まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ファッション哲学

2009-10-28 23:35:44 | 人間文化論
衣服というのは人間の文化のなかでも華麗に進化を遂げたもののひとつです。
動物の場合は生まれたときに定められた毛皮を一生着続けるわけですが、
人間は外気温から自らの身を守るために衣服という文化を生み出さなければなりませんでした。
しかしその原点の機能はあまりにも当然のものとしてほとんど意識されることはなくなり、
むしろ個性を表現するための手段として発達を遂げ、
もはや無限といってもいいくらいの多様性を獲得するにいたっています。
どんな服を着るかということにその人の価値観が現れるといっていいでしょう。
そのような価値観はファッション哲学と呼ぶことができるでしょう。

私はどちらかというと原点思考で、
「元はといえば衣服というのは…」 と考えてしまうたちですので、
以前は、その日の暑さ寒さに最も適した服を選びさえすればよい
というくらいの哲学しかもっていませんでした。
しかし、ある日テレビかラジオのインタビューで沢田研二が、
「着るものにあまりこだわりはありません。
 心がけているのは昨日とはちがう服を着るということくらいです。」
みたいなことを答えているのを聞きました。
今思えば沢田研二のその言葉がどこまで本気だったか疑ってみる余地があると思いますが、
ファッション・センスのまったくなかった私は、
あのカッコいいジュリーのお言葉ということで、なるほどと納得し、
「昨日とはちがう服を着る」 というのがモットーに加わりました。

したがって大学時代以降は、
・その日の暑さ寒さに最も適した服を着る
・昨日とはちがう服を着る
の二本立てが私のファッション哲学となったのでした。
(ちなみに高校までは制服があったので着る物のことで悩む必要はほとんどありませんでした)
むろんファッション哲学というのは、その日着る物をどうやって選ぶかというより、
お店で何を買うかというところに一番はっきり現れるのだと思いますが、
その部分に関しては自分の中にあまり明白なモットーがあるようには意識されていません。
たぶん好き嫌いのレベルで、
なんとなくこういう色やデザインのものを選んでしまうということはあるのでしょうが、
それは私のなかでは 「哲学」 と呼べるほど明確なものにはなっていません。

さて、15年前から福島大学で教えるようになりました。
そのわりと早い時期のことだったと思いますが、
ある日、私の講義を取っている学生から、
「先生、いつもその服着てますね。そんなに気に入っているんですか?」 と言われました。
そのときハタと気づいたのですが、大学の授業というのは週に1回です。
友だちとは毎日会うかもしれませんが、よほどのことがない限り大学教員と会うのは週に1回、
毎週同じ曜日の同じ時間帯にしか会わないわけです。
しかし私のファッション哲学は 「昨日とはちがう服を着る」 ですから、
ひょっとすると毎週ある曜日にいつも同じ服を着ているということは十分ありうるわけです。
これに気づいたときはゾッとしました。
気になったついでに数えてみると、
だいたいあるシーズンに稼働している服って5着ぐらいしかないのです。
ウィークデーにこれらをローテーションさせていくと、
月曜日はこれ、火曜日はこれ、と固定されてしまう可能性もなくはありません。
私の哲学からするとたぶんそんなふうに決まってしまうことはなかったと思いますが、
それにしても、先週何を着ていたかなんてまったく考えないまま、
ただ昨日とちがっていればいいという観点で服を選んでいましたので、
ある曜日には偶然にも毎回同じ服を着ているなんていうことが
しばしば発生していたにちがいありません。

それに気づいて以来、沢田研二哲学は捨て去り、新たな哲学を編み出しました。
「一週間前とはちがう服を着る」 です。
週単位で生きている大学教員には、
昨日との差別化よりも、先週との差別化のほうが大事だったのです。
しかしながら、この哲学を実践するのは容易なことではありませんでした。
一週間前の今日何を着ていたかなんてまったく覚えていないからです。
「今日は倫理学概説の授業だけど、先週の倫理学概説のときは何着てたかなあ?」 なんて、
教室の感じとか学生たちの顔とか具体的なことを思い浮かべながら思い出そうとしてみても、
なんにも頭のなかに浮かんできません。
したがって新しい哲学を編み出してからもしばらくの間は、
それをうまく実践することはできていませんでした。

これが解決されたのは、記憶を呼び覚ますことはあきらめて、
新しい方式を導入してからのことでした。
手帳に毎日何を着たかを記入していくようにしたのです。
これはなんか恥ずかしいしバカバカしいので、
自分としてもこの方式を気に入っているわけではないのですが、記憶力に問題のある人間が
「一週間前とはちがう服を着る」 という哲学を実践していくためには万やむをえません。
アホらしいながらもこのシステムはけっこう機能していて、
今ではもうほぼ毎日、手帳で一週間前の服装をチェックしたうえで、
何を着ていくかを決めるようにしています。
どうでもいいような哲学を実践するために、そのためのシステムを開発する、
人間の文化って深いなあ。

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