田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

えーっ!? 澤地さんもですか?

2012-06-20 22:34:52 | 講演・講義・フォーラム等
 ノンフィクション作家の澤地久枝さんの講演を聴いた。当年81歳という澤地さんはとても若々しい張りのある声だった。しかし、話の内容には年齢のせいではと思わされる場面が少なからずあった…。 

 16日(土)午後、道新ホールで北星学園大学の開学50周年記念講演会として澤地久枝さんが「生き甲斐について」と題して講演された。
 澤地さんは81歳には見えないほど顔の色つやも良く、声にも張りがあった。
 私は有名作家の講演とあって、話の内容を聞き逃すまいとメモのためのペンを握りしめながら耳を傾けた。しかし・・・。

          

 澤地さんの話はあちこちに飛んだ。澤地さんはとても早口だった。
 自らの来し方を主として語っていたのだが、話が飛び過ぎて聞いている私の中で澤地さんが言おうとしていることの焦点が合わないのだ。
 いったい何を話そうとしているのだろうと…。
 そうした中で最も時間を割いたのが、澤地さんが中央公論社の編集者時代に交友のあった中野重治(作家・評論家・詩人)のことについてだった。中野重治の言葉が澤地さんの生き方に影響を与えたようだったが、その言葉も早口のためにメモしきれなかった。
 しかし、それが澤地さんの生き甲斐だとは思えなかった。

          

 講演の最後に、澤地さんが最も力を入れ、比較的理路整然と話したのが原発再稼働問題についてだった。最近の澤地さんはこの問題にかなり深くかかわっているようだ。あるいはそのことが澤地さんにとっての“生き甲斐”なのかもしれないと思った。

 面白い、と思ったのは翌日の北海道新聞の記事だった。
 いくら優秀な記者でも澤地さんの話をまとめることは難しかったとみえる。記事の内容は澤地さんが原発再稼働問題に言及したことに大半を割いたものだった。

          

 今年2月、80歳になる屋山太郎氏の講演を聴いたときにも感じたのだが、屋山氏も話があちこちと飛んでしまい聴く方が苦労した。
 今回、澤地さんのお話をうかがい自らの老いを感じたときには人前で話すことを遠慮すべきではないのかな、と思ったのだが…。(それは難しいことかなぁ…)

高校野球招待試合

2012-06-19 23:05:57 | スポーツ & スポーツ観戦
 16日、17日と北海道高校野球連盟が高校野球の古豪早実高校と慶応高校を招いて道内各校と対戦する試合を観戦した。招待校と道内校との間にレベルの差は感じられなかった。しかし、結果は…。 

 対戦カードは次の通りだった。
《15日(土)》 ◇第一試合 慶応高校 VS 北海高校(札幌市)
        ◇第二試合 慶応高校 VS 白樺高校(帯広市)
         ◇第三試合 早実高校 VS 北照高校(小樽市)
《16日(日)》 ◇第一試合 慶応高校 VS 旭実高校(旭川市)
         ◇第二試合 早実高校VS 駒苫高校(苫小牧市)
         ◇第三試合 早実高校 VS 駒岩高校(岩見沢市)

 私は15日の第一試合と、16日の全試合観戦の予定でいた。
 しかし、16日の戦いが雨のため第一試合途中から長い中断となってしまったために観戦を断念してしまった。結局私が観戦できたのは1試合と半分くらいとなってしまい、早実高校の姿は見ずに終わるという残念な結果になった…。

          
          ※ 慶応高校のベンチ前、ユニフォームが慶応義塾大学のユニフォームと同じです。

 慶応高校 VS 北海高校の戦いは白熱した好ゲームとなった。双方にレベルの差は感じられず、むしろ北海高校が押し気味の試合だった。最終回に北海高校のエース玉熊が同点ホームランを浴び、惜しくも2対2で引き分けた試合だった。

