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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 人生フルーツ №387

2025-01-21 19:11:30 | 映画観賞・感想
  う~ん、理想的な老夫婦像だなぁ~。愛知県春日井市のニュータウンに一隅で典型的なスローライフを実践する津端修一さん、英子さんご夫妻。でも自分が真似るのは無理かなぁ~、と思いながら画面に見入った私だった…。

      

 昨日(1月20日)午後、シアターキノで「人生フルーツ」を観た。
 映画では故人となった樹木希林さんの次のようなナレーションが何度か流れた。

   風が吹けば、枯葉が落ちる。 
    枯葉が落ちれば、土が肥える。
     土が肥えれば、果実が実る。
      こつこつ、ゆっくり。
       人生、フルーツ。


 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた敷地300坪の一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って50年前に建てた家です。
 敷地内の雑木林で育てた70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。
 刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちています。「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉だそうです。

    

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウン(高蔵寺ニュータウン)の隣に土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。それから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと生活する姿をカメラは追い続けました。

 二人の手入れが行き届いた雑木林と家庭菜園からはたくさんの果実や野菜が収穫されます。
 修一さんは90歳にも関わらず、雑木林や家庭菜園をゆっくりですが、丁寧にお世話します。梯子にも乗り、工具も使い…。
 一方の英子さんも前述のとおり、とても器用で、料理も得意です。
 二人の間にはゆったりとした空気が流れます。
 それはまるで画に描いたようなスローライフの在り様です。
  ※ スローライフとは、時間や効率、利便性を気にせず、自分の時間にゆとりを持って生活することです。

    

 修一さんの理想を英子さんが敬い、その生活を後押しする姿は、本当に理想的な老夫婦の姿に映ります。
 私も津端さんご夫妻を見習いたいなぁ、と画面を見ながら思いましたが、同時に「とても真似できないなぁ」とも思いました。
 ただ、教えられたことがあります。老境にいたって、幸せな日々を過ごすにはお互いを敬い、労わり合うことが何より大切なことなんだと、映画は教えてくれたように思います。
 良い映画を観たなぁ~、しみじみ思いながらシアターキノを後にしました。



足るを知る アイヌ文化フェスティバル

2025-01-20 20:19:45 | ステージ & エンターテイメント
 「足るを知る」…、関係者のどなたかが話された言葉だったが、とても心に残った言葉でした。それはまさにアイヌ文化を象徴する言葉のように私には聞こえてきたのでした…。

        

 フェスティバル続きの拙ブログですが、時系列的にはこちらの「アイヌ文化フェスティバル」の方が昨日投稿した「北海道吹奏楽フェスティバル」より一日早く体験したフェスティバルだったのですが、こちらの方は私の中で少し熟成したい思いがあり、レポする日が逆転してしまいました。

 一昨日(1月18日)午後、札幌市教育文化会館において「アイヌ文化フェスティバル」が開催され、参加しました。私がこの種のフェスティバルに参加するのは確か3回目だったと思います。
 フェスティバルは、次のような構成となっていました。
 ◇アイヌ文化賞・文化奨励賞贈呈式
 ◇基調講演「アイヌ、100人のいま」 写真家:宇井眞紀子氏
 ◇古式舞踊 札幌ウポポ保存会
 ◇口承文芸 豊川容子氏
その他に、ロビーにて◇木彫実演 平村太幹さん、◇刺繍実演 阿部弘美さんの実演が行われていました。

    
    ※ 札幌ウポポ保存会の皆さんです。お年寄りから子供まで幅広い層の方が参加しています。

 さて本レポは、アイヌ文化フェスティバルの様子をレポするのではなく、フェスティバルの中でどなたかが発言された「足るを知る」にこだわって少し考えてみたいと思います。
 私は北海道に生まれ、以来ずーっと北海道で生活してきましたが、アイヌのことを良く知らないまま、あるいは関心を持たないままで生活してきました。
 退職後、札幌に居を移しアイヌ民族に関する講座など参加することにより徐々に関心を持ち始めました。そうした一環としてのフェスティバル参加だったのですが、今回「足るを知る」という言葉を聞いてアイヌ文化の深奥にふれた思いがしたのです。

 「足るを知る」という意味についてちょっと調べたところ次のように記述されていました。「物質的な満足感だけを指すものではなく、実際に物品や財産を持っていなかったとしても、自分が置かれている現状に満足し、周りへの感謝を忘れないという心の豊かさを表す言葉」と出ていました。
 アイヌのことを講座などで学ぶ中で、アイヌ民族は自然界のすべての物に神が宿るとされる「精神文化」を大切にする民族だと学びました。だから、例えば彼らにとって貴重な食物であったサケなども自分たちが生きる上で食さねばならないものに対しても敬い、サケを単なる食料とするだけではなく、サケの皮も、骨も残さず活用する術を獲得していきました。と同様に彼らにとっては自然界のモノをいただくときには祈りをささげたうえで生きとし生けるものをいただいていたのです。
 この精神こそが「足るを知る」精神なのではないかと私は思うのです。


