白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(295)山内惠介さんと「歌手芝居」

2018-02-16 14:27:04 | 観劇

山内惠介さんと「歌手芝居」
 
 昔 元国際劇場の演出家だったN先輩と梅コマの舞台事務所で貸し切り公演の打ち合わせをしていたらその前を通った北島(三郎)がコチラを怪訝そうな顔をして覗いて舞台に向かった  芝居が終わって部屋に呼ばれると「あの男国際のNじゃないのか」と聞く「そうですよ」と答えると「あの男だけは許さない」といった 
なんでもデビュー間もない北島が銀橋で歌いたいと言ったら「銀橋なんて十年早い・・・悔しかったらもっと売れて見ろ」と言われて悔しい思いをした しかし「くそ」とずーっと思って頑張ったから「今の俺を作ってくれたのはあいつかも知れんなあ」と言った 
この話を後にNさんに言ったら「だっていくら歌がうまいといってもチビでブサイクだろ とても売れるなんて思わないよ」と言った 
この話を聞いた僕は歌手は予想外に「化けるもの」ということを教わって誰彼もなくみんなに気を使って付き合うようになった

 子供の頃に見たコマのように芝居とショウのコンサートをしたいということで多くの通天閣の歌い手さんの芝居の演出を何本かやっていた時代がある
芝居がうまい歌手もいればどうしょうもない歌手もいる
どうしょうもない歌手のほとんどは「私お芝居苦手なんです」という言い訳をする
だったら金も時間も掛かる芝居なんかやめた方がいいと思うがファンが黙ってないという

 梅田コマでも芝居が嫌いな歌手がいた 今では信じられないが細川たかしさんがそうだった 
「北酒場」というヒット曲の劇化で相手役は歌手の高田みずえ 細川は真狩村出身のお坊ちゃまでずーっと付いている執事(鈴木淳)が
「坊ちゃまはこれこれこういうことを仰りたいのですね」と言ったら「うん」とうなづくだけ 
結局好きだったみずえちゃんを彼女が惚れた友人に譲って執事と北海道に帰って行く話で先輩の黒田さんと僕とでデッチあげた

執事「坊ちゃんは本当にみずえさんが好きだったのですね」
細川「・・(泣く)」が最後だった

 山内惠介の舞台を見に来ないかという後輩の舞台監督からお誘いがあり新歌舞伎座に出掛けたら大原ゆうや戸田都康や桂団朝などが出ていて新コマ以来の西川美也子さんや殺陣をやっている野内さんにも男十年ぶりに再会した 
山内君とは2002年古い新歌舞伎座で「梅沢公演」でご一緒した 
その頃の新歌舞伎座の楽屋は入ってすぐ楽屋番さんがいて その部屋の隣に地下に降りる小さな階段があり彼の楽屋はその小さな部屋だった まだデビューしたての頃でデビュー曲「霧情」を歌っていた ゲストといっても前川清さんと梅沢冨美男のオンステージの中ではなく(この時梅沢はオンステージの中で「YMCA]を歌っていたかも)第三部の「舞踊ショウ」の中で幕前で歌うという扱いだった 
休憩時間には地下の楽屋から発声練習であろうか独特の節回しで「あーえーいーおーうーおーい―えーあー」という声が聞こえてきた 
それはいつかはここから「這い上がる」という意志が感じられた

ところがそんな甘い世界ではなかった
同じ水森門下生の氷川くんは高卒たった二年目で「箱根八里の半次郎」の大ヒットでスターの座に就いた 
それに引き換え彼は中々芽が出ない 
NHKではイケメン3というキャッチフレーズで北川大介、竹島宏と共に歌番組のレギュラーを貰うがヒットに繋がらない
「風蓮湖」がヒットするまで8年も掛かった その後「スポットライト」で悲願の紅白歌合戦に初出場するまで又6年 しかし翌年「流転の波止場」で さらに昨年は「愛が信じられないなら」で三年連続出場 さらに新歌舞伎座にて初座長公演と快進撃

 今回の舞台は昨年の「泥棒と若殿」に続いて山本周五郎もののいわゆる「信兵衛」ものである 
市川正さんのオーソドックスな脚本・演出は最近ついぞ見ることがない正統派の作りで極めて新鮮に映る 
きちんと恋物語もあるし(これは解禁された?年齢的にも氷川くんとは違う恋もしなきゃあウソになる)「お家騒動」もある 
ちゃんとした立ち回りもあるし(裏芝居になっているが道場破りの場面もあれば) 貧乏長屋での庶民の生活もキチンと描かれている 
子役を使っての泣かせどころもある

山内さんは演技はもう一つだが芝居心は見て取れた
なに心配はいらない 今や「名優」の舟木や細川、五木もみんな最初はそうだった
このあたりの歌手のデビュー作を見ているのが辛い
気をてらわずキチンとした原作の作品をこなしていくのが生き残る道である  

 さて彼、山内恵介が所属する三井エージェンシーのHPを見てみるとトップページに「お知らせ」として同じ事務所の歌手池田輝郎さんの円満退社の記事が載っている 
彼は氷川くんや山内惠介さんと同じように水森英夫さんに「見いだされ」て民謡歌手からプロ演歌歌手となったが志半ばで事務所を辞め故郷の佐賀で頑張ることになったという「お知らせ」記事である 
彼の年齢を知ってビックリした 1953年生まれの64歳であった・・


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