インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

大宇宙の星に願いを

2010-03-07 13:38:55 | 潜在意識の世界
  うとうと昼寝をしていると夢を見た。冬の薄暗い屋内で、何やらある女の先生がいて、何やら話を聴いていた。そのうち外へ出て、大人の生徒達が真冬の夜空を見上げ始めた。一月二月の冬空が一番キレイな気がする。先生は語りかけた。

「あなたが子供の頃からなりたかったことで、今も実現しそうなことは何ですか?」

 大宇宙の夜空を眺めながら、皆が考え、語る者もあらわれる。我が身を振り返って、子供の頃になりたかった夢などあっただろうか。そもそも夢なんてあったかしら。

 無理やりに、政治家やら医者やら社長になりたいとか、ほざいていたかもしれないが、本音では?だし、スタートラインからしてナンセンスだったかも知れない(勝手に看板を掲げれば、社長にはなれるかもしれない)。

 昔から個性的だったので(ただ自我が強いだけか?)、人とは違うことをやってみたいと思っていた。絵描きやら考古学とかに関心はあったが、二十歳ごろには哲学に猛烈に関心を持った(別に哲学科へ行った訳ではないが)。

 20代も後半に入って小説を書いてみたくなり、それが考古学への興味とリンクして(?)、インディアンの小説やら書いてみたわけであるが、作家になるにはとんでもない壁を乗り越えなければならなかったようだ。登り方を間違えていたのかもしれない。

 インディアン世界は共感する部分も多いが、古代メキシコとか光だけでなく、闇も崇拝していたわけで、実際、社会では生け贄とか血みどろのルールが横行していた。

 古代アメリカ世界にいて、「あなたが子供の頃からなりたかったことで、今も実現しそうなことは何ですか?」と問われると、「生け贄になること」と答えるわけで(??)、やはり「子供がなりたいもの」は時代背景や周囲の圧力で決定するのかもしれない。

 まさか子供の頃に「インディオ通信」なるものを書いているとは思わなかったし、そもそもああいった世界に関心を持つとも思わなかった。だけれども、現代人のルールがおかしいと思えば、それに代わるルールを探す必要があり、それがあの世界だっただけか。

 現代の物質文明に忠実に生きると、カネやら欲望に執着し、生と死の間にとてつもない壁があるように思える。大自然とか大宇宙とかの繋がりが、人と人との間を通じて感じられないなら、人間関係も偽善的で希薄なものになるのではないか。