まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.脳幹の機能死の人は脳死ではなく何という呼び名になるんですか?

2014-05-08 19:28:29 | 生老病死の倫理学
看護学校の先週の授業では脳死の話をしまくってしまいました。
ある人から感想で 「先生が楽しそうでなんかいきいきしてました」 と書いていただきました。
教員が思いっきり楽しそうにいきいきと話しまくり、学生がドン引きで寝まくるというのは、
とても大学っぽい講義のあり方だとは思いますが、本来それではいけないのでしょうね。
今後気をつけたいと思います。

さて、先週の授業では世界には3種類の脳死の定義があるという話をしました。
それはこちらの資料の2-③に載っていますが、この3つです。

脳死の定義の3種類
 A.脳幹の機能死  ex.イギリス
 B.全脳の機能死  ex.日本やアメリカをはじめとして多くの国々
 C.全脳の器質死  ex.ロシア、スウェーデン等

日本の場合はBの全脳の機能死、
すなわち全脳の機能の不可逆的停止をもって脳死としているわけですが、
とするとそれ以外は脳死ではなくて何になるのでしょうか?

A.脳幹の機能死の人には特に呼び名はなく、生きている患者さんということになります。

強いて言えば 「脳幹の機能死」 と呼ぶしかないでしょうが、
そもそも日本ではイギリスが採用している脳幹の機能死を脳死の定義とすべきだと主張する人はおらず、
したがって、それに呼び名をつける必要がありません。
もっと言うならば、現在、国によって脳死の定義が違い判定方法が違っていますので、
それはつまり、同じ状態の患者さんがある国では脳死であり死んでいると判定されるのに、
別の国ではまだ脳死ではない=死んではないと判定されるということになります。
例えば、イギリスでは脳幹の機能死を満たしていて脳死と判定され、
もう死人とみなされ臓器摘出の対象となるような人が、
日本ではまだ脳死ではなく、すなわち生きているとみなされることになるのです。
逆に、日本で脳死 (=全脳の機能死) とみなされ臓器提供の対象になる人が、
ロシアに行くとまだ生きているとみなされることになります。
脳死の定義が違い判定方法が違うということは、そういうことを意味するのです。
死の判定なのですから国によってまちまちでいいとは私は思いませんが、
脳死の定義や判定方法が全世界で統一される日がいつか来るのか、
今のところまったくそうした動きは感じられません。


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