田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

万葉集 巻十七を読む

2011-09-14 21:57:16 | 講演・講義・フォーラム等
 古文にも、和歌にも素養のない者が「万葉集」の講座を受講することは間違いなのかもしれないと思った。講師の流暢なる講義について行くのがやっとだった。というよりも落ちこぼれていたと称した方が適切かもしれない…。

 道新ぶんぶんクラブ主催の教養講座はできるだけ応募することにしている。
 これまで何度も受講していた国学院大・国学院道短大主催の「いにしえの日本を探る」講座シリーズを今回も応募したところ受講券が舞い込んだ。
 今回のテーマは「萬葉集巻十七を読む-贈答歌から文学へ」と題して国学院道短大の月岡道晴准教授の講座だった。

          

 まず、冒頭からやられてしまった。「巻十七」は「まきじゅうしち」と月岡氏は称した。私には「じゅうななかん」という言い方しか知らなかったので、冒頭から異次元に彷徨いこんだ感じだった。
 巻十七から巻二十までは大伴家持を中心とした歌日誌が中心になっている。

 まずは天平十八年の正月に宴を催したときに詠われた歌「肆宴歌(しえんか)」の紹介があった。
 講師の月岡氏の歌を詠む流暢さや弁舌さわやかな解説に、私の理解度はついていけなかった。「肆宴歌」は家持をはじめ多くの人が集い詠ったようである。そのうち五首が紹介されたが、それらの歌は先に詠われた歌のどこかにかけて詠われているということだけはなんとか理解することができた。

 次いで私が多少は理解できたかな?と思われたのは、大伴家持と大伴池主の間で詠われた「贈答歌」のことである。
 家持は天平十八年、都から遠く離れた越中の国守として赴任した。そのとき越中の掾(じょう)の任にあったのが池主である。「掾」とは国守の部下に当たる役人である。二人の関係は同族との見方もあるが定かではない。しかし、家持が赴任したことによって二人の間には交流が生まれた。
 ある時、家持が病に倒れたのだが、都から遠いこともあってその心細さを歌に詠って池主に贈ったところ、それに対して家持を慰める歌が返ってきた。さらに両者の間で歌のやりとりが続くのだが、その際池主は和歌だけではなく漢詩も併せて贈った。すると家持もまたそれに倣ったのだが池主のそれには及ばなかったということだ。
 それ以来、家持は漢詩文+和歌というスタイルを確立したということである。

 理解できたとはいっても、それは月岡氏の解説を理解できたということであって、歌そのものを理解できたわけではないところが辛~い。
 う~ん。いにしえの世界は深く、遠いの~。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
教養バッチリですね (ちゃんこま   )
2011-09-15 01:20:49
 さすがですね、文学の香り漂くレベルの高い講義を聞いてますね。こういう高尚な内容の話は、現実の誰かにあてはめて、例えば家持ちゃんを野田さんに、池主ちゃんを管さんにあてはめてむりっくり想像し、勝手な空想で手紙文書をやり取りしてた様子の場面を思い描いて苦手感から抜け出すのもいいかもしれませんよ。歌の解釈は月岡先生にお任せして気楽に行けば、和歌の中の言葉は当時の言葉だから現代人にとっては難しいのは当たり前、と思っているうちに、そのうち古文の読解もそのうちなんとかなるのでしょうね、きっと。期待しています。
返信する
Re:教養バッチリですね (田舎おじさん)
2011-09-15 23:37:28
 いやいや教養バッチリどころか、自分自身のむ教養をさらけ出したようで恥ずかしいかぎりです。
 まあ、おっしゃるように和歌や漢詩の解釈は専門家にお任せするというように開き直って、いにしえの方々の世界や生活を知ることを主眼としたほうが気が楽になりますね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。