インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

呪術の世界には言葉の矛盾があるだけだ。

2013-01-23 17:15:04 | カスタネダ『呪術の実践』 !
   眠れないので(夢見ができず?)、頭が痛い中、『沈黙の力』ばかり読んでいた。わかったようで分からない。

 「○○とは、△△である」という書き方であるが、△△が曖昧であるから、全体として、精霊の力によって、理解するしかないのであろう。

 ポイントは、太古の人間(呪術師)は、沈黙の知という、深いレベルの知(アカシックレコードか?)によって、物事を直感によって直に知ることができた。しかし、予言やら計画がズバズバ当たるということになり、自尊心やら自我意識が生まれ、そういった沈黙の知(精霊とのつながり)が失われていった。

 人間の力で何とかできる、それが「うぬぼれ」であり、「自己憐憫」であり、現代人の自我意識である。それはすなわち、「理性」という、現代人の崇拝する賜物であり、それによって人間の視野は固定されてしまった(集合点の固定)。

  現代人は見せかけだけの低い意識(自己憐憫やらうぬぼれ)に染まっており、既知を積み重ねて、コツコツ学んで物事を知ろうするにとどまっているが、実際は人間の力は計り知れないものである。

 本当の知識というのは、雨あられのように宇宙から降ってくるのであり、それを呼び込むには、「非情さ」(自意識をとっぱらったもの)が必要である。

 呪術師は「非情」であり、そして「目」が「精霊・意志・沈黙の知」をおびき寄せることができるのだ。呪術師の目は、集合点を動かすことができるのである(意識レベルを変えることができる)…。

 吾輩も、我が眼球を動かし、そういった過去のケースがあったかどうかを想起しているところである(そういえば、20の頃…)

 確かに我々現代人は、万物の根源とのつながりを失ってしまった。

 しかし「沈黙の知のかけら」が、やらな行為に導いているのだろうし、実際に吾輩もそんな感じであった。

 現代で生きるということは、「低いレベルの意識」に飲み込まれていくということか?

 戦士の闘いとは、、「自我意識との戦い」。

 戦う道具は、、言葉を駆使する理性??

 しかし、理性にすがろうととすればするほど、精霊(沈黙の知)は逃げていく…。

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