白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(285)「忠臣蔵」と歌謡曲

2017-12-20 15:37:08 | うた物語
 忠臣蔵と歌謡曲

今月の新橋演舞場は舟木一夫特別公演は昼夜通し狂言で「忠臣蔵」昼・花の巻 夜・雪の巻である 
出演者総勢で96人の公演で100以内に抑えたことを制作のMは自慢していた 
舟木の大石、里見浩太朗の千坂兵部 林与一の吉良、松也の浅野内匠頭 紺野美沙子のりく 長谷川希世の陽成院という配役である

 一方 年末のある日 顔見知りの浪曲評論家芦川淳平(なんと僕と同じく関学経済卒・後輩なのだ)が自ら歌うデイナーショウ「大忠臣蔵」に招待されて参加した 
客席には昔よく通ったスナック「同想会」のお客や通天閣歌謡劇場の歌手たちで一杯だったので久しぶりに旧交を温めることが出来た

12月14日は赤穂義士吉良邸討ち入りの日だ たかが地方の小藩の浪士たちのかたき討ちである それが末代まで語り継がれるのは何故か それは「忠臣蔵」が芦川淳平の言うように日本人の魂のふるさとであるからである 語り継がれる数々のエピソード、 親子、兄弟、夫婦、主従、師弟、友人・・・などなど自らの境遇に重ねて人びとは涙して来た 
事件の翌年から芝居になりやがて「仮名手本忠臣蔵」に結集することになる それはやがて講談となり落語となり浪曲となり歌謡曲となった
今回はその歌謡曲になったエピソードを歌手の歌で綴り大御所天中軒雲月の「雪の南部坂」でしめるという面白い企画だ

国民的歌手と言われた三波春夫が自らの長編歌謡浪曲や講談・地歌などで綴って出した忠臣蔵集大成「大忠臣蔵」に入っている曲のタイトルを並べてみると「序曲」「ああ、松の廊下」「早駕籠は行く」「赤穂城の内蔵助」「赤穂城明け渡し」「大手門下馬先」「山科へ」「山科の判れ・赤穂の妻」「星げしき」「ころは元禄十五年」「神崎東下り」「元禄男の友情・立花左近」「南部坂雪の別れ」「元禄花の兄弟・赤垣源蔵」「その夜の上杉綱憲」「元禄名槍譜・俵星玄番」「「義士討ち入り」「安兵衛武勇伝(むかしばなし)」「元禄桜吹雪・決斗高田の馬場」「大忠臣蔵を結ぶ歌」これですべてを網羅したのである
彼がコマに出ていた時期は丁度「俵星玄番」がヒットしている時であったので背の低い彼が槍を持ち得意げに歌い上げるのをよく聞いたものだ

歌謡曲では覚えているのは同じ浪曲師の真山一郎「刃傷松の廊下」だろう これはヒットした
付き合った歌手の中では瀬川瑛子が「おんなの忠臣蔵」を歌っている 大石りくを主人公にした歌だ
当時アイドル歌手の一人だった舟木一夫はNHK大河ドラマに矢頭右衛門七役でゲスト出演した時「右衛門七討ち入り」を吹き込んだ

最近の歌手では島津亜矢が三波春夫の長編歌謡浪曲をカバーしていて「立花左近」「赤垣源蔵」「俵星玄番」を歌い集大成として「大忠臣蔵」を歌っている
鏡五郎もシリーズで忠臣蔵ものを歌っていて「赤垣源蔵・徳利の判れ」「浅野内匠頭」「天乃屋利兵衛」「大石内蔵助」「忠臣蔵・片岡減五右衛門」「忠臣蔵・堀部安兵衛」などを歌っている
速水映人とよく仕事している小桜舞子も「堀部安兵衛の妻」や「恋の絵図面取り」などを歌っている
売り出し中の三山ひろしも「元禄名槍譜・俵星玄番」を吹き込んでいる