 科学技術の進歩によって、私たちは豊かな生活を獲得することができました。しかし、その背景で私たちは異常な勢いで自然を破壊してはいないでしょうか?
 難しいことを私は云うつもりはありません。ただ、あまりにも無反省で豊かな生活だけを追い求め続けて良いのだろうか?という反省も時にはすべきではないか、と思うのです。私たちの無反省の代表的例が地球温暖化ということではないのかと思うのです。
 「足るを知る」という言葉から、飛躍してそんなことを考えさせられた一言でした


北海道吹奏楽フェスティバル

2025-01-19 22:10:04 | ステージ & エンターテイメント
 延々と管楽器の音のシャワーを浴び続けた6時間でした。しかし、自衛隊北部方面音楽隊、札幌白石高校吹奏楽部、HBP講師陣バンド他、11の団体のレベルは高く、おおいに楽しませていただいた6時間でした。

   

 フェスティバルの最後、お決まり(?)のアンコール曲「花は咲く」の合同演奏が終わり、時計を確かめると19時56分を指していました。14時に始まったフェスティバルは6時間にならんとする長丁場のコンサートでした。

 そもそも私は「北海道吹奏楽フェスティバル」と聞いて、大して確かめもせず道内の学校の吹奏楽連盟のようなところが主催し、小中高の優秀な吹奏楽部が集まるコンサートだろうと勝手に判断し、チケットを購入していたのです。
 ところが、会場でパンレットをいただき、どうやら私の思い違いだったことを知る羽目となました。

 フェスティバルは、「北海道吹奏楽プロジェクト(HBP)」という団体が主催しているということを知りました。HBPとは、①プロ奏者によって構成された管楽合奏団を創設する。②プロ奏者に指導を受けるアマチュアによる「アカデミーバンド」を運営する。③プロ奏者を中学校・高等学校の吹奏楽部に派遣する教育プログラム「サポートシステム」を運営する。という三本柱を目的とした団体だということを知りました。

 そして本日は、それらに関わる吹奏楽団が札幌市教育文化会館に一堂に会して演奏会を開催するフェスティバルだったのです。(但し、自衛隊北部方面音楽隊はフェスティバルにゲストのような形で招待されたようです)
 本日出演した団体を羅列すると…、
 ◇手稲宮丘小学校スクールバンド
 ◇手稲西中学校吹奏楽部
 ◇新陵中学校吹奏楽部
 ◇新川西中学校吹奏楽部
 ◇札幌みなみの杜高等支援学校音楽部
 ◇北広島高校吹奏楽局
 ◇札幌白石高校吹奏楽部
 ◇札幌清田高校吹奏楽局
 ◇HBPジュニアバンド
 ◇HBPアカデミーバンド
 ◇HBP講師陣
 ◇自衛隊北部方面音楽隊
以上、12の団体でした。
     
※ 今回のフェスティバルに特別出演した自衛隊北部方面音楽隊です。

 出場した学校は、いずれもHBP講師陣から指導を受けたり、吹奏楽部の指導者がHBPと関りのある学校だったようです。また、「HBPジュニアバンド」は主として中学生が学校の垣根を超えてHBP講師陣から日常的に指導を受けている人たちの団体のようです。さらに「HBPアカデミーバンド」は、一般人でHBP講師陣から指導を受けている方々の集まりのようでした。

 つまり、「北海道吹奏楽プロジェクト(HBP)」とは音楽系の大学を卒業した方々の活躍の場と指導の場を創り出すこと、さらには道内の学校の吹奏楽の向上に寄与することを狙いとした団体ということのようです。(「ようです」とか、「ようでした」という表現をしていますが、あくまでもそれは私の個人的な見解だという意味に受け取ってください)

 HBPの代表を務める畠中秀幸さんという方が素晴らしい方なのです。その履歴を調べさせてもらったところ、畠中氏は小学生の頃からフルートに親しみ、フルートの「個人コンクール北海道大会」で中学3年から3年連続で第一位に輝いたことがある方ということですが、音楽系の大学には進まず京都大学建築学科に進み、卒業後には札幌へ戻り、あの「札幌ドーム」を設計したことでも知られている方です。音楽の方も趣味として継続されていたようですが、2011年に脳卒中を患い右半身が不自由になりながらも左手だけでフルートを演奏し、「左手のフルーティスト」として有名を馳せている方です。
 そうした方が進めるプロジェクトですから、相当に本格的なものといえます。本フェスティバルも今回で15回目というのですから、息長く続けられているプロジェクトです。

