インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

精霊の旅③ 湯平温泉

2011-07-06 05:34:38 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
  昨日は18時に異常に閲覧されたようだ(1時間で550PV…)

 さて、精霊の旅というか、放浪の旅というか、ただの観光地巡りなのだが、羅漢寺→ 男池と行き、これ以上南下すれば戻って来れなくなるので、戻ってくる途中、「湯平温泉」に寄ってみた。「黒川温泉」を髣髴させるところがあるが、こっちはかなりレトロな感じがあり(ただ寂れているだけか?)、カネが回っているような印象がなかった。観光客は誰もいない。

 

 旅館が多く、かつては相当栄えた温泉郷だったのではなかろうか。

 

 景色は綺麗で、映画村として復活する手があるかも。

 

 帰りに寄った、豊後高田市にある「昭和の村」(全国あちこちにあるようだ)にならって、「昭和の温泉郷」にすれば…(懐かしい過去のトリップして温泉に浸る)とか思いながら坂を下りる。

 

 過去の郷愁に耽って、客が来るのを待つより、「独創性」が必要だ、いっそのこと、「インディアン村」とか「江戸村」とか「仙人村」にするとか云々考える。誰もいない中、ツバメが元気よく鳴いていた。

 生命力のない温泉街の中、ギャーギャーと二羽のツバメが、全生命力を振り絞ってホバリングしている。何事かと思い、ツバメの騒ぐ方向を見ると、とんでもないことになっていた。

 

 助けようにも、棒切れもなく、すでに腹の中に入っているのか…

 

 悲しいかな、これが今回の旅で一番印象に残ったことかもしれない。親ツバメは愛情を込めて育てていたのであろうが、その命は奪われてしまったのである。泣き叫ぶツバメの姿は、人間も、鳥も、同じなのだろうと思わされた。

 蛇に食われた雛鳥をみて、津波で死んだ子供を連想する。それはインディアンも同じで、大蛇を神と崇め、偉大なる力を感じ取っていたわけである。蛇=不吉=死神のシンボル、と遠ざけてしまえばそれまでだが、我々人間は皆死ぬわけで、遅かれ早かれ、死の蛇に飲み込まれる運命なのだろう。

 カスタネダは無限をイーグルと喩えていたが(古代メキシコの呪術師か?)、多分、ヘビにも喩えられていたのではないか。なにせ、ケツアルコアトル(羽毛あるヘビ)、コアトリクエ(蛇のスカート)…、ヘビだらけの文明である。

 こんな壮絶な、シンボリックな光景を目の当たりにすると、「もっと死について意識しろ」とでも精霊にささやかれているのかも。

 ただエネルギーの塊(ヘビ)が、小さなエネルギー(雛)を飲み込んでいるだけである、と冷めて考えられれば楽なのだろうが…

 あまりにも残酷な光景でした(旅の記事はこれで終わりです)

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