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<font size=4><strong> “役割分担” </strong>  ‘14-3-25   </font>

2014-03-25 08:27:18 | Megu's Sports

Megu’s Opinion

今月のブログ。先月の続きみたいなもの。前回のブログをもとに、東北大学病院障害リハビリテーション科 上月正博教授にメールをした。感激なことに、上月 教授から返信があり、 教授の意見と方針がかかれた資料をいただいた。

私の知識と経験は、主に外科系の傷害のリハビリ。 クライアントで内科系疾患を持っている人、経歴のある人とトレーニングをする場合には(もちろん彼らは医師の了承の上でトレーニングにきますよ)、そのコンディションについて、必ずリサーチをするようにしてはいるけど、内科系疾患のリハビリについての情報は、 日本、アメリカ共々、私のところに(ニュースレター等)自動的に入って来る量が少ない 。ので、直に上月教授とコミュニケーションがとれたことは、新鮮だった。そこで、教授とのメールでの思考交換と資料を読んで思った事...。

“医師がリハビリを勧めたところで、実際に誰がリハビリを行うのか?”ということ。もちろん、内科系疾患、外科傷害共々、医師の指示に従って、理学療法師が行うのだろうけど、これにも問題がある。

1)病院以外で、リハビリセンターのようなものが少ないこと。

アメリカには、Physical Therapyのクリニックが至る所にあるけど、日本にはそんなに独立したクリニックがない。ということは、入院している以外、アクセスが困難。もし、電車や車で1時間以上かけて行くのだったら,週2-3回なんて通うのが大変。また、ホームケアなどでは、本当に初歩的なことだけで、実際に患者が進歩するようなことをしてくれない、または、できない。

2)専門家の役割分担がはっきりしていないこと。

例えば、これは以前から言っていることだけど、日本では“トレーナー=鍼灸師/マッサージ師”が主な考えかた。日本で働いていたマッサージ師に言わせると、専門の治療だけでなく、コンディショニング/リハビリをやることも期待されていると。コンディショニング・リハビリの知識/経験があり、活躍している友人 がいるが、彼らのように多才な人は、まれ。また、患者・アスリートに対する、オーナーシップも患者やアスリートの回復の 妨げになると思う。なので、 以下の図のように、ひとつのチームとして、お互いの専門的知識・技術を尊重しあいケアをすることが、患者・アスリートにとってのリハビリの鍵となると思うのです。

           理学療法士              

                                  ↓↑                

                        アスレチックトレーナー(NATA公認)                                           
医師 →                      ↓↑                                                                                                               
                       コンディショニングコーチ(NSCA  CSCS 等)                                                  ↓↑                                                               
                        鍼灸師・柔道整復師   

                                 ↓↑                                                                        
                        マッサージ師 

P,S      (*NATA=National Athletic Trainer’s Association =ATC)

            (*NSCS=National Strength &Conditioning Association)

            (*CSCS=Certified Strenth&Conditioning Specialist)

 


“ネット裏懇親会話題“  ‘14-3-18       

2014-03-18 08:36:22 | Massy's Opinion

Report!