 さて、肝心のコンサートの方ですが、道内の吹奏楽界では随一と自他ともに認める「自衛隊北部方面音楽隊」、全国高校吹奏楽コンクールの常連校である「札幌白石高校吹奏楽部」、そして道内外の音楽大学を卒業した講師陣、その講師陣から直接指導を受けた小中高校の吹奏楽部ですから、いずれもが高いレベルの演奏を聴かせてくれました。

 今フェスティバルの特色は、学校毎の単独演奏だけでなく、二つの学校が一緒に演奏したり、講師陣が加わったり、学校とHBPアカデミーバンドが一緒に演奏したり、と様々な組み合わせで演奏したところに特色がありました。それぞれにとって得難い体験ができたのではないかと思いました。

 6時間のコンサートが終わった時にはさすがに疲れを覚えましたが、心地良い疲れでした。
 HBPのねらいが功を奏し、札幌、ひいては北海道内の吹奏楽のレベルが一層向上することを願いたいと思います。



バルーンショーを楽しむ…

2025-01-18 19:07:43 | ステージ & エンターテイメント
 物好きもここに極まれり、と自分自身に苦笑いを禁じ得ない私です。往復50分もかけて、僅か30分間の大道芸を楽しみに出かけるのだから…。それでも素直に楽しめた30分間でした。

 本日午前、豊平区民センターで開催された「バル―ショー」に遠路はるばる駆け付けて楽しませてもらいました。地下鉄を乗り継ぎ、さらに地下鉄駅から約15分歩いてようやく豊平区民センターに着くことができました。
 そもそもこのイベントは豊平区民センターが豊平区民のために開催されたもののようで、親子連れや老婦人が目だっていて、私のような老年男性は数えるほどだったようです。
 私が「バルーンショー」を観てみよう!と思い立ったのは単純な理由からでした。それは、これまで何度か大道芸を観る機会はありましたが、「バルーンショー」は未体験だったために、「どのようにものなのだろう?」という興味からでした。

     
     ※ ド派手な衣装でバルーンショーを行うみゆきさんです。

 10時30分、派手な着物のような衣装を身に付けたバルーンアーティスト(と自称していました)の「みゆき」さんが登場しました。みゆきさんは苫小牧在住の方だということです。
 みゆきさんは観客に語りかけながら細長い風船を次々と膨らましていきます。今は風船を膨らますのも機器が使われるんですね。コンプレッサーのようなもので簡単に膨らませていきますから、間をおかずにテンポよく芸が進みます。

     
     ※ ノリの良い男の子がみゆきさんとのやり取りで観客を沸かせました。

 そのみゆきさんは、客席前列の中から非常にノリの良い男の子を見出します。まるで事前に打ち合わせをしていたかのようなやりとりを男の子と交わしながら、アッという間に、タコの形を作り男の子の背中に背負わせました。
 男の子は得意満面、「まだまだ付き合うよ」というような表情をしながら椅子席に帰っていきました。こうした芸では、客席といかにコミュニケーションを取りながら、お客さんを楽しませることができるか、ということもパフォーマーにとっては大切な大切な要素であることを教えられた思いでした。

     
     ※ みゆきさんからタコの作品を贈られて得意満面の男の子です。

 その後も会場の子どもを次々とステージ前へ招き、風船を組み合わせた被り物などを作り、子どもたちにプレゼントしていきましたが、女の子が多かったせいもあって前述の男の子のように観ている私たちが沸く場面は少なかったように思われました。

     
     ※ こうした被り物が何人かの子どもたちにプレゼントされました。

 みゆきさんの風船を膨らませて、それを組み合わせる技は相当に訓練を重ねたのでしょう「さすがにプロ」と思える技で次々と見事な作品(?)を私たちの目の前で作り出してくれました。

     
     ※ こちらは「ピカチュー」ですかね?

 最後は、事前に用意してあった大きな風船をさらにコンプレッサーで大きく膨らませて、風船を破裂させ、その中から小さな風船を多数飛び出させて、私たち観衆を驚かせてバル―ショーを終えました。
 短い時間でしたが、私にとっては楽しめた30分間でした。

     
     ※ ショーの最後、左手の風船がどんどん膨らんでいき、爆発します。
        中からは何が??