          
          ※ 慶応高校エースの加藤君の力強いフォームです。

          
          ※ 北海高校エースの玉熊君のややまとまったフォームです。

 また16日(日)の第一試合、慶応高校 VS 旭実高校の試合も1対2のロースコアで進行し、試合が4回を終了した時点で雨がひどくなり長い中断に入ってしまった。私は1時間以上じっと座って試合再開を待ったのだが、グランドが雨で光ってきたため試合再開は無理と判断し、帰宅してしまった。
 翌日の報道で2時間以上中断の後に再開したと聞いて驚いた。
 この日は第一試合、第二試合を強行してどちらも7回戦で戦ったと新聞は伝えていた。第三試合は私が球場にいる間に早々に中止と決定されていた。

          
          ※ 16日の第一試合、慶応高校 対 旭実高校の試合前の挨拶です。

 二日間の観戦を期待していたのだが降雨という自然現象には適わず、結局私は早実高校の姿さえ見ずに終わってしまった。私が見ることができた慶応高校は神奈川地区というレベルの高い地区で切磋琢磨しているチームだが、対戦した北海高校も旭実高校もけっして見劣りしてはいなかった。それだけ北海道の高校チームのレベルが高くなってきていることの証のように思われた。これも駒苫高校効果だろうか?

 しかし、結果を見ると…。
 北海道勢は0勝4敗1分けと1勝もできなった。
 このところが目に見えない大きな差なのだろうか?
 つまり、一見したところ技術的なレベルの差はなくとも、試合に負けない、接戦を勝ちきるという“したたかさ”という目に見えない力が招待した二校は有していたいうことができるかもしれない。
 そのあたりの差を道内各校は今回の対戦から学んで夏の大会に臨んでほしいものである。

          
          ※ ご覧のようなグランド状態で試合再開は困難と私は判断したのだが…

 それにしても今回の招待試合は無料観戦チケットが配布されるという北海道高校野球連盟の粋な計らいがあった。だから私は円山球場が超満員になるのではと思ったのだが、それほどではなかったのが意外だった。
 やはり甲子園出場をかけた一発勝負にこそ観戦する側は何にも代えがたい興奮を覚えるのだろうか?
 間もなく甲子園出場をかけた夏の大会がやってくる。今からドキドキワクワク、楽しみな季節がやってくる…。

初めてのオペラ鑑賞 イル・カンピエッロ

2012-06-18 21:25:07 | ステージ & エンターテイメント
 初めて本格的なオペラを鑑賞する機会に恵まれた。イタリア語の原語上演だったが字幕が付けられており凡そのストーリーは理解できたが、本当にオペラの良さを理解できたかというとかなり怪しい。それでも楽しむことはできた。

 
 知人から「オペラを観賞しないか」とチケットをプレゼントされた。その知人の娘さんである亀谷泰子さんがプリマドンナを演ずるという。これは是が非でも見なくてはと思い、15日夜、ちえりあホールに急いだ。

               
          ※ ステージはもちろん写真がNGだからプログラムを載せることにした。

 ホールに入ってみると、オーケストラボックスが設けられていて「これは本格的なオペラだ」と悟った。プログラムに目を通すと、キャスト・スタッフ・管弦楽など総勢60名を超す陣容の本格的オペラだった。

 イル・カンピエッロ…、イタリア語で「小さな広場」という意味だそうだ。そのイル・カンピエッロで繰り広げられるヴェネチア庶民のドタバタを描いたものである。
 キャストは北海道の人たちが主であるが、客演や助演で中央からの人たちも混じった陣容だった。
 
 オペラ「イル・カンピエッロ」は三幕一場で舞台の転換はなかったが二階建ての建物が広場を囲む形でストーリーは進行した。ドタバタと記したが、数組の男女の恋物語といった方が分かり易い。プリマドンナ役の亀谷さん(ガスパリーナ)もその中の一人で、劇中の騎士・アストロフィと結ばれ、他のカップルも無事結ばれ大団円となり幕が下りた。

 亀谷さんは大学・大学院で声楽を学び、さらにはイタリア留学も経験されたという本格派で、これまでも数多くのオペラを演じているという。彼女は小学校の教師をしながら研鑽を積み重ねていると聞いた。
 張りのあるソプラノ、そして華やかな容姿はプリマドンナ役がはまり役だと思った。

