インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

野菜を炒めながら

2014-04-16 07:39:54 | 身の回り
  雅太は今朝も40分ぐらいかけて三食こしらえた。魚は干物で我慢し、野菜たっぷりの焼きそばを作ることにし、モヤシやキャベツ、ネギを入れた。フライパンが小さいため、焼きそばを二人前入れ、箸で炒めていると、こぼれ落ちたりする。それを捨てるわけだが、そういったハミだしモノを見ながら、雅太には社会というモノも同じかもしれぬと思ったりする。

 社会という名のフライパンに、具材となる人間がたっぷりと乗っており、社会環境というか、人知を超えた力が、それをかき混ぜる。しかし内側から離れてしまった人間は、外へ、外へと押しやられ、挙げ句にはフライパンからこぼれ落ちるのである。

 そうしたこぼれ落ちた具材を利用して、さらに派遣労働やら3Kと呼ばれる仕事、これも社会に必要であり、フライパンで炒められるわけである。ところが、最後には「本当に使い物にならない具材」がはみ出し、政府やマスコミが(フライパンが小さい?)社会問題として取り上げる。雅太も将来的にはそうなるのかもしれず、「意識の修行」と称しているものの、端から見ればフライパンから出ないように闘っているのかもしれぬ。とはいえ、日頃、ストレスのたまらない仕事、温泉サウナ、夢見、と清々しい朝を迎えると、重要なのは結末・将来ではなく、今この瞬間ではないか、と思ったりするのだ。

 悲惨な最期を迎えるストーリーだけは避けたい、とはいえ、リアルな人生の物語というのは、起承転結がきっちりしているわけではない.むしろ起承転結がきっちりしている人生こそ、皮相な作り事のような人生ではないか.

 無意識がその人の人生を作るとはいえ、それは人知を超えたところの力が働くに違いない.意志に対する意図で、力を呼び寄せるとしても、それは結構タイムラグがあるのではないか。

 そう理屈をこね回したところで、雅太は時間切れになったのだった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