 ところでリード文の“物好き云々”ですが、私はこの姿勢を持ち続けたいと思っています。何事に対しても興味を持つということは悪いことだと私は思っておりません。いや最近では、老化に抗うためには多くのことに興味を持つことはむしろ良いことだと言われています。
 私はこれからもさまざまなことに興味を抱き、札幌の街を彷徨し続けたいと思っています。
 
     
     ※ 中からはこのような風船がたくさん飛び出しました。


山田邦子さん がんの自己体験を語る

2025-01-17 18:29:10 | 講演・講義・フォーラム等
 お笑いタレントの山田邦子さんは、ひと時も休まずに喋りつづけます。そのしゃべくりは天才的です。会場を爆笑の渦に巻き込みながら、自らの闘病体験を明るく語り、聴く人たちを勇気づけました。

      

 お笑いタレントの山田邦子さんがまたまた札幌にやってきました。
 以前に来札した際も拙ブログでレポしましたが昨年12月1日、道新主催の「みんなの終活フェア」の特別講演で来札し、彼女の天才的なしゃべくりに笑いと勇気をいただいた記憶がまだまだ鮮明です。

 その山田さんが、昨日(1月16日)午後、札幌医科大学で開催された「市民講座」に講師として来札したのです。
 市民講座開催の趣旨は、札幌医大に「札幌医科大学アイン・ニトリ緩和医療学・支持療法学講座」が開設されていて、その一環として「がん相談サロン」が開設されていることを広く市民に知っていただくことだったようです。そのための講師として山田邦子さんが相応しいということで今回招請されたようで、「大丈夫だよ、がんばろう!」と題して講演(口演?)されました。


 鮮やかなピンクのドレスを身にまとい、「綾瀬はるかでございます」と話し始めていきなり笑いを取り、その後は山田ワールド全開で会場の聴衆の気持ちを鷲掴みにします。そして会場の笑いには「笑うことは免疫力を高めるために有効なのですよ」そして「口角を上げることは若々しさを保ちます」と、笑いの中に医療的効能を散りばめます。この辺りは12月の時の話と酷似していました。

 12月の時には話されなかった話としては、自らが乳がんに気付いた際のエピソード。そして精密検査でMRIに入った話などを山田流に笑いを取りながら体験談を語りました。

 山田さんとしては12月の際と比べると、やや話し辛かったところがあったのではないかと推察します。というのも、医大の関係者や、がんに関心のある方々が参加者には多かったと思われるからです。しかし、そこはさすがにプロです。臆することなく山田ワールドに惹き込んだ山田邦子さんの話しぶりにはプロ根性を見た思いがしました。

小菅正夫氏 動物愛を語る

2025-01-16 19:15:08 | 講演・講義・フォーラム等
 元旭山動物園長の小菅氏は語ります。言葉を持たない動物たちから小菅氏は「すべてを教わった」と…。北海道弁を丸出しにして話す小菅氏の言葉の端々から動物への限りない愛の深さを感じさせられました。

 昨日(1月12日)午後、かでる2・7において「民放クラブ講演会」が開催され参加した。今回の講師&テーマは、元旭山動物園長の小菅正夫氏「すべて動物たちから教えてもらった」と題して講演したものでした。

   

 小菅氏の業績については多くの方がご存じかと思いますが、振り返ってみると日本最北にある「旭山動物園」は、小菅氏が中堅の頃、来園数が伸び悩み閉園の危機に陥っていました。そうした状況の中で、小菅氏は長年動物たちを飼育する(付き合う)中で、動物たちの本性を突き止め、動物たちが生き生きと動き回る姿を来園者に見ていただく「行動展示」という方法を開発し、旭山動物園を来園者数日本一に導いた方です。

 小菅氏は今回の講演を五つの柱を立ててお話されました。その五つの柱とは…、
 ① 時間に縛られない
 ② 幸福感
 ③ 生きる意味
 ④ 死生観
 ⑤ 明日は…
 小菅氏のお話の内容を全てレポすることはとてもできませんが、小菅氏がお話されたエキスのようなものをお伝えすることができればと思います。

 その一つは、動物たちは時間などに縛られて生きてはいないということを、チンパンジーの飼育を担当して教えられたと言います。動物(チンパンジー)は自然の変化を指標にして生きている。夜明けとともに活動し、夕暮れの前に寝床をつくる。ヒトも動物の一種と考えた時、小菅氏は腕時計を外したそうです。つまり、飼育を担当する者が時間に縛られた生活をしていて、飼育する動物の気持ちを理解することなどできないと小菅氏は教えられたようです。

