インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

6月10日 …シャーマニズム小説、『コンセント』 ②

2007-06-10 01:35:27 | 田口ランディ、桜井章一、内田ボブ
 神職を募集していた。少し興味があるが、何か釈然としない。

 きっと神主(=シャーマン)なのに、民間企業と同じ採用方法だからかもしれない。
 小説『コンセント』にあるように、狂気の世界をさ迷った者を積極的に採用すべきではないか。

 たとえば、主人公ユキの兄。
「…どうしたらいいんだ。どうやって遮断すればいいんだ。なにもかもが入ってくる。共鳴してしまう。感情だ。世界は感情でできている。発狂する。侵入を止めるには、コンセントを抜くしかない。

 コンセントが抜けた。兄が消えた」(p257)

 その前に、発狂者は自殺するか精神病院に入れられるから、神職に応募できないが。

「人間は意識を高次へと覚醒させる前に、ある混乱状態に入ることがある」(p236)。
沖縄のユタになるには、それが通過儀礼だが、神主にはないのか。

 さて、話は小説に戻り、
 田口ランディは、その兄(=男全般?)の救済として、

「…すごい。なんて人間は自堕落で官能的な幻想に酔いしれることができるのだろう。
 あ、そうか。感応こそ官能なんだ。
 男は母親の胸に抱かれた幼児期の記憶に埋没し、退行していく。愛の記憶の再現は、周囲から大量のエネルギーを吸収し、男の精神に注ぎ込んでくる。どくどくとエネルギーが男を満たしていく。憎しみも悲しみも苦痛も押し流すほどだ。
 これが癒しの本質なのか」(p276)
 
 田口ランディが、エロ小説っぽく仕上げたのも、戦略があったのだろう。
 
  官能↑=感情↑…→ 精神錯乱 → シャーマニズム

 主人公ユキ(たぶん、田口ランディ…あんな生き様か?)が、現代のシャーマンとして目覚める話であるが…、
あんな業が深い女でも高次の意識に覚醒できるのか?(最後は娼婦になっているというオチがあるが)

 この小説のタイトル「コンセント」は、二重三重に意味が込められている。

 なかなか味わいのある本だ。







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