔の部下を連れて行った。バンドが「Stars fall on Alabama」をやってくれた。そうしたら彼は「僕の1番好きな曲です。まさか今日聞けるとは思わなかつた」と大喜び。後日、45年頃のアメ車のカタログ集を送って来た。キット後生大事にして居た物だろう。今、月に一度は何処かのライブハウスへ行くようにしている。店へ行っても、つい経営者の立場で見てしまう。「ミユジゥシャンの気分」「客の入り方」等...店の裏側を知って居るからかも知れない。

*高校3年の時かな...日比谷公会堂でジャzzコンサートがあり、Six Joesがメインだった。その帰り偶然、井の頭線でドラムの南広さんと一緒に成った。「お兄さん、今日良かったですね。凄い人気で...今日、「ラバー」やったでしょう...あのドラム・ソロの時、ワルツのリズムを入れましたね...あれ、「ラバー」の原曲がワルツだったから?...」「弘ちゃん...よく解つたね。そうだよ。」我々バンドマンは「客さんがいい音だったな...と覚えて呉れれば一番嬉しいんだよ」と言って呉れた事が、音もよく解らない僕をジャズ好きにしたのかも知れない。南さん=中島さんの兄弟は、次男の和夫さんもドラムをやって居て妹のマナブちゃんは、ハワイアンの「クイン―・シスターズ」で唄っていた。僕が八王子所長時,町田の方へ出掛けてお昼にウドン屋に入つたら。「あら、弘ちゃんじゃないの?」と声を掛けられた。「あら、学ちゃん如何してこんな処に居るの...久し振りだね」「私、結婚して、子供二人、お店は高輪なのよ...」その後店の側に引っ越して、彼女のカラオケグループと3度位付き合わされた。その中の一人の娘さんがジャズピアノを居ていてcdも出して居てコンサートがあると誘われた。30年位前の話だな。銀座に「マキシム」と言う米軍将校専用のクラブがあつた。そこはSix Joesが長い間専属だった。あそこへも2度呼んで貰ったが。まるでアメリカ来ているみたいだったな。
*今でも一番記憶に残って居るコンサート。
僕は成蹊中学、慶応高校、大学と野球部に居た。練習をサボった事が一日ある。それは、ノーマン・グランツが率いたJATPと言うコンサートが日劇であり、どうしても生で聞きたくて、同じ野球部のジャズ好きと二人で、練習をサボって日劇へ行った。チャーリ・ベンチュラ―と言うテナー・サックスが演奏した「帰れ、ソレントへ」と言う曲が在った、確か、ドラムスはジーン・クルーパだった。帰りに裏口で「出待ち」をしてクルーパのサインを貰って来た。野球生活の中で一度だけ練習をサボった事が在った。

‘25-6-10 ”ジャズとの関わり合い 2“

2025-06-09 21:42:03 | Massy's Opinion
★Massy‘sOpinion
*成蹊中学の野球部時代
勿論、ボールは軟式、唯部員も少なく、旧制高校の延長のような感じで、高校の硬球を使ったり,中学だけの練習に成ると軟球を使う様な練習だった.中学も部員は少なく、外野はレフトⅯ、T君、センターⅯ、Y君、ライト僕の3人でとても仲が良かった。僕が、慶応へ転校した時に二人が怒った事、我が家まで怒って押しかけて来た。僕が。慶応に転校してから、Ⅿ、Y君とⅯ、Y君がハワイアンバンドを結成した。当時は、「wvtr」と言う進駐軍向けの放送があり、金曜日には、「one night stand」と言ってジャズを流している放送があり、英語の勉強にもなるので、よく聞いて居た。

*初めてBenny Goodmanを聞いた時...
中学3年の時、五反田のⅯ、Y君の家へ遊びに行った時、彼のお姉さんが「ダンスを教えてあげる」と言う事で、応接間で初めて女の人の手を握った、そして、その時のレコードがBenny Goodmanの「On the sunny side of the street 」でB面が「Where or When」だった。あの時の時の「こんな歌が有るんだ...」と言うショックは凄く大きかった。(学校では、童謡,クラシック系、)