               
               ※ 亀谷泰子さんの写真もプログラムのものを転写した。

 しかし「オペラ」となると、どうしても原語での上演となるのだろうか?
 研鑽を積んだ出演者たちにとってはその方がしっくりくるのだろうが、私のような素養のない人間にとってはどうしても違和感が拭えない。ステージ上方に歌詞が字幕で紹介されたとしても…。
 今回初めてオペラを観賞してみて、違和感を少しでも払拭するためには事前に演目について十分に知悉しておくことが大切なことだと悟らされた。


垣間見たアメリカ 14

2012-06-17 23:30:43 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

パックツアーの功罪 

 私たちは何も心配することなく添乗員に委ねることができた…
 かゆいところまで手が届く対応だった…
 しかし、それだけに旅する私にとっては忸怩たる思いもあった…

          
          ※ 私たちを関空からシアトルまで運んでくれたデルタ航空182便です。

 長い間綴ってきた「垣間見たアメリカ」シリーズだが、今回で終了することにしたい。
 終了にあたって日本独特の旅の形態とも云われるパックツアーについて考察してみたい。(調べてみると同じような旅の形態は他国にもあるようなのだが、日本人の場合圧倒的にこのパックツアーで海外旅行をする人が多いという現実がある)

          
          ※ 航空機の海外便の楽しみの一つ機内食です。写真のときのメインデッシュは「若鶏のグリルのタイムソース仕立て、各種野菜とパスタを添えて」というものでした。

 私の場合、今回が8度目の海外旅行だったが、ここまで典型的なパックツアーに参加したのは初めての体験だったように感じた。感じたとしたのは、これまでもパックツアーに参加していたのだけれど、これまでは観光が主目的でなかったり(スキーツアーやサッカー観戦ツアー)、団体としての旅行だったりと、今回とは形態がやや異なっていたため感じ方に違いが生じたと言ってよい。

          
          ※ ここからは再び観光ポイントを振り返ります。写真はラスベガスの夜景です。

 パックツアーの功罪について考えていたとき、ウィキペディアに当たると非常にうまくまとめていたのでそれを紹介してみる。

《利点》 ・添乗員が同行するパッケージツーでは、現地での不安感が少ない。
     ・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊できる。
     ・現地の情報の事前収集が少なくて済む。
     ・団体料金(企画旅行社との契約料金)が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安なケースが多い。
     ・旅行業者は三つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保証責任)を負うため手配旅行に比べて安心できる。
《欠点》 ・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
      また自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
     ・行動の大半をほかの参加者と共にするため、煩わしく感じる場合もある。
     ・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行や手配旅行のほうが安くなることも少なくな       い、特に一人参加で一人部屋追加料金を支払う場合はかなり高くつく。
     ・土産物屋や免税店に何回も立ち寄らされることがある。

          
          ※ 幻想的な光景が印象的だったアンテロープ・キャニオンです。

 まさにウィキペディアがまとめた(一部割愛したが)とおりだと私も思った。
 私たちは安心して旅行を楽しむことができた。私たちは少ない時間で広いアメリカ大陸の四つの観光ポイントを効率的に廻ることができた。それでいて比較的リーズナブルな価格設定だと思った。

          
          ※ 憧れただったグランド・キャニオンの展望ポイントに立った時は感慨ひとしおでした。

 しかし、しかしである。
 ハノイの下町を歩いたり、ロスアンゼルスの夜の街を散歩したり(これは少し怖かったけど)、ソウルの朝市をひやかしたりするような体験は皆無だった。
 また、現地のアメリカ人との交流も土産店の店員との交渉時だけで、一般の人たちと交流する機会も時間もなかった。
 私たちはスズメの学校よろしく添乗員の後を懸命に付いて回りながらアメリカを巡ってきた…。
 これでは旅の醍醐味の一つをみすみす放棄したに等しいとも云えるだが…。

          
          ※ 雄大な光景が広がるモニュメント・バレーは西部劇の世界そのものでした。

 そしてまた、しかしである。
 とは言いつつも、今の自分には相応しい旅の形態だったとも振り返っている。
 こんな場面があった。
 アメリカ国内のローカル便を乗り継いでいたときだった。妻の座席がアメリカ人と隣り合ったことがあった。妻から「座席を交代してほしい」と頼まれて交代した。
 隣のアメリカ人は一人旅で、ビジネスで飛行機を利用したように見えた。私は昔取った杵柄(?)で「少ししか英語はできないが、お話していいか?」と聞くと「もちろん」ということで話をしようと思ったのだが、私の口から英語が出てこない、彼の英語が良く聞き取れない、という悲惨な状況になってしまった。
 というのも私はパックツアーに参加するということで、海外旅行に旅立つときの独特の緊張感さえ持たないままこの旅行に参加していたことを悟らされた。過去の旅では多少とも現地の人との会話を楽しんでいたのだが…。

