インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

すべてカネで買えるか

2011-03-28 19:12:42 | 考えるインディオ
  最近、このブログも終末論モードになってきたが、もともとこの日本には希望がないので、滅びるのが早くなるだけなのかもしれない(暗い)。被災地ボランティアした方に聞くと、冷凍庫のような東北沿岸地域は、若者はほとんどいなくて高齢者ばかりという(なぜか子供は多かったようだ)。つまり東北の沿岸に家があっても、仕事がなければ居ても仕方がなく(カネにならん)、必然的に年金生活者が大多数を占めることになるのである。ましてや、家がなくなった今、地元に居続ける道理はない。関東の方へ出ていくわけである。

 復興するといっても、資本主義システムの下では、復興需要があるかもしれないが(政府がカネをだし強制的に職業人を向かわせるようだ)、その後は一斉に去っていくような気もするし、やはり根本的に過疎化対策なくしては復活はあり得ない。道路を直し、スーパーを建て直しても、住民に購買力がなければ意味がない。

 そういえば、ヨーグルトとかのスーパーの棚がガラガラであった。災害と関係がありそうで、水とかは全国的に爆発で売れているようだ。災害が極度にひどいと、カネがあっても何も買えないという事態になりかねない。それならば、一体何のために働いているのだ?ということになろう。それではまるでボランティア活動であり、みんな考え方を変えるであろう。カネだけ持っていても意味がないと。

 マンホールチルドレンの少女が「生きることは難しい」と呟いていたように、本来、生きるということはかなり難しいのかもしれない。それが分業と協業で、助け合って資本主義という絶妙なシステムで共存できるようになった。

 しかし歴史的に見て人類は奪い合いをしてきたわけで、今でも貧富の差は激しい。いい椅子につけば権力やらカネが手に入るが(ストレスも尋常ではないが)、手に入れるためには前任者に椅子をどいてもらわなければならない(椅子取りゲーム)。譲ってあげようというようなお人好しな人間は出世しないだろう。

 欲しいものを手に入れようと、主婦でさえスーパーで壮絶な買占めをしている。100人にパンが100個あれば、みんな一個ずつ買えば上手くいくが(100人ともカネを持っている仮定で、買い占めねば)、50個しかなければ、どう考えても50人は買えない。パニックだと買い占めるから、余りに大勢が買えなくなり、もはや資本主義を捨てて、社会統制でもするしかない(配給制か)。

 それでも農家とか生産者が隠したり、流通過程でどっか強い奴らの方に流れたりして、結局は弱者には回ってこない(半分分けてください)。 戦前の日本とか崩壊したソ連とかがそうだったわけで、やはり「奪い合い」はなくならないのである。

 この資本主義は「カネを出せば何でも買える」というフィクションで成り立っており、そのためにみんなカネの争奪戦をやっているが、本来、カネを出しても、コメやら魚などの自然の恵みは手に入るものではない。「食べ物があって当然」といい、飽食の限りを尽くして捨てまくっていた我々現代人の報いが、そろそろ起こってもおかしくないのではないか。大災害の被災者にでもなれば、身を持って思い知らされることになるだろう。

 そろそろ神々に感謝してらなければならないような…(しかし踊狂現象が広まると大地震が起こるらしい

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