*我が家の近所
我が家のある浜田山は、大きく見れば善福寺川、神田上水の間にある丘の上で一面畑の中に住宅の開発が始まった様な場所で、我が家の南側に4軒の共同住宅長屋があった。そこにんさんと云う家が有り長男次男長女の3人が居た。長女が僕より1歳上、長男は僕より5歳位上だろう、法政の予科にかよって居た。そして、アルバイトにバンドでドラムを叩いて居た。そのバンドが後に大人気バンドに成るSix Jose ,バンドマスターはかの有名なナベプロ社長、渡辺晋さんである。僕の家には、Benny Goodman以外にも数枚のレコードがあり、長男の広さんは良く我が家へきてドラムの練習をしていた。雑巾を濡らしてそれを叩いて居た。家の前の家には、増田一郎さんが居て、明治大の夜間に通っていたが、アルバイトにハワイアンバンドのバンドボーイをやって居た。彼は或る時、一人のバンドマンが休んだので、、エキストラとしてギターを弾いた。その後、楽器をビブラホーンに変えて北村英二のバンドで長く勤め、後には、自分のカルテットを組み世界的にも有名なビブラホーンホーン奏者に成った。非常にリリカルで奇麗な音にこだわるバイブを弾いていた。ミルト・ジャクソンも彼の家へきて、二人のCDを出した。

‘25-6-3 “Diary 221”

2025-06-02 21:41:42 | Massy's Opinion
 ★Massy’s Opinion
  • 5/10 と5/13
成蹊高校の4回生の同期会が5/10にあり、この主催は学園で会場は学校だった。5/13 には、4回生の有志による昼食会が東急ホテルで在った。顔を見たいな...と言う人も居たりしたが、足の調子も思わしくなく、両方とも欠席にしてしまった。幹事をやる人には、本当に申し訳ないと思うが、何とか億劫にもなり申し訳ない。慶応の会も色々あるが、これも全部、欠席だ。考えて見るとメグミのリハビリが週2回、訪問看護師の来宅が週2回、これで週4日潰れてしまう。時間的には40分程度だけれど、結構、疲れる。会合の日があってもリハビリを優先にするから余計に会合に出席できなくなる。それに中学野球部の仲良しは殆ど亡くなってしまった。やむを得ないだろう。
  • 5/28検診
僕はペースメーカーを入れて居るので,障害者手帳の更新があり、その為に診断書が必要に成って来た。隣組のホームドクターの先生に頼んだら、「それはペースメーカーの埋め込みをした病院でなければ駄目だ...」と言われて、ニューハート国際病院へ行く事にした。予約は28日に取れたので、歩いて行ってきた。往復万歩計で65㎝x3500歩、一般道車の往来も激しく早く歩けないのがもどかしい。
検査の内容は、「心電図」「肺のレントゲン」「問診」の3項目それでも2時間位掛かった。幸い異常はなかった。来月はペースメーカーの検診と言う事で又行かなくてはならない。
●社会的には、米の問題で持ち切りだ。僕は今まで随意契約も入札も部品屋時代、東京日産時代にも度々経験して居る。絶対に随意契約は反対だ。随意契約に参加できる企業も基準もわから無いし価格もォープンに成らないし、随意契約は、利権の元に成る。談合は入札でも起こるが、実際に僕は経験をして来ているので次回にでも、入札、随契、オークション(中古車、骨董、絵画等)について経験を書いて見よう。元農林大臣の発言も酷いものだが、小泉さん発想も問題が在ると思って居る。石破総理も何を考えて居るのか?本当に情けない。トランプもアメリカを建て直そうと言うのは解かるが...
●僕の暮らしの中では大谷翔平選手だけが楽しみだ…5月末の東京六大学の早慶戦、MLBのドジャースVSヤンキース戦は本当に面白かった。大谷選手は、右投げ、左打ちなのにレフト打ちが本当に巧い。



'25-5-27 "トレーニングの問い合わせ”

2025-05-26 15:58:57 | Massy's Opinion
★Megu's Sports.
“トレーニングの問い合わせ” 

*最近、トレーニングの問い合わせが何件かありまして。問い合わせがあっても、実際にトレーニングまで行き着くことって、五分五分でしょうか。一件は、オーバーユーズの怪我をしがちなランナー。一件は、高齢の両親の転倒を防ぐためのトレーニング。

もう一件は、日本人のエージグループトライアスリート。5日間、シリコンバレーに仕事で出張しにくると。6月にIronmanのレースがあるので、トレーニングをしたいとのこと。彼は、私の知り合いと、その知り合いの方を通して、私のことを見つけてきたわけです。繋がりって、面白いもんですね。私は、メッセンジャーで連絡がくるのかと思ってたんだけど、彼は、私のプロフィールを見て仕事場のサイトから連絡をしてきまして。とりあえず、何をしたいかが明確ではなかったので、メールでのやり取りよりも、直に話したほうが早いと思って、オンラインのミーティングをセットアップ。話していると、ジムでのトレーニングじゃなくて、外でのトレーニングをしたいそう。なので、私のトレーニングのスケジュールを送るから、時間が合うんだったら、一緒にトレーニングしましょうってことにした。多分、私が仕事でどんなことしているか、あまり想像できてなかったんじゃないかな。ほとんどのクライアント、始める前は、セッションって、どんなんだろうって謎に思ってる感じ。

