インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

現実逃避する場所は…

2013-02-09 12:12:30 | 考えるインディオ
今日の瀬戸内地方は寒く、田舎には戻らない。しばらく人生を反復していたら、何か虚しい気分に襲われた。

 こうやってインターネットをやる、映画を観る、音楽を聴く、はてまた酒を飲んだりする、多くの行為は、「現実逃避」である。

 と、同時に、堅苦しい「理性」の鎧を脱ぎ捨てようと従っているのかもしれない。


 ついさっきまで読んでいたのだが(カスタネダの『意識の回帰』)、世界は矛盾だらけで、「相反する命題」から成り立っているようだ。

 つまり、「見る者」は、「秩序だった理性的な者、冷静さの権化でなければならない」と同時に、「存在の不思議と謎に対して開かれているように、そうした性質を避けなければならない」。

 日常生活の意識(第一の注意力)を輝かせ、さらに夢や得体の知れない次元の意識(第二の注意力)も輝かせなければならない。

 正気と狂気を両立させなければならないのである。


 狂気の触りが、音楽やら踊りやら酒やら麻薬ということになるのだろうが、第二の注意力は「もうひとつの正気」であるから、ちょっと次元が違うのであろう。

 前者に従って行動すれば結果はかなり怪しいが、「夢」やら「直観」を参考にすれば、未知の状況で上手く立ち回れたり…。



 そもそも今の社会状況、フリーター、非正規、失業者の低所得者だらけ。

 吾輩とて、将来のことを考えると、現実逃避したくなる。

 それでな世界にはまっているのかもしれない。

 そういう閲覧者も多いだろう。

 しかし逃げるわけには行かず、状況からして、むしろ積極的に「未知なこと」にチャレンジしなければならないのだ。

 しかし理性がそれにストップをかける。

 「既知のこと」に焦点を合わせさせ、「未知のこと」を遮断する。

 可能性はすぐそこにあるのだが、導いてくれる何かがないので、怖いのである。
 


 そもそも「意識」とは何か?

 カスタネダによると、人間は自ら意識しているのではなく、「意識させられている」という。

 すなわち、意識の起源は、自己の内部ではなく、自己の外部にある。

 宇宙の根源的な力(イーグル、意志、精霊、抽象、▽)が、外側から、そのイーグルの一部である人間(エネルギーの塊)に圧力をかけるから、意識が発生するというわけである。

 なるほど、周囲の状況が変われば、人間の意識は驚くほど変わってしまうのである。

 いや、周囲の状況が変わらなくても、イーグルは、果てしない「意識の暗い海」であるからして、

 これまでの全人生の潜在意識(過去世もあるかも)が、人間を勝手に、操り人形のように動かすのか。

 

 何を書いているのかわからなくなったが、

 第二の注意力という、日常生活とはかけ離れた意識に逃避?して、

 それを現実生活の未知の解決に導きたいということか(結局は、「直観力を鍛える」を遠まわしに言っただけだったり)