インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

何のために読むのか?

2010-03-15 00:18:35 | 映画や小説、テレビなど
 ジャンル関係なしで、本は沢山持っているが、全部読んでいるわけではない。最近は時間があるから、ページのアタマから隈なく読むことも出来ようが、小説以外はそういう読み方をしていない。このブログで紹介した実用本とかも、ほとんどそんな感じか(面白ければ全部読むかも)。

 本を読むために読む、ということだけは避けたい。確かに読書は映画鑑賞とかと違い、能動的な行為であるが、所詮、書き手がある観点にだけスポットを当てて説得しているものだから、鵜呑みにするのはどうかと思う。内容が凄いと盲信して実践するケースもあるが、なかなかそういうのにはお目にかかれない。最近では「情報は一冊のノートにまとめなさい」がある。

 やはり何か書くために読む(=調べる)のが一番良いのかも知れない。書くといっても、それをカネにする場合(ライターとか)、その参考資料の参考にしたものまで読んだりするから(?)、一筋縄ではない。ノンフィクションといえども、創作されているので、裏の裏まで探る必要があるかもしれない。要は何も信じないということか。

 もっともそんな感じで素直でないから、『ツキを呼ぶ本』とか読んでもあまり効果がないのかも知れず、ブログとて何かしら首尾一貫した感じを受けないのかもしれない。興味や話が彼方此方に飛び、「一体この男は何を書きたいのか?」という疑問を抱かせるのである。

 実際、これを書いている現在でも、何が書きたいのか全く分かっていない。ただ更新するために書いている面もある(何たる事態だ!)。小説家として本を出し、それをサポートする意味でブログを書いているわけでもなく、アフィリエイトもただの飾りであるし(ヒヨコも…)、もはや行き詰っており、2010年の春、何かしら新しいことをやらねばならない時期に来ているのかも。

 スピリチュアル関係の本も何か怪しいものがあるし(脚色が多いのでは)、もはや己のちっぽけなスピリチュアル体験を書かねばならないか(夢とか、気づきとか、少しは書いているのだが)。

 本の内容よりも、一人の人間が生きていること自体が、不思議なことだらけなのだから。

  

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