彼は、5日間滞在のうち、3日、トレー人ングに参加。バイクが2回。そのうちの1回はバイクの後にラン。スイムが一回。で、ランニングのテクニックの見直しと、ストレッチポールを使ったローリングとストレッチの紹介のセッション。いつも一緒にトレーニングしている友達とのバイクライドとスイムに参加。バイクもスイムも、彼にとっては、ちょっとペースが速め。スイムは、練習のメニューを渡した。ベイエリアでのトレーニングは、初めてだったようで、楽しんでトレーニングができたみたい。

また、出張でベイエリアに来るとのこと。人との縁は、どこでつながるかわからない。面白いもの。私が、“趣味”でやっているトレーニングだけではなく、仕事でどんなことをしているかを、わかってもらえると嬉しい。今年になって、将来のことを少しずつ考え始めた。この5−10年で、今の仕事の形態が変わってくると思う。先日、福岡の理学療法の会社の方に、友達を通して紹介してもらい、オンラインでミーティングをした。これから、どんな展開になるか?これから先を考えると、日本でのネットワーキングも大切になってくるだろう。人と会う機会は、大切にしていこう。




‘25-5-20 ”ジャズとの関わり合い 1“

2025-05-19 21:45:35 | Massy's Opinion
★Massy‘sOpinion
*成蹊中学の野球部時代
勿論、ボールは軟式、唯部員も少なく、旧制高校の延長のような感じで、高校の硬球を使ったり,中学だけの練習に成ると軟球を使う様な練習だった.中学も部員は少なく、外野はレフトⅯ、T君、センターⅯ、Y君、ライト僕の3人でとても仲が良かった。僕が、慶応へ転向した時に二人が怒った事、そして我が家までチーム9人で怒って押しかけて来た。僕が慶応に転校してから、Ⅿ、Y君とⅯ、T君がハワイアンバンドを結成した。当時は、「wvtr」と言う進駐軍向けの放送があり、金曜日には、[one night stand]と言ってジャズを流している放送があり、英語の勉強にもなるので、よく聞いて居た。

*初めてBenny Goodmanを聞いた時...
中学3年の時、五反田のⅯ、Y君の家へ遊びに行った時、彼のお姉さんが「ダンスを教えてあげる」と言う事で、応接間で初めて女の人の手を握った、そして、その時のレコードがbenny goodmanの「on the sunny side of the street 」でB面が「where or when」だった。あの時の「こんな歌が有るんだ...」と言うショックは凄く大きかった。(学校では、童謡,クラシック系、)

*我が家の近所
我が家のある浜田山は、大きく見れば善福寺川、神田上水の間にある丘の上で一面畑の中に住宅の開発が始まった様な場所で、我が家の南側に4軒の共同住宅長屋があった。そこに中島さんと云う家が有り長男次男長女の3人が住んで居た。長女が僕より1歳上、長男は僕より5歳位上だろう、法政の予科にかよって居た。そして、長男の広さんが、アルバイトにバンドでドラムを叩いて居た。そのバンドが後に大人気バンドに成るSix Jose バンドマスターはかの有名なナベプロ社長、渡辺晋さんである。僕の家には、Benny Goodman以外にも数枚のレコードがあり、長男の広さんは良く我が家へきてドラムの練習をしていた。雑巾を濡らしてそれを叩いて居た。家の前の家には、明治の夜間に通っていたが、アルバイトにハワイアンバンドのバンドボーイをやって居た。彼は或る時、一人のバンドマンが休んだので、、エキストラとしてギターを弾いた。その後、楽器をビブラホーンに変えて北村英二のバンドで長く勤め、其の後、自分のカルテットを組み世界的にも有名なびぶらほーン奏者に成った。増田一郎さんだ。非常にリリカルで奇麗な音にこだわるバイブを弾いていた。


’25-5-13 ”関税問題” (Part 2 )

