インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

ゲームは達成感!

2010-06-02 21:40:00 | 考えるインディオ
  何でもゲーム化してしまえば面白く、仕事自体がゲームになってしまえば楽しい人生が送れるに違いない。ただし、評価がなかなか難しくて、何を尺度にすればいいのか単純ではないような気もする。

 会社ならば売上とか、収益を増やすことに貢献した人間を評価するわけで、ボーナスやら月給、役職を上げていくのだろうが(それが一種のゲームなのだろうが)、客観的冷静に考え、所詮、他人の畑を耕しているに過ぎない。その収穫の一部を頂いている小作人である(そう考えると、脳内麻薬が流れない)。

 もっともカネは万能であり、皆が欲しがる価値であるから、それを貯めることは楽しいに違いない。「10万円しかなかったのが、1年後に100万円になった!」というのも、
貯金ゲームの達成感であろう。もっとも、60代過ぎで、2000万3000万になったという輩はゴロゴロいるだろうが。

 本当のゲームはカネなど求めないような気もする。きっかけはそうかもしれないが、やっているうちに(工夫しているうちに)面白くなったりして、ただ夢中になっている。ゲームと化した事柄に、時間を忘れて熱中し、それが解決すると(最後まで行き着くと)、甚大なる達成感を浴びることになる。

 PCとかのゲームだって一銭にもならないし、このブログだってもはやカネなど求めていない。叩いているうちに何かが出てくるわけで(これこの通り)、それがまた面白い。最初はアクセス数など気にしたゲームであったが、今はあんまり気にしていないし、ただ活字(呪術か?)、文章のゲームである。こんなくだらぬ記事でさえ、書き上げてしまえば結構な達成考えられるのだ。

 読み手は…コメントにまでは出さないが、このおかしなゲーム文章を眺め、「こいつは何も考えて書いていないのではないか?」と呟くだろうが、実際何も考えていないし、ただブログのゲームが進行しているのである。ただの文章上の。

 未開文明やら、潜在意識やら、「聖なる木」やら、文章ゲームはあちこちに揺れ動き、あんまし合理的で美しいゲームとは言えない。もともとカオスなタイトルで、ルールも何もないが、非合理的な世界を表現しようとした、言語ゲームなのかもしれない。それで世界を理解した気になって、悦に入っているのか。

  所詮、文章は文章でしかないのだ。特にネット上では。紙になれば、「書籍」という商品になり、カネになるのかもしれないが。

 そういうわけで、アルファポリスのドリーム小説大賞に一票(『マネー神の崇拝』です)

  ドリーム小説大賞(聖なる木です)

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