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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

改めて屯田兵制度について聴く

2023-09-20 14:40:04 | 講演・講義・フォーラム等
 屯田兵制度についてはこれまでにさまざまな方から何度もお話を伺い、それなりの知識を得てきたつもりである。今回改めてお話を伺い、屯田兵が北海道開発に果たしてきた役割について再認識することができた。

 本日午前、継続受講している「中央区いきいき講座(高齢者講座)の第13回講座が開講された。今回講座のテーマは「屯田兵の歴史~屯田兵を制度から見てみる~」と題して、北海道郷土史研究家の有馬尚経氏が講師を務めた。有馬氏のお顔を拝見し、「あれっ?どこかで見た顔だ!」と思った。帰宅して調べてみると、2021年4月に白石区民センターで行われた北海道開拓倶楽部主催の研修会で有馬氏が「屯田兵と北海道」と題して講演されたのを受講していた。
       
       ※ 屯田兵に関する有馬氏の著書です。
 有馬氏はかなりアバウトな話し方をする方で、それゆえ話の信憑性に欠けるのではと思われる節もあるのだが、お話自体はしっかりと研究された内容であることを確信できるものであった。
 北海道開拓時代に「屯田兵制度」が設置されて経緯については、対ロシアからの警備を強化することだったのだが、その直接の契機となったのは「福山・江差の漁民騒動事件」だったと知ったのは初耳だった。つまり、対ロシア警備も当時は喫緊の課題だったのだが、それ以上に急を要したのは北海道内の騒動などを警邏する必要もあり、屯田憲兵を組織する必要に迫られていたということだ。
 屯田憲兵と記したが、発足当時は「屯田兵」ではなく「屯田憲兵」と称したのは、屯田兵に警察的任務を負わせることで、ロシアに対しても軍隊組織ではないということを示すことにより、ロシアの警戒心を薄めることも狙いとしていたと有馬氏は解説した。
   
   ※ 札幌市琴似に残る当時の屯田兵屋です。
 また、次のことも私にとっては初耳だったが、屯田兵制度を制定する際に陸軍と海軍がさや当てをしたという事実も知った。その結果、陸軍も海軍も直接には関与せず、当時の開拓次官であり「屯田兵制度」を建議した黒田清隆を少将として開拓使に「屯田兵」を設置することにした。ところが正式に発足するときに黒田は「少将」ではなく「中将」として辞令を交付されたそうだ。これは黒田の計らいで失脚を免れた榎本武揚が海軍少将だったことから、周りの計らいで「中将」に格上げになったものと有馬氏はその背景を解説した。
 その他、有馬氏は屯田兵制度に関わるあれこれを解説してくれたが、私にとっては既知のことであるので、ここでは割愛したい。
  
  ※ 講義をされる有馬尚経氏それを聴く受講生です。
 冒頭に述べたように有馬氏の話しぶりは研究者としては異端なフランクな話しぶりである。時には苦笑せざるを得ない場面もあったが、楽しく歴史を学ぶには意外に有馬氏のような話し方も「有り」なのかもしれない。事実さえ正確に伝えてくれれば…。聴いていたご婦人たちからは絶えず笑い声が絶えない講座だった。
 「中央区いきいき講座」も残り3回となった。最後まで楽しみたい。


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