2025-05-12 21:53:31 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*中古車部長に成った時、本格的に輸出ルートを作り上げようと考えた。語学が出来る人間を配置する必要があり、立教出の次長と慶応出の課長の二人と事務手伝いの女性社員を配置した。女性社員は台湾生まれで日本に帰化して居た社員で中国語も出来る社員だった。この3人のチームで、先ず大手商社を中心に「輸出担当者設置のご案内」と言う文書を100枚位出した。今ならネットを使えば簡単に出来るが、結構大変だった。処が、反響が大きく3人の輸出担当は大忙し...皆、新しい仕事、大きな反響、その中で本当に良く働いて呉れたし、青山の小さいビルには、名も知らない様な中小国の大使館が一つのビルの中に在ったり、色んな事が解って来た。その時にターゲットとして絞ったのは、中国大使館とロシア大使館だった。
*中国大使館には、前記した台湾生まれの女性を使ったが、ある時、次長のS君が、「部長、彼女が大使館へ行くの嫌だ。と言って
ます。中国には北部の言葉と南部の言葉があり、大使館へ行くと皆、北部の人なので、直ぐ台湾生まれと解ってしまうのだと...」
*その内に、大使館から、「セドリックの中古車が欲しい...偉い人が載るのだから...」と言うオーダーが来た。一年物の業界用語で言へば、「ピン、ピンの走行2萬キロ未満」の車を納車した。処が、数日たって、メーターを七萬キロに巻いて呉れ...」
「税金が安くなるから...」と言うのである。これらは,皆「関税」の問題である。新車は、メーカーから纏めて申告するのだと思う。一般的には、それぞれの国の投資会社が日本国内にある。そしてそう言う会社が窓口に成って日本の中古車会社から買ったりしている。
*この位、関税問題と言うのは複雑であり、自動車の安全基準は国状に応じ国ごとに違いがあるし、赤沢大臣さんも運輸省勤めの経験はある様だが、「乙仲」とか、「フォワーダー」とかこの難しい通関業務を遣る業者が介在する事など、ここまで流通の実態は理解されて居るのだろうか?トランプさんも、ご存じだろうか?今まで長い時間を掛けて築いて来た「国際流通」を壊すことは本当に避けるべきだと思う。恐らくアメリカ車が日本の保安基準に適合した車を作る事は無いだろう。日本は、「改造車扱い」でアメリカ車を其の儘、認めるだろう。僕のblogのサブタイトルは、「Advice for consumers」となって居る。恵の卒論には「アメリカの中古車の情報を研究しろ」と言って、彼女の「卒論」にはアメリカの中古車価格情報が載せてあった。兎に角、この関税問題は大事な問題だし国民も政治家も勉強して欲しい。
*僕は、この関税問題の難しさに、取引は、「横浜埠頭渡し」と指示をして、後は買い手側が船の手配他、通関業務をやるような条件にして業務を進めた 。  日産特販に移ってからもこの希望は捨てないで居たが、今度は社長なので人員体制も此の事を頭に置いて人集めをした。そして,幸運にもこの商談の機会に恵まれた。1996頃ミヤンマー政府が「ミヤンマー観光年」「VisitMyanmar」の交通手段にタクシーを配備しようと事に成り資金的面から東京のタクシーの中古車を使おう言う事に成った。当時、香港タクシー車は20000台あったが此れも全部セドリックの中古車であった。そんな事もこの決定には影響が在ったのろう。この時ミヤンマー政府は本来「右側通行、左ハンドル」が基準であるが、此の中古車に就いては「右ハンドル」を許可したのである。勿論、通関業務はその間に小さい商社を入れてミヤンマー政府と先方がやった。この様に輸出入の業務に関税関わる業務煩雑である。要するにこの商談は、日産特販―日本人商社―乙仲(通関業務)-ミヤンマー船で運搬-陸揚げ検査、通関と言う形になったのである。これだけの煩雑な形を取りながら日本の中古車は海外に輸出されている。
P,S
「乙仲」とは聞きなれない言葉だが昔の「海運事業法」の中に仕事の中身を「甲」「乙」等と決められて居たその名残である。詳しくは、「ネット」で探せばよい。

‘25-5-6 “Diary 220”

2025-05-05 21:53:18 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
・4/8 Jazz Bird
Simaco大島&his quintet 出演
僕の今の楽しみは、シマコライブだけかな...店は表参道交通の便も良い。井の頭から下北沢で乗り換えて表参道で行けばよい。表参道の駅から歩いて5分程度。丁度無理なく歩ける距離。バンドメンバーは、オール慶應O,B.
Piano Simaco,ドラム 佐々、ドラム河野、アルト藤井淳平、のバンドである。大島君は、我が親友、三保敬太郎君のお弟子幼稚舎から大学、大手損保の役員をしていて定年後昔のジャズに戻った男。学生時代は鈴木昇二のリズムエースでピアノを弾いて居た事もあるとか...ヤッパリ自分達の魅せられた時代の物に惹かれるのか、僕の好きな曲やプレイヤーは少し時代が違う。然し彼みたいにスパット割り切れるのは凄いし僕みたいに古い物を引きずって居るのとは違う処に人間的な興味がある。お客の入りは少し出足がわるかったかな...セカンドットには何時もの常連が集まり面白かった。

・4/15 ・樫の会・観桜会 三井倶楽部
恒例の桜を見る会。三田まで出掛けるのはチョット厳しく欠席。
昔、新派の朗読劇で瀬戸麻純さんを始めて他のも観桜会だった。もう彼女も50歳近いとか。。。月日の過ぎるのは早い。