          
          ※ 圧倒的な迫力の瀑布と俗化され過ぎたその周辺…、複雑な思いに駆られました。

 長くなってしまった。結論を急ぎたい。
 パックツアーは日本人が気軽に海外旅行を楽しむための優れた旅行手段であると…。
 欠点は欠点として理解しつつ、利点をおおいに活用すべきなのだろうと思った今回のパックツアーだった。
 巷にはパックツアーが溢れている。パックツアーの形態も多種多様のようだ。
 自らの趣味趣向と懐具合とを相談しつつ、これからもできるだけ旅(パックツアー)を楽しみたいと、旅を終えた今思っている。



垣間見たアメリカ 13

2012-06-16 23:19:12 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

西部の街の街路樹 

 本当は今回で「垣間見たアメリカ」シリーズを終える予定だった。その最終稿は「パックツアーの功罪」のようなことを述べるつもりだった。
 ところが今日(16日)は朝から高校野球の招待試合(北海道に早実高校、慶応高校を招いての試合)の観戦、澤地久枝さんの講演、そして日ハム戦の観戦と夜までびっしり予定が入っていて、「パックツアーの功罪」についてじっくりと考察できる時間的余裕も、精神的余裕もなくなってしまった。
 そこで予定になかった一話を捻り出すことにした。

 アメリカ西部でも比較的南側に位置するアリゾナ州のフラッグスタッフという街に一泊した。
 朝早く目が覚めたので、ホテルの周辺の街を歩いてみた。
 すると、ちょうど歩道横の街路樹を植えるところが工事中になっているところに出会った。
 写真でもお分かりかと思うが、砂礫の土の上にビニール状のシートが敷かれている。そしてその上に茶色い礫状の土を被せようとしている。おそらくシートに下にはビニールホースが配管されていると思われる。

          

 「垣間見たアメリカ 2」の後半でもちょっと触れたが、砂漠の街で緑を育てるための秘策をガイドから聞いていたのだが、ちょうどその光景に出会ったのだ。
 この茶色の礫状の土では樹や植物は育たない。樹や植物を育てようとすれば、そこに栽培用に土を搬入して、地下のビニールホースから水が供給されるように工事しなければならないことになる。

 そのようにして樹や植物を育てているところも目にすることができた。
 下の写真は銀行の庭に配された樹や植物だった。

          

 次の写真はおそらく家庭の庭だろうと思われるのだが、同じように必要な樹や植物しか生育していない。おそらくこの辺りでは雑草などはあまりお目にかかれないのではないだろうか。

          

 最後の写真は私たちが宿泊したホテルの庭である。このように芝生を育成するとなると相当の水が必要になるのではないかと想像される。

          

 ※ 朝の散歩で気づいたことがもう一つあった。アメリカの全てがそうだとは思わないが、道路の横断歩道がずいぶん素っ気ない表示だった。写真にあるようにただ2本線が引かれてあるだけだったのが珍しく思った。

          


垣間見たアメリカ 12

2012-06-15 11:57:57 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

ウォシュレットがない!? 

 え――――っ! ウォシュレットがない-っ!
 今回の旅行期間中一度もウォシュレットに出会うことがなかった。
 これには参りました~(~ヘ~;)。

 旅行期間中、当然ですが何度もトイレのお世話になった。
 ところがどこの空港へ行っても、どこのホテルへ行っても、どこ――もウォシュレットのトイレではないのだ。
 日本ではどの空港へ行っても、どのホテルを利用しても、ほとんどがウォシュレットになっているはずである。(関西空港で一部そうでないところがあった)
 これには正直言って本当に参った。