大御所ひばりも「奈良丸くずし」で歌っている
作詞は演歌の祖といわれる添田唖蝉坊だから著作権は切れている

笹や笹笹 笹や笹
大高源五は橋の上
水の流れと人の身は
明日またるる宝船

山と川との合言葉
引かば返さぬ 桑の弓
四十七士が 月雪の
中や命の 捨て所


別の歌詞では

赤の合羽に 饅頭笠
ふりつむ雪も いとわずに
赤垣源蔵は 千鳥足
酒にまぎらす いとまごい

雪の夜中に 陣太鼓
弟の源蔵の 身を案じ
なぜか眠れぬ 与左衛門
同じ血じゃもの 肉じゃもの

四十七士の いさおしが
目出度く主君の 仇を討ち
朝雪ふみしめ 泉岳寺
空も心も 日本晴れ


今回の舞台では三味線の虹友美さんが歌った

ショウの流れだがゲストの歌い手さんの持ち歌コーナーを先に済まして忠臣蔵をラストに持ってきたらどうだろう

(12月18日 ナンバ道頓堀ホテルにて)
 

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1 コメント

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新しい忠臣蔵の唄出てきてほしい (芦川淳平)
2017-12-22 15:26:39
吉村先生の深く広いご見識を拝読しました。
奈良丸くづしは唖蝉坊だけではなく多くの人の詩が残されていますね。というより即興的に歌う中で浪花節のフレーズを読み込んで生まれたものもあるように思います。
今回の友美君の唄ったものは、笹や笹以外は私が書いて渡したものですが、良し悪しはともかく実にすらすらと書けるのに自分で驚きました。いくつか挙げてみます。


奈良丸くづし

作詞:芦川淳平
作曲:神長瞭月

勅使饗応の浅野公
あれやこれやの手違いに
ついに我慢の緒も切れて
吉良よ覚悟とご刃傷

武士の散り際桜花
田村屋敷のお庭先
無念の涙飲みながら
春の名残のご切腹

春の嵐に赤穂城
殿の位牌を胸に抱き
忠義一途の大石も
にじむ涙の連判状

祇園島原撞木町
夜毎夜毎の茶屋酒に
酔うて浮かれる内蔵助
酒の苦さよ身の辛さ

可愛い女房や子供らに
罪が及んじゃならないと
滲む涙の離縁状
おりく哀しや戻り旅

饅頭笠に赤合羽
赤垣源蔵は千鳥足
兄の不在に是非もなく
羽織相手にいとまごい

互いに今宵を松坂町
尽きぬ恨みと武士の意地
勇む四十と七人が
遂げる本懐鬨の声

雪は解けても赤穂義士
武士の鑑とうたわれて
世々に誉れは龍田川
山と川との合言葉

元来歌謡曲では忠臣蔵物は流行らないというジンクスがあったそうで、古くは、上原敏、東海林太郎、藤島恒夫、三橋美智也など多くが一応出しています。
昭和36年の「刃傷松の廊下」がそのジンクスを跳ね返した、と真山一郎さんが自慢していましたが、その三年後三波春夫の「俵星玄蕃」が生まれるのです。
真山さん、三波先生も共に浪花節ですが、それまでの忠臣蔵歌謡との違いは、ここにあると思っています。
それまでのものは、エピソードは忠臣蔵の物語を取り入れていますが、あくまで「唄い物」歌謡、それに対して三波真山など浪曲出身者は「語り物」歌謡としての忠臣蔵物を確立したのではないでしょうか。
歌謡曲の世界で「語り物」というのは三波亡きあと、なかなか定着しないように思われます。
歌謡曲に力がなくなっていることもあるのですが、形の上では「困ったときの浪花節」で、三波作品のカバーや新作が発表されていますが、歌唱はどこまでも唄い物なんです。先人が浪花節で培った語り物の歌唱法が持つ説得力が定着するのはまだまだ道半ばという感じです。
芝居、映画、浪花節がそれぞれの手法で伝えてきた忠臣蔵に集約させた日本人の情と理を、次に次世代に伝える芸はどこにあるのでしょうか。そんな思いを抱きつつ、今回のショーを振り返っています。
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