田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №328 日高線と生きる 

2021-11-06 17:03:08 | 映画観賞・感想

 本年四月、日高線のうち様似駅~鵡川駅間の廃線が正式に決定したのを受けて、高校時代に日高線で通学した体験を持つ監督〈稲塚秀孝〉が描いたドキュメンタリー映画である。私も廃線を体験した一人として興味深く画面に見入った。

        

 昨日(11月5日)午後、以前からぜひ観たいと思っていたドキュメンタリー「日高線と生きる」サツゲキにて観ることができた。

 「サツゲキ」は、以前は「札幌プラザ2・5」として貸しホールと貸しライブスタジオとして運営していた施設を、シネコンのディノスシネマが2020年7月に4スクリーンのシネコンとしてリニューアルオープンしたものである。私はリニューアルしてから初めて訪れたのだが、エントランスなどはおしゃれな雰囲気となった感があった。

 さて、映画の方であるが監督の稲塚秀孝は自身が高校時代に日高線を利用して通学していた一人だそうだ。その稲塚氏が廃線の報を聞いてドキュメンタリーを撮ろうと思ったようだ。 

 日高線の不幸は単に不採算路線だったというだけではなく、海岸線を走る鉄路のために2015年1月の高波で線路が被災してしまったことにより、その復旧費用が重荷となったこと、そしてたとえ復旧したとしても採算が取れる見通しが立たなかったことにより、5年にもわたってJR北海道と沿線自治体とが協議する中「廃線止むなし」という結論に至ってしまったとのことだった。

 ドキュメンタリーは2019年12月から撮影を開始したということだが、ドキュメンタリーとしては「やゝ弱かったかなぁ」というのが偽らざる思いである。というのも、列車が走る往時の日高線の様子が描かれているところが僅かしかなかった点がある。また、2015年の被災当時は沿線住民の方々も日高線の復旧を固く信じていたのではないかとの思いが私にはあるのだが、画面からは沿線住民が地域から鉄路が無くなることへの無念さは伝わってこず、すでに諦観してしまったかの様子しか伝わってこなかった。唯一、廃線に最後まで反対し続けた浦河町長の無念な表情だけが印象に残るドキュメンタリーだった。                                                         

 ドキュメントは廃線のことだけでなく、周辺住民の生活(コンブ漁師、サラブレット生産者、いちご農家、等々)の様子を描くが、そこでは廃線のことを語ることはなかった。また廃線を受入れ、廃線跡の活用を志向する住民の姿も追ってはいたが、それが廃線を考えるうえで何を語ろうとしているのか、私には今一つ理解できなかった。

 北海道の鉄路は今大変な危機的状況を迎えている。1964(昭和39)年当時、道内の鉄路は約4,000kmあったそうだが、現在はそれが2,500km程度まで短くなり、今なお多くの不採算路線を抱え、将来は1,200km程度になるのではないかと囁かれている。今春私は函館本線に二度ほど乗車した。早朝の便ではあったが、乗客の姿は数えるほどでまるで空気を運んでいるような状況だった。おそらく函館本線はJR北海道にとっては基幹路線だと思われるのだが、それがこのような状況では本当に心配である。

 実は私自身も過去に直接ではないが二度の廃線を体験している。一つは、監督の稲塚氏同様、高校時代に通学に利用していた国鉄相生線(北見相生駅~美幌駅間 38.6km)が早くも1985(昭和60)年4月に廃線になっている。その頃私は同じオホーツク管内で仕事をしていたが、すでに実家を離れていたため直接廃線を感ずることはなかったのだが…。 

 今一つは、国鉄地北線(北見駅~池田駅間 140km)の廃線である。私は地北線の停車車駅の一つ置戸駅がある置戸町で職についていたが、地北線は1989(平成元)年6月に国鉄民営化のあおりを受けて、第三セクターの「ふるさと銀河線」に移行されたが、それも長くはもたず2006(平成18)年廃線となった。これも私は1980(昭和55)年に置戸町を離れているため、直接には第三セクターへの移行、また廃線には関わってはいない。

 笑えないエピソードがある。私が置戸町を離任するとき駅頭で皆さんの見送りを受けた。当時は皆が転勤する際は駅頭で見送る習わしがあった。しかし、時代はすでに車社会だった。私は置戸駅で見送りを受け、次の駅で列車から降り自家用車で次の任地に向かったのではある。私にはこそばゆい思いが残ってしまった…。

          

          ※ 監督の稲塚秀孝氏です。

 ドキュメンタリー映画「日高線と生きる」は、人口減によって疲弊する北海道の地方の現実と、すでに我が国が車社会に移行してしまい鉄路の使命が終わりつつあることを写し出している映画だったように思えた…。