田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

クールビューティ 荒川静香

2012-12-23 23:22:25 | 講演・講義・フォーラム等
 彼女が登場した時、そのスタイルの素晴らしさに会場内にはホーッという嘆声がもれた。それくらい抜群のスタイルの良さだった。その荒川静香さんは意外と思えるほど饒舌に語った。

          
   ※ 登場した直後の荒川静香さん(右側)中央は札幌医大の整形外科医、左はHBCの渡辺アナです。

 この日は午前中にコンベンションセンターで映画を、午後からはかでる2・7で「環境道民会議ウィンターミーティング」に、そして夜にはかでる2・7(中央区北2西7)で荒川静香さんがゲストで登場する「札幌スポーツ医学セミナー」に参加と、一日中動き回っていた。

 医学セミナーは荒川さんの登場の前に埼玉医科大学の整形外科の酒井宏哉教授が「膝のスポーツ損傷」と題して講演されたが、どうやら新進の整形外科医たちを対象としたようで、私たち素人にはあまりにも専門的な内容で、興味も湧かず、理解もできなかった。

          

 続いて、登場した荒川静子さんはHBCアナウンサーの渡辺陽子アナの質問に答える形で(もう一人札幌医大の整形外科医が同席したが、渡辺アナがほとんど仕切った)「乗り越える力」と題してトークを繰り広げた。
 荒川さんが饒舌になれた要因の一つが渡辺アナの話しやすい雰囲気を作る進行にあったと私はみた。だから荒川さんは本当にたくさんのことについて話をした。その中から印象に残った言葉をレポートしたいと思う。

               
          ※ 荒川さんが出版した著書名からトークの演題を付けたようです。

◇クールビューティと称されるが、自分の体形にはいくつものコンプレックスがある。
◇5歳からスケートを始めたが、小さい頃はさまざまなスポーツを試みたり、習ったりしたが、フィギアスケートが自分に一番合っていたようだ。
◇フィギアスケートはとてもお金のかかるスポーツのためサラリーマン家庭だった荒川家にとって選手生活を続けるのは大変だった。コスチュームなどは大学2年まで母親が作っていたという。また、音楽は荒川さん自らがパソコンで合成していたとも語った。
◇高校生で長野五輪に出場した後、2004年の世界選手権で優勝したが、その際は左足坐骨骨折という大怪我をしながらの優勝だったという。その後しばらく休養となったが、気持ちを切らさないように努めたということだ。
◇結果として、休養期間に自分のスケートを見直す機会となり、その後の選手生活にプラスにすることができた。
◇オリンピックは特別な舞台で、緊張も極限に達するが、その緊張から自分を守るためには十分な準備をする以外にはない。
◇「オリンピックを楽しむ」と発言する選手がいるが、それは十分な準備をして良い精神状態に持っていき、良いパフォーマンスが発揮できる状態になったときに初めてオリンピックを楽しむと云えるのではないか。つまり楽しむための準備(努力)が必要である。
◇自分は緊張する性格で、本番に弱いタイプだった。だから失敗も数多く味わった。しかし失敗の数だけ人は成長すると思う。自分は十分な準備(練習)・努力を積み重ねることで緊張を乗り越えることができ、トリノ五輪の優勝に結び付けることができた。
◇現在、プロスケーターとして、解説者としてスケートの魅力を伝えている。できるかぎり現役を続けたい。そのために日々練習を怠らないように精進している。

               
               ※ トリノオリンピック優勝時の荒川さんの滑りです。

 まだまだ荒川さんは渡辺アナの質問に答える形で数多くのことを聴衆の私たちに伝えてくれた。
 彼女は今年史上最年少でスケート連盟の理事に選任されたという。彼女の実績、彼女の聡明さが推薦された理由だろう。
 23日から札幌で全日本フィギア選手権大会が開催されていて、荒川さんもテレビで解説をしていたが、現在日本のフィギア界は史上最高の盛り上がりを見せているのではないだろうか? このレベルを荒川さんたちの尽力によってこれからも維持・向上していくようにと願っている。


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