Megu's Report
-世界の秀才アスリートと日本のど根性スポーツマン- by Marty Kuehnert
読後感: “日本でアメリカ人が書いた本を、アメリカで日本人が読む“
* 日本のスポーツ選手は、バランスに欠けている。運動一筋で、学問/引退後のキャリアに視点を向けない。アメリカや、ほかの国では、スポーツ選手は勉強もし、引退後、弁護士、医者、教師などスポーツ以外の道に進み成功している。
*日本とアメリカの違い...始めに、大きな違いは,教育システム。アメリカにも確かにスポーツバカはいるが、自分でどの道に進むか?という考えを持っていれば、文武両立が可能な環境にある。大学に入るのは、日本に比べ比較的楽であり、 一旦社会に出た後も、働きながら大学に戻ることもできる。又、4年制の大学でなくても、2年制のコミュニテイーカレッジや市運営のアダルトスクールなどで、一般教養のほか、ヨガ、外国語、コンピューターから、日曜大工的なことを学ぶクラスが設けられている。要は,本人のやる気しだいで可能性を広げることが出来るのだ。
*著者の言うように、日本で大学に行くのは、名前の通った企業に入るため。大学に入るのは,非常に難しいが、一旦入学したらそんなに勉強しないし、医者やエンジニアを目指していない限り、大学の授業で、応用/活用的なことを学ぶことは、あまりしない。
*私自身、4歳から水泳をはじめ、トップスイマーとはなれないながらも、水泳を続けるため専修大学に受験して入学。4年生の最後のシーズンは、女子部の主将を務め、全国学生選手権で専修大学女子水泳部は5年ぶりに優勝した。
私の大学時代を振り返ってみると、練習/レース、寝て,食べて、飲み会...の繰り返し。授業に出るのは、テスト前に,ノートを集めるときだけ。確かに私は、その生活を満喫し,充分に楽しんだ。 そんなことを,4年間していても,よっぽどの怠け者ではなかったら、楽に卒業できる。
*一方、アメリカでは、大学でかなりハードに勉強しなければならない。学期の始めに,授業計画がくばられ、小テスト,中間試験、期末試験、レポート、宿題が常に準備されている。専攻の授業では、基礎知識、専門知識、実際に仕事で役に立つことを学べる。
*次に、“Student Athletes”: Mr. Kuehnertは、体育会系=運動ばかと定義づけているが、そんな日本の大学の傾向の中で、体育会系は、礼儀が正しい、上下関係をよくわかっている、やりかけたことは、最後までやり通す、などpositive な面がかわれ、就職の際有利になる。また、 日本人には、“スポーツ一筋”、“根性”、“がむしゃら”という風潮があり、それが、社会的に受け入れられている。これもまた,日本の“運動バカ”を生み出す要素なのではないだろうか?
アメリカでも、その傾向はなくはないが、コーチ/選手ともども“やらせる”“やらされている”という感覚があまり感じられない。一生懸命に取り組みながらも,楽しむことを忘れていないように思われる。どんなに、練習がきつくても、プレッシャーがあっても、それを楽しむことが出来た方が良いパフォーマンスにつながるだろう。
*最後に、スポーツに対する“attitude”は、アマチュアアスリートが増えている日本でも変ってきているが、“アスリートor 凡人”という見方がまだ現存している。私は,6年前にトライアスロンをはじめ、年に6-7レースに出ており、週10-15時間トレーニングをしている。こんなことを、日本人の友達に言うと,“なんでそこまでやるの”みたいな事をいわれるが、アメリカでは、私みたいな人、もっとのめり込んでいるアマチュアアスリートが何処にでもいる。多くの人が、仕事の傍ら、楽しみながら様々のスポーツまちまちのレベルでスポーツに参加しているのだ。これ等風土の違いは、スポーツが自国内で育ったアメリカ、スポーツが輸入された日本(昔は武道がスポーツ)と言う様な歴史の違いが大きいと思う。アメリカのこのような環境、又、仕事の機会も含め、私は、居心地よくカリフォルニアに住み着いている。
