インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

あれは第三の目か?

2011-05-09 05:19:48 | 潜在意識の世界
  未だに夢の中で自分の手を見ることは出来ないが、夢の終わりの頃に(目覚めて意識がぼおっとしている時に)、奇妙な絵を見る。絵というより、天井とか壁なのかもしれないが、今そこにある部屋のではなくて、どこか別の場所のそれなのである。今朝見た「監視カメラのようなもの(??)」は、どこかで見た記憶もない。

 光がないし、目を開けていないのに、モノが見えるというのは、「第三の目」がほんのちょっぴり覚醒されてきたのかもしれない。昔、「第三の目を覚醒させるには?」(2009年1月9日。かなり古い)とあれこれ考えたが、別に眉間に集中させたわけでもないし、何か宗教をやっているわけでもない。超個人的な夢の荒波にもまれた後、こつ然と現れてくる光景である。しかし別に何の意味も感じられない。

 個人の枠を超えた、宇宙意識にログインするのに、「夢」が入り口になっているには違いない。そして、肉体のエネルギーやら操作方法がカギになっているのも、当たっているように思われる。ただ、我々現代人は、そういった知識、方法論を誰からも教わっていない。中国やらインド、メキシコの古代の知者の本でも読んで、自分で学ぶしかないわけであるが、やはり実践段階になると試行錯誤の連続で、「自己流のやり方」を発見するしかないわけか。

 肉体をパソコン、宇宙意識をホームページに例えるなら(前の記事でそう書いている)、我々はパソコンを毎日操作しているわけだが、もっと違う操作方法があるわけだ。その説明書が、カスタネダの本であったり、仙道の本であったりするわけで、「気づいている人」(多分大勢いる?)は実践しているだろう。我が輩の本棚にはその説明書がずらりと並んでいる。ある意味、それは「受験参考書」とかと同じようなものかもしれない。

 そういうことを考えるなら、我が輩のように「自己流?」を目指し、やや斜めに構えた人間よりも、書かれてあることをただ素直に実践する人間の方が強いのかもしれない。しかしそこは客観的な科学の世界ではないから、「はあ?」「はあ?」「はあ?」の連続で、頭がついていかないだろう。カスタネダの世界にしても、かなりそうである。そういうことを考えるなら、「受験エリート」には向いていまい。

 結局、人間の器が問われるのだろう。だまされていることを知って、だまされるまま、身を任せることができるか、ということだ。