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道南旅物語② 北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈6〉 垣ノ島遺跡(函館市)

2022-08-06 16:58:16 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

 垣ノ島遺跡は国内最大級の「盛り土遺構」が有名であるが、にわか遺跡ファンとしては、遺構全体が芝生に覆われていることでその素晴らしさを今一つ実感できなかった。しかし、遺跡の傍に立つ「函館市縄文文化交流センター」の展示は見どころ十分だった…。

   

  ※ 「垣ノ島遺跡」のエントランスを入ると遺跡全体を見渡せる展望デッキがあり、そこから遺跡全体を写したものです。太平洋も望めました。

  

  ※ 「垣の島遺跡」の全体図です。遺跡域は右側半分だと思われます。

       

※ この遺跡の標柱に付くマークは、全体で縄文土器を表し、上部は北海道、下部は北東北を表し、その間に津軽海峡を表しているそうです。全体の朱色は当時から漆が使われていたことを表しています。

 「垣ノ島遺跡」は「大船遺跡」と同じ旧南茅部町の臼尻地区にあり、「大船遺跡」とはそれほど離れていない、やはり海岸段丘の上に展開していた。

  国道278号線沿いに位置する遺跡の入口には、斬新なデザインの「函館市縄文文化交流センター」道の駅「縄文ロマン 南かやべ」と併設する形で建っていた。

   

  ※ 左側が「函館市縄文文化交流センター」、右側が道の駅「縄文ロマン 南かやべ」になっていました。

 私は午後1時からの遺跡ガイドの説明を受けることにしていたので、時間がたっぷりあった。そこでまず「函館市縄文文化交流センター」を見学することにした。(入館料300円)

   

   ※ 交流センター内部には南茅部高校書道部の書が大書され、掲示されていました。

 建物同様、展示の方法もかなり凝った展示方法のように私には映った。特に私が「凄い!」と思ったのは、「石鏃(せきぞく)と称する石を加工して作った矢じりの展示だった。さまざまな大きさの矢じりがデザイン性も加味されて展示されていたが、その繊細さに驚いた。数千年前の縄文人の高い工芸技術に改めて驚かされた思いだった。

   

   ※ 縄文土器の展示にもひと工夫されています。

        

  ※ これが私が驚いた「石鏃」の展示です。その繊細さに驚きました。狩りをする矢の先端に括り付けていたものです。

        

   ※ こらちは持ち手の付いた手斧でしょうか?こちらの多様さも素晴らしいと思います。

 また、北海道における唯一の国宝として有名な「中空土偶」が暗闇の中でスポットを浴びて展示されていて、特別感を感じさせてくれた。(なお、「中空土偶」は「垣ノ島遺跡」で発掘されたのではなく、近くの「著保内野遺跡」で発見されたものである)

   

   ※ フラッシュ厳禁の為、写りはイマイチですが国宝「中空土偶」です。

 展示を一通り見て回っても時間に余裕があったので、交流センター内で実施されていた滑石(かっせき)を加工(磨く)して「勾玉」まがいのアクセサリーを作る体験教室にも参加した。滑石はとても柔らかい素材なので紙やすりを用いて滑らかな表面を作り出すことが容易だった。このようなことを面白がって挑戦するオヤジなど皆無に近いだろう。そんなことに挑戦するところが何でも面白がる田舎オヤジの真骨頂なのだ!とひとりごちしている私だった。

   

   

   

   ※ 私が完成させた作品(?)です。

 午後1時。遺跡ガイドの説明を受ける時間になった。しかし、ここでも私以外は一組の親娘だけだった。お聞きしたところ、ここのガイドはボランティアではなく、アルバイトとして雇用されているガイドだということだった。担当したガイドは男性で老域に差し掛かっていてとても饒舌だった。

   

   ※ センターや道の駅の建物(壁)の右端に「垣ノ島遺跡」のエントランスがありました。

   

   ※ 遺跡ガイドをしてくれた方です。

 ところが肝心の遺跡の方はというと、全体が芝に覆われていて、「大船遺跡」のような復元物は皆無だった。遺跡の片隅には「竪穴遺跡」とあったが、そこは円形に芝がはぎとられたところが2~3ヵ所見られるだけだった。その奥には国内最大級と言われる「盛り土遺構」が「コ」の字形に広がっていた。そこは周囲よりわずかに高くなっていて、その痕跡が伺えるだけだった。その中心には小さな丘状のところがあり、ガイドは「丘状遺構」と紹介し、ガイドはそこから刀形石器や石棒などの特殊な遺物が出土したことから、祭祀や儀礼などが行われた特別な場所だったのではないかと説明した。さらには「竪穴住居」のある方向から「丘状遺構」に向かって直線に伸びる跡が伺え、そこを「直線遺構」とガイドは紹介してくれた。あるいは縄文人は住居から祭祀や儀礼の会場に向かう通路だったのだろうか?

   

   ※ 向こうに遺跡域が広がるエントランス広場に立つ史跡を表す石標です。

   

   ※ エントランス広場から遺跡域全体を眺めたところです。

   

   ※ 竪穴住居跡を示しています。広さは表されていますが。深さはどうなのでしようか?

 ただ、ガイドが一生懸命説明されても、目に映るのは芝生に覆われ凹凸の地形だけだった。ガイドによると「盛り土遺構」からは大量の遺物が発掘されたということだが、現在はそこが全て芝生に覆われていた。にわか遺跡ファンの私としては、せめてその一部だけでも発掘された状態の展示ができないものか、と思ったのだが…。それはおそらく専門家からすれば邪道であるということなのだろう。う~ん、でもなぁ~、という思いが残った。

「垣ノ島遺跡」の一角(遺跡域ではないのだろうが)には、芝生広場、体験広場が広がっていた。私は時間的に余裕もあったので、遺跡発掘の模擬体験をさせてもらった。おままごとのような体験だったが、シャベルの腹の部分を使って表土をそろりそろりと除いていく慎重さを担当者から指導していただいたことは、けっして無駄ではなく得難い体験をすることができた。

   

   ※ 遺跡発掘模擬体験の道具です。

   

   ※ 私が発掘した(?)土器や石器です。



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