・六球会懇親会  銀座 暫亭
六球会スッカリパターンが決まって来た。もう、代も変わり河内、赤木、田浦、大渡君、皆居なくなった。加藤太郎君や椎野、特に小西君が良くまとめて呉れる。盛会で20名位は集まったよう。

・4/7・21 パソコンの千葉先生
スマートホーンの家庭授業。月2回 主にワイフの教育、大分進歩してyou tubeを聞いたり、スーパーに配達依頼したり、メグミとラインでのやり取りも出来る様に成って来た。僕は、傍で、黙って聞いているだけ...でも偶に僕の解らない事を聞いて見る。凄く参考に成る。
・4/24 みずほ銀行・mrs。K嬢 来宅
更新手續き等の事務処理、皆、PCになって居る。まあ、取引も長いので、自宅まで来て貰った。銀行も個人ユーザーはATMに切り替えて居るんだろう...
・トランプ問題
何か日本の対米交渉頼りない感じが強い。米国、ロシア、中国の大国がそれぞれ問題を抱えて居る様で、本当に今までの約100年が元に戻りそう。戦争だけは止めて欲しい...



'25-4-27 “今の中学生にした話 "

2025-04-28 20:57:22 | Megu's Sports
今年も、Santa Claraにあるコミュニティーカレッジ、Mission College、のインターナショナルプログラムがホストしたパネルディスカッションに招かれた。トピックは、“シリコンバレーで働く日本人女性”。Mission Collegeには、毎年、神戸の親和中学校から14-15人ほどの学生が春休みを利用して、シリコンバレーのツアーにやって来る。彼女達は、中学を卒業したばかりで、帰国後に付属の高校に行くことになっている。このグループは、“海外研修”のある課程に入っているとのこと。“海外研修”は、ニュージーランドと、シリコンバレーの二つの選択肢があるんだって。

パネルディスカッションは、昨年と同じ形態で、パネリストの自己紹介からはじまる。自己紹介は、英語で。そして、生徒達は、3つのグループに分かれて、15分ずつ、パネリストが各グループを回ってQ&Aに対応すると言うかたち。生徒達は、前もって、私たちのプロフィールをもとに、質問を考えておく。

質問は、昨年聞かれた質問と、ほぼ同じかな。“どうやって、英語の勉強しましたか?”って、どこのグループでも聞かれる。トライアスロンのこと、聞かれるけど、趣味でやってるってわかってるのかな?仕事だと思われてるのかな?多分、私のやっている仕事、あんまり理解できてないかな?なんて思いながら、質問に答えていた。プロフィールだけじゃ、あまり深い質問出てこないよね、きっと。質問の答えから、質問をしていくっていう応用力って、この歳じゃ、まだ身についてないのかな?だから、シーンとしてしまうことも、まちまち。こっちから、会話を繋げていかないと。他の2名のパネリストが、どんな対応していたか聞いてみたい。

彼女達は、15歳でしょ。おそらく、彼女達の両親は、私よりも若いと思うと、歳を感じさせられる。うちの親が、私が15の時、どんなだったかと思ったり。彼女達の親が、どんな仕事してるのかなとか、彼女達の趣味は何なのかなとか、逆に質問してみればよかったなとか思ったり。

質問のひとつに、“15歳の時、一番大切だった物は何ですか? また、15歳の自分に、どんなアドバイスをしますか”って。これには、ちょっと考えさせられましたね。大切な物は、“水泳”だったって答えて、“これは、ちょっと頭の悪い答えだな”って、“オープンマインドで、色々なことに興味をもって、挑戦してみることが大切”のような抽象的でも聞こえが良さそうな答えでフォローして見ましたが。もし来年も、このデスカッションに呼ばれたら、もう少し、具体的な答えが出せるように、答えを用意しておこう。

‘25-4-22“関税問題“ (Part 1)