          
          ※ さすがにトイレの写真は一枚も撮らなかった。代わりにフラッグスタッフで宿泊したホテルの外観を撮ったものを載せることにした。

 空港のトイレなど頼みもしないのに手洗いの水はどこでも温水が出てくるほど贅をつくしているのに、なぜウォシュレットを導入しないのだろうか?
 これは設備投資を抑えるなどという話ではない。文化の違いと考えざるを得ない。ウォシュレットほど衛生的で気持ちの良い機能をなぜ備えようとしないのか日本人の私には理解できない。
 一説によるとアメリカの水道水が日本のような軟水でないからとも聞いたが、現代の技術からすればその程度のことが解決できないはずがない。

          
          ※ フラッグスタッフのホテルの室内です。さすがにベットのサイズが大きいです。どこのホテルも同様でした。

 トイレ関連だが、アメリカの水洗トイレは空港も、ホテルも、便器から水が引くとき凄い勢いで水が引いていく。ちょうど飛行機のトイレを使った時の引き込まれるような勢いで引いていくため恐ろしささえ感じた。日本のように優しく穏やかに引いていけないものだろうか?これも国民性の違い?

          
          ※ ナイアガラで宿泊したホテルです。今回の中では最も庶民的なホテルのように感じた。     
  
 ウォシュレットにすっかり慣れきっている私のお尻ちゃんは敏感に反応し、旅行期間中非常に機嫌が悪かった…。


垣間見たアメリカ 11

2012-06-14 16:02:55 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。

身体のビッグなアメリカ人 

 「垣間見たアメリカ」というタイトルなのに旅行記的な内容を綴ってきたきらいがある。
 今回の旅行の観光ポイントだった4か所のレポートも終えたので、今回からは本当の意味で垣間見たアメリカのことを2~3レポートすることにします。

 今回の旅行中、ずーっと感じ続けたことがあった。それは私の想像していた以上にアメリカ人の身体が大きかったことだ。
 彼らの身長が我々日本人より高いことはもちろん承知していた。しかし、私が言っているのは身長のことではなく、身体全体がデカいということだ。(つまり大きくて太っているということ)
 動物性たんぱく質やファストフードの摂り過ぎで肥満症が増えているとは聞いていたが、空港のターミナルや飛行機内で見るかぎり、そうした人の割合が想像していた以上に目立った。それはターミナルにおいては絶えず目に入ってくるといった具合だった。

          

 その要因はやはりアメリカ人の食習慣に因るものなのだろう。
 「垣間見たアメリカ 7」でも触れたように、彼らの食事の量の多さには正直言って驚いた。

          

 こんなことがあった。
 アクシデントの発生によって朝食をバウチャーチケットを使って空港のターミナル内で調達しなければならない場面があった。
 私はパンに挟む具材を自由に選べる仕組みのサンドイッチ店に入った。
 最初にパンの大きさを指定するのだが、レギュラーサイズとハーフサイズがあった。レギュラーサイズはおよそ30cmはあるのではないかと思われた。私の前の女性は当然のようにレギュラーサイズを指定していた。私はその大きさに恐れをなしハーフサイズを指定したのだった。その後さまざまな具材をチョイスして会計をした。
 そして飛行機内で食したのだが、私にはハーフサイズで十分な量だった。
 きっとアメリカ人にとってはレギュラーサイズがごく普通の量なのではないかと思われる。

          

 飛行機に乗ったときのことだ。
 まだ20代にも達していないようだったが、体の横幅が明らかに私の倍はあろうかと思われる女性が私の前の座席に座った。
 なんとか座席に収まっていたようだが、相当に窮屈だったに違いない。

          

 ことほど左様にアメリカは国も大きいが、そこに住む人たちもビッグだった。
 日本人も食の西欧化に伴い肥満傾向の人が増えてきているという。
 他人ごとではない。私も気を付けねば…。


垣間見たアメリカ 10

2012-06-13 23:55:59 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

感動と失望と ナイアガラ瀑布 

 ナイアガラの滝が目に入ったとき、バスの中から歓声が上がった。
 これまでの観光ポイントではなかったことだ。
 アクシデントを乗り越え、ようやく目にすることができた光景にみんなの思いが一つになったようだ。