-世界の秀才アスリートと日本のど根性スポーツマン- by Marty Kuehnert
読後感: “日本でアメリカ人が書いた本を、アメリカで日本人が読む“
* 日本のスポーツ選手は、バランスに欠けている。運動一筋で、学問/引退後のキャリアに視点を向けない。アメリカや、ほかの国では、スポーツ選手は勉強もし、引退後、弁護士、医者、教師などスポーツ以外の道に進み成功している。
*日本とアメリカの違い...始めに、大きな違いは,教育システム。アメリカにも確かにスポーツバカはいるが、自分でどの道に進むか?という考えを持っていれば、文武両立が可能な環境にある。大学に入るのは、日本に比べ比較的楽であり、 一旦社会に出た後も、働きながら大学に戻ることもできる。又、4年制の大学でなくても、2年制のコミュニテイーカレッジや市運営のアダルトスクールなどで、一般教養のほか、ヨガ、外国語、コンピューターから、日曜大工的なことを学ぶクラスが設けられている。要は,本人のやる気しだいで可能性を広げることが出来るのだ。
*著者の言うように、日本で大学に行くのは、名前の通った企業に入るため。大学に入るのは,非常に難しいが、一旦入学したらそんなに勉強しないし、医者やエンジニアを目指していない限り、大学の授業で、応用/活用的なことを学ぶことは、あまりしない。
*私自身、4歳から水泳をはじめ、トップスイマーとはなれないながらも、水泳を続けるため専修大学に受験して入学。4年生の最後のシーズンは、女子部の主将を務め、全国学生選手権で専修大学女子水泳部は5年ぶりに優勝した。
私の大学時代を振り返ってみると、練習/レース、寝て,食べて、飲み会...の繰り返し。授業に出るのは、テスト前に,ノートを集めるときだけ。確かに私は、その生活を満喫し,充分に楽しんだ。 そんなことを,4年間していても,よっぽどの怠け者ではなかったら、楽に卒業できる。
*一方、アメリカでは、大学でかなりハードに勉強しなければならない。学期の始めに,授業計画がくばられ、小テスト,中間試験、期末試験、レポート、宿題が常に準備されている。専攻の授業では、基礎知識、専門知識、実際に仕事で役に立つことを学べる。
*次に、“Student Athletes”: Mr. Kuehnertは、体育会系=運動ばかと定義づけているが、そんな日本の大学の傾向の中で、体育会系は、礼儀が正しい、上下関係をよくわかっている、やりかけたことは、最後までやり通す、などpositive な面がかわれ、就職の際有利になる。また、 日本人には、“スポーツ一筋”、“根性”、“がむしゃら”という風潮があり、それが、社会的に受け入れられている。これもまた,日本の“運動バカ”を生み出す要素なのではないだろうか?
アメリカでも、その傾向はなくはないが、コーチ/選手ともども“やらせる”“やらされている”という感覚があまり感じられない。一生懸命に取り組みながらも,楽しむことを忘れていないように思われる。どんなに、練習がきつくても、プレッシャーがあっても、それを楽しむことが出来た方が良いパフォーマンスにつながるだろう。
*最後に、スポーツに対する“attitude”は、アマチュアアスリートが増えている日本でも変ってきているが、“アスリートor 凡人”という見方がまだ現存している。私は,6年前にトライアスロンをはじめ、年に6-7レースに出ており、週10-15時間トレーニングをしている。こんなことを、日本人の友達に言うと,“なんでそこまでやるの”みたいな事をいわれるが、アメリカでは、私みたいな人、もっとのめり込んでいるアマチュアアスリートが何処にでもいる。多くの人が、仕事の傍ら、楽しみながら様々のスポーツまちまちのレベルでスポーツに参加しているのだ。これ等風土の違いは、スポーツが自国内で育ったアメリカ、スポーツが輸入された日本(昔は武道がスポーツ)と言う様な歴史の違いが大きいと思う。アメリカのこのような環境、又、仕事の機会も含め、私は、居心地よくカリフォルニアに住み着いている。