2025-04-21 22:04:08 | Massy's Opinion
 ★Massy’s Opinion
*最近、トランプ大統領に成って,「アメリカ第一...」と言うスローガンの下、「関税」と言う言葉が飛び交わって居る。然し、この関税の事をキチンと理解している人は、少ないだろう。僕自身人より実務的経験は、あると思うがそれにしても良く解らない。そこで、関税について、ネットで調べてみたりしたが、よく解らない。凄く難しくて説明なんて出来はしない。然し、海外旅行がこれだけ盛んになって来たこの頃、僕自身の海外旅行についいて振り返って見よう。
*今から、50年位前かな、海外旅行が一般人も出来るように成り、ハワイ旅行が、自動車ディーラーの間でセールスマン表彰に使われる事が、流行った時代が在った。僕は、企画サイドに居たので自分が行ったのは、中国との国交正常化、直後の事である。空港へ行くと「Duty free shop」がある。免税店である。中国でもあった。
物品税、関税等が免税に成り可成り価格が安いいのである。酒類は特に価格差が有ったので、ホテルで飲む分をそこで買って行った物である。
*自動車ディーラーは、新車販売だけに頼って居たら経営は不安定、中古車をキチンと利益の出る体制にしなくては...と言う事で、中古車の輸出には、関心とその流通に特に重点を置いて、人の配置もした。多くの商社が、手を出して居たが、今度は自動車の流通が解らない、特に,中古車は同じものは絶対にない。そこで、結局、人間関係頼りの小口なルートに成って行くのである。そして、その国々によりこの関税を含めた税金の取り扱いは複雑を極める。
要するに、その国々により千差万別なのである。
*1960年頃、日本の自動車の堅牢さが人気に成りつつあった時代だ。ロシアのボリショィバレー団の訪日公演があった時に、そのプリマドンナがブルーバードの「中古車を買いたい」と言う事に成りブルーバード410の程度の良い車を選んで買ってもらった。その後、数日して電話があり、領収書を「半値に書き直して欲しい」と言って来た。理由は「輸入した時に払う税金が安くなるから...」だった。この税金は「関税」なのである。個人が車を輸入した時には、この領収書の金額が関税の計算の基礎に成っていたらしい。昔の話で、今はどうなって居るか解らないが、多分同じ様だろう。「領収書を高く書いて呉れ...この洗車用具を一緒にして呉れ」と言う話は販売の第一線では、よくある話だが、「領収書を安くしてくれ」と言うのは珍しい。この種の話は、管理者が良くチェックしてやる事が大事な部分だ。


‘25-4-8 ”本当に解らない?“

2025-04-07 15:56:55 | Massy's Opinion
★ MassY’S Opinion
*トランプ大統領の遣る事。
アメリカが発表した、関税政策、前回アメリカも問題あるのだな...トランプも馬鹿ではないから...「アメリカをナンバー1に...」と言うスローガンには、「なるほどな...」と想い直して見たり、したがまた最近の世界他の国の反応を見て居ると、これは大変だなと思いだした。イーロン・マスクの使い方など「へ...」と言う驚きと「アメリカの世論はどう動くのだろう?」と言う興味で一杯だった。何か、新聞情報によれば、トランプはマスクを近間から遠ざけた見たい。 関税率は国ごとに異なるが、日本は1%位存在を認められたのかな?と感じる。各国は色んな交渉手段を取る様だが、我が国はどうするんだろう?石破総理の訪米は、日米安保条約の手前、チョット色を付けた位だろう。
*石破総理、こんな日本の大事な時期に、外交手腕は大丈夫なのか?どうも外交は力無いような気がする。まして、新人議員への「商品券配り」なんて本当に酷い。それに、公設秘書に「総理は知らなかった」なんて文章を発表させたり、秘書が自分一人で書く訳がない。あれも又酷い言い訳逃れだ。「企業からの献金をスッパリ切って自民党を解散すればいい。それでも議員に成りたい人は、石破さんに頭を下げて来るだろう。でも、あの人にはそんな度胸はあるとは思えない。
*日産の問題
関税の問題でニュース・バリュウは小さくなって来たが、この関税の問題で痛烈な痛手をしょうだろう。新社長はプロパーの日産人らしいが果たして日産を纏めきれるのだろうか?合併によりピンチを切り抜けようとしているが、今度の関税問題で、各社それどころでは無いだろう。見栄を張らずに何か一車種の特装車メーカーに成って再起を図る方がいいだろう。
*関税問題
関税問題でどんな経理的な仕分けをするのか、ネットで調べてみた。「原価に参入するのか?」「公租公課にするのか?」色々な仕分け方法がある様だ。僕は公租公課にしないと、原価が解りにくくなると思う。
この際、正規雇用、非正規雇用、パート、とか、賃金論も整理する必要があると思う。1960年頃から変わって居ない。政府、全労、経団連の賃上げ会議なんてもう意味が無いだろう。この際、本当の「新資本主義」が必要だと思う。いずれにしても、今回の問題は、大きな世界の枠組みを変える物だろう。

‘25-4-1 “Diary 219”

2025-03-31 21:09:07 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*3月のリハビリテイション
今、僕達夫婦の生活は中心がリハビリテイションである。
主体は、ワイフであるが、僕も引きずり込まれたようで、月曜日、木曜日は
派遣理学療法師の村本君、水曜、土曜日はめぐみのon lineによるリハである。 村本君とめぐみとはメニュウが重ならない様に話し合いをして貰っている。一番楽しいのは、スクワット、硬式テニスボールを使ってのゴロのキャッチボール。40回やるとくたびれる。まあでも現状維持が出来れば、いいかな...