3月13日恒例の「神宮ネット裏友の会」が開催された。場所は赤坂楼外楼。13時の定刻なのに12時半にはもう数名の集まり。暇人が多いのか?第13回目なのに参加者過去最高の23名。楼外楼は以前の場所から、少し赤坂見附よりに移転したが、‘60年の開業だからもう60年近くなる老舗に成ってしまった。当時の東京日産は溜池の角にスマートなショールームが目立つあの辺では最新の4階建てビルだった。あの頃の赤坂は、日本のデトロイトと言われる位、輸入自動車のデイーラ―が軒を揃えていた。その中で、東京日産のビルは新橋の駅から見通せる位目立って居たのである。周囲には、蕎麦屋が一軒、寿司屋とおでん屋が一軒、喫茶店が1軒位だったかな?そして、中華料理の楼外楼が少し高級店として出来たのである。その頃、野球部が出来、結構予算もあったので、確か、炒飯700円だったかな?練習の後には食べていい事にした。硬式野球部を作ると言う事で、スタートして選手を早稲田4名、明治2名、立教バッテリー、を集めた。処が、事情の変化でグラウンド予定地の購入が車置き場に変わってしまい、野球は準硬式と軟式と両方で何でも試合をやらないと集めた連中のストレスを発散できないので、食い物もその一環でチョット高級店楼外楼にして、バットも「ルイスビル・スラッガー」を使わせたりした。当時は、このルイスビルは日本製の3倍位の値段だったと思う。音と弾きが国産より数段と良かった。 まあ、準硬式でも軟式でも勝てば最高の薬、やがて皆文句を言わなくなる。初めの年はあらゆる大会にエントリーして一日4試合もやった事が有るが、チームを二つに分けたり、遠いい選手は、僕の家に泊めたりしたもんだ。東京都軟式野球連盟は各区ごとに在り、港区はAクラス20チームBクラス50チーム、Cクラスは150チームもあった。僕らは、一年目、Cで優勝して、Bに、Bで優勝して、Aに上がる。各区の優勝が東京大会に成るので、東京での優勝は大変である。それでも、38年には、準硬式で東京代表に成った。東日本大会に出て、2回戦で敗れたが、三協精機の4番にエース黒田(日大三高で、甲子園出場~早稲田)のインロウの決め球を左中間に放り込まれて負けたが、本当に良い想い出だ。晩年、4番打者の故森勲君(浜田高~早稲田)が「マッサン、ヤッパリあの優勝は本当に良かったですね。皆、準硬や軟式を馬鹿にするけども東京代表は大変な物だ」「そうだよな。俺は君のイップスを想い出すよ…(彼は、絶好球が来た時にイップスが出ることがあった)」「あの時の記事の出ている社内報を持って来ましたよ」と神宮のネット裏で話した事を想い出す。「へえ、如何してあの選手が大学で出られないの?」何て言う選手が多かったが、いざ、監督をしてみると、「守備が良ければ、打てない」「打てれば肩が駄目、足が遅い」大学の監督の気持ちがよく解ったものだ。

さて、思い出話に成ってしまったが、当日の話題は「六大学の選手の練習量が足らない」 「就職の為に入部して来るから、部員ばかり増える…(各校同じ様)」「春は、早稲田が投手力でチョット抜けているか?」「各校の対東大戦が面白い」「入場料金が上がるのか?」「如何も、東京六大学出のドラフト選手は活躍しない…」とか色々な意見が出た。プロ野球では、「ユーキリスが楽天へ来たことが、驚き…」「マーちゃんよりダルビッシュの方が活躍するんじゃないの?マーちゃんは、変化球投手に成ってしまうのでは…」「イチローはシーズン途中でトレードかな?」兎に角、皆、野球が好き、3時間半に成る。二次会の麻雀屋へ行っても野球の話が出てきて、気が散る事...。選抜高校野球の話まで行かない内に時が過ぎてしまった。固い話では、僕のブログ「つくらざる尊厳...」を読んで、「靖国合祀問題は今上陛下に皇道を示して貰うしかない」と言う格調の高い話も出た。参加者一同とても喜んでくれて、「彼奴も結構神宮へ来ているから来年は声を掛けて下さいよ。会員を増やしましょうよ」と言う声も出て、直ぐ携帯で電話を掛ける人も居た。兎に角、「神宮ネット裏」での再会を約して終宴となった。


“通行区分の世界統一Part 8”   ′14-3-11

2014-03-11 08:19:13 | Massy's Opinion

“セミナー講演 後記”

3月22日名城大学の名古屋駅前サテライトで京大のセミナー「第8回」が開かれた。 “Diary85” に資料は載せてある。今まで数回セミナーには参加しているが、大体参加者の顔ぶれも解って来ているが、いずれにしても、皆、僕よりは相当若い。先ず、子供の年齢位か?今から11年前、「アフリカ野球友の会」の初めての練習を浜田山三井グラウンドでやった時にアフリカ人が5人位参加した。代表の友成君が初めに集まった人たちに「自己紹介」をさせる。当時でも僕は一番高齢者。そこで、自己紹介の第一声は、アフリカ人も居る事だし、「I was born in1934」と英語で言う事にした。マア、それ以来余り形式ばった会にも出ないし、「場」の雰囲気を柔らかくするにもいつも此のフレーズをイントロに使って居る。「えっ...」と思う人、「80歳?」って直ぐ、「随分爺さんだな...」「俺の爺さんと同じだ...」と色んな感じ方をするようだ。 さて、今回も同じスタイルで話し始めた。参加者の方「下手な英語…」「やっぱり中古車輸出の経験者は英語巧いな...」と、どう感じたか?僕の話たかった事は、終戦後の日本の自動車屋はどんな状態だったか?そして、この20世紀後半の目覚ましい自動車界の発展の速度等を話したかったのである。右隣の塩地先生に「戦争中自動車会社は企業統合させられて、軍用優先、一般民間は配給だったの、ご存じですか?」と聞いたら「ええ、まあ...」左隣のセントパーツの種谷社長さんに聞いたら、「えっ、そんな事在ったのですか?何ですか、それ...」と言う返事。矢張り戦争直後の話からしようと考えた。何故なら今の途上国の日本から輸出された中古車の使われ方は、当時の日本と全く同じ状態だからだ。何処からかイミテーションパーツは作られてくる。部品は手作業で、所謂「現物合わせ」だ。いずれにしても、70年位の期間の話を20~30分でするのは無理,感じさえつかめて貰えればいい。或いは、「面白い話だったなあ」と感じて貰えれば良いと思った。