          
          ※ いろいろと苦労して辿り着いたナイアガラは虹のアーチで迎えてくれた。

 トロント空港からナイアガラまではバスで1時間強の移動が必要だった。
 カナダの景色はこれまで見てきたアメリカ西部との風景とは異なり、緑豊かな風景だった。
 同乗した日本人ガイドが言う。「カナダは水も緑も豊かだ」と…。

          

 やがてナイアガラ地区に入った。
 そして目にした光景は、あのナイアガラの大瀑布だった。
 ガイドは連休が終わり観光客は少ないと言ったが、たくさんの観光客が滝を見入っていた。
 バスは滝の上部に駐車したが、私たちはそこから写真をパチパチと撮りながら滝に最も近いテーブルロックに近づいた。
 テーブルロックはほんとうに目の前を大量の水が滝壺に落ちるポイントだった。
 凄い迫力に思わず吸い込まれそうになるくらいだった。

          

 そこから少し離れて滝全体が見えるポイントまで移動してまた写真を何枚も撮った。
 遠くにはアメリカ滝も遠望できた。
 ナイアガラに着いたときは午後もかなり遅い時間だったけれど、晴れていたこともあり見事な虹がかかり私たちを喜ばせた。

                   
 滝そのものは期待通りの迫力だったけれど…。
 意外だったのが、滝の周辺だった。
 私は自らが描いていたイメージとして、ナイアガラの滝は自然豊かな中にあるものと思っていた。
 ところが…。
 ナイアガラの滝の周辺は見事に観光地化していたのだ。
 カジノあり、お化け屋敷風の建物あり、ディスコ風の建物あり、観覧車あり、と周辺は完全にアミューズメント化していたのだ。
 これには驚くとともにガッカリした。

          
          ※ 水煙に霞んでいますが、右がカナダ滝、左がアメリカ滝です。
        
 ナイアガラの滝とともに世界三大滝と言われる南アメリカのイグアスの滝、アフリカのヴィクトリアの滝が世界自然遺産に登録されているのに対して、ナイアガラは世界遺産には登録されていない。
 あのような周囲の情景ではそれも無理はないと思わされた。あまりにも俗化され過ぎている。
 私は思う。ナイアガラの滝があまりにも早く発見されたことによるのだろうと…。
 調べてみると、1700年代にはすでに観光地化されていたという。
 まだまだ自然保護も、環境問題も叫ばれていなかった時代、世にも珍しい滝に人が集まってくるところに、さらに人を呼び込むための施設を建て続けたために今のナイアガラのような姿になったのであろう。

          
          ※ アメリカ滝の全景です。

 地球が造った素晴らしい光景が人間の疎かな営為によって汚されているとも思えたが、そのことでナイアガラの滝の魅力が損なわれているわけではない。その姿はやはり誰もが一度は見てみたいと思わせるほどの圧倒的な迫力で見る者に迫ってきた。
 ナイアガラ周辺の姿はきっと変えられないと思うが、ナイアガラの滝は現在も、そしていつまでも地球が造り出した奇景として人々を魅了し続けるであろうと思いながらナイアガラを後にした…。

          
          ※ ナイアガラの街の夜の光景です。


垣間見たアメリカ 9

2012-06-12 21:45:28 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

アクシデント発生!! 

 予定していた飛行機が着陸先(トロント空港)の悪天候のため飛ばないらしい…。
 えーっ、じゃこれからの予定はどうなるの?
 不安は募えども私たちに成す術はなく、添乗員に任せるほかなかった…。

 ここまでのツアーは順調すぎるほどに順調で、天候にも恵まれていた。
 ツアーはいよいよ最後の観光ポイント「ナイアガラ瀑布」観光のため、フェニックス空港からシンシナティ空港を経由してトロント空港に向かうことになっていた。
 シンシナティ空港で飛行機を乗り継いだのだが、その飛行機が一向に飛び立とうとしない。機長からの説明では、機器の不具合を調整しているとのことだった。飛行機内で1時間以上が経過したときも飛行機を降りるよう案内があった。
 そして知らされたのが「トロント空港が悪天候のために欠航する」との連絡だった。
 えーっ!理由が変わったの?と思ったが、よくあることなのかもしれない。機器の整備に時間がかかっていたところ、天候が急変するということも…。