 また、動物たちはどのようなとき最も幸せを感ずるかというと、食べ物を探して採る時と、子を育てる・命を繋ぐ時だと教えられたということです。

 「生きる意味」についても同様なことが言えると小菅氏は言います。小菅氏は「生きる意味についてたくさんの動物たちに尋ねてきました」と小菅語(?)で話されました。その過程でカバが明確な答えをしてくれたと言います。
 カバは動物たちの中でも多産系のようです。旭山動物園でもゴン&ザブコのペアは何頭もの子どもを出産したそうです。しかし、ゴン&ザブコが高齢となり身体も痩せ細ってきたことから出産が無理と判断して動物園としては2頭を離して飼育していたそうです。
 ところが2頭は一瞬の隙をついて交尾し、出産したそうです。小菅氏はカバから次のように教えられたと言います。「私たちは子どもを産んで、育てるために生きている」と…。つまり動物たちは「生きているかぎり、命を繋いでいく」ということを教えられたと小菅氏は話されました。

 そして最後に「死生観」です。
 動物は死を特別なこととは考えていません。人間はことさらに死を意識しているように思えますが、ゾウもトラもオオカミも、平気で死を迎えます。まさに悟りの境地にあるようです、と小菅氏は話された。

   

 こうした対話を動物たちと重ねながら小菅氏は37年間の旭山動物園での生活を終えるのですが、これで小菅氏の動物たちとの付き合いが終わったわけではありません。
 小菅氏は退職後、個人としてやり残したと思われることに取り組みます。そのやり残したこととは、
 ① ゾウの繁殖
 ② ゴリラの飼育
 ③ 生息地を知る
これらの解明のために、小菅氏はスマトラ、ボルネオ、ウガンダ、コンゴといった国々を飛び回り、動物の不思議を追い求めます。
 そのことが2015年に札幌市環境局参与(円山動物園担当)を委嘱されることになります。そして、円山動物園にアジアゾウが導入される際は、導入するゾウの選定から、ゾウの繁殖(タオの誕生)まで指導的立場で現在も活躍中の方です。


 小菅さんは飾らない人柄、動物の生態を北海道弁丸出しで話されるユーモアな話しぶりが、主婦層からは大人気のようです。この日の講演会でも多くの女性が詰めかけ、小菅氏に一言、一言に歓声を挙げながら聴き入っているのが印象的でした。
 北海道だけではなく、今や国内的にも動物園界の指導的役割を果たしておられる小菅氏のますますの活躍を祈念したいと思います。



めだか会議 放談会「北海道内のお勧めスポット」

2025-01-15 16:43:54 | 「めだかの学校」関連
 北海道の定番の観光地を挙げる人、身近な札幌の魅力にスポットを当てた人、あるいは自分が生まれ育った故郷の魅力が語る人、……それぞれが北海道内のお勧めスポットを紹介し合い、北海道の魅力を再確認しました。

 昨日午後、新年最初の「めだかの学校」を実施しましたが、今回のテーマ「北海道内のお勧めスポット」に基づいて会員同士が自由に話し合う「めだか会議 放談会」を行いました。
 そして今回は司会を私が行うこととした。
 各人が挙げた「お勧めスポット」を順に記していくと…
 ◇Aさん ・知床五湖 ・ナイタイ牧場
 ◇Bさん   ・大雪山 赤岳銀泉台
 ◇Cさん ・神の子池(摩周湖)
 ◇Dさん ・摩周湖 ・屈斜路湖
 ◇Eさん   ・黄金湯温泉
 ◇Fさん ・奥尻島
 ◇Gさん ・下川町
 ◇Hさん   ・大倉山ジャンプ競技場  ・神威岬
 ◇Iさん  ・襟裳岬 ・旭岳の頂上
 ◇Jさん  ・黒い森美術館(北広島市)
 ◇Kさん    ・大倉山ジャンプ競技場 ・札幌地下街
 ◇Lさん ・神威岬 ・奥尻島
 そして私は北海道の離島(天売島・焼尻島・利尻島・礼文島)を挙げました。

     
    ※ 札幌の中心街を見下ろすように大倉山ジャンプ競技場は位置しています。

 実に多彩です。北海道がそれだけ魅力に満ちた大地であることを示しているようです。発表の中では、それぞれがなぜその箇所を推すかについて、それぞれがその思い入れを語ってくれました。
 なかにはGさんのようにご自身の生まれ故郷の町のパンフレットを取り寄せて配布される方がいたり、Kさんのようにご自分が推すところを写真で配布して紹介していただくなど、用意万端にして今回の学習に臨んでくれた方もおり、真剣に学ぼうとする姿勢を見せてくれたことは私にとっては嬉しいことでした。
 
