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芥川賞を読む〔1〕「彼岸花が咲く島」

2021-08-16 20:11:50 | 本・感想

 「彼岸花が咲く島」とは、沖縄八重山諸島の「与那国島」がその舞台であろうと思えた。八重山諸島では女性神職「ノロ」を中心とする「御嶽信仰」が古くから信仰の中心である。物語はその「ノロ」を中心とした島の人たちの風俗や生活を描いたものである。

          

 今日もまた外に一歩も出ずに、本年度下半期の「芥川賞」受賞作品の李琴峰(り ことみ)作の「彼岸花が咲く島」を読むことに没頭した。

 芥川賞作品、あるいは純文学を読むとはどういうことなのか?恥ずかしながら私はこの歳になってもこの命題に答えられない。今期の受賞作のもう一つの作品である「貝に続く場所にて」などはその文体にまったくついていくことができなくて、ついには途中で投げ出してしまったほどである。そしてこちらの「彼岸花の咲く島」を先に読むことにしたのだ。

 こちらもけっして私にとって読みやすい作品ではなかったが、前者よりはましであり、読み進むうちに「これは私が訪れたことのある与那国島が舞台である」と確信したあたりから、物語に没入できるようになっていった。

 物語は一人の少女が彼岸花の咲く島に流れ着いたことから始まる。その少女は全ての記憶を失っていたが、発見者「遊那(ヨナ)」によって「宇実(ウミ)」と名付けられる。しかし、二人が話す言葉よく通じない。遊那の話す言葉を、遊那は〈二ホン語〉というが宇実には通じない。宇実の言葉は〈ひのもとことば〉らしいのだ。そこに遊那はもうひとつ自分が習っている〈女語(じょご)〉を持ち出す。この〈女語〉がどうやら〈ひのもとことば〉と共通点があるらしいことに気づき、二人はコミュニケーションを図る。

 いったところから物語は始まるのだが、私にはこれらのことがなぜこの物語の中で必要なのかが今一つ理解できないのだ。このあたりが私の文学的素養の無さなのだが…。

 それより私が興味を抱いたのは物語の舞台である。物語が沖縄の小さな島で東西に長く、南北に狭く、島の最東端を〈東埼(あがりざき)〉最西端を〈西埼(いりざき)〉という呼び方、そして島には三つの集落〈東集落〉、〈西集落〉、〈南集落〉があると物語では表現していたが、実際の与那国島でも順に〈与那国集落〉、〈久部良集落〉、〈比川集落〉の三つの集落しか存在しない。これはもう作者は完全に与那国島を架空の舞台として設定していることが容易に読み取れた。

 物語の方は、島の人たちは生活の中心に〈御嶽信仰〉があって、その中心を司るのが女性の神職「ノロ」である。その「ノロ」になることを「遊那」と「宇実」は願い、願いが叶うという物語なのだが、私には八重山諸島では神道とか、仏教か普及せず、「御嶽信仰」が根強く人々に信仰され続けてきたという八重山諸島の特殊な事情を理解したという            程度のことしか残らなかったのだが、「芥川賞」としてはもっともっと深い意味があって選定されたようなのだが、私にはその良さは理解できずじまいだった…。

        

 なお、作者の李琴峰氏はその名からも類推されると思うが、台湾人の方である。この物語を書き上げるにあたって相当日数にわたり与那国島で生活し、その宗教事情に精通されたのではないかと思われる、その努力には敬意を表したい。



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