インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

タイトルなどつけようがない。

2012-08-13 08:31:38 | 考えるインディオ
  ありとあらゆる検索で、人々はこのブログにたどり着く。そして、「おやっ」と二、三記事を閲覧し、「よう分からん」と逃げていくのが実情であろう。

 まず書き手の素性がよう分からん。多くの書物を読み漁り、勉強家であるような感じはばら撒いているが、このブログに書いている事柄を生業としているわけではない(単なる趣味)。

 本当は山奥で呪術の(精神世界の)本でも読みながら(実践しながら)、市場(都会)から離れ、ひっそりと暮らしていたいと思っているのだが、どっぷりと現代社会に浸かっている。

 パソコンを叩き、ケータイを持ち歩き、クルマを運転する。どれも不可欠なのであるが、本当は大きな「足かせ」になっているに違いない。賢ければ、自分のを利用せず、他人のを拝借するという手もある(迷惑するかもしれんが)。

 他人の力を借りるというのはポイントで、山奥で呪術的な生活をするにしても、同じ志を持つ人と共同生活をするのが最適なのかもしれない(ナワール集団というのがカスタネダの本にある)。禅寺か何かを髣髴するが、人間味が薄いような気がする。

 昨夜、今では全然食べなくなったポテトチップスをバリバリ食べまくっている夢を見たが、現代の都会生活というのは根本的にジャンクフードを食べている感じなのかもしれない。非常に美味しいように加工されているけれども、栄養やら後味に問題があるのかも。

 ただ自分で材料をとってきて加工して食べるのは、えらい効率が悪く、「誰かが作り出したものをカネで買う」というシステムが、一番理にかなっているのだろう(異論もあるが)。

 100万本のひまわりを見る体験も、独力では不可能です(また横道に逸れたまま終わってしまったわい)

  

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