    
   ※ 神威岬の先端からは、さらに岩塊が点々と続き、独特の風景を描いています。

 そんな中、私は司会として2名の方が推薦されたスポットにスポットライトを当てて、深堀してみました。その箇所とは「大倉山ジャンプ競技場」であり、「神威岬」「奥尻島」の3ヵ所でした。
 なるほど3ヵ所ともに道外からの観光客からも人気のスポットです。
 その中でも「あっ!」と思わせてくれたのが、「大倉山ジャンプ競技場」です。我が国には数か所しかないラージヒルのジャンプ台であり、選手たちがまるで札幌の中心街に向かって飛び降りるようだと人気のジャンプ台です。大都会の直ぐ近くにこうした大きなジャンプ台があるのは「大倉山」だけだと言われています。そうした意味では札幌っ子にとって、自慢の観光施設と言えるのかもしれません。
 私にとっては、あまりにも身近な存在のジャンプ台だっただけに、見過ごしていました。
    
    ※ 奥尻島観光のシンボル「なべつる岩」です。

 そして今回、ゲストとして私たちを日頃からサポートしていただいているX氏のコメントが私たちが日本人であること、道民の一人であることを誇りに思えるような素晴らしいコメントをしていただきました。
 X氏はまず、1890(明治23)年に日本との交流を推進するために来日したトルコの客船エルトゥールル号が、帰国する際に暴風雨のため和歌山県・串本町沖で座礁し多くの死者を出したのですが、命が助かったトルコ人に対して串本町の人たちが自分たちの困窮な生活も顧みず遭難した方々を懸命に救助したというお話を紹介された。
 また1939(昭和14)年、ポーランドに在住するユダヤ人はドイツ・ナチス軍の侵攻により命の危険に晒された際、日本人の外交官・杉原千畝によって、当時に違法だったビザを発給し続け多くのユダヤ人の命を救ったこと。
 そして同じく1939(昭和14)年、北海道猿払村沖では敵軍(?)でもあったソ連船のインディギルカ号が座礁した際に、村人たちは懸命にソ連人の救命に励んだ。
 というようなエピソードを紹介していただき、そうした素晴らしい行いをした先人たちの末裔である私たちをくすぐり、猿払村を訪れてみることを勧めてくれました。

 さらに最後には、北海道がいかに魅力に満ちた、将来性のある大地であるかを、様々な角度から掘り下げていただき、私たちに夢と希望を与えてくれるようなお話満載のコメントをしていただきました。
 X氏からのお話は「現状に対して不満や愚痴を言っていてもしょうがないよ。それよりは夢や可能性について語り、前向きに生きるほうがより楽しいのじゃないですか?」とエールを贈られたような気持ちにさせていただきました。
 残り2回となった「めだか会議 放談会」を楽しみたいと思います。



金平茂紀氏が語る「高校生が『頭をあげる』時代へ」

2025-01-14 19:06:07 | 講演・講義・フォーラム等
 ジャーナリストとして著名な金平茂紀氏は語ります。今こそ高校生は頭をあげて、何が問題なのか?何が真実なのか?大いに議論してほしい。そして自らの考えを主張すべきであると…。旭川東高校で青春時代を過ごした金平氏は北海道の高校生に力強くエールを贈りました。

 一昨日(1月12日)午後、エゾシカネットの講演会を途中で中座した私は、札幌プリンスホテルの国際館パミール館で開催された「北の高校生会議10周年記念シンポジウム」に参加しました。
 「北の高校生会議」とは、「2014年に学校の枠を越え、全道の高校生と対話したい!という高校生の思いを(公財)秋山記念生命科学振興財団が助成することで開催が実現し、その活動が今年10周年を迎えた」ということです。
 私はその存在は承知しておらず、今回のシンポジウム参加も金平茂紀氏の講演を聴きたいという動機から参加したものでした。

     

 金平氏は言います。1985(昭和60)年8月、群馬県御巣鷹山に激突して520名の死者を出すという史上最悪の航空機事故が発生しました。その時、金平氏はテレビ記者として事故を取材していましたが、航空機の機長が必死に「頭を上げろ!頭を上げろ!」何度も叫んだことがボイスレコーダーに残されていたことが記憶から消えず、「今回その言葉の一部に使わせてもらい「高校生が『頭をあげる』時代へ」と決めたことを冒頭披露された。
 
 そして金平氏は、「成田悠輔、堀江貴文、ひろゆき、…」などの顔写真を提示し、「とんでもない若者が出現してきた」と警告しました。曰く「集団自決、集団切腹、余命投票制度、プラン75、等々…」つまり老人不要論を声高に論じる人たちです。(詳しくはお調べください)

 続いて福井県立農業高校演劇部が提起した「明日のハナコさん」と「ぐぐるプロジェクト」についてです。この二つについても詳しくはご自身でお調べいただきたいと思います。二つともに、日本の原発問題についての金平氏の問題提起です。