 さあ一大事!ここから添乗員の活躍が始まった。
 私たちのツアーに付き添ってくれた添乗員はうら若き女性だったが、添乗員暦12年の経験を持つ方だった。(経験12年ではではうら若きではないか?しかし彼女は十分に若かった…) とても聡明な感じがするうえ機知に富み、英語力も素晴らしく交渉力も抜群に見える才色兼備の女性だった。
 私たちは彼女に全てを委ねて事態が好転することを祈った。

          
 ※ デルタ航空が用意してくれたホテルは世界2,800カ所にホテルを展開しているというMarriott Cincinnati Airportという第一級のホテルだった。

 彼女はこの非常事態を受け、次の三案を考え、その可能性を探るため同時進行で交渉を開始した。その三つの案とは…
 《第一案》バスをチャーターして深夜走り続け(約10時間)ナイアガラを目ざす。(この場合はナイアガラでの行動は当初予定通りに行える)
 《第二案》航空会社の提供するホテルに宿泊した上で、翌朝できるだけ早い別の航空会社の便でトロントを目ざす。(この場合はナイアガラでの予定を変更しなければならない)
 《第三案》契約しているデルタ航空の便を利用すると翌日夜のナイアガラ入りとなる。(この場合はナイアガラ観光をあきらめなければならない)

          
          ※ 皮肉にも今回の旅行で5泊した中では最も高級のホテルだった。

 《第一案》の実現を第一に考えながら交渉を進めるとのことだった。
交渉といっても多岐に渡るようだった。地元バス会社、デルタ航空、航空他社、日本の本社、等々とのやり取りをこなしながら実現性を探っているようだった。
 私たちは交渉を遠くから見つめるしかなかったのだが、彼女はデルタ航空のカウンターに張り付いたままひと時の休みもなく交渉しているようだった。

          
          ※ Marriott Cincinnati Airportのエントランスです。

 結局第一案は運転手の手配がつかず断念せざるをえず、第二案での交渉に絞ったようだ。
 今回の旅はデルタ航空だけを利用する契約で経費のコストダウンを図っていたものと思われるが、翌朝早い便がデルタ航空にはないため他社の便を使うという難しい交渉になったようだ。
 交渉が遅々として進まない。空港内に佇む私たちにイライラが募るころだったが、「垣間見たアメリカ 3」で記したように関西のおかん連がピンチを救ってくれた。
 深夜0時を過ぎていただろうか、第二案での見通しがついたとの添乗員からの連絡で、私たちは空港近くにデルタ航空が用意してくれたホテルに急遽宿泊することになった。
 結局この日眠りについたのは午前2時を廻っていた。

 第二案の見通しがついたということは別の航空会社の便に乗り換えるということだ。後から判明したことだが、そのためにシンシナティから直接トロントへは飛ばず、一度シンシナティからシカゴに飛んで、シカゴからAmerican Air Wayに乗り換えてトロントを目ざすルートとなった。
 この変更の手続きは大変だったようだ。予約便のキャンセル、そして新たな便へのリザーブのためにコンピューターへの打ち込みと、添乗員の彼女は私たちが休んでいる間も一睡もせずに作業に没頭したとのことだった。

 さて、このアクシデントによってどのような影響があったかというと…。
 ナイアガラの滝を船に乗って間近に見ることが時間的に不可能になったこと。ナイアガラでの半日の自由行動の予定がなくなってしまったこと。この二つがキャンセルになったことは大変残念なことだが、ナイアガラの滝そのものはなんとか見ることができることでホッとした。

 このアクシデントによるデルタ航空、阪急旅行社の私たちへの償いは…。
 デルタ航空がホテルの提供、翌日の朝・昼食のバウチャーチケット(24ドル分?)、それに何にでも使用できるフリーバウチャー(25ドル)が提供された。
 阪急旅行社からはナイアガラの船代、オプショナルツアーの代金の返金はもちろんだが、反対に全員をオプショナルツアーに招待してくれたこと、帰宅してから心付けが送金されてくることが知らされた。