時間に追われて、話し足りない事バカリ。ミヤンマーの中古車輸出は道路が悪く、マニュアルミッションでないと駄目。国内ではタクシーは殆どオートマ。マニュアルの車をお客様の予定使用期間より早く代替えをして貰わなくてはならない。これも大変である。その代り新車は納まる。正に新車の増販には成った訳である。

今、TPP問題が議論されているが、中古車の輸出で一番解り難いことは、輸入国の関税問題、或いは年式による国、車種による国、走行キロによる国、ハンドルの右、左の問題等、様々である。従って、中古車の輸出は、埠頭渡し、現金が一番無難である。取引相手の信用は取引を重ねないと解らない。輸出する側から言うとこの辺の情報がもっと明瞭に成ればいい。矢張り、国の外交力に依るだろう。

この問題を調べて行くうちに、「WP29」や「IWVTA」と言う様な組織にぶち当たった。 知り合いの「東京地下鉄」の人と話し合う機会があったが、僕の意見に全く同意見。むしろ、同じ交通業務に携わって居ても、気が付かない問題があると言って居た。東京地下鉄もその優れた運航ノウハウでベトナムにシステムと車両の輸出をすると言う。(NHK放映済み)日本の輸出産業の再構築は自動車以外の高額な物を考えなくてはならない。さりとて原発の輸出は、如何もあまり賛成できないし、アベノミックスも総理の期待している程では無い様だ。街中を見ていると、相変わらず店の代替わりやシャッター通りが目に付くし、マスコミを賑わしている程、景気の盛り上がりは無い。昇給、夏のボーナスいずれも5月、6月でないと個人には体感できない。消費税改正の駆け込み需要の反動は7月までは続くだろう。 自動車税の改正も行われたが、自動車の需要循環を良くするのには、中古車輸出の仕易い環境造りが必要だと思うが、「WP29」を扱って居る「自動車基準認証国際化センター(JASIC)」のホームページのリンク先を見ても、「自販連も中販連も」要するに流通段階の各協会との連携は無い様だ。色々な自動車関連の団体はあるが、国交省の中でも流通段階は余り立場が強くない。通産省も自動車流通には余り強くない。恐らく、担当大臣も詳しくはご存じないだろう。日本の産業再構築には「中古車輸出」も大事な部門だと思う。国際情勢も至る所で、小爆発が起こっている様だ。せめて、気候だけでも順調で在って欲しい。


 “Diary 86 “ ’14-3-4   

2014-03-04 08:35:58 | Massy's Opinion

☆2・1豊川稲荷参拝

昨年秋かな?日産フェア―レデイーの確か一番古いモデルの物を、完全にリストアーして載っているM氏が僕らを待っていた。僕の愛車フイガロを見て、話しかけて来た人。 久しぶりでお会いして、又、車からサーフインへと談義30分。もう一人Iさんと言う人が居る。僕が慶應のヨットパーカーを着て居た、昨年秋「いいパーカー着ていますね」と声かけられた。「三田で売って居ますよ」と教えてあげたら、丁寧にお礼状を頂いた。長年お参りに行って居ると色んなご縁を頂く事が有る。

☆2・5六球会 懇親会 にて スエヒロ御殿山

 準恒例の六球会の懇親会。今年はメンバーも大分若返って参加者も25名と最大。昨秋野球で早稲田に勝ったのは六球会だけ...それだけに皆意気が上がって楽しい会だった。その数日後、「スエヒロ」の倒産記事が出る。馴染んだお店だけにショック。でも営業は続けるとの事。

☆2・22京大セミナー

「第8回目の中古車流通研究会」名古屋の名城大学のサテライトで開催。40名の参加者で僕が最高年齢者。自己紹介のスタートは、アフリカ野球友の会」と一緒。「I was born 1934」 皆、キョトンとして居た。資料は最後に添付しよう。拍手は多かった見たい。