*「パスポートの更新」先月申請に行って、5日以降の受け取りなので、デコルテへ、ヘアーカットに行き、その帰りに都庁へ回る.申請の時ほど混んではいなかった。受付の人に「90にもなって、10年期間のパスポート取る人いますか?」「いへ、沢山いらっしゃいますよ...」「おせいじに決まって居る。何か、こちらの方が恥ずかしい」ワイフのたっての願いなので致し方ない。
今日のタクシ―の運転手さん皆、特色のある人で楽しかった。
行き 浜田山~麻布 70歳 日勤(昼間だけ)70歳 本業か副業か知らないが、英語の翻訳をやって居る...
帰り 麻布~新宿都庁 業務歴40年、趣味 ゴルフ月2回マアマアのスコアらしい。家で素振りをしていると言うからかなり暑い人。
都庁~浜田山 この運転手さんも我が家の近辺に良く来るらしい。細かい道も知っているし、車が好きで面白かった。
兎に角、この日は良い運転手さんに出会い、今の僕には運転手さんと話をするのが楽しい。最近は、何処の会社も運転手さんの確保に大変らしが、今日の始めの運転手さんの翻訳が副業と言う人には初めて会った。

*僕は、「昔から運転手は良い職業だよ」「体はきついかも知れないが、定年もないし、年金貰う65歳過ぎても働けるし...」と言って居る。今はどうなって居るか解らないが、イギリス、ロンドンでは、ロンドンタクシーは有名だ。
職業に貴賤はないが、ロンドンでは、「ロイヤー、ティチャ―、タクシードライバーは同列のレベルの仕事と言われていた」と言う話を良くする。昔の「駕籠かき」のイメージからプライドを持って仕事をして貰いたいからだ。最近、タクシー業界も随分と変わって来た。大学の新卒も業界に大量に飛び込んでくるらしい。AI化が進んでくるとキャッシュレス化が進み、人間のする仕事の幅はどんどん狭く成るだろう。バスは路線が決まって居るので自動運転化が出来易いだろうが、物流トラック、タクシーの自動化は、それぞれ、行き先が変わるので、中々難しいだろう。

P,S
4月3日号の「週刊文春」を読んで居たら、懐かしい記事が目に入った。
メインタイトルは、「石破政権42億円の企業団体マネー中毒」である。
その中に「ロシアに中古車売って株高騰」と言うサブタイトルで「伏木富山港」と言う名前が出て来た。1990年代頃からロシでは日本の中古車人気が高いのだ。僕の古いブログには、この事も書いたものがある。2018年にロシアのワシ―リ・アフチェンコ言う作家が「右ハンドル」と言う本を出して居る。ロシアは「左ハンドル」が正規であるが、ウラジオストック地方は色んな方法で右ハンドル車も輸入されて居るのだ。伏木港の周辺はそれらを取扱う外国人が多く一つの街が出来上がって居ると言う。僕は日本海側に伏木港の様な大きな港を作り貿易を盛んにして行けばいいと思って居る。それには中古車について言えば「一帯一路」計画の頓挫、残念で仕方い。あれこそ「国連マター」でやるべきだったと思う。‘98年頃民主党時代に故田淵哲也議員に話したら「君は何時も面白い事、言うな...運輸大臣に話そう...」と言われたがそのままに成ってしまった。石破総理は多分、自分の支援団体がどんな仕事を居るなんて知らないだろう。
この問題、「通行区分世界統一」は、英国と日本だけが、右ハンドル言う事で、英国の自動車産業はご存じの様にサッチャー時代、日本に救済を頼みに来て日産が出たが、今や日産が危ない。リーダーには大局観が必要だ。





‘25-3-25 “ (GPU Technology Conference)- NVIDIA”

2025-03-24 21:44:03 | Megu's Sports
★Megu’s Sports
初めて、ハイテクのコンファレンス。NVIDAのCEO, Jensen Huang, のKeynoteが、San Jose Sharksのアリーナ、SAP Centerで行われた。私のクライアントが、“行きたい?”って聞いてくれたので、“YES!”と言って、招待してもらった。

*SO CRAZY! テクノロジーコンファレンスで、Keynote の参加者、25,000人。SAP Center は、うちから2kmほどのところなので、電動キックボード(アメリカでは、スクーターと呼んでいる)で、送ってもらった。Keynoteの始まる1時間半前。駐車場への車の渋滞。SAP Centerを1周だけでは足りなくて、1.5km以上の入場者の列。ありがたく、VIPパスがあったので、待つことなく、中に入らせていただいた。

