平成21年の2月のある日の朝 突然「急性大動脈解離」なる病気で倒れ
7時間の大手術の末 なんとか生還 死亡率15%~25%のこの病気は克服したが
左半身麻痺と言語障害がのこり 6か月間余りの厳しいリハビリの後 バリアフリーの現在の住処にやってきた。
昔は田んぼばかりのこの地は古い古墳や灌漑用のため池も多く 渡り鳥の恰好の住処だった。
とくに大きな白鷺が舞飛び 駅名を「白鷺」と言った。
入院中友人のプロデューサーMが僕の病状を心配したのだろう、お見舞いの電話をもらった。
彼もまた難病と闘っている最中であった。
そして僕が退院しようとする頃 彼は東京の病院で亡くなった・
彼が最初に転勤で東京に行った頃 その住んでいる住所を取って「猫実通信」なるワープロうちの
ハガキを貰った。 作った芝居、観た芝居の批評、これからやる芝居、印象に残った役者・・・
それは大阪にいる我々にとって(今の様に東京演劇情況が判る時代ではなかった)
東京演劇界の発信基地であった。
それにならって若き演劇を志す人々に ちょっと昔の芝居作りの楽しさ苦しさを知らせるために
「白鷺だより」なる文章を綴ってみようと思った。
死んでいても当然の身体を生かされた意味を噛みしめながら・・・・
とくに最近のWikipediaをみると演劇関係の記事は新劇の記録は丁寧に扱われるが 我々が過ごしてきた「商業演劇」なるジャンルは殆ど扱われていない
その記録すら皆無である その穴埋めに少しでもお役にたてれば幸いです
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