インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

大人になるということについて

2010-12-15 06:15:03 | 考えるインディオ
  ブログなのでモノのやり取りがあるはずがないのだが、ぬいぐるみやらバッグやら届くような夢を見た。送ってくれる人がいるのかどうかまで分からないが、もらってえらく喜んでいる自分がそこにいた。

 また、別の夢では(一度目覚め、別な夢を)、色んな人物が登場してきた。たまには具体的に書いてみると、高校に通う十代の少女やら、汗だくでスポーツする二十代の青年やら、である。少女は心地良い?香りにこだわり(まるでアニメの「たまゆら」だ)、青年は薄汚く汗と垢な臭いを発散させていた。

 そして三十代の男がいて、彼はえらく落ち着き、大人びていた。書き主とはちょっと違う感じか。

 深い意味があるのかも知れぬが、まずは単純に「年相応」、ということを考えるに、果たして自分はそれなりに成長したのだろうか。確かに幾つも場所を変え(職も)、移るたびに元の自分ではいられなくなっている自分が、そこにいた。

 経験し、知恵をつけ? 前と比べてモノの見方はかなり変っている(カスタネダ的には集合点がほんのちょこっと動いたのか)。同年齢(近辺)をみて、二十代を引きずっていたり、逆に自分よりも重さを感じることもある(そういう人は大抵、家族を養っている)。

 もっとも、所詮、「大人になる」といっても、子供が年をとっているだけであるからして、完全に脱皮できるわけではないし、死ぬまで小学生の頃の自分を引きずって行くだろう。

 もはや20代に未練はないし、30代にも…(いや、これは…)

 まあ、「若さ」というのは年齢には関係ないし、ただ有機的存在としての、ただ純粋なエネルギー体としての存在が、そこにあるだけか。

 宇宙にある「暗い意識の海」、非有機的存在としての、知覚しにくい存在に、年をとるにつれて引き込まれていくのであった。


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