 これだけアクシデントがありながら私たちは非常に冷静だった。
 それは天候という自然現象に対して諦観せざるを得ないという大人の対応だったと思う。
 さらには何度も言うが関西のおかん連のどこまでも明るい振る舞いが私たちの気持ちを落ち込ませなかったこと。
 そして最も特筆すべきは添乗員の機敏で適切な対応が「この人に任せよう」という雰囲気を醸し出してくれたことだろう。
 旅行中にはさまざまなアクシデントの発生が予想される。こうしたアクシデントという危機に対してどのように対応するかこそが最も問われる添乗員の資質なのでは、と思い知らされた今回の出来事だった。
          
 あ~、それにしても最小限の被害で切り抜けることができてホッとした。
 そして思いもしなかった(これこそ想定外?)旅の思い出を創ることができた。


垣間見たアメリカ 8

2012-06-11 14:46:39 | 海外の旅

 6泊7日という短い日程でアメリカの観光ポイントを駆け抜けてきた。それはまさに広大なアメリカの一端を垣間見たに過ぎない。そのようなわずかな体験でアメリカを云々評するのはおこがましい。それでも私なりの感慨は残った。今回の旅を記憶に留めるために旅の記録と共に、垣間見たアメリカを綴ってみたい。  

巨岩がつくる異空間 モニュメントバレー 

 それは砂漠の真ん中に忽然と現れた。
 巨大な紅い石柱があちこちに聳え立っている。
 西部劇映画で何度も観た光景だ。
 岩陰から今にもインディアンやカウボーイが飛び出してくるのではなどと連想しながら石柱群を眺めていた…。

          
     ※ モニュメントバレーの基地グルーディングが近づいてきたとき写真のような光景が目に入ってきた。

 グランドキャニオンから車で走ることおよそ3時間、砂漠の中にモニュメントバレーの遠景が目に入ってきた。どこか見覚えがあるような石柱が何本も立っている。

          
          ※ こちらはバレードライブに入ってから撮った遠景です。

 やがて、モニュメントバレー観光の基地グルーディング・ロッジに到着した。
 このロッジ自体も大きな紅い岩に囲まれるようにして立っていた。

          
    ※ 紅い岩に(ロック・ドア・メサ)寄り添うようにして立つグルーディング・ロッジ横の小さな博物館(交易所跡)です。

 ここで昼食のナバホタコを食した後、ナバホインディアンの末裔が運転・案内する観光トラック(?)に乗って約1時間半のバレードライブに出発した。

          
          ※ 私たちをバレードライブに案内してくれたトラック型のジープです。

 ドライブとはいってもモニュメントバレー内の道路は未舗装でところどころ岩が露出しているため、そろりそろりと進まねばならない。それでも客席(荷台?)に乗っている私たちはあちらへよろけ、こちらへよろけと大変なドライブである。その間も近づく岩を見なければならない。
 遠くから見ていたさまざまな形をした岩(石柱)を眼前で見ると、その迫力に圧倒される。一つ一つの岩は高いものでは300メートルもあるという。
 多くの岩の紹介を受けたのだが、渡された資料で特定できたものを掲載することにする。

          
          ※ 「ミッチェル・ビュート」と称する岩

          
          ※ 「センティメル・メサ(番人)」と称される岩

          
          ※ 「メリック・ビュート」と称する岩

          
          ※ 「レフトミトン(左側)とライトミトン(右側)」と称される岩

          
          ※ 「レフトミトン」を大写ししたもの

          
          ※ 「スリーシスターズ」と称する岩

          
          ※ 以下の二つは名称が特定できませんでした。

          


 グランドキャニオンがコロラド川の浸食によって深い谷を築いたのに対して、モニュメントバレーの方は浸食がさらに進んで比較的固い岩(石柱)が残った光景ということができる。つまりモニュメントバレーの方が浸食がより進んだ形であると資料は説明している。

          
          ※ モニュメントバレーを舞台に何本もの西部劇映画を制作したジョンフォード監督の最も気に入った場所だそうです。そこで「ジョンフォードポイント」と称されています。映画と同じように馬に乗ったカウボーイが観光客のためにサービスしています。

 バレードライブの最中、運転手が何度かナバホ族の民謡を披露してくれた。そのメロディーはどこか物悲しく私には聴こえた。その音色は北海道の先住民族アイヌの歌声にも通底しているように思えた。
 過酷な自然の中で生き延びてきた先住民族の思いにはどこか共通するものがあるのだろうか、とその歌声を聴きながら私は思っていた…。