インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

気配を感じる!

2009-02-13 21:07:20 | 田口ランディ、桜井章一、内田ボブ
 屁理屈を書きたくないが、書いているうちに、いつの間にか長くなってしまう。

 需要があるから、書くのだが、一体いつまで書くのか自分でも分からない。相手がほとんど分からない状態で書いているので、営業的な?内容は書きようがない。

 どうしても自分本位のブログになってしまうのである。

 しかしインディオ通信であるから??野生的に、読者の気配が感じられなければならない。

 桜井章一氏の本を読むと、「気配を感じとる力」について論じられてある。

 自分の生命を保つために、自分の気配を殺して獲物に近づく。相手だってその気配をかすかに感じでもしたら逃げ出してしまう。また天変地異などが近づけば動物が気配を感じて事前に避難を始めるという現象も多く出ている。文明を発達させた人間様は失ってしまったのかもしれないが、気配を感じる能力は、野生の動物には自然に備わったものなのだ。

 強い麻雀を打つためには、こうした動物的感覚が必要だ。実際、弟子たちを見渡しても、打てる者は気配を感じ取ることに長けている。それを予知能力というと大げさに聞えるかもしれないが、要は微妙な変化を見落とすことなく、それに対応できるか否かの問題なのである。

 小さな変化を見落としていれば、それは取り返しのつかない大きなうねりになってしまう。小さな燻りの段階で見つけて消し止めればどういうことのない火も、放っておけばボヤから大火へ燃え広がっていくようなものだ。気配を感じられる者は、ことがまだ小さいうちに対応し始末をつけられる。逆にいろんなことを面倒臭がり、後回しにしてしまうような性格の人は気配に敏感になれるわけがない…  『無敵の勝負論』より


 現代が資本主義のゲームであるとしたら、やはり麻雀と同じであるかもしれない。

 点棒の少ない人生を送るなら、気配を感じ取る能力が足らないからなのかもしれない。自分の気配ばかりを感じている=自己中心的な麻雀をやっているのかもしれない。

 麻雀も、営業も、やはり「気配」が重要。相手について気を配らねばならない。

 もちろん、このブログも、読者に気を配らなければならない。相手をインディアン予備軍と考え、インディアン的な文章を綴っていかなければならないのだが…、

 なかなかストライクが投げられない(何処へ行くかは、球にきいてくれ)

 暴投の連続です(レッドカードだらけです)

 ブログの世界に審判はいません(採点不可能!)

 大勢のインディアン予備軍に逃げられています(気配を感じて)

 すると残った読者は…(変な気配が…)

 あのー、ゴホゴホなブログはここですか(暇つぶしをさせて下さい)
 
 う~ん、確かに「ラビバトラ」関連から流れてくる読者が多いから、そうなのかもしれん。

 動物的な観察力を磨くためには…、、
 北山耕平さんの講演会でも行ってみよう(来週だわい)

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