 金平氏から言わせたら、いずれもが由々しき問題である、との認識です。
 そうした状況にある今こそ、瑞々しい感性の持ち主である高校生が「自分たちには関係がない」あるいは「仕方のない問題」と考えるのではなく、「頭をグイっとあげて、何が本当で、何が正しいのか?」ということを考えてほしい!という若者たちへのメッセージであったと私は解しました。

 金平茂紀氏がどのような言論を展開されているかは諸兄はよくご存じのことと思います。そのことに対する賛否両論があることもよくご存じのことと思います。
 その問題をここで論じるつもりはありません。ただ、金平氏が若者たちに対してモノゴトの本質を追求する気持ちを持ってほしいと呼びかける思いには賛成したいと思うのです。

 間もなく我が国をリードする立場に立つ若者たちが、一日でも早く私たちの周りを取り巻く諸問題に目を向け、より良き道を探ることは我が国にとってプラスになることこそあれ、マイナスとなることなどは微塵もないはずですから…。 

 金平氏は講演の最後に、〈とりあえずの提案〉と題して、高校生たちに次のようなことを提案しました。
 〇過去を学ぶ 過去から学ぶ 歴史とは何か
 〇“学校" を取り戻す
 〇 個人〈 公共〈 国家
 〇数値化できないもの  語学力
  音楽、文化、演劇、映画、詩、ドキュメンタリー、写真、……
 〇Solidarity ガザ、パレスチナ、ミャンマー、韓国、…
   (註:Solidarity =連帯)



エゾシカネット創立記念講演会

2025-01-13 14:43:22 | 講演・講義・フォーラム等
 春のエゾシカが増えるって? エゾシカの6次産業化って何? NPO法人「エゾシカネット」創立10周年 記念講演会&フェスティバルに参加してきました。

         
 昨日(1月12日)午前、北区民センターで開催された表記講演会&フェスティバルに参加してきました。
 「エゾシカネット」とは、HPに次のように説明されています。
 「道民に対して、エゾシカの有効活用等に関する事業を行い、北海道の環境保全や地域・まちづくりを積極的に行うことで広く経済面や福祉等に寄与することを目的としています」と説明されています。
 ただ、開会時の理事の挨拶では、あまり堅苦しく考えることなく気軽に、楽しくエゾシカのことを考えていきましょう、と活動する団体のようです。

 会は二つの講演、高校生の発表、子ども部員の発表、朗読劇と盛りだくさんの内容でした。私は他に所用もあったために、前半の講演、高校生の発表まで聴かせていただき、途中退場させてもらいました。参加させていただいた部分のみレポすることにします。

     

 まず気象予報士として活躍中の菅井貴子さん「春のエゾシカが増える…!?~2100年北海道の未来天気予報」と題して講演されました。
 菅井さんによると、北海道はここ100年で地球温暖化が影響して平均気温が1.63℃上昇したそうです。これは全国平均(1.4℃)よりも高い数値だということです。
 そして北海道における最高気温は2023年5月26日に佐呂間町で記録した39.5℃だそうです。(ちなみに札幌市の最高気温は36.3℃、我が国の最高気温は、浜松市と熊谷市の41.1℃とのことです)

 こうして見てくると、北海道は全国的な平均より速い速度で温暖化が進行していると言えそうです。このみ温暖化が進むと、75年後の2100年の北海道を菅井さんは次のように予測します。
 ① サクラの開花が現在より5日早くなる。
 ② 30℃以上の日が30日を超える。
 ③ 大雨の日が増える。積雪が減少する。(真冬日は5日程度)
 ④ 秋刀魚、鮭、シシャモが不漁となる。
 ⑤ エゾシカが増える。

 問題のエゾシカです。エゾシカは以前の北海道の冬の気温では凍死するケースが多かったため、それほど個体数の増加には繋がらなかったものが、温暖化によって凍死することがなくなったために、冬を越したエゾシカが春の出産期に多くの子鹿を出産することがエゾシカの増大に繋がるというのです。
 そのことに対して菅井さんは最後に「シカ肉を食べたり、加工品を買ったりして、シカ猟を後押しすることが大事」と強調して講演を終えました。

     

 続いて、ハンターであり管理栄養士の資格も持っている音威子府村在住の秋山實氏が「エゾシカの六次産業化」と題して講演された。
 実は私は一昨年8月に秋山氏の同じ内容のお話を一度聴いています。今回はお話されませんでしたが、その時のお話では秋山氏は東京電力に勤められたり、インターネット関連の事業を興したり、東北大学で博士号を取得したりと、一般の人とは少し違った生き方をしてきた方のようです。
 その秋山氏がたまたま北海道で一か月ほど山登りなどを楽しんだ際に、北海道においてエゾシカが異常繁殖していることを知り、この問題を何とかしようと2016年、一念発起して音威子府村に移住したということなのです。