☆2・23成蹊慶應会

 成蹊中学から慶応高校へ或いは成蹊高校から大学野球部へ言うなれば僕の後輩。今年は準硬式野球部に投手が3年生で一人いる事がわかった。高校野球部から大学でアメラグに行ったH君、H,S,H,T君とメンバーが5人成った。雪の関係で現役は練習に成ってしまったとか...社会人の二人は落ち着いている。H君は子供が出来るそうだ。何よりも皆成蹊の良さも、慶應の良さも解るだろう。親に感謝しろ...

☆慶4会 高校野球部同期会年2回なのにいっも会って居る様だ。直ぐ、リアルタイムで話が盛り上がる。「写真を撮るのは止めろ」と言うのにマネージャー撮りたがる。再会を期して解散。

・セミナー資料 (資料) ‘14-2-22 於 名城大学 <第8回アジア中古車流通研究会>                                 Massy‘sAcademy    URL: http://massy-log.ocn.ne.jp/ 増田 弘

“新車ディーラーに於ける中古車輸出の経験から”

☆自己紹介

1934年生まれ 自動車部品商(株増田商会) 自動車修理工場(日之出自動車株)

1952年 東京日産自動車入社 職歴 業務部 営業所長2ヶ所、リース部長(東京自動車リース協会事務局)         中古車部長(査定委員会副委員長、NAA東京運営委員長、公取協中古車部会WP)

1989年~90年、東日リース(株)代表専務

1991年~99年日産特販(株)代表社長

2000年~(株)増田商会

☆中古車の海外からの引き合い 

排気ガス対策として、‘93年頃メキシコ、中国、ニュジーランド、イギリス、台湾、香港、等一斉に要望が出て来た。

☆中国のケース  

北京の排気ガス対策としてタクシーのLPG化の調査が来た。‘97年北京国際LPG展覧会にタクシー中古車を改造して出品。 「香港はタクシー車のLPG化トライアルを実施したい」。と30台の引き合いが、政庁から来た。         

’97 Gas China 左ハンドル改造車       LPG 改造車のエンジンルーム

1997年“Visit Myanmar”

(観光年)を開催するに当たり、公共輸送機関として、タクシー車の必要性が出て、350台のタクシーの中古車を’96年に輸出。(走行距離400,000Km以下)         ‘

07年 現在 使用されている中古車    ’96年当時 陸揚げされて整備中

☆中古車輸出をし易くする方法 ・中古車輸出に一番関係のある各国の「関税」問題を聞きに行けば解る部署を行政に設けて欲しい。 ・「通行区分の世界統一」

<日本の自動車流通の歴史から...>  ‘12-11-3 ☆第二次大戦直後 駐留軍人の帰国で置いていく車が引く手あまた 「3Aナンバー」社外部品製作

☆1950年代  自販連設立1959年    Exp 1,2、(下記ブログNo,)

☆1960年代  トヨタ日産 B,C戦争  査定協会の設立 Exp 3、

☆1970年代  貿易摩擦 48L計画 中古車ブーム商品化 オークション Exp 4,5、

☆1980年代  過当競争 公正取引協議会 リース拡大 ☆1980年代  排気ガス問題

☆1990年代  中古車輸出 顕在化 ハイブリッド登場

☆2000年代  後進国の需要 拡大 国内工場の海外移転

☆自動車   URL: http://massy-academy.blog.ocn.ne.jp/

1、?05/12/10 自動車の取引

2、?06/4/28  中古車価格と土地価格

3、?06/9/26     〃

4、?06/11/2  オークションの舞台裏

5、?07/10/2  中古車販売店選び

6、?08/6/12 「通行区分世界統一 Part 1~3」

7、?08/10/21 「通行区分世界統一 Part 4-1」

8、?09/9/8  討論 環境に優しいエコカー(通行区分世界統一Part4-2)

9、?10/5/18  次世代自動車戦略

10、?11/7/12  東北震災地方はレモンが豊作  

11、‘12/10/9  日産の盛衰

12、‘12/10/23 電子的友人

13、‘13/1/4  Letter to Hiroko Isomura

14、‘13/4/19 「通行区分の世界統一 Part5」*コメント重要

15、‘13/7/16 レモンとカルチャー・ギャップ    

16、‘13/10/22 「通行区分の世界統一 Part6」 

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