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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

有馬尚経著「屯田兵とは何か」

2021-05-10 19:23:37 | 本・感想

 明治初期、ロシアからの脅威に備えながら北海道の開拓に寄与した力は大きい。その屯田兵の功績と変遷を市井の研究者が著したのが本書である。屯田兵制度は、近代日本の形成期だったこともあり、年ごとにその制度が変遷していたことが分かった。

          

 コロナ禍が北海道、特に札幌で猛威を奮っている現在、私はすっかり委縮してしまっている。しかし、ずっと家に籠っていることは精神的、身体的に大きなダメージを受けそうに思われたため、人と会うことがほとんどないフィールドに出かけようと思った。先日負った足の負傷も癒えつつあったので、リハビリの意味もあった。しかし、用意を整え戸外に出ると生憎の雨が降っていた。万事休すである。

 そうなると、ここ4日ほどほとんど家を出ていない私にはブログの話題が枯渇してしまった。ということで、最近読了したばかりのかなりマイナーな本書を今日の話題として取り上げることにした。

 本書の存在を知ったのは、拙ブログでもレポしているが4月11日行われた「北海道開拓の真実 私たちはどこから来たのか?」と題する公開ワークショップに参加した時である。 ワークショップのスピーカーの一人が本書の著者である有馬尚経氏だったのだが、席上で本書が紹介されて購入したのだった。

 有馬氏は奥付を見るかぎり、大学院で法制を学ばれ、現在は高校の講師などを務めながら屯田兵について研究されている方のようである。本書は副題に「その遺勲と変遷」とあるように、屯田兵が果たした功績と屯田兵制度の変遷について記されたものであるが、著者が法制を専門とするところから、特に屯田兵制度の変遷について詳述されたものであった。

 そうした中で私が印象に残ったことの一つとして、屯田兵が国家直属の軍隊とは異なり「開拓使が保有する武力団体」という位置付けからか、全ての階級に「准」と付けられていたことだ。例えば連隊長は准中佐、大隊長は准少佐、中隊長は准大尉というように…。

 次にはリード文でも触れたことだが、屯田兵の制度がまるで猫の目のように変わっていったことが印象的だった。これは明治8年5月に琴似に第一陣198戸が入植以来、毎年のように全道各地に屯田兵が入植したことによって、絶えず組織改編を行わねばならなかったという事情があった。また組織が拡大することによって、当初想定できなかった事態を整理したり、補強したりするために規則等の改変が絶えず行われたようである。こうしたことを当の屯田兵はどのように見ていたのか、興味あるところである。

 また、屯田兵の入植は他の入植者とは違い、大変恵まれていたことも改めて知ることができた。というのも、入植にあたっては給与はもちろんのこと、住居や農具、農作物の種子などが付与され、さらには除隊まで勤め上げれば最終的には15,000坪という農地の所有権まで与えられるという好条件だった。ただ、明治19年以降、根室や厚岸といった農業に不向きな根釧原野が赴任地となった屯田兵は、農業では生活できずに悲惨な生活を送らねばならなかった人たちもいたという。このあたりは、赴任地による運不運もずいぶんあったのではないかと想像される。

 その他にも私がこれまで知り得なかった屯田兵の実態の数々を本書から知ることができた。コロナ禍で躓いてはしまったが、これから私が所属する「めだかの学校」において、札幌周辺の屯田兵村跡を訪ねる「さっぽろの古を訪ねて 北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」に役立つ知識を得ることができた本書だった。



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