インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

自我意識との戦い

2013-02-17 17:18:22 | 考えるインディオ
  体調が悪くて、眠っていた。ここ一ヶ月、健康状態がすっきりしないが、それも色々考え事をしているからかもしれない。

 「戦士の闘いとは、人間から力を奪う、自我意識との戦いである」というわけであるが、人生を「反復」したりする時に、当時の音楽を聴くのだが、自我意識がメラメラと燃え上がってしまう。

 たとえば、「作家になろうと投稿していた時期」は、頭が妄想モードになっていたのであるが、それが甦ってきたりする。音楽というのは、自我意識を掻き立てる代物なのかもしれない。そしてもちろん、執筆というのは、自我意識を書き連ねる行為であり、自我意識が肥大化していき、勝手に自己陶酔したりするわけである。

 面白ければ読者は付いてくるだろうが、書き手の精神状態は異常をきたしてくるだろう。文筆業というものはそういうものかもしれない。自殺者も多いし。

 こうやってブログを書いているのも、「自我意識=自惚れや自己憐憫」がまだまだ残っているからであろう。単なる備忘録でなく、誰かが読んでくれるのを期待している。他人のブログなど、長文ならば飛ばして読むのが普通だが。

 「面白いことを書け」「何かで笑わしてくれ」というのが、読み手の本音なのであろう。そして、自分もそれを目指していたのであるが、何か趣向が変わってきた。

 「ガツンと意識を変えさせてくれ」「この太った自我意識を何とかしてくれ」というのが、今の我輩の本音である。

  カルロス・カスタネダやドン・ミゲル・ルイスなどがそれに応えてくれている。

  吾輩の意識を例えるならば、大地を這っている巨大なイモムシのようなものであったのだが、カスタネダの本の重みによって、ぶちっと、潰されてしまったのである。

  イーグルの圧力が、意志の力が、イモムシの動きを止めた。つまり、妄想小説が書けなくなったのかもしれない。
  
  踊りや神々、音楽、芸術といったものは、より高いものと接続するときの、ほんのカケラに過ぎない。

  これからは、「沈黙の中で書かれた文章」を尊重していこうと思う。

  夢の出来事か、神秘体験か、カスタネダの文章の援用か。このブログ自体が「自我意識との戦い」なのだわい(この猫は「自惚れ」の象徴ですね)

  では僕は「自己憐憫」の象徴なのですか(そろそろ消されるのですね)