インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

一人称小説では…

2012-06-27 07:39:50 | 考えるインディオ
  小説を書いている夢を見た。身近な人間が犯罪者なミステリードラマで、何かどこかで読んだことがあるようなストーリーだった。

 そこで問題なのは、誰を視点に据えた方がいいかという問題で、ちょっとしか犯罪や捜査に絡んでいないが、重要な場面で活躍した男にスポットを当ててみた。

  何か「チェックペンの黄色の筆が店でやっと手に入って…」という感じで、何でそんなものがキーポイントになるのかしらんが、犯罪関係者には喜ばれているのであった。

 さて、視点なのであるが、三人称で書くより一人称がいいのではないかということになり、「○○は○○と連絡をとった」から「俺はあいつと連絡をとった」という風に変えていたのだが、何か自分の悪い書き方が全部出てきていた。

 一人称小説は全部自分であるからして、自分の価値観やら趣味趣向が全部出てくるのである。

 だから100円にこだわる貧乏くさい作者が一人称で書いて、自分に合わせようととしたならば、

「俺は金がもったいないので、リンゴジュースを飲むのをやめた」という記述がボロボロ出てきて、

「何てケチで貧乏くさい主人公なのだ! こんな奴に感情移入できるか」ということになろう。

 如何に、共感を持たれる(とは限らないが個性的な)人物を演技できるかという、役者な書き方が求められているのである。

 今更そんなことは当然なのであるが…、


  吾輩の描く主人公は、もっと志が高くあるべきなのだわい(書き手の人格が疑われています)

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