*VIP Lounge:入ってすぐのところにVIP Loungeがセットアップされていた。コーヒー、水、ジュース、ペストリーからブレックファーストブリトーまで用意されている。ハイテクの会社で働いたことがない私。シリコンバレーの大御所、Google, Meta, Apple, Adobeは、もちろんのこと、この辺の会社は、このような環境が日常なんだな。Loungeの中で、テックエグゼクティブの間を歩いていると、自分が子供になったような気がしてきた。“これが、テックワールドか”って。

*Arena:席は、バックステージの予約席。45分ぐらい前に席に着いた。スクリーンでは、Super BowlのPre-Game ShowのようにArenaの外に設定されたブースで、”Acquired” Podcastのホストが司会をしているディスカッションが、写されている。Keynoteが、始まったら、このPodcastホストが、隣に座った。これこそ、今時だ。芸能人やプロアスリートじゃなくて、テックエグゼクティブやPodcastホストが、ロックスターのように敬われる時代。会場のエネルギーも、Super Bowlのようだ。

*Jensen Huang:2時間ちょっとのKeynote。私は、AIのボキャブラリーが、乏しいので、言葉を検索しながら聞いていた。Jensenは、スライドの他には、何もみないで、Keynoteを進める。途中に、手渡された、こんがらがっているケーブルをほぐしながら話を続け、スライドのミスも、冗談で流しながら話を続ける。どれだけの準備が必要だったのだろうか。商品・プロジェクトにおける、知識の深さを、わかりやすいように説明する。商品・プロジェクトの説明をしながら、inderectに今後の会社の方向を話の中に組み込んでいく。シリコンバレー、ビジネス界、テックワールドのスーパースターとして見られてるのを証明するかのようなプレゼンテーション。

*これが、今週の火曜日の午前中。2時間座っていただけなのに、脳と神経がオーバーロードされたみたい。今までにない、良い経験をさせてもらった。違う世界を見るって、刺激になる。たまに、このような経験は、必要ですね。




‘25-3-18“どうしようもない:石破総理自民党”

2025-03-17 21:15:01 | Massy's Opinion
★Massy's Opinion
"どうしよもない石破総理 自民党”
14日の国会予算委員会のテレビを見ていて、驚いた。石破さん、何て言う事をして居るの?
一生懸命お詫びと弁明をしていたが全くあきれてしまう。同席した、官房長官も何を考えて居るんだろう?
総理の気持ちは解るよ、しかし、場所もやり方も「お土産」もほんとに何を考えて居るんだろうね。もっと度胸のある石破さんでないかと思って居たが、野党ももっと突っ込んだ議論をするべきだ。例えば、自民党総裁としての立場なのか、総理としての立場なのか、全く個人的なあのか?商品券の金額が大きい小さいの問題ではない。
総理大臣として、新規議員にご苦労様と言うなら、この時は、各党首に断るべきだろう。そして、全新規当選者全員を招待するべき...
今、自民党が支持率を落としいる主な原因は、「金」の問題である、石破さん全然頭に入って居ないんだろうね。加えて官房長官や福官房長官も出て居たと言うのだから、本当に話に成らない...自民党の長期政権がこんな事を引き起こしたのだろう。僕も、同窓生だから少し贔屓目に石破さん最後に自民党を分裂解体させて退任するかな?と思って居たが本当に慶応の恥に成ってしまった。僕は、成蹊中学から慶応へ入ったので、僕の友人は安倍さんと同じ様に成蹊大学に進んだ友人が多い。大学で慶応に来た友人も多い。東大に進んだ連中は大臣一人、大使二人、最高裁のトップと偉くなった同級生が多いので良く解って居る。それにしても今度の石破さんの件は、リーダーの一番気を付けるベきところだ。僕は、色々な経験をして来たが一番気を付けたのは公私混同だ。労働組合で有れ、会社で有れトップが気を付けなければいけない処は同じだ。僕が最後に行った会社は小さい会社だが全額日産資本の会社だったが、同じだ。社内で麻雀、女子社員を連れての飲食は社長に成った時にピッタリと止めにした。社長の行動を一番知って居るのは、運転手と秘書だ。運転手の話を今度はて居たか、だんだん話してくれるようになる。僕は、お客様とゴルフには良く行った。お昼はいっもカレーライスしか食べない。運転手は、車を洗って、時間が余る。ゴルフの練習をして、風呂に入って、食堂で食事をする。今度は、食堂の支配人が。僕に言って来る「社長、お宅の運転手さん、今日は「うな丼」食べて居ましたよ...」
「いいよ、時間はたっぷりあるんだから...」「社長より高いもの食べて居るんですから...」まあ、情報はこんな形で流れて来る。野球でも、組合でも、組織のリーダーは本当に考えなくては駄目だし、周りに信頼され、風通し良く出来るリーダーが必要だ。日産も、フジテレビも、メガバンクも酷いものだ...