 一昨年のときはエゾシカの六次産業化を目ざしているとのことでしたが、その後本格的に六次産業を軌道に乗せるために奮闘していらっしゃるようですが、一個人が取り組む事業としてはいろいろな困難も立ちはだかったいるようです。
 狩猟の問題、加工の問題、そして販売の問題、等々…。しかし、秋山さんは困難を一つ一つ解決して前へ進んでいるようです。
  現在はエゾシカジャーキー、エゾシカ革の洗顔クロスに活路を見出しているようです。

 齢75歳を超えても秋山氏は若々しく、ご自分の夢を追いかけているようです。エゾシカの六次産業化が軌道に乗り、後の続く人たちが次々と出現することでエゾシカの増大対策の一助となることを願って止みません。

 続いて、岩見沢農業高校森林科学科の宇野唯真さんが「北海道の『森林の活用』 高校での学びと実践活動」と題して発表されたが、その内容については割愛します。
 また、その後に「子ども部員の発表会」、「朗読劇」とありましたが、私は他に所用があったために中座させてもらいました。

映画 小学校~それは小さな社会~ №386

2025-01-12 18:41:59 | 映画観賞・感想
 映画を観終えた後の率直な感想は「あゝ、良い映画を観たなぁ…」という思いでした。日本のどこにでもある公立の一小学校の一年間を追ったドキュメンタリーです。監督はその学校の営みから「それは日本の小さな社会」を写す鏡と受け取ったようです。

      

 昨日午後、以前から気になっていた映画「小学校~それは小さな社会」シアターキノで観た。気になっていたということは、元小学校教師として今の小学校の実状を少しでも知りたいという純な気持ちからでした。

 映画は、イギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ監督が、日本の公立小学校、インターナショナルの中高一貫校を卒業し、アメリカの大学に進学したのだが、その山崎監督がアメリカで過ごすうちに、自分の強みが日本の公立小学校で身に付けた“規律と責任" に由来しているのではないかと気づき、日本の公立小学校(世田谷区立塚戸小学校)で150日、延べ4,000時間に及ぶ長期取材を実施して本作を完成させたそうです。  

 映画はこれといったストーリーはもちろん、ナレーションもテロップさえもない映像が、ただひたすら流されます。その中、特に新一年生と最高学年の六年生に焦点を当てて描かれています。
 4月、入学したばかりの1年生は挙手のしかたや廊下の歩きかた、掃除や給食当番など、集団生活の一員としての規律と秩序について初めて学ぶ。そんな1年生の手助けをする6年生には、最高学年としての自覚のようなものが垣間見えます。
 私も新一年生を担任した際は、集団生活にスムーズに入っていくために、あれやこれやと指導したことを想い出しました。一方、高学年を担任した際は高学年として低学年の見本となるよう、そして学校をリードしていく自覚を求める言葉かけが多かったと思います。

    
  ※ 日本の学校のように給食当番や掃除を子ども自身がする国は少数派だといいます。

 そうした日本の教育の実状について、映画のレビュー欄を拝見すると、賛否両論が並びますが、特に我が国の教育を批判的に見る方々の厳しい表現が目立ちます。曰く、集団の中で協調性を指導するあまり同調圧力が生まれ、それが“いじめ" に繋がっていると…。あるいは個性的な人間が育たない。etc、etc……。
 しかし、一方では教育大国として名高いフィンランドなどでは、日本の教育が驚きをもって受け止められ4ヵ月のロングランヒットを記録しているとも伝えられています。


 学校教育という営みは、子どもを持つ全ての親が関心を抱くことから、誰もが評論家にもなるという一面があります。そのこと自体は悪いことではありません。ただ、どうしても親は学校教育の負の側面に目が行きがちなところがあるのではないかと思います。
 個性が育たないという我が国の教育ですが、そのことに対して改善の動きがあることにも目を向けてほしいと思いますし、反対に諸外国から評価されるような我が国の教育の良さにもぜひ目を向けてほしいものです。

    
  ※ 写真のように靴箱にきちんと上履きが揃えられているのは異様な光景でしようか?

 映画は三月、六年生の小学校からの卒業、そして一年生が次の入学式で新一年生を迎える器楽合奏の準備に取り組む姿を映し出します。
 一年生を優しく指導しながら修了させ、他校へ移動する女性教師、ちょっと厳しいが六年生の指導に全力でぶつかる熱血教師が卒業生を送り出し涙する場面で終わります。
 けっして劇的でもなく、現在の学校教育のあるがままの姿を映し出した映画「小学校~それは小さな社会~」は、元小学校教師に懐かしさと日本の学校教育の伝統が引き継がれているんだなぁ、というどこかに安堵感を与えてくれたような映画だった…。